第2話

椿原つばはらひよりさんっていますか?」


 益子ますこ紅太郎こうたろうは隣のクラスまで行き、近くに立っていた生徒に声をかけた。星斗と渡り廊下で話をしてから数日後のことである。


「椿原さーん、なんか用だって」


 呼びかけられて、教室の奥に集っていたグループの中の一人が立ち上がる。歩いて来る間に周りから好奇の目で見られているのを感じて、悪かったかなと一瞬後悔した。


「……なんですか?」


 椿原ひよりは訝しげな様子を隠さずに尋ねた。面識のない生徒から急に呼び出されたのだから当然の反応である。


「急にすみません。俺、烏丸からすま星斗ほしとの友だちなんですけど……」

「え?」


 星斗の名前を出したが、ひよりには心当たりがないようだ。首を傾げた拍子に、肩に引っかかっていた長い三つ編みが落ちた。


「えーと、準備会でたぶん会ってると思うんですけど……同じ一年の」

「……あぁ! もしかしてあの大人しそうな人?」


 そこで初めて合点がいったようで、紅太郎は苦笑する。星斗と最初に会った時の紅太郎の印象も同じようなものだった。


「あ、すみません。失礼でした」

「いやいや。この前は参加できなかったんですけど、俺も準備会に入る予定で……益子紅太郎っていいます。あの、今度の集会の時までになんかすることってありますか?」


 星斗は別に行けば大丈夫だろ、としか言わなかったが昔から考え事をしていて大事なところを聞き逃していたりする。基本的に自分のこと以外に興味がないのだ。


「いえ、特に……この前は掃除で終わっちゃったから。会長も来てなかったし……あ、次の集会で役割希望を出すのでそれは考えておいた方がいいかも」

「そうなんですね! 聞いといてよかったぁ。ちなみに何にするかもう決めましたか?」


 探りを入れるつもりはなかったが話のついでに聞いてみた。星斗の話では脚本は初心者ということだったが、入学してすぐに提出できるくらいだから紅太郎にしてみれば十分すごい。


「私は……考え中です」


 予想に反してひよりはうつむいてそう答えた。声がくぐもって聞き取りづらい。しかし、聞き返すのもはばかられる雰囲気だった。


「もういいですか?」

「あ、はい。ありがとう、助かりました!」


 慌てて言うと、ひよりは律儀に頭を下げて背を向けた。

 結局、トリス学園映画準備会が一体どんな活動をしているのかはよくわからなかった。それでも紅太郎は星斗が入るなら準備会に入ろうと決めていた。



 ***



 紅太郎が星斗に初めて会ったのは小学三年生の時だ。他県から越してきた益子一家に対して、隣人は親切だった。まだ小さい妹と弟の世話で忙しい母を残して、父と挨拶に行った時のことはよく覚えている。


 春先の雨上がりでよく手入れされた庭に、いい匂いの黄色い花が咲いていた。紅太郎がじっと見ていると、年上の女の子が出てきて「これはロウバイっていうの」と教えてくれた。


 玄関から父の呼ぶ声がして行ってみると、上がり框に中腰になった女の人の後ろに隠れるようにしていたのが星斗だった。


こうちゃんと同い年だって。学校も一緒になるから……」

「よろしく!」


 紅太郎はみんなに元気よく挨拶すると約束していた。大きな声で言うと、相手はびっくりしたように体を震わせた。

 女の人──たぶん母親──の背中からくるくるした髪の毛と大きな眼鏡が見えている。紅太郎が覗き込むと目があったが、さっと母親の後ろに引っ込んでしまった。


「ごめんなさいね、人見知りで……ほら星斗。よろしくって」

「……よろしく」


 声はしがみついている服に吸い込まれてほとんど聞こえなかった。紅太郎は引っ越し早々この子は大丈夫なのかな、と思った。同い年にしては星斗が小柄だったのもある。弟や妹の世話を焼き慣れていたから、自分がしっかりしなければと決意した。


 しかし、春休み明けに一緒に登校する段になって紅太郎の思惑は見事に裏切られることになる。


「母さんが一緒に行けっていうから行くだけだ。学校についたら話しかけるな」


 門の外まで送りに出て来た親の姿が見えなくなると、星斗はすらすらと冷たい声で言った。別人が話しているのかと、紅太郎が周りを見渡したくらいだ。


「いまの、ほしと君が言った?」

「あたりまえだろ。あと、名前で呼ぶなよ」


 緊張と期待に胸を膨らませて通学路を歩いていた紅太郎は咄嗟に事態が把握できなかった。


「じゃあなんて呼んだらいい?」

「知らない」


 言い捨てると、すたすたと先を歩いていく。学校までの道のりは親と一緒に何度か通っただけだ。星斗と一緒に通うのだからとあまり真剣ではなかった。慌てて後を追いかけながら紅太郎は呼びかける。


「からすま君!」

「ぼくは学校で一番勉強ができるんだ。だから転校生なんかと仲良くしない」


 星斗の言っていることがよくわからない。しかし、拒否されているのは確かなようだ。


 ──おれ、なんか悪いことしたっけ?


