第11話

 その十分間は紅太郎こうたろうが体験したことのない不思議な時間だった。


 場面は紅太郎とひよりの演じる異星人G.f.(通称ガフ)とカークフェルが会話しているところに本来なら星斗が演じるはずだった地球人のシャーリーが入って来るところから始まる。

 事前に何度も読み合わせをしたにも関わらず、紅太郎は緊張していた。観客は合宿に来ている二十人ほどの生徒だけだったが、舞台に立ってスポットライトに照らされた瞬間に頭が真っ白になった。


 ──やばい……。


 しん、と静まり返ったホールに進行役の雪花せつかの声が響く。


「最後にEグループの発表です。脚本担当の烏丸からすま星斗ほしとさんが体調不良のため、代役で川瀬かわせみどりさんが演じてくださいます。では、よろしくお願いいたします」


 客席がにわかにざわめくのがやけに遠く聞こえる。


『……この壁面の削り跡は最近のもののように見える。けれど、私たちの星ではこんな技術は使わない。あなたがやったのではないのですか?』


 ひよりの鈴を鳴らすような声がホールに響き渡った。カークフェルという宇宙船技術者の役だ。それまでざわついていた生徒たちがぴたりと黙る。

 次は紅太郎の演じる研究者ガフのセリフだった。


『い、いや、俺たちの星でもこんな方法はとらない。誰かここに残った者が他にもいるのかもしれない』


 つっかえながらもかろうじて言葉が飛び出した。何度も練習したおかげで頭より先に口が動いていた。


『そう。ではこの役目を終えた星に不幸にも取り残された者がもう一人いるということか……』


 二人が話しているところへ舞台の脇から碧演じる地球人シャーリーが登場する。観客の視線は自然とそちらへ吸い寄せられた。


『それはわたしがやったんだ』


 異星人同士である三者はそれぞれ違う目的地を目指して宇宙を旅していたが、ひょんなことから見捨てられた辺境のβ星へたどり着いた。


 碧は即席で覚えたとは思えない流暢なセリフで場を完全に支配していた。


『わたしたちはそれぞれの目的を果たすために協力しようじゃないか』


 シャーリーがβ星にかつて生きていた生物の痕跡を発見し、ガフが分析して未知の技術を持っていたことがわかると、カークフェルがその技術を使って故障していた宇宙船を修理する。


 そこまではほぼ台本通りだった。驚いたのは星斗が書いた長台詞をうまく短縮して碧が演じていたことだった。そのおかげでひよりと紅太郎は十分な間を持って演技に集中することができた。


 ──すごい。星斗があんなに考えてもうまくいかなかったのに……。


 紅太郎は必死にガフを演じながら体験したことのない高揚を感じていた。碧は完全にシャーリーと一体になっており、その演技力につられてひよりと紅太郎も読み合せの時より遥かに熱が入っていた。


 しだいに観客の目は気にならなくなって、何もない舞台の上は荒涼とした辺境の星へと姿を変える。


『あれは……見てくれ! あの光は』


 終盤、碧が──シャーリーがひと際大きな声を上げて、ホールの後ろを指さした。思わず紅太郎とひよりだけでなく、生徒たちも振り返る。舞台以外は照明を落としているため暗くて何も見えなかった。


 否、そこには見捨てられた宇宙の果てが広がっていた。少なくとも、碧の演技にのまれた面々にはそう見えていただろう。


 ──どうするんだ……?


 しかし、紅太郎の内心は穏やかではない。それは台本にないセリフと動きだった。

 本来なら時には言い争ったり、協力したりしながら宇宙船を完成させた三者がいよいよ帰還するために宇宙へと旅立とうとする場面だ。

 観客が後ろを向いている間にひよりの方を見ると、無言で長いまばたきを返された。


 ──よりによって、最後の最後に……。


 その時、終了一分前を知らせるベルの音が鳴った。


 ──やばい。一分でどうにか、なにかできないか──。


 紅太郎の脳裏には今まで読んできた星斗の脚本が走馬灯のようにでたらめに流れた。シャーリーのセリフから数秒が経ち、ベルの音を契機に後ろを向いていた生徒たちも我に返り始めた時だった。


