トリス学園映画準備会~ボツになった脚本に関する備忘録~

丘ノトカ

第1話

 烏丸からすま星斗ほしとがトリス学園高等部に入ったのは特殊な課外授業を設けているという一点に尽きる。中学受験で入った進学校と比べると試験はないも同然だった。


 入学して一か月ほど経ったゴールデンウィーク明け、家の門を出るとかっと日差しが照りつけてきた。星斗が深夜まで起きていた目を瞬かせながら眉をしかめていると、近くで足音がした。


「星斗! おはよう」

「紅太郎……」


 ひときわ大きな声で呼びかけてきたのは隣の家に住む同い年の益子ますこ紅太郎こうたろうだ。ぼんやりした返事をする間にばっと音がして、かわいらしいレースの傘がさしかけられた。


「それ……」

「うん。この前、こと姉ちゃんにもらったやつ」


 琴姉ちゃんというのは星斗の一番上の姉のことで、本名は琴音ことねという。去年まで使っていた日傘を買い替えるというので、紅太郎が譲り受けていた。

 最初は星斗に、と渡されたのを拒否したためだ。


「まじで使ってんの」

「便利じゃん? つーか、顔やばいぞオマエ」


 朝から失礼なやつだ。深夜まで起きているのも、顔色が悪いのもいつものことだった。返事をせずに駅へ向かって歩き始める。紅太郎は傘を差したまま後をついてきた。

 まだ五月だというのに嫌になるほど天気がいい。少し歩いただけで、首筋から背中に汗が流れた。


「また脚本書いてたのか?」

「当たり前だろ」


 二人の通うトリス学園高等部には映画を撮る課外授業があった。なんでも学園の創始者が芸能界に縁のある出資者であり、未来の人材を育てるために創立したとかなんとか──という事情は星斗にとってはどうでもよかった。


「……もう提出まで一週間切ってる」


 星斗は脚本家志望で、トリス学園で映画制作を主導する映画準備会という組織の初会合がもうすぐ開かれることになっている。


「て言っても、別に提出しなきゃいけない決まりがあるわけでもないんだろ?」


 最寄り駅まで十分、乗り換えを二回、駅から高校までバスで二十分。トータル一時間半かけて都内から辺鄙な場所まで通っているのは、ひとえに映画制作に携わるためだった。


「三年生の映画制作はもう始まってる。つまり、今の二年生が一年生の時にすでに脚本は決まってるってことだ。それなら早いに越したことはない」

「相変わらず真面目だなぁ。でも体壊しちゃ元も子もないからな」


 まるで子供に言い聞かせるような口調だった。紅太郎とは中学で一度離れたから、まだ体の弱かった小学生時代の感覚のままなのだ。


「紅太郎こそ人の心配してる場合かよ」

「まぁ俺は下っ端でもなんでもいいからなぁ」


 隣に並んだ紅太郎は呑気に笑っていた。その上背のある肩を横目でちらっと眺める。色素の薄い赤茶色の髪を休みの間に切ったらしく、穏やかそうな目元がいつもより爽やかに見えた。


 ──こいつは背が高いし、声もでかい。俺の脚本が通ったらもしかしたら……。


 星斗が追い込みにかかっている脚本は旧家を舞台にしたホラーで、主役の一人が背の高い男だ。身近なところに逸材は眠っているものだ。


「問題は記憶力だな……」

「おい、俺の悪口考えてるだろ」

「なんでわかったんだ?」


 軽口を叩くと、蹴りが飛んできた。顔色の悪い星斗が転ばないように力加減されている。根が優しい男なのだ。


「俺だってなぁ、ついて行くのに必死なんだよ」


 紅太郎とは小学校が一緒で、あまり成績はよくなかった。だから、高校で一緒になったのは意外だった。星斗が偏差値を下げたにしても、入学するのは簡単ではなかったはずだ。


「ま、がんばれ。あと来週は絶対に補習とかになるなよ」

「簡単に言ってくれるな~」


 そんな話をしているうちに駅について、紅太郎は慌てて傘を畳んだ。屋根のある構内へ入ると、急に視界が暗くなった。星斗は一番上まで止めていた制服のシャツのボタンを開けると、やっと息をつく。


 ──この暗くなる感じ、使えそう。主役を紅太郎にするなら、セリフは少なくして、他の登場人物の会話を増やしてもいい……。


 星斗は無駄に長い通学時間が嫌いではなかった。行き交う人々や雑音が程よくあって、思わぬアイデアが突然浮かんだりする。紅太郎は大体寝ているから、邪魔にもならない。


 ──絶対、通してみせる。


 何度目かの決意を新たにして、星斗は改札を通り抜けた。



 ***



 トリス学園の敷地内のはずれにある建物の前まで来た時、星斗は妙な既視感を覚えた。そこへ足を踏み入れたのは初めてだったが、まだ誰も来ていないようだ。


 ──本当にここであってるのか?


