チートがなくても幸せだった(プロトタイプ版)

東雲るぅ

はじまり、おわり


 小さい頃、俺は物語の主人公に憧れていた。

 特別な力や才能を持ち、みんなから賞賛を浴びるような、そんな特別な人間になりたかった。


 だが、悲しいことに、俺は才能がなかった。

 色んな夢を抱いたが、何一つ叶うことなく、結局すべて諦めてしまったのだ。

 そうして年を取って、身も心も動かなくなった俺は何も成すことなくこの世を去った。


 それが俺の人生。

 不満と不幸せに満ちた人生だった。


 ところがどっこい。どこぞの神様が俺に慈悲を与えてくれたみたいだ。

 暗い淵から引き上げられるような感覚を味わい、意識を取り戻すと、俺は赤ん坊になっていた。


 俗に言う異世界転生というやつだった。

 俺は、剣と魔術の異世界に転生したのだ。


 その事実を理解した瞬間、胸が震えた。

 だってこの世界なら、なれるかもしれないじゃないか。


 特別な人間。

 主人公みたいな存在に。


 もしそんな風になれたなら、きっと自分は幸せになれるはずだ。



 ☆☆☆



 俺は、商人の家の一人息子に生まれた。

 両親は王国の首都に商店を構えており、そこで日々商いを営んでいる。

 我が家は、貴族のように羽振りが良いとは言えないが、一般市民の中で比較的裕福だと言えるだろう。


 つくづく自分は幸運だと思う。

 もし奴隷の子として生まれていたら、想像するだけで背筋に寒気が走る。

 人としての自由も幸せも望めない生活だなんて、とてもじゃないが恐ろしくてたまらない。


 温室のような環境でぬくぬくと育ち、6歳になった俺は、さっそく将来を見据えて準備し始めた。


 まずはトレーニングだ。

 体こそ資本。健全な肉体に健全な精神が宿るのだ。


 そして次に重要なのは、勉強。

 知識を蓄え、世界について理解を深めるのが重要なのだ。


 ある日、偶然、家の書庫で埃を被った魔導書を見つけた。

 ページをめくると、大学で学ぶ数学の公式みたいに複雑な魔術式の数々。

 全く理解ができなかったが、興奮しきった俺の手はページをめくり続けた。


 そして、思った。

 魔術の練習をしよう、と。

 カッコいい魔術を繰り出す自身の姿を想像しただけで、胸が躍った。


 それからというもの、辞典のように分厚い魔導書とにらめっこする毎日を送った。

 昼は体を鍛え、夜になると魔導書を読み進めていく。


 こういった努力の積み重ねが、将来大物になれる土台を作る。

 俺はそう信じてやまなかった。




 それから2年が経ち、俺は8歳になった。


 ある日、隣に引っ越して来た住民が挨拶しにわが家を訪れた。

 彼らは、父、母、娘の3人家族だった。


「わたし、ルキナ。よろしくね!」


 娘──ルキナは俺と同い年。

 だが、そんなことよりも俺を驚嘆させたのは、彼女の背丈だった。

 俺よりも、一回り大きかった! 


 実を言うと、前世の俺は、身長160センチしかないチビ男だった。

 だから身長に関しては、どうしても敏感にならざるを得ないのだ。


 その莫大な身長差は、俺の身長コンプレックスを刺激した。

 毎日、健康的な食事と運動、きっかり早寝早起き、さらには「身長180センチ超えますように」と毎晩祈りをささげているというのに! 

 しかし、このやるせない気持ちを他人にぶつけるのはもっての他だ。

 この鬱屈した感情を糧にトレーニングに励み、より高みを目指すしかない! 


