第4話
数日後、
「なんだろ……怒られたらやだなー」
「オマエは大丈夫だろ」
星斗は内心で退会を言い渡されたらどう切り抜けるか、頭を捻っていた。渡り廊下で喧嘩別れしてからひよりとは一言も話していない。そのひよりも同席するなら、星斗にとっては不利この上ない状況だった。
準備会の建物に入ると、そこには意外な人物が待っていた。会長の
ひよりもすでに来ていて、なにやら碧に向かって訴えていた。
「なんでですか? わたしの脚本が不十分なのはわかりますけど……よりによってアイツと」
「うーん、ダメ?」
「だ、ダメっていうか……無理です!」
先日はスカートだった碧が、今日はパンツスタイルで机の上に胡坐をかいている。星斗と紅太郎が後ろの扉から入って来たのに気づくと、手招きをした。ひよりも振り返って一瞬目が合ったが、すぐにそっぽを向かれる。
「碧、もう降りて」
準備会の時と同じく机についていた会長の雪花が苦言を呈すと、碧はこちらに向かって勢いよく飛び降りた。ブリーチした金髪がさらりと流れる。自然に目が惹きつけられるオーラは変わらないが、前より打ち解けた雰囲気だった。
「この前は大太刀回りしたんだって? 知ってたら私も参加したのになー」
「え?」
開口一番そんなことを言われて、星斗はたじろいだ。てっきり、先日の弁明を求められると思っていたからだ。思わずひよりの方を向いたが、露骨に顔を背けられた。
「碧、話がややこしくなるから黙って」
「はーい」
再び雪花の叱責が飛び、碧は大人しく机の裏側にまわる。机を挟んで二年生と一年生が向かい合う形になった。
「急に呼び出してごめんなさいね。さっそく用件に入るけど……でもその前に、
「……この前はすみませんでした」
頭を下げて謝ると、視界に机の上に置いた雪花の手が見えた。その手が机の中から紙の束を取り出す。星斗が提出した脚本だとすぐにわかり、顔を上げた。
「本来ならああいった暴言は許されるべきではないです。
やっぱり退会か、と目を閉じる。どう切り抜けるか散々考えていたが、理路整然とした雪花の言葉に下手なごまかしはできそうにない。
「あの……」
「ただ、椿原さんからあなたの脚本を読んでから決めるように言われました」
星斗は驚いてひよりを見た。真っ直ぐに前を睨みつけるひよりは、やはりこちらと目を合わせない。
──どういうことだ?
反対隣に立った紅太郎も首を傾げていた。碧だけが口元に笑みを浮かべて事の成り行きを見守っている。
「それで、私だけじゃなくここにいる碧……この前は来ていなかったけど、二人は……」
そこで、紅太郎が小さく手をあげて「知ってます」と答えた。
「そう。それなら自己紹介はあとにして……知っているかもしれないけど、碧は来年の卒業制作の主役に内定しているの。だから、二人で烏丸君と椿原さんの脚本を読ませてもらいました」
「はぁ……」
話の行きつく先が見えなくて、星斗は気の抜けた返事をした。途端に紅太郎に背中を叩かれて、慌てて姿勢を正す。それに気づいた碧がくすくす笑った。
「碧、笑ってないで説明して」
雪花に睨まれた碧も真面目な表情になる。
「ごほん。では……二人の脚本を読んだけど、どちらも来年の卒業制作にするには不十分だと判断しました」
碧の落ち着いた声が、がらんとした建物の中に響いた。その後、しばらく誰も口を開かずに沈黙が落ちる。
──なんだこの茶番。
星斗は内心でイライラしていた。さっきからふざけた調子で笑っている碧に権限があるのも納得いかないし、退会処分になるならさっさと言えばいいのにもったいつけている雪花の考えもわからない。
しかし、ここで文句を言っては先日の二の舞になってしまう。それだけは避けなければ、と必死に自分を律して黙った。
「だけど……」
目を伏せた碧の直線的な頬に高い窓から真昼の日差しが落ちている。長い睫毛の影が映画の一場面でも見ているようだった。
──あれ、まただ……。
何かが記憶の片隅に引っかかってる。星斗は既視感の正体を掴もうとしたが続けて発せられた碧の言葉にそれどころではなくなった。
「二人が一緒に書いたら、いいものができそうな気がするんだ」
そう言って、碧はゆっくりと顔を上げた。
「は?」
「碧先輩! わたし、やっぱり納得できません!」