 音もなく扉が開き、まっすぐに外の明かりが差し込んで来た。それはまるで舞台まで続く一筋の光の道のようだった。


『見てくれ! あの、星の輝きを! 地球の最後だ』


 シャーリーが叫んだ時、ちょうど終了を告げるベルの音が鳴った。



 ***



 合宿の最終日、星斗と紅太郎が最後にコテージの部屋を片付けている時に会長の雪花と碧はやってきた。


「二人とも昨日はおつかれさま。烏丸君、もう体はいいの?」

「……熱は下がりました」


 星斗は雪花からの問いかけに他人行儀に答えた。隣に立った碧は無視する。


「ひょっとして、まだ怒ってる?」


 白々しく聞いてきた碧に沈黙を貫くと、わざとらしく肩をすくめられた。先輩に対する最低限の礼儀を忘れそうになったところで、すかさず紅太郎が口を挟んできた。


「あ、えーと……昨日言ってた話ですよね? ひよりさんは……」

「もう来ると思うけど」


 雪花は碧を黙らせるように一瞥したあと、紅太郎に勧められてデスクの前の椅子に腰かけた。


「みんな座って話しましょう。烏丸君は特に病み上がりなんだから」


 さすがは会長と言うべきか、すでに雪花は場の空気を仕切っている。星斗が遠慮なくベッドに腰かけると、紅太郎も続いた。碧だけは机にもたれるように立ったままだった。


「す、すみません! 遅くなりました」


 階段を駆け上がる音がして、ひよりが部屋に飛び込んできた。すでに揃っている面々を前に焦った様子で謝ると、辺りを見回した。


「おはよう、椿原さん。今から話すところだから気にしないで」


 雪花に促されて、ひよりはベッド脇に椅子を持ってきて座った。広めの室内とはいえ、五人も入るとそれなりに圧迫感がある。内心でそう思っていたら、碧が窓を開けて風を通した。


「最初に烏丸君に謝らないと。まずは昨日、台本を勝手に変えて発表したこと」

「ごめんなさい。でも結果オーライじゃ……」

「そういう問題じゃないの」


 星斗が口を開く前に、雪花のたしなめる声が碧を遮った。


「確かに時間もぴったりだったし、最後の演出もよかったですよね!」


 しかし、続けてひよりの言い放った一言は星斗の堪忍袋の緒を切れさせるのにふさわしかった。


「あんな偶然まかせな演出があってたまるか!」


 やっと改稿し終わった台本を手にホールのドアを開けると、その場にいた全生徒の目線が星斗に向けられていた。続いた拍手の意味も全くわからなかった。

 その後の生徒による投票で星斗たちのグループは一位だった。


 しかし、必死に直した台本が無駄になったあげく、最後は改変された舞台で素直に喜べるはずもない。

 なにより悔しかったのは碧が即興で変えた部分が好評だったことだ。偶然任せにしろ時間内にも収まった。紅太郎とひよりに話を聞くと碧の演技力に支えられた部分も大きかったようだ。

 つまりほぼ碧に助けられた結果であり、星斗は非難の声を上げながらも自らの力不足を痛感していた。


「その通りよ。それに他にも謝らないといけないことがある。烏丸君の最初に提出した脚本に関してちゃんとした説明をしなかったこと、私からも本当に申し訳ありませんでした」


 雪花が改まって頭を下げると、碧も一応しおらしく謝罪の言葉を口にする。


「卒業制作の脚本のこと、ひよりに探らせるよう指示したのは私です。ごめんなさい」


 その様子を見ていたひよりも星斗に向き直った。


「わ、わたしも! 黙って探るような真似をして、すみませんでした」

「俺も悪かった。星斗に黙ってひよりさんに協力したからな」


 紅太郎にまで謝られて、星斗は怒るタイミングを失ってしまう。かろうじて舌打ちを返した。


「どいつもこいつも俺の知らないところで……」


 雪花が言うには碧が独断でひよりに頼みごとをしたのが全ての元凶らしい。そして、ひよりは紅太郎に協力を仰ぎ、今回の茶番劇を起こしたというわけだ。


「なんでそんな回りくどい真似をしたんだ?」


 脚本の内容に問題があるのならそう言えば済む話だ。隠れてこそこそ聞き出そうとする理由がわからない。


「それを今から説明します。私と碧はある場所で起こったかもしれない事件の調査をしていて──私の祖父がトリス学園を創立する前の話にさかのぼるんだけど……」


 雪花が話している間、碧は窓の外へ視線を向けてこちらを見ようとしなかった。星斗は学園が金持ちの道楽で創設されたという噂を思い出していた。それが今回の出来事と繋がるかは不明だが、ひとまず耳を傾けることにする。


「トリス学園ができる前からあの辺りの土地は代々うちの家が管理していたんだけど、ある時、祖父は映画関係の知り合いに撮影所として使わせてもらえないか頼まれた」


 北山家は戦前の旧財閥筋に連なる名家で当時は相当の富を有しており、郊外の山一帯を所有していたという。雪花は思った以上にお嬢様だったわけだ。


「祖父は当時流行っていた都会風の現代劇に心酔して友人たちと新しい映画を撮ろうとしていた。関東大震災で中心部の撮影所が使えなくなったので、今学校のある辺りに拠点を移してしばらく撮影仲間と暮らしていたらしいの」