 それからというもの、俺はより一層、トレーニングに打ち込み、魔術本を読み耽った。

 そして。ついには初級魔術を扱うことができるようになった。


「ねえ、ひとりでなにしてるの?」


 いつものようにトレーニングしていると、物陰からルキナが現れた。


「なにって、体を鍛えてるんだよ」

「いつも1人でさびしくないの?」


 ルキナの言葉は、ぐさりと自分の胸に刺さった。

 確かに、俺はいつも1人でいる。

 そのことを改めて思い知らされて、やっぱり悲しい。


「別に、友達なんていらない! 筋肉と魔術だけが俺の友達なんだ!」


 俺は動揺を隠すかのように、声を張り上げた。

 そうだ、友達なんて必要ない。

 だって、自分と同じ年のガキはまだ未熟だし、相手をするのは苦労する。きっとそうに違いない。


「そうなんだ……。私はとってもうらやましいと思うな」

「なんでさ、俺みたいにぼっちのどこが羨ましいってんだ?」


 ルキナの表情を見て、彼女はけっして皮肉をこめて言っているのではないことに気が付いた。

 彼女の純粋無垢な瞳には、尊敬の念がこもっていたのだ。


「ひとりだったら、私はものすごく寂しいの」

「お前……」


 そういえば、時折こいつを見かけることがあるが、たいてい1人だった。

 そして必ずと言っていいほどに寂しげな表情を浮かべていたのだ。


「よし、やめだ」

「え?」


「今日のトレーニングはここまで。今から俺は休養する」


「おい、お前、ヒマなんだろ。俺と遊びに付き合ってくれよ」

「うん!!」



 そうして、俺とルキナは友達になった。

 2度目の人生で、はじめての友達だった。





 ☆☆☆




 それからというもの、ルキナとは頻繁に遊ぶようになった。


 時には迷いそうな彼女の手を引っ張ってやったり、転んで泣く彼女をあやしたり、いつしか俺にとって、ルキナは年が離れた妹のような存在になっていった。

 ルキナと接していると、自分が必要とされていると感じて、守ってやりたいと強く思うようになった。


 庭の木の根元に座って、魔導書を読んでいると、俺の姿を見かけたルキナが駆け寄って来た。


「ねえ、その本なに?」

「ああ、これは魔導書だよ」

「えー! すごい。これ全部読めるの?」

「別に、そんなたいしたことじゃ……」


 ルキナはなにかにつけて褒めてくる。

 お世辞ではないかと疑う反面、照れくさくて、どう答えればいいのか分からなくなる。

 ありがとうの一言もかけてやれない、自分の不器用さにあきれるばかりだ。


「もしかして魔術使えるの?」

「ああ、初級魔術なら」

「じゃあ、見せて!!」


 詠唱し、手からボッと小さな炎を生み出す。


「うわあ! これって本当に使えるんだ。これってどんな魔術」

「火属性の初級魔術『ファイア』ってやつだ」


 それからも、ルキナはしきりに魔術について尋ねて来た。

 俺が返答すると、ルキナはつぎつぎと質問を投げかけて来る。

 そうしているうちに、俺は熱が入り、ひとりでに語り出した。


「今この魔術を練習している」とか、「ここでつまずいている」とか、ルキナの反応をうかがうことなく、ただただ吐き出すように夢中で語り続ける。


 楽しかった。自分の好きなことを誰かに話すなんて、滅多にないからだ。

 気が付くと、日が暮れ、辺り一面は暗くなっていた。


「すまん、ルキナ。長々と喋っていて、お前のことを考えていなかった」

「ううん。いいよ」


 沈みゆく夕日を眺めながら、俺は静かに呟いた。


「俺、夢があるんだ」


 ルキナは視線は、ずっと俺を貫いている。


「魔術師になりたい。バカな夢かもしれないけど、みんなが憧れるようなかっこいい魔術師になりたいんだ」


 俺はなりたかった。

 尊敬されて、認められて、自分を肯定できる。そんな人間になりたかった。


「ルキナは、将来何になりたい?」

「うーん、分からないや」

「そっか」


「けど、今やりたいことが見つかったの」




「私に魔術を教えてくれない?」





 ☆☆☆



 次の日から、俺はルキナに魔術を教え始めた。

 ルキナには才能がある。


 俺の指導が分かりやすかったのか、はたまたルキナの理解力が高いのかは分からないが、半年もたたずに、彼女は初級魔術を習得してしまった。

 感覚派というやつなのか。

 自分のなんとなくの直感を当てにして、うまくいってしまう。

 ルキナはそういう奴だった。


 いつものようにとレーニングしていたある日、ふと思った。

 魔術を学ぶなら、もっと良い環境に身を置くべきだと。

 だが、どこにそんな場所があるのだろうか。


 すると、悩んでいた俺を見兼ねた両親が、こう提案した。


「そんなに勉強熱心なら、魔術学校に入学すればいい」


 両親の提案は、魅力的だった。

 魔術学校は、王都の南西にある城塞都市に位置し、幾多の優秀な魔術師を輩出した名門校だ。

 13歳になり、受験資格を得た多くの少年少女がその門をたたく。


 魔術の研鑽する上で、魔術学校ほど学ぶ環境が充実したところは、そうそうない。


 今は、9歳。

 13歳まで、たっぷり4年間ある。

 俺はルキナと共に、魔術学校入学を目指し、受験勉強を始めた。


 受験勉強を始めて、分かったことだが、ルキナは勉強は苦手だった。

 魔導書の文字の羅列を視界に入れるだけで気が滅入ってしまうらしい。


「えー、勉強ばっかり嫌だよー、休憩しようよ休憩」

「なにいってんだ。まだ初めて10分も経ってないだろ。このままじゃロクに勉強も捗らねえだろ」


 まあ、9歳の子供だし、勉強に対して苦手意識があるのはしょうがないと思う。

 けれども、このまま勉強をおざなりすれば、間違いなくルキナは落ちるだろう。


「お前、本気で受かる気あるのか? 実は考えなしでなんとなくやっている、ってわけじゃないだろうな」

「ちがう、ちがう! 分かった、分かったよ。私、30分頑張るから!」

「……1時間だ」

「やだ──!!」


 しかし、ルキナとの勉強は意外と楽しかった。

 それに学んだ知識を教えれば、記憶に定着しやすくなる。ほら、なんだっけ、ラーニングピラミッドってやつ。


