第4話 柚

「お姉ちゃん!」

「あ、柚ちゃん」


 わたしが茅ちゃんの部屋から出てくると、ちょうどばったり柚ちゃんと遭遇した。


 何度聞いてもお姉ちゃんという響きだけは悪くない。


 いつか全く思いがけずに「ぐふふ……」という気持ち悪い声が漏れ出てしまいそうだ、気をつけねば。


「今、ちょうど柚ちゃんの部屋に行こうと思ってたんだ」

「ほんと? じゃあ一緒に行こうよ!」


 そう言って、柚ちゃんはわたしの服の裾を掴んで、軽く引っ張る。


 なんだか距離が近くて嬉しい。


「あ、結構もう片付いてるんだね」


 部屋のドアを開けると、柚ちゃんの部屋はもうほとんど綺麗に片付けられているのがわかった。


 みんなの部屋には一通り必要なものをお父さんが用意していたとはいえ、もとの家から持ってこないといけないものもいっぱいあるだろうに。


「うん。持ってきたの服とかぬいぐるみくらいだから」

「へえ……」


 確かによく見ると、服はクローゼットに綺麗に片付けられ、ベッドの上には大小さまざまなキャラクターもののぬいぐるみや動物のぬいぐるみがたくさん置かれていた。


「あ、これ可愛いね」


 そう言って、わたしが見つけたのはパンダのぬいぐるみだった。


 これだけ他のぬいぐるみと違って、外には出されず、透明な箱に入っているままだ。


 ただちょっと古びてる感じがするし、新品ってわけではなさそう。


「あ、それはこの中で一番大切なものなんだ。わたし、昔からパンダ大好きなの!」

「なるほど……」


(これはいいことを聞いた)


 そう思って、わたしは心の中に太いマジックペンで「柚ちゃん パンダ」とメモを残した。


「これはどこで買ったの?」

「ううん、これは買ったんじゃなくて、貰ったものなんだよ」


 そう言って、微笑む柚ちゃんの顔はどこか思いを馳せているような顔に見えた。


(はっ…… この顔…… え、もしかしてそういうやつ!? 好きな人から貰ったとか!? もうこの顔はそういうことだよね!?)


 柚ちゃんから発せられている、なんだかとてもキラキラして純粋なものを間近で吸い込んだことにより、胸がいっぱいになる。


 これが青い春と書いて青春せいしゅんと読む例の有名なあれなのか。


「それよりここ座ってお姉ちゃん!」

「え? あ、うん」


 わたしは支持された通り、柚ちゃんの隣に置いてあったクッションに座る。


「えいっ!」


 そんな可愛い声が聞こえてきたと思ったら、わたしは柚ちゃんに横から抱きつかれていた。


「えっ……!」

「へへへっ、お姉ちゃん好き~」


(な…… なななな、なんだこれ!?)


 びっくり。なんて感情を軽く追い越してきたのは柚ちゃんの可愛さだった。


(な、なんかわからんけど、すごい可愛いぞ……! なんだこの生き物は……!)


 柚ちゃんに対する可愛さがわたしの心の堤防を一気に崩して押し寄せてくる。


 世の姉たちは毎日こんな嬉し苦しい感情を抱えながら生きているのか…… 尊敬……


「ねえ柚ちゃん」

「ん?」

「柚ちゃんってモテるでしょ?」


 少しというか、だいぶ気になって聞いてみた。


 柚ちゃんの動作や行動は全てモテる人のそれであるような感じだ。


「んー、まあね? 柚、可愛いから!」


 やはり。


 これだけ明るくて、コミュ力もあって、可愛いんだから、モテないわけがない。


 きっと学校でも告白とかすごいされてるんだろうな。


「お姉ちゃんは?」

「え、わたし?」

「お姉ちゃんだって可愛いんだから、モテるでしょ?」

「いやいやいや! 全然そんなことないから!」


 全然そんなことないなんて自分で言うのはなんかむなしいけど……


 でも悲しいことに本当にそんなことないんだよなあ。


 彼氏はおろか、告白されたことすら一度もない。


 わたしの名推理だと、今まであんまり男子と話してこなかったし、用があるとき以外話そうとしないわたしに大いに原因があると思われる。


 まあそれだけじゃなくて、顔も普通だし、突出して何かができるわけでもないし、それに柚ちゃんみたいな愛嬌もないし。


 そういうところにも原因はありまくりだ。


 以上、推理終わり。


「ほんとかなあ?」

「あははっ、本当だよ」


 そもそもの話、自分自身今まで一度も恋というものをしたことがない。


 もうここまできたら「恋愛って人生において必要なことなのだろうか……」と考えるくらいには開き直っている。


 諸麦由衣は若干十六歳にして、すでに恋愛における悟りを開いたのだ。南無阿弥陀仏。


「ふーん、柚はお姉ちゃんのこと可愛いと思うよ?」

「うっ……!」


(こ、この子……! なんて子なんだ…… あざとすぎる……!)


 わたしは気付かぬうちに、反射的に胸を押さえていた。


 これはあれだ。キュンってするやつだ。可愛いものが可愛すぎたとき特有のキュンってなるやつ。


 あざといとは柚ちゃんのために神が作りし言葉なのかもしれない。


 この自分の魅力を分かっていて、言葉を選んでいる感じ。


 これは本当にモテる。


 入学早々で男子から告白のオンパレードになるやつ。


 もうお姉ちゃんは断言できちゃう。


「わ、わたしもうリビング戻るね!」


 本当はもうちょっと話したかったけど、これ以上二人でいるとなんかヤバい気がする。


 それに一応仲良くなる一歩は踏み出せたし、目標は達成した。


「うん! わたしも全部片付いたら行くね」


 そう言って、柚ちゃんが笑顔でわたしに手を振ってくれた。


 ただただ可愛いという感情しか出てこなかったわたしも柚ちゃんに手を振り返して、柚ちゃんの部屋から出た。


(なんか…… 妹ってみんなすごい可愛いなあ……)


 一息ついて、そんな余韻に浸りながら、わたしはゆっくりと階段を降りて行った。



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