第6話

 早朝に学校を出たバスに一時間半ほど揺られるうちに、星斗ほしとは眠ってしまった。昨日も睡眠不足だったし、酔い止めの薬も飲んでいたせいだろう。いつもと違った場所は緊張するから、すとんと寝入れたのはラッキーだった。


「おい、星斗! 着いたぞ」


 隣に座った紅太郎こうたろうに肩を揺すられて、ぼんやりした頭のままバスを降りた。


「やべぇ、富士山じゃん!」

「そりゃそうだろ。しおり読んでなかったのか?」


 トリス学園映画準備会の合宿は理事長所有の別荘地で行うのが毎年の恒例らしかった。贅沢な話だが、そもそも創立の理由からして金持ちの道楽と言えなくもない。


「台本覚えるので精一杯でそれどころじゃなかったんだよ!」

「へー、ちゃんと覚えてきたんだ」


 ひよりには何度もリライトさせられたが、だいたいの台本は夏休み前に仕上がっていた。物語の核となるのは三人。宇宙で出会った三人の異星人同士の交流を描いたSFだ。


「へーって……ちょっとは感謝してくれてもいいんじゃねーの」


 紅太郎はぶつぶつと文句を言っている。確かに今回の小演劇は星斗にとって準備会に残れるかどうかの瀬戸際だが、紅太郎には関係ない。

 しかし、いざ劇をするとなると星斗とひよりの他に頼めるのは一人しかいなかった。


「俺は断ってもいいって言っただろ?」

「それだと一年で俺だけ仲間外れになるじゃん」


 劇の登場人物を減らす案もあったが、紅太郎は頑なに首を振った。


「俳優は嫌なんじゃなかったのか」

「今回は別に映画になるわけじゃないし……ていうか、せっかく覚えたのにもったいないだろ」


 仲間外れとかどうとか気にするようには思えないが──小学校までは学年を問わずすぐに親しくなっていた──こちらとしてはありがたい申し出には変わりなかった。

 紅太郎の意向はともかく、舞台映えする人間がいるのは強みになる。


「まぁ実際台本をこれ以上直すのは勘弁だったし、感謝してるよ」

「そうだよ。それにオマエ、ひよりさんと二人でこれ以上険悪になったらまずいだろ」


 自ら緩衝材になってくれるつもりらしい。紅太郎は年の離れた弟妹がいるせいか、昔から世話焼きなところがあった。


「はい、みんな集合して!」


 会長の雪花せつかがバスの前に散らばっていた生徒たちに呼びかけて、二人は話を中断した。


「コテージの組分けはしおりに書いてあるとおりです。これから荷物を置いて十一時から昼食の準備、午後からはグループ別に台本の読み合せを行います。なにか質問や報告があればリーダーがまとめて、私まで。では、一旦解散します」


 星斗は合宿のしおりを取り出して、ぱらぱらとめくった。コテージは三か所あって、星斗と紅太郎は同じ組になっている。


「海がなくて残念って言ってたけど、湖があるよな!」

「まさか、泳ぐつもりか?」


 呑気なやつだ。これから二泊三日で小演劇を仕上げて発表することになっているのに、そんな暇があるのだろうか。


「いや、水着持ってきてないけど……水遊びくらいならできるかも」


 班は二年生四人と合わせて六人だった。コテージに着くと、さらに二人一組で一部屋をあてがわれる。ここでも紅太郎と一緒で、星斗は胸をなでおろした。


「みんなで雑魚寝とか言われたら地獄だった」

「部屋もきれいだし……こんなとこで合宿できるなんてすごいな」


 紅太郎は珍しげに部屋を見回しながら言う。二つ並んだベッドの脇にデスク、それとは別にテーブルと椅子まで据えられている。一見してつくりの簡素なホテルといった感じだった。