 次の日も、その次の日も、毎日のように俺達は受験勉強に明け暮れた。

 春が過ぎて、夏が訪れる。秋がやってきて、冬を超えていく。それから再び春が訪れた。

 季節が移ろい、俺とルキナの体は大きくなっていった。

 10歳、11歳、12歳、あっという間に時は流れていく。


 そしてついに、俺達は13歳になり、2度目の人生初である受験当日を迎えた。


「まあ、わたしたちなら余裕っしょ」

「お前、そう言っている奴が真っ先に落ちるんだぜ。試験あるあるだからな、コレ」

「って口酸っぱく言っている人が一番ヤバいらしいよ」

「それどこ情報?」


 俺達は、軽口をたたき合いながら、試験会場に入る。

 試験会場はピリピリした雰囲気に包まれている。

 多くの受験生は緊張した面持ちだった。集中しているあまり殺気立った目をしている者、徹夜明けなのか眠たそうな顔をした者もいる。


 そんな中で和気あいあいと会話を繰り広げる俺達は、良くも悪くも目立っていた。


 俺は改めて、ルキナに視線を送る。

 ルキナの容姿はよく目立つ。

 端正な顔立ちだというのも要因の一つなのだが、なによりルキナは非常に高身長だった。

 おそらく160センチはあるだろうか。

 平均的な13歳の男子の身長よりも随分高い。


 それに引き換え、俺はチビだった。

 平均よりも頭一個分くらいチビなのだ。

 前世もチビだったが、今世もだ。


 飛び抜けて高身長のルキナと並ぶと、自分の低身長がより強調され、やはり身長コンプレックスが刺激されてしまうのだ。


 かつて俺は戦慄し、この呪われし呪縛から逃れようと躍起になった。

 睡眠、食事、運動、そして毎晩かかさず祈りを捧げ、必死に願った。

 しかし特に効果は現れず、このままでは前世同様チビコース一直線である。

 俺は神を深く呪った。


 一体、俺が何をしたのだというのか。前世で罪を犯したってわけじゃないのに。


 そうやってネガティブな感情に支配されているうちに、試験開始のベルが鳴る。

 すぐさま俺は、思考を切り替えて、解答用紙にペンを走らせた。


 ペーパーテストが終わり、試験は実習科目に移った。

 不思議と緊張感はなかった。

 審査員の前で、いつもの平常運転で魔術を放ち、試験を終える。


 なんだか、思ったよりもあっさり終わった。

 前日は、予期せぬトラブルが起きるのでは? とネガティブな想像を働かせていたが、当日になってみると拍子抜けである。



 試験の結果は、数日後に発表された。


「やった!! 、ねえねえ見てよ。私受かったよ!」

「ああ、おめでとう」


 掲示板に張り出された合格者名簿には、ルキナ、そして俺の名前が載ってあった。


「ッッ!! よっしゃあ──!!」


 恥も外見もかなぐり捨て、俺は勢いよく叫んだ。

 ひとまず最初の難所を乗り越えることができた。今はただこの喜びを嚙みしめたい、分かち合いたい。



 ☆☆☆



 合格発表の後、驚くべき事実を知らされた。

 今年度の主席合格者は、俺だったのだ。


 実技、ペーパーテスト共に満点を叩きだしていたそうだ。

 だが、その結果はある意味では当然のことなのかもしれない。

 俺が今回の試験を受けると言う事は、例えるなら、中学生が受ける試験を大の大人が真剣に取り組むようなものである。


 中身が大人の自分は、ズルしているといっても過言ではない。


 だが、そんなうしろめたい気持ちはすぐに掻き消えた。

 合格の報告を受けた両親は、嬉しさのあまり目に涙を浮かべ、俺を抱きしめた。

 そんな2人に「大袈裟だなぁ」と思ったりしたが、それ以上にこの2人の期待に応えることが出来て、嬉しかったのだ。



 それから数か月経った。

 降り積もった雪は解け、日差しは強まり、春の訪れを予感させる日だった。


 入学式を終え、晴れてこの魔術学校の新入生となった俺達は、各々が振り分けられた教室へと向かう。

 俺とルキナは、残念なことに同じクラスではなかった。

 この決定に、ルキナはぶーぶーと文句を垂れていたが、やがて不服ながら渋々納得していた。


 ルキナと別れたあと、俺は教室に足を踏み入れ、指定されていた席に座る。


 その瞬間、俺は不思議な感覚に襲われた。

 懐かしさと、不安と緊張、未来への期待。

 まるで子供の頃に戻ったようだった。


 しばらく固まっていると、隣の席に座っていた少年が話しかけて来た。


「ふーん、君が主席合格者?」

「ん、そうだけど」


 そいつの印象をたった一言で表すなら、チャラ男だった。

 派手な金髪、派手なピアス、さらには飄々とした雰囲気を漂わせている。

 要約すると、モテそうなチャラチャラ系イケメンだった。


 うわぁ、どこの世界にもチャラ男はいるのね。

 顔しかめながら俺は、腹の底でそう呟いた。


「ん? どうしたんだ苦しそうな表情を浮かべて。どっか体調悪いのか?」

「いや……、ああ、うん、睡眠不足かも」


 適当に言い訳を並べて、ごまかす。

 前世から、俺はこういうタイプの人間に対して、苦手意識を持っていた。

 決して嫌いというわけではないのだが、よそよそしくなってしまうのだ。


「そうか、ヤバくなったらオレに声かけてくれ。そんときは医務室に連れてってやるよ」


 いや待て。こいつめっちゃいい奴じゃね? 

 よく考えたら、偏見が入り混じった色眼鏡を通して、こいつのことを見ていた。


「オレはアルバート、よろしくな」

「ああ、ありがとう。よろしく」


 やっぱり、人を第一印象で判断するのはダメだな。


「そっか睡眠不足なのか。実は俺も昨日、一晩中女と遊んだからさ、一睡もしてねんだわ」


 前言撤回、やっぱこいつ苦手だわ。




 そのあと、午前のカリキュラムは終了し、昼休憩の時間がおとずれる。

 俺は昼食を摂るため、食堂へ足を運んだ。


 その道中、渡り廊下を歩いていると、ルキナの姿を見かけた。

 声をかけようと思ったが、ルキナの隣にいる人物を見て、思わず俺は固まってしまった。


 そこにいたのは、あのチャラ男、アルバートであった。

 アルバートは、なにやらルキナに熱心に話しかけている。

 あの2人、実は知り合いだったのか? 


