第8話
合宿の前日、
遅いので電話のほうがいいのでは、と提案したが実際に会って話したいと譲らなかった。それで、紅太郎は両親に事情を説明して一人で家を出た。
「ごめんね、急に呼び出して」
駅前のファミレスに入ると、ひよりはすでに席について待っていた。前とは違ってラフなデニムにTシャツ姿で急いで出て来た雰囲気を漂わせている。
「いいけど。どうした?」
「ほんと、ごめん。どうしても合宿までに相談っていうか、お願いがあって」
紅太郎がドリンクバーを頼んで持ってくる暇も惜しむかのような勢いでひよりは話始めた。
「協力してほしいことがあるんだ」
「うん。なに?」
ひよりはテーブルに身を乗り出して、声を低めた。紅太郎も前かがみになって耳を澄ませる。
「
「ああ、うん。なにか問題でもあった?」
ちょっと拍子抜けする。直接言いにくいことでもあったのだろうか。どんな重大な話が始まるのかと身構えていた紅太郎は肩の力を抜いた。
「ああ、違うの! 今回の、宇宙人のやつじゃなくて」
「え? あ、そうなんだ」
てっきり明日からの合宿用の脚本かと思ったがそうではないらしい。ここ数日割り当てられたセリフを必死で覚えていた紅太郎の頭は混乱した。
「烏丸君が一番最初に提出した脚本って……紅太郎君、読んだ?」
「あー……うん。ホラーっぽいやつ?」
「わたしは読んでないから知らないんだけど……」
「俺も一度通して読ませてもらっただけだけど」
結構長い話の上に、完成から提出までに時間がなかった。星斗から一日で返してくれと言われて、急いで読んだ。
「それがどうかした?」
「先輩から聞いたんだけど、本当は卒業制作に規則なんかないって」
「え?」
ひよりが言っている意味がよくわからなくて聞き返した。
「だから、烏丸君の脚本が却下されたのは別の理由があるってこと」
「別の理由?」
それなら先日のやりとりは何だったというのか。紅太郎の顔に疑問がありありと浮かんでいるのを察したのか、ひよりは更に話を進める。
「その……脚本の中に出てくる老人の話って覚えてる?」
「ああ、うん。なんとなく」
二か月前に一度読んだだけの脚本の内容を思い出そうと紅太郎は記憶の引き出しを探る。正直なところ、あまり好きな話ではなかった。ホラーが特別苦手というわけでもなかったが、不気味で暗い話だったからだ。
星斗の書く話はSFから時代物まで多岐に渡っていたが、その中でも珍しい印象を受けた。
「なんか、建物の前でずっと喋ってる……?」
確か旧家の主人である老人の長い独白から物語は始まっていた。そこから過去の出来事へと繋がっていく構成だったような気がする。
「うん。いや、わたしは読んでないけど……それが問題らしくて」
「どういうこと?」
ひよりの話は肝心なところで要領を得なかった。紅太郎が重ねて尋ねると、困ったように眉を寄せて首を振る。ドリンクバーのグラスに添えられた手の爪は大人っぽいモノトーンに染められていた。
「ごめん。私も全部は教えてもらえなくて……ただ、先輩は烏丸君がなんであの脚本を書いたのか知りたいんだって」
「はぁ……星斗に聞けばいいじゃん」
「わたしもそう言ったの。そしたら、その……烏丸君をまだ信用できないからって」
「なんだそりゃ」
紅太郎はため息をついた。全然わからない。わからないが、そんな理由で星斗の脚本が保留にされたことにふつふつと怒りが湧いてくる。
「星斗はただ面白い話が書きたいだけだろ。そんな意味わかんない嘘ついて、肝心なことは言わないなんて都合よすぎじゃない?」
「そうだよね……」
ひよりはしゅんとして下を向いてしまった。紅太郎ははっと我に返る。
「ごめん。ひよりさんに怒ってるわけじゃなくて……」
「ううん、いいの。こないだ駅前で会ったの覚えてる?」
覚えてるもなにも、つい二週間前のことだ。紅太郎が頷くと、ひよりは視線を辺りにさまよわせてから口を開いた。
