第25話 歯がゆさ
「怖い顔してどうしたの」
「お前が知る必要はない」
「あら、つれないわねえ。ってちょっと、あなた痩せすぎよ、何日食べてないの?」
あまりの動じなさにかえって愛手の方が気圧される。
「…二週間とちょっと」
困ったように頬に指を当てて考え込む男。綺麗に整えられた指は爪の先まで手入れされていて、思わず魅入ってしまう。
「ならうちに来てみる?」
あまりにも唐突な誘いだったので脳処理が追い付かない。状況が理解出来ずにただ威嚇するように睨みつけていると、彼はそれすら意に返さずに続けた。
「その腕も理解のない人に見られたら驚かれちゃうし、その様子だと見られたくないんでしょ?」
散々自分を蔑んできたあいつらとこの人間が違うことは何となく理解出来た。
しかし、もし噂で聞いている宇宙人を被検体にするという人体実験組織のやつらが地球ににもいて、もしこいつがその一味だったら、この人当たりがよさそうな態度は自分を罠にかける演技かもしれない。
もし仮に彼の予想が当たっていたとして、巧みな話術で相手を懐柔し被検体にしようと企んでいるのだとしても、愛手にはもう男を突き放すほどの体力も精神力も残っていなかった。
自分が思っている以上に、優しくされたことで心が脆くなっていた。
「でも俺は」
「宇宙人?、そんなの気にしないわよ?」
地球人だってあなたからすれば宇宙人、みんな宇宙人なんだからと微笑む男は「それに」と言葉を継いだ。
「うちのシェアハウスにはもう既に他惑星から来た子もいるのよ」
恐怖で体が硬直するのを感じる。声が震えていることに気づかれないよう何とか声を張ってそこに同郷のやつがいないか尋ねる。幸い、同じ星のやつではなかった。
ほっと息を吐く間もなく、体力はどんどん消耗され顔面半分が元の姿に戻り溶けるように肥大化し垂れ下がる。片方の愛らしい男の子の顔で苦虫を噛み潰しながら、もう片方の醜い顔を隠すように手で覆う。
それを見て「あらあら」と何やら小さな四角い機械を操作して耳に当てる。シェアハウスにいるもう一人の住人に風呂というものを沸かすように頼んでいる。よくわからないが、俺にとって害なことをしようとしているようには見えなかった。
「悍ましくないのか」
電話を終えると、男は優しく頭に触れてくれる。
「?、悍ましくなんかないわよ。それより息を荒くして今にも倒れそうなことをもっと自覚しなさい」
誰かが本当の自分の姿を見て、初めて触れてくれた。初めてしっかりと目を合わせてくれた。
初めて優しくされた。
「歩くのも辛いでしょ。肩を貸すから早く帰りましょ」
愛手は怯えながら溶けた手を差し出された手に伸ばした。そっと手を添えたはずなのに、彼の綺麗な服に自分を覆う粘液が飛び散る。
自分の姿が醜いだけでなく、液状なことを呪った。
「…悪い、綺麗な服なのに」
「あら、細かなことに気づける男の子はモテるわよ」
少しも嫌な顔せず、というより本当に何とも思っていないといった様子の男の横顔は今まで見てきた何よりも美しく愛手の瞳に映った。
「体調が戻ったら…すぐ出て行くから」
「ずっとうちにいればいいわ。あなたが良ければ、だけど」
人が多い方が楽しいし、と男は笑った。
「名前…」
縋るような頼りない声に自分でも驚いた。
「幸人よ」
「ありがとうサチト…ありがとう」
☆ ☆ ☆
幸人さんは懐かしむように話してくれた。
「あの時たまたま仕事で海外にいて。愛手と出会ったのもそこなのよ」
シェアハウスに来た頃は今と違って、無口で荒々しいやつだったと満美ちゃんも箸を動かす手を止めて話してくれた。けれど時間をかけて打ち解けていくうちに、愛手本人にも変化があったという。
「一人称が俺から僕になって、警戒からくるとげとげしさがなくなったな」
「二か月おきに体力がなくなっちゃうんだけど、それ以外の時はアクティブで明るい子になったのよ」
そんな愛手は他惑星人に酷い対応をする入惑星審査官のいる入惑星審査場を経て地球に来ていた。
サキとネビュラが経て来たところは良心的で、その方がごく稀なことだった。本来なら名前も自由に決めさせてもらえないし、監視なしに自由に行動させてはもらえない。
大分前に俺たちと同じ審査場で再手続きをし直しているから、もう監視はされていないそうだが。
最初の審査時につけられた名前が
その話を聞いて憤慨した幸人さんがその入惑星審査場のある国まで飛んで行って名前を変更させたらしい。幸人さんは情の厚い人だから、赦せなかったんだろう。話を聞いたその日のうちにその国へ飛んだのには驚いたけど。
「最低だったのは担当した男だけで、上司の方は愛手に丁寧に謝罪してくれたわ」
入惑星審査場のある国はそれだけ宇宙人の存在を認めて受け入れようと努力している一方で、未知の存在である彼らを審査官たちは警戒してもいた。
宇宙人をよく思わない地球人にとって、宇宙人の入惑星審査などあまり気分のいいものではないだろう。それをわかっていただけに、侮辱された愛手本人が一番担当者を赦していたらしい。
「あの子そこまで来て遠慮しちゃうから、名前は結局あたし主導で変更手続きを踏んだんだけどね。でもいい名前でしょ?」
愛手は人の心の機敏にすぐ気がついて、気遣う言葉をかけたり、時には何も言わずに傍にいてくれたりすることもあった。
幸人さんにも満美ちゃんにも、バイト探しを一緒に根気よく付き合ってもらった俺もみんな愛手がいいやつなのは知っていた。
あいつは常に愛のある手を差し伸べてくれる。
「愛の手って書いて
「だからこそ、今こうしてあの子が苦しんでるのを助けられないのが歯がゆくて」
部屋の中で、愛手は元の姿に戻ってしまっているから出て来られないのではないか。二人はそんな風に考えているらしい。
「どんなに気にならないって言ってもあの子自身が気にしててね」
鏡を生活から取り去るのも、夜中にあいつの部屋から大きな物音が聞こえるのも、全部そこに起因しているらしい。
自分で抜け出せない状況にいる時、差し伸べてもらえる手がどれだけ救いで、嬉しいことか。本当の自分を見て、認めて、受け入れてもらえることがどれだけ嬉しいことなのかをネビュラは身を以て知っていた。
サキの顔を思い出しながら、見つめていた自分の手を握りしめる。
「波人?」
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