「お! ○○じゃん。もしかして食堂行くとこ?」


 俺に気が付いたルキナが、話しかけて来た。


「あれ、ルキナ、アルバートと知り合いなのか?」

「え、いや違うけど。なんかさっき急に話しかけてきて」


 俺が視線を向けると、アルバートはやけに慌てた様子を見せた。

 その挙動不審な態度ですぐに察する。


 もしかしてこいつ、ルキナを口説いていたのか。


 すかさず俺は、アルバートの肩に手を回し、顔近づけて耳打ちする。


「おい、ルキナを口説こうとしてたのか。このチャラ男」

「もしかして、アンタの彼女?」

「ただの幼馴染ってだけ。で、どうなんだよ」

「まあ、うん。ちょっと狙ってたっていうか。人様の女に手出そうとしてすまんかった」

「いや、だから彼女じゃねえって」


 ヒソヒソ言い合っている俺とアルバートに、ルキナは訝し気な視線を送る。


「さっきから、2人とも何話してるの?」

「「なんでもない!」」

「うーん、怪しいな」


 それから俺達3人で仲良くランチを摂った。

 これを機に、俺はアルバートと親しくなった。




 午後の授業が終わった。

 教室を出て、寮の自室へ向かう。


 魔術学校の学徒の大半が、寮生活である。

 故郷から飛び出して来た俺とルキナも寮暮らしであった。


 寮でも、自分のルーティーンは変わらない。

 早朝に体を鍛え、夜が更けると勉強する。


 まさか自分が主席合格者だったとは、想像さえしていなかった。

 だからといって、胡坐をかく理由にはならない。


 不断の努力。

 それこそが夢の達成には必須。

 そう、みんなから憧れの目を向けられる偉大な魔術師──特別な人間になるんだ。

 そのためには、どんな苦労だって惜しまない。




 ☆☆☆




 春は過ぎ、じめじめした梅雨の時期になった。

 始めは不慣れさを感じていた学校生活も、その頃にはすっかり慣れていた。


 俺、ルキナ、アルバートの3人は、今度の定期試験に向けての勉強会を行っていた。

 しかし、俺は悩みに悩み抜いていた。

 ルキナとアルバートは手に負えない問題児だったからだ。


「もう勉強って、ほんとめんどくさい! ○○、休憩しようよー!」

「はぁ、酒飲みてえな」


 まず最初の30分も経たずに、ルキナは集中を切らし、サボりはじめる。

 加えてアルバートは勉強しに来たくせに、テキストには全く手を付けず「酒飲みたい、ナンパしたい」だと洩らし、一向にやる気を見せない。


 いや酒飲みたいって、お前13歳のくせに何言ってんだとツッコミたくなる。


「お前ら、ちゃんと勉強しろよ」

「えー、だって、やる気でないんだもの。仕方なくない?」


 ねー、とルキナとアルバートは顔を見合わせて言う。

 お前ら、留年になってもこっちは知らんからな。


 しかし、いくら余裕をこいているアホ2人組だとはいえ、テスト数日前になると慌てふためていた。


「○○、ここ教えて! ほんとにヤバイ!!」

「オレにも教えてくれよ。今度かわいい姉ちゃん紹介すっからさあ」


「はぁ、しょうがないなあ」


 そのあと、3人でみっちり勉強した。


 主席合格した俺は、良くも悪くも注目されている。

 教師陣から向けられる期待のまなざし、他生徒からの妬み嫉み。

 そういったプレッシャーをはねのけて、「主席合格」という今の肩書を維持するのはしんどい。


 俺は天才じゃない。

 人生一周分の経験値を持った、何の才能のもない凡人。


 それでも、足りないだけ努力で埋め合わせていくしかない。


 きっと、努力は報われる。

 主席合格したのだって、必死こいて勉強したおかげでもある。

 自分がどうするべきか、そんなの最初から決まりきっている。



 定期試験が終わり、成績表が廊下に張り出される。

 俺の順位は、学力、実技ともに1位という結果に収まっていた。

 胸をなでおろし、ホッと息をつく。

 そういえば、あいつらはどうなったのだろうか。まさか本当に成績不振だったりしてな。


 ルキナととアルバートの順位を見つけるため、成績表に目を凝らす。

 やがて、2人の名前を探し当てた。

 ルキナは実技が2位、学力はドベというかなり偏った成績。

 対してアルバートは、実技、学力ともに落第寸前。かなりの崖っぷちであった。



 教室に戻った後、俺は、隣の席に座っているアルバートに話しかけた。


「アルバート、夜遊びしてるヒマなんかあったら、勉強とトレーニングを欠かすなよ。このままじゃヤバいぞ」

「……わかってんだよ。そんくらい」

「じゃあなんで遊び呆けるんだ」


 いつもは陽気でヘラヘラしているのに、今日は真面目腐った態度だった。

 さすがに自身が窮地に陥っているということは、理解しているみたいだ。


「なんつーか、言い訳のように聞こえるかもしれないけど。オレ努力ができねえんだわ」

「うん、明らかに言い訳だわ、それ」


 少し言い過ぎかもしれないと思ったが、これくらいガツンと言わないと、この怠け者を動かすことはできないだろう。


「○○みたいになれたらなぁ」


 アルバートは虚空を見つめ、ぼんやりした様子でつぶやいていた。


「俺みたいにって、なんでだ?」

「そりゃあ、○○みたいに才能もあって、努力も苦に感じない奴なら、人生楽そうだなって」

「何言ってんだ。『人生楽そうって』、まさにお前みたいなテキトー人間を象徴するような言葉じゃないか」

「オレだって、たくさん苦労するんだぜ。この前なんて『アンタみたいなガキはイヤよ!』ってフラれたしな」


 アルバートは軽口を叩くが、普段より気落ちしている。

 俺はどうにか励まそうと、脳内で必死に言葉をこねくり回した。

 すると、ふっとある言葉が頭に降って来た。


「アルバートってさ、将来何になりたい?」

「んー、正直言うと、なんも決めてない。魔術師になれば喰いっぱぐれることはないだろうなって思ってさ」

「ああなるほど。多分、やる気が出ないのは、動機がないからじゃないか?」

「動機?」


 そうだ。モチベーションを保ち続けるには、明確な目的意識がないと長くは続かない。


「俺は夢があるから、目指したいところがあるから、だからやる気が溢れて来るんだと思う」


 特別な人間になりたかった。

 普通の退屈な人生を送るなんて、まっぴらごめんだった。

 だから、努力し続けて来た。


「じゃあ、どうやればやる気出せるんだよ」

「……そうだな」


 虚空を見つめ、思索をめぐらす。


「例えば、かわいい女の子にモテたい……とか」


 その言葉を耳にしたアルバートは、驚いたように目を見開き、次に瞬間、ブッと吹き出した。


「そんな目的でもいいのか? とても優等生クンが言う言葉じゃないぜ」

「アルバートは、その……色んな女の子と遊びたいんだろ。なら、その欲望を叶えるための手段として考えれば、やる気は湧いてくるんじゃないか?」


 ほら、あれだ。モテたから仕事頑張るっていう人も居るじゃないか。動機は不純でも、結果に繋がればそれでいいのだ。


「そうか、なるほど……。なんだかやる気が出てきたぞ」


 うまくアルバートのやる気を引き出すことに、成功したっぽい。

 3日坊主で終わらなければいいんだけど。




 ☆☆☆





 湿気の多い梅雨が過ぎ、季節は夏に入ろうとしていた。

 学期末には試験が行われるため、生徒たちは勉学に励んでいた。


 もちろん、俺達3人はいつものように勉強会を開いた。

 俺は内心、「今回はちゃんと勉強してくれ」と願っていた。

 その必死の懇願を、神様が叶えてくれたのかもしれない。


 前回、やる気を見せなかったアルバートが、真剣に取り組んでいた。

 それに触発されたのか、ルキナも投げ出さずにテキストを手放さないでいる。

 勉強は順調に捗り、テスト当日を迎えた。


「ふぅ、なんとか無事に済んだな」


 成績表を確認し、息を吐く。

 俺は1位をキープ。

 ルキナは、前回同様実技2位。だがテストの順位は大きく伸びている。

 そしてアルバート。

 彼の順位は、実技、テスト共に大幅に伸びている。前回ドベだったのが噓のようだ。


「まぁ、オレが本気だせばこんなもんよ」


 いつもの調子の戻ったアルバートは、相変わらず軽口を叩き始めていた。

 その姿を見て、俺はどこか安心感を覚えた。


 そこでようやく、自覚したんだ。

 俺は、こいつが元気になってくれて嬉しんだってことに。



 ☆☆☆



 学期末の試験が終わると、長期休暇がやってくる。

 ようは夏休みである。


 ひゃっほ──-い!! やったぜ! 