「……あれ、本当は烏丸君の家に行こうとしてたんだ。先輩から脚本のことについて探ってほしいって言われて」
「へ? まじで」
「そう。まさか駅で紅太郎君と会うなんて思わなくてテンパっちゃった」
あの時、ひよりの様子がいつもと違うような気がしたのはそのせいだったのか。紅太郎は奇妙な偶然に驚きながら納得した。
「や、ちょっと待って。それって星斗には話した?」
「ううん、話してない。先輩から口止めされてるから」
さらっと言われたが紅太郎は首を傾げて唸り声を上げる。
「え? じゃあ星斗に会ってどうしたの?」
「会ってないの。家の前までは行ったけど、庭にいた家族の人と目が合って逃げちゃった……あ、紅太郎君の家の前も通ったよ」
それは隣だから通るだろう。いや、それ以前に聞かないといけないことがある。
「なんで家知ってんの?」
「え? 先輩に教えてもらって……ってあれ、言わなかったっけ?」
紅太郎は段々怖くなってきた。入会するときに住所は書いた気がしたが、トリス学園の個人情報の管理は一体どうなっているのだろう。
「あ! 心配しないで。先輩と会長が特別なだけで、他に流れることは一切ないから……」
とは言っても、事実ひよりに流れているわけで全く信憑性はない。紅太郎が不審さを隠さずに黙っていると、ひよりの声は小さくなった。
「……ごめんなさい。だから、わたしも悪いの」
紅太郎はため息をつく。これは改めて先輩二人を問い詰めるなり、星斗に事情を話すなりしないといけないだろう。
「色々ツッコミどころはあるけど……なんで俺にその話を?」
今ここにいるのはひよりの独断なのか、それとも先輩二人の差し金なのか。紅太郎は思わず、周りを見回した。休日前でにぎわっているファミレスに不審な影はない。
「ほんとにごめん……あの日も何度もやめようと思って、実際駅前まで来て怖くなって引き返そうとしてたの。駅員さんに戻れないか聞いたら変な顔されちゃった。それに紅太郎君までいるし」
大まじめに言って頭を下げている。ひよりの様子を見る限り、素直に反省しているようだ。
「紅太郎君に今日来てもらったのは……やっぱりきちんと話した方がいいって思って」
「先輩に話すなって言われたのに?」
「うん。烏丸君には話すなって言われたけど、紅太郎君のことは言ってなかったから」
恩のある先輩の頼みと紅太郎への友情を秤にかけて、間を取ったということらしい。セーフでしょ、とひよりは続けた。
「あと、明日先輩と会うのになんにも情報がないのもちょっと気まずくて」
「なんだよ。やっぱりそっちか」
思わず笑ってしまった。結局のところひよりが大事なのは川瀬碧なのだ。長ったらしく真面目な顔を続けるのにも飽きていた。
紅太郎の様子を見たひよりも、こわばっていた表情をやわらげる。
「だって、先輩がやっと連絡くれたから……わたし、ぜったい応えなきゃって」
「危険だなぁ。それで? 俺に頼みっていうのは?」
時計を確認するともう九時を回っている。明日も早いのだから、と紅太郎は話を急かした。ひよりも遅くなる前に帰った方がいいだろう。
「えっと……単刀直入に言うと、烏丸君から前の脚本を書いた経緯を聞きだしてくれないかな? 私が言っても答えてくれないと思うから」
「星斗に黙ってひよりさん経由で話を流せってこと? それって、下手したら俺が信頼を失うことになるんだけど」
話を聞きだすくらいは何でもないが、それだけは避けたかった。ひよりだって紅太郎の気持ちは知っているのに酷なことを言う。
「うん、だから交換条件っていうのはどう?」
「交換条件?」
ひよりは再び真面目な表情に戻って、咳払いした。
「烏丸君からうまく聞き出してくれたら、わたしは卒業制作の脚本から降りる。あるいは協力するふりをして、自由に書けるように碧先輩にかけあってみる。これでどう?」
「どうって……そんなことしていいの?」
