第32話 おかげ

 この世の何事にも王道と邪道が存在するならば、私は完全に王道派だ。邪道も確かに捨てがたい。王道と邪道にはそれぞれの良さがあるから。


「きれー!」


 私は満開に咲いている、花壇の紫陽花たちに目を輝かせていた。


 すぐ隣にある喫茶店のマスターがお世話をしているらしい。最近流行りのオシャレなカフェではなく、渋い喫茶店。一度中に入ったことがあるが、いかにも、という感じのマスターだった。


「やっぱり紫陽花は紫色がいいよね~」


 アヤメみたいな鮮やかな紫もそれはそれで綺麗だが、紫陽花は柔らかい色であるのがいいところだ。


 ……って言いながら、別に紫陽花だったら何色でも好きなんだけどね。


 外に咲いている花を眺めるとき、普通なら晴れの日の方が綺麗だなと思うことがほとんどだけど、紫陽花はどの天気でも綺麗に思えるところが好きだ。


 今みたいな曇りの日でも雨でも。いつでも紫陽花からは包み込んでくれるような、優しいオーラを感じ取れる。


「楓ちゃんは何色が綺麗だと思う?」

「えっと、白ですかね。すごく綺麗です」

「分かるっ!」


 わたしは繋いだままだった楓ちゃんの手をギュッと握る。


「綺麗だよね、紫陽花! 雨に濡れてるときの紫陽花も良くて、ちゃんと雨の景色に紫陽花は溶け込めるんだよ。すごいよね。どの色でも綺麗だし。でもやっぱ雨上がりの紫陽花が一番綺麗って言うか──」


 わたしは、はっとした。


 やばい喋りすぎている、と。


 手を繋いでいるせいもあって、子供と子供に付き合ってあげているお母さんの図が完成してしまっている。当然、わたしが子供で楓ちゃんがお母さんだ。


 とりあえず興奮を落ち着けるために、深呼吸をしよう。スー、ハー、スー、ハー。


 と、そんなことをしていると、わたしの手に圧力がかかった。楓ちゃんと繋いでいる方の手だ。


「……可愛い」

「え?」

「すっっっごい可愛いんですけど、どうします?」


 えーっと。わたしは今、楓ちゃんに何を求められているのだろうか。というか、まずそもそも楓ちゃんが何を言っているのか、よく分から──


「あっ! 紫陽花が可愛いってこと?」

「違います。大外れです」

「なぬ……」


 より一層分からなくなった。ムズイ。


「由衣さんが可愛いって言ってるんですよ」

「え、わたし!?」


 可愛い!? 高校生にもなって、はしゃいで恥ずかしくないんですか、とかではなく!?


 わたしの頭はビックリマークとはてなマークでいっぱいになっていた。


 うーん、まあ可愛いと言ってもらえるのは素直に嬉しい。ここはポジティブに受け取っておくとしよう。うんうん、そうしよう。


「……はあ、由衣さん。いいですか? 言っておきますけど由衣さん可愛いんですからね? 手を繋ごうって言われたからって誰でも彼でも繋いだらダメですよ? 下心のある人が寄ってきちゃいますからね」

「さすがに誰でも彼でもは繋がないけど…… それにわたしに下心がある人なんて──」

「いますよ」


 はっきりとしている楓ちゃんの声に一瞬、気圧される。


 うーむ。本当にいないと思うんだけど……


 わたしは本当に今まで恋愛の「れ」の字もしてこなかったような人間だ。だから、手を繋ごうとか言われたことがあるはずもなく、男子と手を繋いだことがあるのは体育祭、生徒全員参加のフォークダンスくらいだ。


 高校に入って一年経っても、本当にそういう気配は全くなく、毎日を友達と過ごしている日々である。


「楓ちゃんこそモテるんだから、気を付けないと。楓ちゃんと手繋ぎたい人なんていっぱいいるよ?」


 心配するとしたら、確実に楓ちゃんの方だ。百人いたら百人全員が楓ちゃんの心配をするだろう。


「わたしは由衣さんだけとしか繋がないので大丈夫です」

「うーん、それもどうかと思うけど」

「とにかく。気をつけてくださいね?」

「うん。じゃあわたしも楓ちゃんとしか繋がない!」

「っ……」


 わたしは繋いでいた手をぶんぶんと振って、大丈夫ですと笑ってアピールした。


 本気でそんなことを言っているわけではなく、その場のノリというか、その場の雰囲気である。


「……すっっっごい可愛いんですけど」

「あはは、それ二回目だよ」


 なんだか心がすごく温かい。


 曇りなのにここだけ晴れているみたいだ。


 紫陽花のおかげか。楓ちゃんのおかげか。きっとその両方だろうなあ。


「……ここが外で良かったですね」

「……? どういうこと?」

「もしも家の中だったら…… いえ、なんでもありません。そろそろ帰りましょう」

「うん? そうだね、帰ろっか」


 よく分からないけど、よく分からないことを理解しようとすることは難しい。「なんでもない」という言葉に甘えさせてもらうことにしよう。


 わたしたちは紫陽花に背を向けて、歩き始めた。


「楓ちゃんは何か趣味とかあるの?」

「そうですね…… 由衣さんを一日中眺めることでしょうか」

「ええ!? 何、どういうこと!?」

「ふふっ、冗談ですよ」


 家に帰るまで会話が尽きることも、繋がれた手が離れることもなかった。


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