 嬉しさのあまり、俺は踊り狂いそうになった。

 このはち切れんばかりの気分、学生のとき以来だった。


 休暇中、実家へ帰省する生徒は多い。

 アルバートも荷物を背負って、帰ってしまった。

 俺とルキナも故郷に帰ることにした。


 ガタゴトと馬車に揺れらながら、数日かけて、ようやく王都に到着する。

 しばらくルキナと大通りを歩き、やがて懐かしい我が家に辿り着いた。


「おかえりなさい、○○」


 玄関に足を踏み入れると、両親が温かく迎え入れてくれた。

 食卓に座り、母が作ったシチューで腹を満たす。

 土産話をし、食卓は暖かくなる。自分のホームに戻ってきたことで、今まであった無意識の緊張がほぐれていった。


 日は沈み、すっかり辺りは夜に包まれていた。

 部屋の窓から外を眺めると、綺麗な星空が視界一杯に広がっている。

 涼しい夜風を浴びながら眺めよう。そう思い、俺は外に出ることした。


「「あ!」」


 どういう偶然だろう。

 ルキナとばったり遭遇してしまった。


「○○、なんでこんな夜遅くに外に?」

「それはこっちが聞きたいぐらいだ。夜遅くに女の子1人は危ないぞ」

「へーきへーき、こう見えても私の魔術、強いんで」

「それは1位の俺に勝ってからな言うんだな。2位ちゃん」

「なにが『2位ちゃん』だ、マウント取ってきて。このチビ優等生め!」

「やかましいっ、このデカ女め。身長、俺によこせ!」


 そうやってベラベラと喋りながら、俺達は歩きはじめた。

 どうして外に飛び出したのか、お互いわかり合っていた。


 ルキナも俺も、一面に広がる夜空に目を奪われたからだ。


「いつもはさ、気にも留めないけど、ふと眺めると、とってもキレイなんだよねー。夜空って」

「そうだな。都会で見る夜空よりもずっと綺麗だ」

「トカイ?」

「なんでもない、ただの独り言だよ」



 俺は、不意にある事を聞きたくなった。


「そういえばさ、ルキナ。お前将来、何になりたいんだ?」

「んー、仕事ねー。まだ考えたことないや」

「まあ、魔術師になれば、職にあぶれることはないだろうし、将来安泰だよな」


 ルキナは才能もあり、実技の成績がずば抜けて優れている。

 すなわち実用性が高い。将来的にその力を活用できる軍属に志願するかもしれない。


「ねえ、昔、○○こう言ってたよね。『みんな憧れるようなかっこいい魔術師』になりたいって」

「……なんだよいきなり。悪かったな、子供っぽい夢で」


 自分の夢がバカらしいとは重々承知している。

 恥ずかしいし、けなされたら傷つくから、あんまり自分の夢を他人に語りたくない。

 けど、ルキナにだけは嘘を付けなかった。


「いや、私はバカにしてるってわけじゃないよ」

「え、そうなのか」

「失礼ね。いくら私でも分別はちゃんとしてるわ」

「俺はてっきり『うわ~アホくさ~』とか言って煽ってくるものかと覚悟してたのに」


 意外だった。

 普段は、俺のことをチビ呼ばわりして、おちょくってくるくせに。


「正直言うと、内心小バカにしていたんじゃないか?」

「ふーん、さてどうでしょうね」

「なんだその含みを持たせた言い方は」


 その時、星空の中心で一筋の流星が流れた。

 美しい、幻想的なまでのきらめき。

 俺たちは、ただ釘付けになっていた。


「私は、子供っぽい夢でも良いと思う。夢は夢だからね」


 夜空を見上げるルキナの横顔は、綺麗だった。

 吸い寄せられそうな感覚に襲われる。


 いけない、いけない。13歳のガキンチョだぞ。

 恋愛感情を抱くなんて、アウトだ! 通報される! 

 俺はありったけの理性を働かせ、感情をシャットアウトする。


「じゃ、じゃあな。ルキナ、俺もう寝るわ」

「え、うん。バイバイ、○○」


 鳴り響く心臓の鼓動を隠すように、俺は走って家に帰った。


 そのあとの休暇中は、勉学、鍛錬、勉学、鍛錬漬けの毎日だった。

 暇だったし、空いた時間は有効に利用したかったからだ。


 そうして夏期休暇が終わり、学校生活が再開した。




 ☆☆☆




 時間というものは、楽しければ楽しいほど過ぎ去るのが早い。

 入学してから2年、あっという間だった。

 しかし魔術学校は4年制なので、まだ残り半分、あと2年ある。


 相変わらず、俺は成績トップを維持し続けていた。

 維持し続けているはずだった。



「あれ、○○。8位じゃん、一体どうしたのよ。今回調子悪かったの?」

「……うん、そうかも」

「もしかして、アルバートみたいに夜遊びしてんじゃないわよね。まあ、学校随一の優等生がそんなわけないか」


 3年になって、妙な違和感を覚えた。

 授業が難易度が急激に上昇したように感じたのだ。

 もちろん学年が上がるごとに扱う内容は、より高度で複雑になっていく。

 きっとそういうものだろう。そうやって無理やり自分に納得させた。


 だがいつしか、もやもやとした不安に襲われるようになった。

 俺はその不安を振り払うかのように、入念に試験勉強に取り組んだ。

 今回も1位だろう、そう確信していた。


 しかしその後、行われた試験の結果は8位だった。

 不安はより強まった。


 ルキナの言う通り、ただ調子が悪いだけなのかもしれない。

 しかし、自分の直感が告げていた。


 築き上げた砂上の楼閣はもうボロボロだということを。





 ☆☆☆





「○○、なんかマズいもんでも食ったのか? 最近調子悪そうだな」


 アルバートは、カラカラと笑って話しかけてくる。


「おいおい辛気臭い顔して、どうしたんだよ。こういう時はガス抜きが大事なんだよ。オレと一杯飲みにいこうぜ」



 学年末の試験の順位。

 前回の8位から、さらに転落して21位になった。


 おかしい。今回は、今までにないくらい真剣に取り組んだ。

 これ上ないほど本気だったのに。


 ある考えが、頭によぎる。


 周りが成長し、とうとう俺を追い越し始めたのでは? 