「わたしはそもそも先輩に協力したいだけだから。それに、烏丸君の目的は卒業制作の脚本を手掛けて将来につなげることでしょ? 主役に決まってる碧先輩とのツテがあるに越したことないんじゃない?」
「それはそうだけど……」
紅太郎自身、以前星斗に話したことがあった。ツテのあるほうが有利だ。星斗はそんなインチキが通るならクソだと言い張っていたが、世の中はそれほど甘くない。
「先輩も烏丸君の脚本自体は認めてるみたいだし、確実な後押しが増えるだけ。それに紅太郎君も烏丸君が自由に書いて、映画をつくるところ見たいんじゃない? 悪くない条件だと思うけど」
ひよりは加えて、絶対に先輩二人以外には他言しないと約束した。紅太郎はたっぷり数分考え──頷いた。
「でもうまくできるかわからない。今は合宿用の脚本で頭がいっぱいだろうし」
「わたしもできる限り協力する。幸い一緒のグループなんだし、二泊三日のどこかで聞き出せたらいいから」
そうして、二人は合宿の前日に協力関係を結んだのだった。
***
紅太郎は暗闇の中をわき目もふらずに歩き続けた。道なりに行けばコテージに帰り着くが、星斗もすぐに帰ってくるだろう。
──あー……失敗した。なんであんなこと言っちゃったんだ。
方向転換してわき道に逸れる。懐中電灯を星斗に渡してしまったが、幸い月明りもある。考えがまとまらない紅太郎は、ずんずん林の中へ進んでいった。
──ごめん、ひよりさん。
今回の脚本の読み合せがうまくいかなかったのは、作戦のうちだった。紅太郎は星斗との読み合わせで台本が時間制限ぎりぎりだと知っていた。だから、三人のうちの誰か一人でもセリフが遅れれば問題になる。
ひよりは演技でセリフの間を長くとってわざと遅らせることを提案した。制限時間を超えるのは大きな減点になる。劇を成功させなければ準備会に残れないのだから、なんとかしないといけない。
その際すでにできているホラーの脚本をアレンジすることを提案し、書いた経緯を聞き出す──ひよりの案は別の脚本を書いている星斗には酷だが、そうすることがのちのち星斗にとって有利になると説得されて、紅太郎は頷いた。
──あれで、俺がホラー脚本の話に持って行けばよかったんだよな……。
練習中、星斗とひよりが険悪な雰囲気になった時に提案するべきだった。現にひよりは何度も目配せを送ってきていた。
それなのに紅太郎はそうしなかった。なぜかというと、星斗が意地になっている気配を見せていたからだ。こういう時に別の台本の話を出しても逆効果だという予感があった。落ち着いてからさりげなく話を持っていったほうがいい。
しかし、長年の付き合いから来る紅太郎の勘をひよりは知る由もない。なかなか話が進まないことに焦ったのか、ついに星斗の脚本を「面白くない」とまで言い切った。
──確かに話をしなかった俺も悪いけど……。
紅太郎はまた星斗が怒ってどこかへ行くか、少なくともひよりへの批判を口にすると思っていた。でも星斗はそうしなかった。それどころか、批判を受け入れどこか迷いすら感じさせる言動をしていた。
──なんで……。
今まで誰の意見も受け付けず、ただひたすらに自らを信じて脚本を書いていた星斗の常にない態度に紅太郎は戸惑った。
──いや、違う。俺は何がそんなにショックなんだ?
確かに紅太郎は星斗のことが好きだった。でもあの瞬間、裏切られたような信じていた何かが揺らぐような危機を感じた。
──星斗が変わったのがショックだった? だからって告白したのはまずいだろ……。
言葉にならない焦燥感を、紅太郎はひたすらに足を動かすことで紛らわしていた。どれくらい歩いただろう。はたと立ち止まって振り返ると、月の光も届かない森林の奥深くに迷い込んでいた。
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