「他のコテージもこんななのかな」

「さぁな」


 ベッドに大の字に寝転がって天井を眺めている紅太郎を横目に、星斗は部屋にある窓を開けた。途端に涼しい風が吹いてきて、目を細める。

 学生の合宿にしては豪華な部屋の割にエアコンがついていない理由がわかった。着いたときから息がしやすいと思っていたが、湿度も気温も東京よりずっと低いのだ。


「あーやば。寝そう」

「おい。十一時前には起きろよ」

「おー、ちょっとだけ……」


 珍しくバスでは寝なかったらしく、すぐに寝息が聞こえてくる。星斗は集合時間まで三十分ほどあるのを腕時計で確認すると、再び窓の外に目をやった。


 コテージの裏地はほとんど手が入っていないのか雑草が伸び放題だ。小さな道路を挟んで向かいに白樺の木々が立ち並んでいる。そこから高く澄んだ美しい鳥の声が響いてきた。 



 ***



 近くにある三棟のコテージのうち、一番大きな建物は厨房や大小の会議室を備えていた。そこに集った準備会の生徒たちは昼食を終えたあと、班ごとに分かれて小演劇の読み合せをすることになった。


「やー初日からずっと勉強会みたいじゃなくてよかった」

「紅太郎君、しおり読んでないの?」


 三人は読み合わせの為、別の部屋に向かっている途中だった。


「そんなに熱心にしおりって読むもの⁉」

「えーだって何するか気にならない? 修学旅行とか」

「修学旅行は班でどこ行こうとか話すじゃん。読まない方が楽しくない?」

「あー! 最初の感動を大事にしたいタイプかぁ」


 紅太郎とひよりが後ろで無駄話に興じているのを無視して、星斗は目的の部屋を探す。


「Aの3……ここか」


 引き戸を開けると、決して広いとはいえない空間に大きなデスクと椅子とホワイトボードが置いてあった。


「なんか……ここだけ会社の研修室みたいだな」

「実際、普段はそんな感じで使われてるみたいよ」


 ひよりがさっさと席に着きながら言った。


「なんでそんなこと知ってるんだ?」

「さっき、会長から聞いた。この辺のコテージ数棟は理事長が別でやってる会社の保養所なんだって。すごいよね」


 なるほど、雪花は理事長の一人娘だから自分の別荘みたいなものということか。


「……ひよりさんってもしかして会長のことあんまり好きじゃない?」


 紅太郎が急にそんなことを言った。星斗は質問の意味がわからなくて首を傾げたが、ひよりはにっこり微笑んでいる。


「紅太郎君って勘がいいね」

「いや、笑顔で言われても……でもなんで?」

「さぁ? まぁそんなことはどうでもいいじゃん! あ、そうだ。脚本のことなんだけどさ、前に烏丸からすま君が提出したやつってどんな話だったの?」


 露骨に話題を逸らしたひよりの態度は不可解だが、興味がないので深く追求する気もなかった。


「なんだよ、アンタは読んでないのか?」

「読んでないよ! 烏丸君だってわたしの脚本読んでないでしょ? ていうかアンタって言うのやめてくれない?」


 星斗はふんと鼻を鳴らして、否とも諾ともとれない返事をした。


「ね、紅太郎君は読んでるんだよね?」

「あーうん。まぁ一応、一回通して読んだくらいだけど……」

「どんな内容だったの?」


 このままでは延々と無駄話が続きそうだった。星斗は紅太郎を目線で黙らせると、用意していた小演劇用の台本を手に取る。


「別に今は関係ないだろ。さっさと読み合せに入るぞ」

「えー……仕方ないな。先輩から面白いって聞いたから教えてほしかったのに。あ、そうだ。バスで読んだけどセリフの意味がよくわからないとこあって……」


 面白い、などと言われるとつい喋りたくなる星斗だったが、ぐっとこらえて読み合せを優先する。発表は二日目の夜に行われるので時間に猶予はあまりない。


 一時間後、どうにか台本を仕上げ読み合わせに入った。会議室にはさっきから何度もアラームの音が響いている。


「……はい、終わり」


 机の上に置いたタイムキーパー代わりのスマホを止めて、ひよりが言った。


「もう⁉」

「うーん……やっぱり十分以内はきついか」


