第26話 待ってるタイプ

 颯爽と愛手の部屋の前まで来ると後ろから慌てて幸人さんと満美ちゃんもついて来た。



「波人君、放っておいてあげた方が…」


「あいつ、待ってるタイプかもしれねえじゃん?」


「「?」」



これまであえて放っておいてやったことも二人の優しさだということはわかっていた。だけどそれでは愛手はずっと二か月おきに引きこもることになる。二か月ごとに苦しんで、二か月ごとに孤独になる。何も変わらないままだ。だから――



「三人で声かけてみようぜ」



ネビュラは迷いを見せずにドアをノックする。何度目かでようやく「…何」と掠れた声が聞こえた。

 普段の明るく快活な彼からは想像できないほどの低音。



「二人から話聞かせてもらった。開けてくれないか?」


「おい波人」



単刀直入にそう告げると、抵抗や渋る様子なくあっさりとドアが開いた。



「…散らかってるけど」



部屋はほぼ半壊と言っても差し支えないほど壁や天井に傷や穴があいていた。床にはねばついた粘液のような物が絨毯にシミを作っている。

 愛手は全身が溶け落ちて、べちゃべちゃと音を立てながら暗い部屋の奥へ逃げるように移動する。



「ごめん、こんなんじゃみんなの気分を害すと思って」



泣きそうな震えた声で暗闇から聞こえたか細い声に、幸人は目を潤ませ唇を噛んだ。



「バカね。あんたはほんとに」



我慢出来ないといったように幸人は部屋の奥へと消えた愛手に手を伸ばし、抱きつく。



「…離れて幸人さん。あの時みたいにまた服を汚しちゃうから」


「服なんかよりあなたが大事なの。そんなこともわかんないのぉ?」



幸人さんはおいおい泣き出して、見えないけれど愛手が戸惑っている気配が伝わってくる。



「電気、つけるぞ」



満美ちゃんが躊躇いがちにスイッチに手を添えるが、緊張した空気は伝わってくるものの止める声はなかった。

 部屋が明るくなると、全身が形を持たずに液状化した愛手が幸人さんに抱き着かれていた。身長180センチ越えの幸人さんよりも元の姿の愛手の方が背丈があり、あらゆる体の部位が連結して一つの肥大化した動く液体のようだった。

 ぎゅっと強く瞑って身を縮める愛手。しかし彼の予想していた言葉とは異なる言葉が投げかけられる。



「そんな位置に歯があって、歯磨き面倒じゃないのか?」



と真顔で満美ちゃんが尋ねる。



「初めて会った時も思ったけど、お肌プルプルよね。何の化粧水使ってるの?」



と涙声の幸人さん。

 ネビュラに至っては何のリアクションもない。当然のように「見た目は変わっても愛手は愛手だろ」と、そんな感じだ。

 罵声も蔑みも飛んでこない。

 どこまでもいつもと変わらぬ様子の彼らを見て安堵した拍子に緊張がほぐれたのか、愛手はぼろぼろと大粒の涙を流しながら声を上げて泣き出した。



 プリンを持って来てやると、あちこちにある口からそれをあっという間に完食する。



「落ち着いたか?」


「ちょっとだけ」



泣き止んだ愛手に話を聞けば、今まで二人が彼に声をかけられなかったように彼もまたドアノブに手を掛けようとして、その勇気を出せないでいた。

 一度自分の姿を見て知っている幸人さんにでさえ、完全に元の姿に戻った自分を見られたらと思うと怖くなってドアから遠ざかっていたらしい。



「拒絶されなくて、よかった…」


「こんな優しくていい子を拒絶するわけないでしょバカっ」



わんわん泣き続けている幸人さんごと抱きしめるように満美ちゃんも愛手に寄り添う。



「もう引きこもる理由もなくなった。愛手がどんな姿でも、愛手は私たちの好きな愛手だ」



いつの間にか三人とも泣いていて、慌てるネビュラに三人が揃って「きっかけをくれてありがとう」と泣き笑いを浮かべた。

 これから少しずつでも愛手が自分の容姿を受け入れられるようになればいいと、ネビュラは思うのだった。




     [  聡介 SIDE  ]



「それにしても、おばあ様の作るこのニモノ?という物は美味しいですね」


「あら、嬉しいねぇ」



筑前煮をつつく箸が止まらないヴィルゴは片言でそう話しながら頬を緩ませた。

(確かに地球に来た時くらいしか煮物は食べないな。自星には煮物という食文化が存在しないから当然と言えば当然か)

 聡介に関しては、幼い頃に食べたっきりというわけでもなかった。彼は母親が煮物を作ることが出来たので、当たり前のように家の食卓に並ぶ料理の一つだった。けれど自星のどこかの店で売っていたかと聞かれるとそれはノーであるし、他の家庭の食卓に並ぶかと言ったらそれもノーだろう。



「ごめんください」



もう夜の八時過ぎだというのに、年寄りの家を訪ねて来るのは一体誰だろうか。

 よく食べるヴィルゴをお茶を飲みながら嬉しそうに眺めていた祖母が席を立とうとするのを制し、訝し気に思った俺が代わりにインターホンに出る。



「はい、どちら様でしょうか」


「夜分に申し訳ありません。わたくしそちらにお邪魔させていただいているSCT職員の上司です」



見れば美しい淡碧の長髪を高い位置で結び肩に流して、俺の筑前煮まで手を付けようとしているヴィルゴと同じ制服を着ている。画面越しにも関わらず、彼女からは張りつめた空気が感じられて自然と背筋が伸びる。



「なんか上司来てるぞ」



彼に画面が見えるように少し場所をずれる。すると「…上司は上司ですが、社長ですね」とヴィルゴはこんにゃくを齧った。

 新たなる客の訪れに祖母は浮足立っていたが、それぞれに食事を楽しんでいた職員たちは素早く玄関へと移動し、綺麗に列を成した。俺が玄関を開け入って来た人物に対し、腰をきっかり九十度に曲げて仰々しく社長を出迎える職員達。



「お疲れ様ですッ、オリオンズベルト社長」



大分鬼気迫ってるなと面食らうが、ヴィルゴの姿を見て呆れる。社長を出迎える職員の中に彼はいない。

(あいつまだ食ってんな)

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