星斗とひよりが声を上げたのは同時だった。実際はひよりの偽らない声に星斗の発した一言はかき消された。
「確かに脚本を読んでから決めるように言いましたけど、それはこの人がわたしの書いたものを読みもしないで否定したことに腹が立ったからです。先輩と会長に正当な評価をしてもらいたくて……」
「わかってるよ、ひより」
詰め寄ったひよりの肩に手をやって、碧はなだめるようにした。
「だったらどうして……」
「君たちは勘違いしてる」
唐突に声色が突き放すようなものに変わった。君たち、と一括りにされたひよりはショックを隠せない様子で抱き留められていた碧の手から身を離した。
碧にはなんらかの思惑があるのだ。しばらく黙って聞いていた星斗は単刀直入に聞いた。
「どういうことですか?」
「まず第一に……脚本を提出しているのは君たちだけじゃない。そこは理解してる?」
場に気まずい沈黙が落ちる。星斗は冷たい視線と対峙しながら頷いた。脚本志望が二人だけであるという確証はどこにもない。当然、星斗やひより以外にも提出している生徒はいるだろう。
ひよりも目を伏せたまま小さく頷く。
「そう。ならよかった。正直に言うと、二人の脚本はこのままだと選考対象にもならない」
「それはさっき聞きました」
精一杯の虚勢で、星斗は言った。横から肘鉄が飛んできたが、碧と交えた目線は離さなかった。もし、逸らしたら負けだ。そういう威圧感があった。
睨みつけるようにじっと目を合わせていると、碧の瞳は深い湖面のような色をしていることに気づいた。そのうちに広がった湖面が楕円のように細くなっていき、忍び笑いが漏れてきた。
「ふ、ふふふ……」
両手で自らの肘を抱くようにして前かがみになった碧は何が面白いのか、笑い続ける。白い頬に薄い唇、弓なりに細めた目が妙に不気味で星斗は鳥肌が立った。とうとう耐え切れずに視線を逸らして、後ろにいる雪花に目をやった。
「碧、あなたもう下がってて」
「おっと、あはは……ごめんごめん。ちょっと楽しくなってきちゃって」
腕をとられた碧の体はよろめきながら後ろに退いた。さっきまではしっかりした口調で話していたのに、急に酔っ払ったような有様だ。
「困ってるでしょ、みんな。それにさっきから肝心の話が前に進んでない」
雪花は無理やり碧を椅子に座らせると、改めて星斗たちの顔を順番に見回した。主導権が話の通じる人間に移って星斗はほっとする。
「最初から私が説明するべきでした。まずはこれを配ります。この間出してくれた準備会の役割希望の結果ね。一年生はあなたたちだけだから……みんな希望通りになってるはずだけど」
星斗は渡されたプリントに羅列された文字を眺める。背中を冷汗が流れた。碧とにらみ合った緊張から解き放たれて、すぐには頭に入ってこない。
「益子君は撮影部門で間違いなかった? この前は走り書きで提出してたようだけど……」
「あ、は、はい! 俺、映画のことは正直よくわかんないすけど……体力には自信あるんで!」
急に矛先を向けられた紅太郎は大げさな身振りで頭を掻きながら答える。また声のボリュームを押さえるのを忘れていて、建物内に音が反響した。
「そう……それはいいですね」
雪花は苦笑している。
「俳優部門の間違いじゃなくて?」
後ろから碧も口を挟んだ。誰もかれも同じことを言うものだ、と星斗は横目で紅太郎をちらりと見る。当の本人はへらへら笑っていた。
「いや、演技とか無理なんで……」
「素質あると思うけどなぁ。みんな最初はそう言うし」
紅太郎がやんわりと断っても、なおも言い募る。見かねた雪花が横から口を出した。
「こら、俳優志望が少ないからって強引に誘うのはやめて」
「……今年、少ないんですか?」
じっとプリントを眺めていたひよりが言った。碧の態度が豹変してからずっと黙ったままだったが、平静を取り戻したように見える。
「いまのところはね。でも生徒の希望はなるべく尊重したいから……益子君、気にしないで」
「はぁ。お役に立てなくて申し訳ないです」
いいの、と言って雪花は首を振る。碧は腕を頭の裏に回して口笛を吹いた。どういう意味かはかりかねる。
「それで、話をもとに戻すけど……碧が言ったように烏丸君と椿原さんが提出してくれた脚本は残念ながら卒業制作の選考対象になりません。まず、二人には脚本部門に入って本学での基本的な映画製作の過程を学んでもらわないと……そもそも入学と同時に脚本を提出してきたのはあなたたちが初めてです」