 挨拶に行ってから星斗と会ったのは数回で、どれも一緒に遊んだというよりは近くにいただけだった。

 例えば、紅太郎が庭先で遊んでいると星斗の姉二人がかくれんぼに誘ってくる。喜んで参加するのだが、星斗はその様子をじっと家の中から眺めているのである。


「ほしとも遊ぶ?」


 姉たちから声をかけられても、黙って首を振るだけだった。

 だから、星斗の態度については全く心当たりがなかった。その後も取り付く島がなく、紅太郎は星斗の二メートルあとくらいを尾行するようにして学校にたどり着いた。



 ***



 二回目のトリス学園映画準備会は翌週の放課後に行われた。

 紅太郎は初めて足を踏み入れる場所だった。学園のはずれに古びた建物があるのには気づいていたが、ただの倉庫だと思っていた。それが一応はきれいに片づけられて机や椅子が並んでいる。


「でも、映画準備会って毎年あるのに……なんで掃除しなきゃ使えなかったんだろな?」

「知らない」


 横にいる星斗は興味なさげに言った。どうやら紅太郎たちが最初に来たようで、がらんとした部屋に声が響く。


「結局、役割とかもわかんなかったし……あ、椿原さんだ」


 誰かが入ってくる気配がして振り返ると、椿原ひよりが立っていた。先日と同じ三つ編みひっつめ姿だ。


 紅太郎が挨拶すると軽いお辞儀を返される。次いで視線は隣にいる星斗に移された。うつむいている星斗の脇を軽く小突くが、全く顔を上げようとしない。

 仕方なく、紅太郎は愛想笑いでその場をごまかした。ひよりは特に気にした様子もなく二人の横を通り過ぎ、前のほうの席についた。


「星斗、挨拶くらいしろよ。これから一緒に活動してくんだから……」

「はぁ? 俺は本が書ければ別に……」


 こそこそと会話している間に、他の学生たちも集まり始めた。席が決められているというわけでもなさそうなので、とりあえず一番後ろへ座る。


「では時間になりましたので……第二回トリス学園映画制作準備会を始めます」


 一番前に置かれた長机の中心に座った生徒が喋り始める。背後にはホワイトボードが据えられて、あたりがしんと静まった。


「今日は自己紹介のあとに役職を決めたいと思います。二年生は知ってる人もいると思いますが……私は会長の北山きたやま雪花せつかです。先日は急用で休んでしまって申し訳ありませんでした。まず、今からプリントを配るので各自確認してください」


 後ろできちっとまとめたポニーテールが凛々しい。眼鏡をかけてきびきびと喋る姿がいかにも会長という雰囲気だった。雪花は立ち上がると、自らプリントを前の席に座った生徒に配り始めた。


「あれ、川瀬かわせみどりは……?」

「来てないな」


 星斗はとっくに気づいていたらしく、今更かとでも言うように鼻を鳴らす。前の席でひよりも首をあちこちに向けて、辺りを見回していた。そうするうちに手元までプリントがくる。


「お、書いてある」


 そこには映画準備会の役職と説明がきちんと記されていて、紅太郎はほっとした。のも束の間でプリントの字を追ううちに頭が混乱してくる。


「演出、制作、撮影、照明、美術……なんだ、めちゃくちゃあるじゃん」


 思ったより多いうえに、説明を読んでもよくわからない。紅太郎は映画制作の予備知識もないのでなおさらだった。


「プリント、行き渡りましたか? では、簡単な自己紹介となぜ映画準備会に入ろうと思ったのか……二年生から」


 会長の雪花がてきぱきと指示をして、前の席の二年生から順に挨拶が始まった。


「おい、やばいぞ。なんも考えてない」

「別に適当に言っとけばいいだろ」


 焦る紅太郎に対して、星斗はしらっとしている。


 ──昔は母親のうしろに隠れてたくせに……。


 口に出したら最後、確実に倍の量の嫌味を言われ続けるだろう。紅太郎はぐっと言葉を飲み込んで、自己紹介を考える。


 二年生は去年から継続して準備会に入っている生徒が多いらしく、テンポよく進んでいる。十名ほどの生徒の自己紹介はあっという間に終わって、拍手のあとに雪花が口を開いた。


「ありがとうございました。じゃあ次は前の席の一年生から……」


 促されて、一番前に座った椿原ひよりがゆっくりと立ち上がる。

 紅太郎は後ろの席に座ってよかったと胸をなでおろした。やはりトップバッターは荷が重いし、ひよりの自己紹介を参考にして無難に乗り切ろうと心を決める。


「一年の椿原ひよりです」


 ひよりが話し始めると、それまで他の生徒の自己紹介中にもかかわらずノートに書きものをしていた星斗の手が止まる。紅太郎が隣を向くと訝しげに眉がひそめられていた。


「えっと……碧先輩に憧れて準備会に入りました。映画はあまり見ませんが、碧先輩を主人公にした物語なら誰よりもいいものを書く自信があります。脚本部門希望です……」


 その時、がたっと音がして急に星斗が立ち上がった。まだひよりの自己紹介は終わっていない。


「おい、まだオマエの番じゃないぞ……」


 紅太郎は小声で腕を引っ張ったが振り払われた。驚いて見上げると、星斗は顔を歪ませてひよりを睨んでいた。いつもあまり表情が変わらないのに、珍しい。


「いい加減にしろ! そんな中途半端なやつにいい本がかけるわけないだろ!」


 そう叫ぶと、荒々しく椅子をどけて前に歩いていく。紅太郎は常にない星斗の行動にどうすることもできなかった。


「これが俺の書いた本です。あいつより絶対にいいから読んでください。川瀬碧なんかどうでもいい!」


 そのままファイルを叩きつけるように雪花の前に置くと、席には戻らずに建物を出ていってしまった。まわりはぽかんとしていて、しばらく時間が止まったようにしんとなった。


 最初に我に返ったのは紅太郎である。プリントに適当に丸をつけて名前を書くと、慌てて立ち上がった。


「す、すみません! 一年の益子紅太郎です! ちょっとアイツ具合が悪いみたいで……これ、あのお願いします! 椿原さんも……ほんっとうにごめんね!」


 プリントを会長に渡したあと、ひよりにも手を合わせて詫びる。二人の表情まで確認する余裕はなかった。紅太郎は建物から飛び出して、星斗のあとを追った。 

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