 奇妙な建物だった。

 塔のような形をしていて、中へ入ると積み上げられた古い机や椅子の山に、白いほこりが積もっている。そこへ随分高いところにある窓から午後の日が差し込んでいた。普段から使われているようには見えない。

 星斗は引き返すと、扉に貼ってある紙をもう一度確認した。


『映画準備会17時~』


「あの~……」


 後ろから鈴を鳴らすような声がした。


 ──え?


 振り返ると、そこには一人の生徒が立っていた。


「すみません。準備会の場所ってここであってます……?」


 ブラウスの校章の色で同じ一年だとわかる。星斗はまじまじとその姿を眺めた。軽やかに響いた声の主で間違いないようだ。

 淡い色の髪を長い三つ編みにした生徒は、星斗から返事がないので首を傾げている。


「ああ……はい、たぶん」


 やっとそれだけ返した時、さらに後ろから複数の足音がした。


「あ! みどり先輩!」


 星斗の存在などなかったかのように、声をかけてきた生徒は集団に駆け寄っていく。数人の生徒の先頭に、今度はひときわ目立つ白金の髪が目に入った。


「ひより、ごめん遅くなった」

「いえ! 今きたところで……先輩、お久しぶりです!」


 二人が初対面ではないらしいことは察せられるが、星斗はその場に立ち尽くしていた。ぞろぞろと現れた生徒の多くが先輩とわかり、背中に変な汗をかく。


 ──クソ、紅太郎のやつ。早く来いよ……。


 今日に限って先生に用事を言いつけられた紅太郎はまだ来ていない。思わず心の中で悪態をついてしまう。


「君も希望者?」


 碧と呼ばれていた金髪の先輩がこちらを見て言った。なんというか、身がすくんでしまうような圧倒的な存在感がある。


「は、はい……」


 星斗は一度合った目を逸らしたくても逸らせなかった。肩付近まで無造作に伸ばした髪の毛が陽の光を受けて輝き、印象的な目元にはらりと落ちかかっている。


「へー、二人だけ?」

「あ、あとからもう一人来ます」


 ブレザーの前を開けてポケットに手を突っ込んでいる碧は思ったより気さくな口調で言った。声色は落ち着いていて高くも低くもない。


「そうなんだ。まぁどうせ今日は掃除と自己紹介で終わるか」

「碧先輩、わたし、あの……書いてきました。脚本!」


 唐突にひよりが横から口を挟んだ。胸に抱いていた紙の束を碧に向かって差し出している。


「もう? すごい」

「はい! 初めて書いたので自信はないんですけど……」


 碧は紙の束を受け取ると、表紙をめくって中を見ている。その他の一緒にやってきた生徒たちは続々と建物の中に入っていった。星斗は突如としてひよりという生徒がライバルであることを知る。

 通学鞄には昨日まで練りに練った脚本が収まっていたが、今出すべきなのか咄嗟に判断できなかった。


「そんなとこで喋ってないで早く入ってー!」


 碧とひよりが談笑しながら中へ入っていくのを、星斗は立ち尽くしたまま眺めていた。



 ***



 翌日の昼休み、星斗は校舎を繋ぐ渡り廊下の踊り場にいた。クラスから離れた特別教室の隅にあるその場所を入学早々見つけたのは紅太郎だ。


「え、らあへっきょくらしてらいのかじゃあけっきょくだしてないのか?」

「ああ……」


 昨日の出来事を話すと、紅太郎は呆れた声を出した。その口には昼食の焼きそばパンが詰まっている。


「汚いな。食べてから喋れ」


 星斗が苦言を呈すと、しばらく黙って口を動かしている。結局、昨日は先生の用事が終わらなかったらしく紅太郎は顔を出さなかった。


「……なんでだよ? あんなにがんばって書いてたのに」


 焼きそばパンを飲み込むと、紅太郎は言った。

 あの後、本当に掃除が始まってしまい脚本を提出する機会を逸した。その上、掃除に時間がかかって自己紹介は後日に持ち越しになった。


「別に次でいいだろ」

「でも、あの川瀬かわせみどりと知り合いなんだろ? その子」


 星斗は全く知らなかったが、碧と呼ばれていた先輩──紅太郎の話では二年生──は有名人だった。なんでもトリス学園の理事長の親戚で、すでに芸能界デビューもしているらしい。道理でオーラがあるわけである。


