第6話 神が与えた国

 あ、危なかった。

 間一髪とはこのことか。

 拳一つ分、矢を掴むのが遅ければ、私の魚眼を貫いていた。


 矢が完全に死ぬと私は視線を、その先へ向ける。

 玉座に王子の姿はなく、その身は玉座から五歩離れた置物の甲冑にあった。

 王子の片手には弓が握られ、その構えから間違いなく王子自身が矢を放ったのがわかった。


 推察するに彼は自らの足で甲冑に歩み寄り、飾りとして置いてある弓矢を取って、こちらへ殺意の矢を向けたのだ。


 一国のあるじだと思い邪念を隅に置いていたが、この鼻垂れ小僧、どういうつもりだ?


 矢を放った後の王子は不適な笑みを見せていたが、思い描いていた残酷なショーが見れないと悟ると、表情を歪ませ弓を床へ叩き付ける。

 次の行動も度しがたいもので、置物の甲冑が腰に携えた剣を掴みさやから抜くと、中段の構えのまま向かって来る。


 魚人と人間では力の差が元から違う。

 制圧は決して難しいことではないが、相手はこの国を統べる王子。

 抵抗を示せばこの国の法にのっとり、最悪、死刑だ。


 私の判断がつかぬまま狂気に満ちた王子が剣を振り上げた――――しかし、それは二本の交差した槍によって阻まれる。


 王子の両脇に並んだ二人の守衛が、槍の先を逆さにして王子の胴体へ押しあて、乱心を止める。


 宰相が慌てて王子をなだめた。


「お、王子!? おやめください! これ以上の背信はなりませぬ」


 守衛に押さえられた王子は、魚人である私へ敵意を剥き出しにして、吠えるように言った。


「背信だと? 背信は人を真似るこの悪魔だ!! この世は神が愛する人間の為にお与えになった場所なのだ! 人こそ優れた種族。それ以外は隷属する俗物にすぎぬ。ましてや、人の言葉を語り人と同じ恩恵を求めるこの魚人は、悪魔以外の何者でもない」


 こんな差別主義者が統治する国に住んでいる自分を、今、初めて呪った。


「余はこの国を統べる王だ!! 神が与えた世界を守る責務がある。余は神の代行者、我こそがこの国に住む人種を選定せねばならなぬのだ!!」


 性根が腐ってやがる!


「余の心は余のあるがまま! 誰にも触させはせぬ!!」


 混乱に乗じて宰相は私のローブをひっ掴んで広間から連れ出す。

 廊下へ出ると扉は閉じられ、暴れ回る少年の姿を隠した。

 宰相は厳しく問いただす。


「恫喝のダーケストよ。これはどういうことだ!? 王子は何も変わっておらぬではないか!」


「宰相も見たでしょう? 研魔作業は成功です。私も何がどうなっているのか……」


「言い訳など聞かん! 国で指折りの職人と聞いていたが、どうやら噂は眉唾だったようだな」


 聞き捨てならん言葉に、この老体の胸ぐらを掴んで恫喝してやろうかと頭によぎるが、事態を呑み込むので頭がいっぱいだ。

 宰相は吐き捨てるように言った。


「この依頼は失敗だ。すぐに城から立ち去れ」


「何? まだ失敗かどうかは……」


「城から出ていけぇ!!」


 宰相は扉を開けて王座の間へ戻ると、ドアを勢いよく閉める。


 私は騒ぎのどさくさで持ち出した矢じりに視線を落し、掴んだ矢を強く握り、くの字に折った。


##


 私は今、三日月を背に城の壁をよじ登っている。

 フードを被って出来る限り夜の闇に紛れようと努めた。

 こういう時に魚人の特性は便利だ。

 手と足の爪を鋭く伸ばし、石の壁へ深く突き刺して体を上へ上へと押し上げて行く。


 足元を巡回中の警備兵が来たら、えぐった壁の塵が落ちないよう動きと呼吸を止める。


 警備兵が立ち去るのを遠目に確認すると、再び壁をよじ登る。


 なげかわしい。

 何が悲しくて、こんなコソ泥みたいに城へ侵入せねばならんのだ?


 しかし、仕事の不届きを責められ城を追い出された以上、正門から堂々と入ることは叶わぬ。

 別に、この依頼が相場の三倍だから固執するわけではない。

 自分が中途半端に残した仕事を、そのままにするのは気持ち悪い。

 職人ってのは本当に始末に終えん。

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