 俺は、前世の記憶と幼少期の勉強により、他よりも早くスタートダッシュした。

 言うなれば、フライングである。

 だが、周りが歳を重ね、成長すればするほど、突き放したその差はどんどん埋まっていくのは当然のこと。

 その恐るべき日が、ついに今到来したのかもしれない。


 いや、おそらく気のせいだ。そうに違いない。

 認めたくなかった。このままでは、やがて自分は追い抜かれ、そのまま置き去りされてしまうのだ。


 何も成し遂げられない。つまらない人生を歩んでしまう。


 切迫感に襲われた俺は、鬼気迫るような表情で魔術の研鑽、勉強に打ち込んだ。


「おーい、○○。今度一緒にカフェ行かない?」


 ごめん、ルキナ。今、忙しいんだ。


「〇〇よお、実は最近、隣のクラスの子、デートに誘ったけど逃げられちまったぜ。ハハハハ」


 そっか、アルバート。楽しそうだなあ。



 鮮やかだった日常が灰色に変色していく。

 人の声、始業のベル、廊下を歩く靴音、雑音が消える。どんどん自分が周囲から遠ざかっていく。


 クルクルと時計が回り、時間は進む。

 明日になるのが怖い。「時計の針よ、止まってくれ」、そう何度も願った。


 1日経てば、その分、周りの連中は成長していく。

 自分の努力よりも、あいつらの成長がずっと速い。


 かつては1度聞けば、授業の内容を把握できた。

 しかし今では、だんだんと難解に感じつつあり、テキストを見返して復習しなければ付いて行けない。


 俺は、寝る間も惜しんで部屋に籠って、孤独に勉強し続ける。

 もう以前のように、3人一緒に勉強することはなくなってしまった。




 ☆☆☆



 ──58位。



 どんどん下がっていく。

 積み上げたきたものに、ヒビが刻まれていく。


 頭が、痛い。

 なんだか疲れている。


「○○……」

「あれ、ルキナか」

「大丈夫? 真っ青な顔して。それにゲッソリしているし」


 そういえば、ここ最近、あんまり寝ていない。

 けど寝てるヒマがあったら、少しでも遅れを取り戻したい。




「おいおい○○、死人みたいな顔して大丈夫か? こういうときはな、うまい飯を食い、よく寝て、いいねーちゃんのケツ追いかける。やっぱ三大欲求を満たしてこそ、人間なんだぜ」

「そっか。俺、魔術の練習するから。……じゃあな」

「……」


 頭が痛い。

 一週間に半日ぐらいしか寝ていないせいなのかもしれない。

 やせ細っているのは、毎日食った飯を吐き出すからなのか。




 ☆☆☆




 ──258位。


 自分の名前と順位が、まるで追いやられたかの如く成績表の一番下に載っていた。

 それが結果だった。

 残酷だが、努力は表に出てこない。結果だけが人に見られる。


「神童も堕ちたものよねえ」


 誰かの声が耳にこだまする。

 耳から入った言葉は、鋭利に尖っていて、俺の胸をチクチクと刺す。


 怯え、怒り、悲しみ、色んな感情がごちゃまぜになって、爆発しそうだった。

 わき目も降らず俺は、廊下を全力で走り抜けた。


 視界の端に、ルキナとアルバートの姿がチラリと見える。

 2人ともこちらを呼び止めるような仕草を見せたが、俺は気づかないフリをして走り抜けた。

 情けなかった。

 こんな惨めったらしい今の自分を、2人に見せたくなかったのだ。


 授業をほっぽりだして自室に逃げ、どうにか気を鎮めるため、ベッドに潜りこむ。

 潜り込んだ瞬間、強烈な眠気に襲われた。

 そう言えば、ここ最近、ずっと勉強ばかりで一睡もしていなかった。


 寝てしまいたい。

 けれども、ここで寝たら、時間が進んでしまう。

 取り返しがつかないほどに追い抜かれてしまう。


 しかし眠気に逆らえなかった俺は、目を閉じて眠りについてしまった。




 目を覚ますと、太陽は沈み、窓からは月が顔を覗かせている。

 かなりの間、熟睡していたみたいだ。


「ああ、一刻も早く追いつかないと!」


 今、自分にあるのはそれだけだった。

 崩れていく足場に、振り落とされないように必死こいてしがみつこうとしている。


 俺は参考書を開いて、来週の授業の予習に取り掛かろうとした。

 が、自身の手はそこでピタリと止まる。


 参考書に記された、魔術の公式。

 自分には、文字の羅列としか認識できない。

 分からなかった。ただただ難しくて理解できなかった。


 今までこんなことなかったのに。一体なぜ? 


