第37話 本当の意味で
「ただいま~」
美々ちゃんのおかげで少しは小さくなったモヤモヤを抱えながらわたしは家に到着した。
リビングにはいつもならいるはずの他の姉妹たちの姿がない。きっと部屋でテスト勉強でもしているのだろう。わたしも勉強しなきゃな。
わたしが家に帰ってきたのを楓ちゃんに知られるのが少し気まずく思ったので、足音をたてないように忍び足で階段を上って行く。
最後に自分の部屋の扉をゆっくりと閉め、静かに任務は完了した。
さっそく机に向かって、学校指定の参考書を広げる。
まだ課題すら終わっていないのに、カラオケに行ってる暇なんてなかったよな、ほんと。美々ちゃんにも悪いことしたな。そんなことを考えつつも、黙々と課題をこなしていく。
最近気が付いたことがあって、わたしはひらめきと思考力が足りないな、と。
一度習ったことのあるパターンの問題なら、何度か復習すれば覚えることができるが、初めて見る問題や、応用系の問題はすごく苦手だ。
何も勉強に限った話ではなく、ちょっとしたコミュニケーションでもそう。
こういう話題にはこういうふうに返すのがいいな、とか、この子にはこういう話をするのがいいな、とか、そういう型はなんとなく分かっていくものだ。
だけど、今回の楓ちゃんのケースに関しては、わたしの中に何のデータもないし、これからどういうふうに話せばいいかも分からない。
ただ美々ちゃんも言っていたように、起こった事実は変えられない。どうしても。
「ちょっとだけ寝よ……」
急に睡魔に襲われたわたしは机に伏せ、ゆっくりと目を閉じた。
☆
「──さん。──衣さん」
遠くの方からわたしを呼ぶ声がするような気がして、眉をしかめる。
まだ眠いのに……
「由衣さん」
「ん…… …………ん?」
遠くに聞こえていた声が急に近くで聞こえたことに違和感を覚え、少し頭の中でどういうことかを考えたあとにパッと目を開ける。
「由衣さん。晩ご飯ですよ」
「楓ちゃん!?」
「すみません。ノックしても返事がなかったので勝手に入っちゃいました」
「あ、いや、それは大丈夫だけど……」
「良かったです。みんなもうリビングで待ってますよ。わたし、先に行ってますね」
そう言って、楓ちゃんはわたしから背を向ける。
えっと、あれ、なんだろう。何か違和感。まだ寝ぼけた頭でも分かるくらいの。楓ちゃん、勉強で疲れてるのかな。いや、でも……
「あの、楓ちゃん!」
わたしは気が付けば楓ちゃんのことを呼び止めていた。
「か、楓ちゃんはさ、わたしのこと好きって…… 本気なの?」
何を聞いているんだろう、わたし。でも口が勝手に動いていく。
「…………本気ですよ」
そう真正面から目を見て言われると、ドキッとしてしまう。
「……迷惑でしたよね」
「え?」
「急にこんなこと言われても。わたし女ですし、妹なのに気持ち悪いですよね」
「え、いや……」
別にそんなこと思ってるわけじゃないけど……
楓ちゃんはすごく悲しそうな顔をしていた。そんな顔でもすごく綺麗で、美人だなと思ってしまっているわたしはきっと場違いなことを考えているんだろう。
今、ここでちゃんと話さないといけないような気がする。
恋愛がどうのこうのという前にわたしたちは家族なんだから。
「別に迷惑だとは思ってないよ」
「でも…… 由衣さんわたしのこと避けてましたよね? 放課後も一緒に帰りましょうって言ったら困った顔してましたし、帰ってくるのも遅かったですし……」
ギクッと心臓が揺れるが、表情には出さない。
「あれはびっくりしてただけだから。気持ち悪いとかは一切思ってないし」
「……じゃあ、わたしのこと嫌いになって……ない?」
「なってないよ」
もちろん嫌いになんてなっていない。
わたしが変な態度とっちゃったせいで、不安にさせたの……かな。まあだけど、わたしが悪かった、とは思わないでいることにする。だって好きなんて言われて今日の今日で困惑しちゃうのはきっと当たり前のことだし、避けちゃうのも仕方がないことだと思う。
人を好きになる気持ちに本当は良いも悪いもないけど、今回だけはわたしも悪いし、楓ちゃんも悪い。これでプラマイゼロ、みんなハッピーだ。
「よ、良かった…… 由衣さんに嫌われたらどうしようって、そればっかりで頭いっぱいで勉強なんてほとんど手につかなくて──」
「……なんか楓ちゃんさ、いつもと話し方、違わない?」
「え、そうかな?」
「うん。あ、そうだ、ほら、敬語が抜けてるんだよ」
「あ、ほんとだ」
楓ちゃん自身もはっとしたように口元を押さえている。
珍しい。今までこんなことほとんどなかったのに。
「……あの、二人のときだけ敬語なしでもいいかな?」
「いいけど…… 他の人がいるときはダメなの?」
「たぶん敬語がでちゃうと思うから」
「そっか。なら大丈夫だよ」
なんだかわたしだけが特別みたいで嬉しいような気もするし、若干複雑な気もするしで、感情が迷子になっている。
「あと、由衣ちゃんって呼んでもいい……かな?」
楓ちゃんが恥ずかしそうにモジモジしている。
楓ちゃんは大人っぽくていつも冷静なイメージが強かったから、今、子供っぽくて可愛らしい感じになっているのが意外だ。こっちが楓ちゃんの素なんだろうか。
「うん、いいよ」
「ほんと? ありがとう、由衣ちゃん」
「………………」
今、なぜかふと懐かしい気持ちになったのはどうしてだろう。
なんか前にもこんなことがあったような……
かすかな記憶を辿っていると、柔らかな感触と甘い匂いがわたしの体を包んだ。どうやら楓ちゃんに抱きつかれているらしい。
わたしはびっくりして声をあげるけど、そういう感じではないことをすぐに察する。
「ほんとにさ、わたしが由衣ちゃんのこと好きでいてもいいんだよね?」
「…………ん、いいよ。その気持ちに応えられはしないかもだけど……ね」
「ううん。すごく嬉しい」
満たされているような気持ちと、申し訳ないような気持ちと。またしても感情が迷子だ。
すると、暖かで静かな空間にバタバタとした足音が徐々に音を増しながら響いてくる。わたしはすぐに楓ちゃんから離れた。
「お姉ちゃんたち遅い! ご飯だよ!」
ドアの前には不服そうな顔をした柚ちゃんがわたしたちを見つめていた。そりゃそうだ。楓ちゃんがわたしを呼びに来た時点でもみんな待っていたのに。
「ご、ごめん! すぐ行く!」
そう言って、わたしは楓ちゃんと一緒に慌てながらリビングに向かうことになった。
困惑することもあったけど、わたしは今日、本当の意味で楓ちゃんとすごく仲良くなれた気がしていた。
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