 星斗はぐしゃぐしゃと頭をかき回した。グループの持ち時間は十分と決まっていて、短すぎても長すぎてもマイナスになる。


「やっぱりセリフが多すぎる」


 先ほどから再三揉めている問題だった。これでも随分削ったのだ。一旦は納得したことをひよりに蒸し返されて、星斗はむっとする。


「でもこれ以上減らすと話の意図が伝わらないだろ」

「早口で喋ったら伝わるってもんでもないでしょ?」


 ああ言えばこう言う。だったら自分が書けよ、と叫びたくなるのをこらえていると紅太郎が口を開いた。


「まーまーまー」


 さっきからこの繰り返しである。


「ね、ちょっと休憩しようよ。まだあと二日もあるんだからさ……」

「二日しかない、だろ。だいたい紅太郎もセリフ覚えてきたんじゃなかったのか」


 矛先が変わったのを察知した紅太郎が「俺、飲み物もらってくるわ」と言って立ち上がった。



 ***



 夕食後、三人は願い出て練習を再開した。

 しかし、深夜になってもセリフを削りたくない星斗と演技の間を重視するひよりの折り合いはつかなかった。

 同じように自主練していた他のグループもさすがに全員引き上げている。何十回目の読み合せを終えた時、とうとうひよりが叫んだ。


「そもそも脚本が面白くないんじゃないの⁉」 


 三人の間に長すぎる沈黙が落ちる。早朝からの移動と練習で全員に疲労の色が濃かった。


「いや、ひよりさん。さすがにそれは言い過ぎ……」


 紅太郎がフォローの言葉を口にしたが、星斗は何も言わなかった。そのまま再び無言の時間が過ぎた。


「今日はもう遅いし、明日また仕切りなおそう」


 結局、紅太郎の一言で散会になった。ひよりが先に出て行ったあと、星斗も直し過ぎて真っ黒になった台本を手に席を立つ。


「大丈夫か?」


 会議室の鍵を返して自分たちのコテージに帰る途中で、紅太郎が口を開いた。別荘地の夜は暗く、涼しい。すでに秋らしい虫の声も聞こえてくるほどだ。二人は懐中電灯の明かりを頼りに歩いていた。


「なにが?」

「いや、気にしてるかと思って……」


 紅太郎はひよりも疲れていたんだろうとか、でもあれは言い過ぎだよなとか言っている。星斗は黙って聞いていた。


「……なんで、星斗はなにも言わないんだよ」

「紅太郎は優しいな」


 星斗はずっと台本のことを考えている。どこをどう直せばよくなるか、考えていたから黙っていた。セリフは削りたくない、しかし時間内に納めなければならない。

 面白くないと言われて黙っていたのは、星斗自身も納得いかない部分があったからだ。


「アイツのいうことも間違ってないのかもしれない」

「なんで怒らないんだ?」


 紅太郎の足が止まって、星斗も立ち止まる。懐中電灯は紅太郎が持っているから、先を歩いてくれなければ道がわからなかった。


「早く帰るぞ。明日までに直さないと」


 歩き出せばついてくるかと思って──いつもそうだから──呼びかけてから、数歩先へ進んだ。その間も頭は台本のことを考えていた。

 だから、急に片手を掴まれて引っ張られた時は何が起きたかわからなかった。


「っと、なんだよ!」


 星斗は苛立ちを隠さずに言った。今はこんなところでまごついている暇はない。


「あんな風に馬鹿にされて、なんで平気なんだよ⁉」


 そこでやっと、紅太郎がどうやら怒っているらしいことに気づいた。掴まれた手が痛い。


「なんでオマエが怒るんだ?」

「……星斗が好きだからだろ!」


 星斗は眉をひそめる。話の前後が繋がっていない。それを指摘しようと、口を開いたとき紅太郎の言葉がかぶさってきた。


「どういう……」

「ごめん」


 ひと言だけで乱暴に押し付けられた懐中電灯を、反射的に受け取る。星斗が戸惑っている間に、紅太郎は闇の中に走り去ってしまった。


「おい! 紅太郎!」


 砂を蹴る足音が遠ざかっていく。星斗は暗闇に向かって「はぁ?」とつぶやいた。

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