「俺の脚本があいつに負けると思ってるのか?」

「いや、思ってないよ。思ってないけど……贔屓とかさぁ」


 紅太郎は次に食べるメロンパンの袋を破きながら立ち上がる。どこへ行くのかと思ったら、渡り廊下へ出て星斗を手招きした。


「なに?」

「ちょっと来いって」


 日差しの強い屋外に出るのは嫌だったが、しぶしぶ腰を上げる。紅太郎は向かいの校舎の屋上を指さした。


「ほら、あそこにいる。川瀬碧」

「え?」


 手をかざしながら星斗は指さす方向に目を凝らした。確かに黒い人影らしきものが屋上のフェンス越しに見える。


「なんかいっつも昼休みは屋上にいるらしい。そんで、あれがファン」


 今度は下を示す。校舎の中庭に生徒がたむろして屋上を見上げている。星斗は体育の帰りなどに妙に浮ついた集団がいるな、と思いながら通り過ぎることがあった。


「あれ、ファンだったのか」

「らしいよ。しかも一年だぜ。二年の校舎まで行くのは怖いからあんなところに集まってんだよ」


 遠目にもうちわのようなものが見えて、星斗はため息をつく。その時、キャーという悲鳴が一団から上がった。屋上から川瀬碧がなにか反応したようだ。


「アホらし」

「まぁ、身近なアイドルみたいな? 実際芸能人だし……」


 星斗は早々に踊り場に引っ込んだ。仮にも映画を撮ることに特化した学園のくせに、ストイックにいられないのか。志の高い自分のような人間はいないものか、と内心で憂えた。


「おい、待てって」

「なんだよ。俺はチャラチャラしたやつらに用はない」


 後ろから追いかけてきた紅太郎のため息が聞こえる。


「だーかーらー、俺が言いたいのは川瀬碧がそんだけ影響力を持ってるってことだよ。現に昨日も目立ってたんだろ?」


 紅太郎の言葉に星斗は立ち止まった。

 トリス学園映画準備会は原則二年生と一年生で構成されるため、その場を仕切っていたのは二年生だ。昨日は掃除だけだったから指示されるままに片付けた。

 確かに、川瀬碧は口数が多い風でもないのに集団の中心にいた。


「だから?」

「そんな奴は主役張るに決まってんだろ?」

「あ……」


 三年次の映画制作では脚本が決まってから配役が決まるパターンと、主役が決まってから脚本が決まるパターンがあることは知っていた。


「来年はほぼ川瀬碧に決定だって。というか主役じゃなかったら抗議がすごそうだしな」

「じゃあ脚本も?」


 主役が先に決定した場合、その生徒は脚本を決めるのに多大な影響力を持つ。川瀬碧の主役が決まっているというのが本当なら、脚本を指定できる可能性もあった。


「そういうこと。だから川瀬碧と親しいヤツがいて、しかも脚本を出してたならそいつはなんだっけ……えーと、ライバルっていうか……」

「コネができてるから有利ってわけか」

「え? いや、そこまでは言ってないけど……」

「なんだよ。さっきオマエが贔屓とか言ってたんじゃないか」


 紅太郎はもごもごと口ごもってしまったが、要するにコネのない星斗が不利だというのだ。しかし、そんなことが本当にまかり通るなら映画制作なんぞクソである。


「あいつは初心者だ。俺の本よりいいものを書くはずない。それよりも……」


 星斗には一つ、気がかりなことがあった。ひよりとかいう生徒の声である。


 ──あの声。あれを利用しないで脚本だって? 冗談だろ。


 透き通るようで、鼓膜の中にいつまでも残る声だった。呼びかけられた時に驚いたのは、今書いている脚本の登場人物にぴったりの声をしていたからだ。

 星斗は昔から脚本のセリフを書くときにはっきりと声のイメージがある。


「それよりも?」


 黙って考え込んでいると、紅太郎が心配そうに顔を覗き込んで来た。


「……いや。なんでもない」

「まぁ、俺はほんとに星斗の脚本が通るって信じてるよ。でも珍しいよな。普段、あんまり他人の事なんか気にしないのに」

「別に気にしてない」


 星斗は通学途中でちらっと話をしただけだった。ひよりが同学年ということしか知らなかったのに、昼休みには情報を仕入れてきたのは紅太郎のほうだ。


 椿原つばはらひより、E組、美化委員、川瀬碧とは中学が同じなどなど──。

 まだ、入学して一か月でクラスにもなじめないでいる星斗にはどこからそんな情報が入って来るのか見当もつかない。そういえば、昔からコミュニケーション能力だけは高かった。


「俺は脚本が通れば他のことはどうでもいい。それだって、将来の足掛かりとして利用するだけだ」


 きっぱりと言って、星斗は立ち上がる。紅太郎が何か言いたげにこちらを見上げていたが、無視した。


「もう行くぞ」


 時計を確認すると、あと五分で昼休みが終わろうとしていた。星斗のクラスは渡り廊下から遠い端にあるのでそろそろ戻らなければならない。紅太郎もズボンに落ちたパンくずを払いながら立ち上がる。


 外からまた悲鳴に似た歓声が響いてきた。

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