第5話 研魔作業

 穢れによって黒い塊になった表面は岩のように固い。

 まずは"荒削り"という作業で大胆に宝石の表面を削る。

 石同士を強く擦り合わせた物騒な音を工房に響かせながら、削られた穢れは黒い粉を放出しながら、空気と混じり消えていく。


 私には作業をする上で己に課した戒律がある。

 研魔作業中に客の穢れには、絶対に触れない。

 触れれば、穢れに含まれる絶望や悪意が私へ伝染し、自分の心が早く闇に呑まれてしまうからだ。


 円卓の回転が弱まるとペダルを踏み回転を加える。

 この動作をしばらく繰り返し、固まった穢れの表層を削ぐことができた。


 仕上げにかかろう。


 円卓を離れ別の台座に移ると、並べられた道具や材料のラベルを確認。

 スリ鉢を台に置き、粉末の入った瓶を取って鉢の底が埋まるまで投入した。


 これは岩山で採掘された天然のダイヤを、細かく砕いた粉末ダイヤだ。

 次に同じスリ鉢に粘度を持つ液体を入れる。

 今、入れたのはオリーブオイル。

 この配合が難しく目分量で測って投入していく。


 ヘラを持って二つの材料をひたすら混ぜ、ペースト状になるまでかき回す。

 オイルが多ければダイヤの粉末を加え、粉末が多く固ければオイルを継ぎ足す。

 そうやって理想の配合を目刺した。


 灰色のクリームが出来上がると、今度は革のベルトを貼った台座に立ち。

 坂道のように角度がついた平たいベルトに、私は配合したペーストをヘラで塗りつけていく。

 ある程度、ペーストが広がるとスリ鉢を脇に置いて、王子の心の宝石を取りに行く。


 穢れた宝石を持ち平たいベルトの前に構えて、黒い宝石をベルトに押し当てて、泥のようなペーストの上で滑らせる。

 上から下へ流しては繰り返し続けた。


 どこぞの古代帝国の名を借りたこの技法は、"ムガールカット"と呼ばれている。


 オリーブオイルに混ぜられた粉末ダイヤが、宝石の表面を細かく、ゆっくりと削っていき仕上がりが良くなり、美しい輝きへと近づく。

 

 城へ出発する前に工房で、若い農夫の研魔作業も同じ技法を用意たが、なんら変わりなく作業ができる。

 以前居た城専属の職人は、かなり使いこんでいたらしく、初めて触れる物なのに私の手に馴染む。


 良い職人だったに違いない。

 自ら命を断つ決断をしたのは、とても残念だ。

 

 気付けば作業前は昼だった日差しは夕陽に変わり、紅葉色の明かりが工房を染める。


 私は手を止めて黒い宝石を高らかに掲げ、出来映えを確認。

 黒い表面が脱皮するように剥がれていき、隠れていた宝石の輝きが強さを増す。

 穢れが全て削ぎ落とされると、心の宝石は太陽のような光を放った。


 ――――綺麗いいじゃねぇか。


##


 研魔作業が終わり王座の間へ戻ると、四六時中、不機嫌だった王子へ歩みより、磨いたばかりの宝石を掴み、その胸に押し当てる。


 主の元へ取り込まれる時に輝きを増す心の宝石は、いつ見ても愛おしく思える。


 宝石の帰属が終わると玉座から離れ、様子を見守る。

 王子は自分の胸を探り、何か違いがないか確かめる。

 側で不安そうに身守もっていた宰相が王子へ聞く。


「王子……いかがですか?」


 王子は火柱のように起立し一歩出た。

 急に立ち上がるものだから、側近達は思わずたじろぐ。

 若き王は演劇の舞台に立つ主役のように声を張り語る。


は生まれ変わったようだ。こんなにも清々し気分になるとは、誠に嬉しいぞ」


 大広間から歓喜の声が溢れ、私は一仕事終えたことに満足し、王子へ一礼すると背を向ける。


 この後は別室で金庫番から報酬を受け取り、どこか町の宿で一泊してから、再び恐竜便にゆられ、日射しに身を焦がしながら家に帰ろう。

 また道中、釜茹でのような熱さを経験するのかと思うと、憂鬱になるが致し方ない。

 夜は暗闇で視界が悪く町から町を繋ぐ馬、恐竜、怪鳥、どの便も出ていない上に、血に飢えた盗賊達が目を光らせている。


 せっかく城下町まで来たんだ。

 観光気分で気長に帰るとしよう。


 私の考えが明後日の方向へ歩んでいるのは、油断意外の何物でもなかった。


 大広間の大臣達がどよめくと、城内の空気が一変。

 そして私の全身を覆うウロコが、急激に変化する風の流れを察した。

 

 私は振り向き玉座の方へ向き直ると、腕を伸ばす。


 刹那に掴んだのは、まだ放たれて勢いが衰えない矢じり。


 鋭く尖った矢の先端は左右に揺れ、まだ死んでいない。

 それは獲物目掛けて全速力で突き進む、サメのように見えた。

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