「昔のことなのにずいぶん詳しいんだな」


 まるで見てきたように語るので星斗はそう言った。


「祖父の日記が残っているの。私と碧が調べているのもそれがもとになっている。それで、しばらくは順調に撮影を進めていたんだけど……ある日、事故が起こる」


 大きな窓を背負った雪花の姿は逆光で暗くなり、妙な効果を生んでいた。星斗も次第に話に飲み込まれるように前のめりになった。紅太郎とひよりも無言で続きを待っている。


「ある場所から撮影仲間のひとりが転落して亡くなってしまった。その時は不幸な事故として処理された。その人は果敢な性格のカメラマンで、危険な場所に自ら入って撮影することもあったから事故も起こるべくして起きたという見方をされたみたい。でも、それから立て続けに不自然な怪我や事故が続くようになった」


 淡々と語る雪花の口調がかえって不気味さを増していた。ひよりが制服の上に羽織ったカーディガンを掻き合わせている。


「あまりに不吉な出来事が続くので、祖父と中心になっていた人たちは撮影を中止しろという何らかのメッセージだと受け止めた」

「それって、つまり……お化け的な?」


 場の空気に耐えかねた様子の紅太郎がうわずった声で尋ねた。特に怖がりというわけでもないはずだが──なにしろ夜の林に入っていくくらいだ──雪花の語りにすっかり飲み込まれてしまったらしい。


「ごめんなさい、怖がらせた? そうね。日記には罰が当たったとか、祟りとか書いてあったのは事実だけど……たまたま悪いことが続いただけでしょう。ただ、当時は世の中も混沌としていてそういうものを信じざるを得ない状況だった。いくつかの事件が起こったのち、祖父は撮影を中止してその場所を供養することにした」

「ホラーとしては定石だな」


 星斗のつぶやきに雪花は薄い笑みを浮かべる。


「そうね。ただの創作ならよかったんだけど……」


 富豪のじいさんが暇つぶしに書いた嘘日記にしては凝っている。この時点で星斗が思ったのはその程度のことだった。


「それが、俺の書いた脚本となんの関係があるんですか?」

「あなたの脚本に出てきた呪いの廃墟があるでしょう? そっくりなの。祖父が残した日記にある事故の起きた場所の描写と」

「え?」


 思わず星斗は耳を疑って聞き返していた。


「烏丸君はどうしてあの脚本を書いたの?」

「どうしてって……」


 自然発生的に自分の中から出てきたもの由来を聞かれると困る。いや、でも何もないところから何かが生まれるなんてことはないはずだ。

 確かにあの廃墟には見覚えが──。


「あ!」


 星斗の中でずっと頭の片隅にあった既視感の正体が急にはっきりとした。


「あれ、あそこだったのか!」

「……なんのこと?」


 隣のベッドで胡坐をかいた紅太郎が声を上げた。ひよりも星斗と先輩二人を見比べて首を傾げている。


「そういうことですか?」


 星斗が問いかけると雪花はゆっくりと頷いた。


「いや、でもなんでそんなことが起きるんだ?」

「私たちが知りたいのもそこなんだけど……」

「おい、俺たちにもわかるように説明してくれよ」


 星斗と雪花の会話に紅太郎が割り込んでくる。ひよりも力強く首を上下に振った。碧は相変わらず聞いているのかいないのか、ぼんやりと窓の外を眺めている。


「ごめんなさい。つまり……」

「俺が書いた脚本に出てきた廃墟があの準備会で使ってる建物だってことだよ」


 星斗が言っても、紅太郎はしばらく首を傾けたまま固まっている。全然ピンときてないようだった。


「烏丸君、あの建物のこと知ってたの?」


 どうやらひよりの方が理解が早い。星斗は首を振った。


「いや、知らない……俺は入学するまでトリス学園に行ったこともないし、現に今気づいたんだから」

「嘘はついてなさそう」


 それまで黙っていた碧の言葉に星斗はカチンときた。いちいち癇に障ることしか言えないのか。


「嘘なんかつくかよ。アンタたちじゃあるまいし」

「ハハッ、言えてる」


 嫌味を返したつもりだったのに、碧には効いていない。星斗は反応を返すのをやめて、雪花とだけ話をすることにした。


「俺が書いた脚本に出てくる廃墟は確かに学園にある建物に似てる……なぜかはわからないけど。でも、それに何か問題があるんですか?」

「問題は……そうね。なければこんな回りくどい真似はしていない。あなたは本当に何も知らないで、あの脚本を書いたの?」


 星斗が頷くと、雪花はため息を吐いた。しかし、思い当たるところがないのだからどうしようもない。


「問題の中身について話してくれなきゃ、こっちも答えようがない」

「いろいろと事情があって、今の段階で烏丸君たちに話すことはできないの。ただ、私たちに協力してくれるならいずれ答えは出てくると思うし、相応の対価は用意してる」

「協力?」


 なんだか話がよくわからない方向へ転がり始めている。顔を上げると紅太郎とひよりも困惑した様子で視線をさまよわせていた。

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