 答えは簡単。

 とうとう自分の限界がやって来たのだ。

 メッキがはがれて、本当の自分が露わになった。


「○○、居るのか」


 アルバートの声がする。

 扉越しからノックが響いた。


「頼むっ、来ないでくれ!」


 今の情けない自分を見られたくない。

 呆れられ、失望されたくなかった。

 嫌だ、嫌だ。俺を見ないでくれ。


 アルバートの呼び声がこだましつづけ、視界がぐわんぐわんと歪んで吐き気がする。

 力は出ず、手足はしびれて、凍り付くような寒気に襲ってくる。


 今までの無理が祟ったのだろう。体にガタが来たらしい。

 俺は意識を失ってしまった。




 ☆☆☆




 目を覚ますと、病室みたいな真っ白な部屋──保健室のベッドで横になっていた。


「あれ、なんでこんなところに……」



 ──重度の過労。


 意識を取り戻した俺に、養護教諭が症状を伝えた。

 あれから3日間昏倒していたらしい。


 なんてことだ。随分時間を浪費してしまった。

 どうにか起きようと奮闘するが、体は脱力しきっていて身動きがとれない。

 そんな俺の様子を見ていた養護教諭は「一週間は安静にしていなさい」と口酸っぱく諌めてくる。


 俺は焦燥に駆られた。

 1週間ものんびりしてられない。

 その間、周りからどんどん差を付けられてしまう。そうなれば巻き返すことはできなくなる。


 しかし焦る反面、もうどうでもいいという投げやりな気持ちが芽生えていた。

 自分の限界を知って、絶望していたのだ。



 放課後になると、ルキナとアルバートが見舞いに保健室へやってきた。

 俺は怖くなって、2人の顔を見ないように伏し目がちだった。


「よ、よお。2人とも。なんだか話すのも久しぶりな気がするな」


 不安のあまり、ぎこちない口調になってしまった。

 こいつらは、俺のことをどう思っているんだろうか。

 落ちぶれた俺の姿を、見下しているのだろうか。それとも憐れんでいるのだろうか。


「○○、心配してたのよ。ずっと眠ったままだし」

「それによお、最近はずっと部屋に籠りっぱなしだったから、気になって」


「え?」


 意外なことに、ルキナとアルバートは何食わぬ態度だった。

 腫物扱うような訳でもなく、いたって平常。


「何が『え?』よ。せっかく人が心配してるんだから、感謝の言葉1つぐらい言うもんよ」

「落ちぶれた俺を見て、なんとも思わないのか?」

「何言ってんの。そりゃあ成績下がって大変そうって感じだけど、落ちぶれてるとは思わないよ」


「……なんで」

「そもそも○○は、ずっと変わっていないじゃない」


 変わっていない? どこが? 


「いつも頑張ってるところ」

「あ」

「昔からそうだったでしょ。夢めがけて一直線、何一つブレてなくて、いつも遠くを見据えていて」


「今でもその目は変わっていなくて。あ! けど今充血してるね。目薬打っといた方がいいかも」

「うん、そっかルキナ。ありがとう。あとで目薬打っとく」


 今まで黙りこくっていたアルバートが、口を開く。


「○○、オレから1つ言っておくけど、お前と友達になったのは、お前が成績優秀だからじゃないんだぜ。お前のことを気に入ってるからだ」


 いつもふざけているアルバートが、真面目な口ぶりで話している。

 なんだか普段より5割増しでかっこよく感じる。

 この現象はあれだ。急に仲間想いになる劇場版ジャイアンを魅力的だと感じてしまうあの現象である。


「へー、本当の所、俺よりルキナのこと、気に入ってるんじゃない?」

「ッ!! 違う、違う。何ってるんだ。○○は疑り深いな」

「……冗談だよ、ありがとな」


 会話を交わすたび、だんだん元気が湧いてくる。

 改めて、2人と向き合って気づかされる。

 頼りになる存在はずっと前から居た。孤独ではなかったのだ。


「2人とも、お願いがあるんだけど」


 自分の力ではどうにもならないのなら、簡単なことだ。

 他人の力を借りればいい。


「俺に勉強、教えてくれ!」


 分からないなら、誰かに教えてもらう。

 どうしてこんな簡単な方法を思いつかなかったのだろう。


「なあんだ、そんなことかよ」

「○○の頼みだし、断れる訳ないよね」


 朗らかに笑っている2人を見ると、だんだん視界がぼやけてきた。


「おー、○○、泣いているぞ。どしたんどっか痛い?」

「え、大丈夫? っていうか私、○○が泣くところ初めて見たんだけど」


 うるさい。泣いたのは、お前らのせいだからな。

 こんのバカ共め! 