雪花はため息をついて話を続ける。眼鏡越しの瞳に深い心労が見て取れて、星斗も口を挟めなかった。
「通常の脚本とは違って、三年生の全生徒が参加する映画になるから色々とルールがあるの。つまり、あなたたちの脚本がいくら良くてもそのルールに則っていなければ卒業制作には採用できません。ここまではわかりますか?」
交互に星斗とひよりの表情を確かめながら、雪花は言った。
どうやら脚本の出来どうこうではなく、時期尚早だったということらしい。星斗にしてもひよりが早々に提出しているのを見て焦ってしまった自覚はあった。
書くことが習慣になっていて、入学までに一本仕上げると決めていた。そこへライバルが現れたものだから冷静さを失っていた。
「ルールを学んでそれに準じたものを書けば選考に参加できるってことですか?」
「そうね。卒業制作の脚本選考に参加できる条件は映画準備会の脚本部門に属することと、ルールに則った作品を書くこと。この二点です」
雪花はわざわざ指を二本立てて、念押しするように繰り返した。星斗は内心では鼻を鳴らしながら、なるべく愁傷に見えるように頷く。
「わかりました。じゃあ、ルールを今すぐ教えてください」
それでも性急な様子は隠せなかったのか、呆れたため息を吐かれた。
「まだ烏丸君が脚本部門に残れるとは言ってませんよ?」
「俺を退会にしたいならさっさと言ってください。そうしたら、さっさと学校を辞めてやる」
星斗がそう宣言すると、隣に立っていた紅太郎がぎょっとした顔を向けて来た。
「脚本が書けないならトリス学園へ来た意味がない」
「どうしてあなたはそう……」
眉を寄せた雪花が言い淀むのを見て、なんだと思う。星斗は本気だった。一番設備の整った状態で脚本を書けるから選んだトリス学園だ。細かいルールがあるなんて聞いていないが、準備会に属せないと書けないというなら辞めるしかない。
「退会処分にするつもりなら最初からそう言っています。でも、先日の行動をなんのペナルティもなく不問に処すのは示しがつきません。だから、烏丸君には夏合宿までに小演劇用の脚本を仕上げてもらいたいの」
「……え?」
唐突に予想外のことを言われて、会長然とした雪花の顔を見返した。雪花は組み合わせた両手を机の上に置いて、話を続ける。
「夏合宿っていうのは毎年夏休みにやる映画準備会の恒例行事で、主に二年生が翌年の練習も兼ねて参加するの。そこでグループに分かれて小規模な劇を披露してもらうんだけど、その脚本のひとつを烏丸君と椿原さんで協力して書いてほしい。それが在籍を許可する条件です」
「わかりました」
星斗は即座にそう答えた。退会処分を免れる上に、脚本まで書けるなら願ったり叶ったりだ。気になるところがないわけではないが──。
「わかりません!」
それまで黙って聞いていたひよりが椅子を鳴らして立ち上がった。長い三つ編みが飛び跳ねて肩から落ちる。
「わたしはこの人みたいに無礼なこともしていません! 一緒にやらないといけない理由なんてないですよね?」
そうだ。なぜ、ひよりと協力して書かなければならないのか。条件というなら他に選択肢はないが、ただでさえ関係性がいいとは言えない相手だ。
「でも、ひよりは私の映画の脚本を書きたいんだよね?」
静かな声で碧が口を開く。途端にひよりの勢いはしおらしくなった。
「それは……」
「二人で書けばきっといいものができる気がする。だから、私から雪花にそう言った」
なるほど。つまり、このカリスマ的存在の鶴の一声で付け加えられた条件だということか。碧の言を受けて、両肘を抱きこむようにした雪花がふっと息を吐く。
「……そういうことです。私は椿原さんを巻きこむのは本末転倒だと言ったんだけど、碧が説得すると言って聞かなくて。だから、もちろん椿原さんには断る権利がある。その場合は烏丸君ひとりで書いてもらうことになる」
星斗としては断ってもらったほうがありがたい。
しかし、そうなる可能性は低そうだ。深い色をたたえた碧の視線はひよりを捉えて離さなかった。
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