 ☆☆☆



 ルキナとアルバートに教えてもらうようになってからは、授業についていけるようになった。

 理解が難しい箇所も、懇切丁寧に説明してもらえれば、内容を呑み込めることができる。

 もちろん試験前には3人で勉強するようになった。



「○○、やったじゃねえか」

「ああ」


 そのかいあって、次の試験の成績は大きく上昇した。

 まあ順位はど真ん中ぐらいで大した成果ではないけれど。


 それに俺は成績が上がったことより、また3人で過ごすようになったのが嬉しかった。







 その日は珍しく、俺とアルバート2の人で昼食をとっていた。



「○○ってよお、ルキナのこと好きなのか?」

「ゴホッ!」


 口に含んでいたパンを、危うく喉に詰まらせるところだった。

 この男はいきなり何を言い出すのだろうか。

 やはりこのチャラ男、食えない男である。


「はぁ? 急になんだってそんなこと」

「だって、2人は幼馴染って言ってるじゃん。けどなんつーか傍から見ればカップルにしか見えねんだわ」

「付き合ってねえし、あいつに下心なんか抱いてない。恋愛感情ゼロ!」


 そのとき、記憶がフラッシュバックした。

 一面に広がる夜空、遥か彼方を見上げるルキナの横顔。

 恋愛感情ゼロは嘘である。少なくとも10ぐらいはあるに違いない。


「おいおい、正直に言っちゃいないよ。ルキナのことが好きだって」

「だー、もう違うって。ほんとしつこいって」

「ノンノン、分かってないな。恋愛とはアプローチの回数、すなわちしつこさが肝なんだよね」

「……いつか痛い目見るぞ、お前」


 さすが百戦錬磨の猛者だ。言動からして違う。


「で、どうなんだよ? 好きか嫌いかで言えば」

「……まあ、どっちかで言えば好きだけど」

「なら、きまりだ。お前、ルキナをデートに誘え」


 アルバートの口から飛び出たデートという単語により、一瞬、脳がフリーズする。


「デート? プリンとか食事後に食う……」

「それはデザート。とぼけんな」


 ボケて、話題を逸らそうとしたが、ツッコミによりすぐさま軌道修正されてしまう。


「はぁ、なんで。嫌だよ」

「気分転換だよ、気分転換。脇道にそれて英気を養うのも大切だぜ」


 アルバートの言い分をある意味、的を得ている。

 休息は大事だ。

 だがそれとこれは別、デートは関係ないではないか。


 いや、待て。そもそもデートだと考える必要はない。単純に友達として遊ぶ。そうすればいいだけのことではないか。

 交友関係のメンテを兼ねた休養だと思えばいい。




 ☆☆☆




 静まり返った夜道。

 俺とルキナは2人並んで歩いている。


「いやー、まさか○○からのお誘いなんて、なんだか珍しいわね」

「ずっと前、『カフェ行かないか』って誘ってくれただろ。その時の分だよ」

「あー、なるほど。そういえばそんなことあったような」


 週末、遊びに出かけないかと、ルキナを誘った。

 案の定、オーケーを貰い、今に至る。


 当初、学園付近の店に向かうつもりだったが、ルキナは関心がない様子だった。

「じゃあどこ行きたい」とたずねると、「夜、外を散歩しよう」と提案してきた。

 まあ、元々カフェとか酒場には興味ないし、散歩なら気分のリフレッシュにはとても良いと思ったので、ルキナの提案に乗った。


「ルキナに付いて行ってるけど、俺達どこに向かっているんだ?」

「見晴らしのいい場所。こうやってたまに外出して、星を見に行くの」

「天体観測、好きなのか?」

「うーん、天体観測というより、星が好きなんだよね」

「それってあんまり変わんなくね?」

「……確かに、まあそうかも」




「夜道ってさ、真っ暗じゃん」

「ああ」

「怖いじゃん」

「ん? そうなのか」


 怖いなら、なぜ夜更けに好き好んで外出するのか。


「そういうときね、昔の思い出とか頭に浮かべて、こわい気持ちから目をそらすの」




「私、ずっと○○が羨ましかったの」

「羨ましいってどこがだよ?」


「いつも目を輝かせて夢を見ているから。正直、妬んでいたの、『それだけまっすぐ生きられたら、人生楽しそう』ってね」


 なんだか、照れくさかった。

 こいつが正面きって褒めてくるなんて、想像だにしていなかった。

 それにルキナの本心を垣間見れた気がして、嬉しかった。


 そういえば暗い場所にいる人間は、本音を語りやすくなるらしい。

 前世で読んだ本で知った雑学だが。


「それは勘違いだ。夢なんか追っても、才能なけりゃあ苦しいだけだよ」


 それにルキナはまだ知らない。

 努力だけでは、夢を叶える土俵にさえ立つことができないということを。


「なにより、俺はもう夢を諦めたんだよ」


 己の限界を知って、絶望した。

 最初は期待に胸をふくらませ、明るい未来を夢想していた。

 異世界転生モノでよくある「主人公が天才」とか「才能なくても努力でなんとかなる」みたいに、自分もなれると思い込んでいた。


 本当はそう簡単にいかないって、薄々分かっていたはずなのに。


「俺は特別じゃなかった。だからこの人生はハズレだった。生きがいも楽しみも見いだせないこんな人生なんて……」


 言葉にすると、より実感できて辛い。

 自己否定の海に溺れてしまいそうだ。


 ──そうだ。こんな気持ち味わうくらいなら、人生なんて1回きりでよかったのに。


 ネガティブな感情に巻き取られ、深い底へとどんどん沈んでいく。

 まるで夜の闇が、自分の体に巻き付いて浸食していくみたいだ。


 そもそも人生に意味なんてあるのか。

 そこにあるのは、脳のドーパミンを受け取るだけの作業を永遠と繰り返すだけの生産性など皆無な日々。


 光も届かない暗い底で、思う。

 そうして、全部の可能性を閉ざそうとしていた。


「特別じゃなくて、何がいけないの?」


 光景を幻視した。

 底でへたばっている俺に向かって、手が差し伸べられる。そんな光景。


「私は自分が他の人より優れていても、いなくても気にしないよ」


 ルキナの言葉は、よどみなく耳に吸い込まれていく。


「だって、才能がなくても夢がなくても、私は私だから」


 ああ、ようやく分かった。どうして俺がこいつのことを好きなのか。


「君も同じ。○○は○○だよ。他の誰でもない。私の幼馴染は、この世でたった1人しかいないんだから」


 俺は、多分待っていたんだ。

 その言葉をかけてくれる誰かを。ずっと、待っていた。


「ほら、○○着いたよ。ほら見て。ついつい見とれちゃうでしょ?」


 開けた高台に辿り着くと、今まで木々で覆い隠されていた夜空が露わになる。

 とても雄大な景色だった。


「こうやって、綺麗な星空を見るだけで人生儲けもんだよ。きっと」

「確かに、悪くないかも」


 今、ここで想いを伝えたい衝動に駆られた。

 けれど、グッとこらえる。

 今はただ、この幸せな瞬間を噛み締めたかった。


 後日、アルバートが心底あきれた様子だった。


「えー、マジかよ○○。いい雰囲気だったんだろ、普通そこで告白するって。絶好のチャンスだったのに」

「やかましい、アルバート。俺は慎重派、リスクヘッジもしっかりしてるんだよ。速攻で手出してビンタ喰らうお前と違ってな」

「逆に言い換えりゃあ、○○。それってつまりチキンってことだよな」

「あー、うっせえ。とにかく俺は勉強するから。じゃあな」




 ☆☆☆




 それから数か月が経ち、卒業式を迎えた。

 式の当日は、もうこの校舎に戻ることはないという哀愁を感じ、4年間を振り返って感慨深く思っていた。


 だが俺には、まだやるべきことが残っている。

 人気のない場所にルキナを呼び出し、俺はベンチに座って待っていた。


「お待たせ、○○。用ってなに?」


 どんな用なのか、こいつは察していないのか? 

 いや、さすがにそこまで鈍感ではないだろう。

 ルキナを観察すると、頬が赤い。緊張している挙動を見せている。

 まあ、人のこと言えないけどな。


 バクバクと鳴る鼓動を気にせず、いきなりルキナに訊く。


「ルキナ、楽しかったか?」

「え?」

「学校生活」

「うん、そうね。思い返すとしんどいことだらけだったけど。まぁトータルで楽しいって感じ」


 俺はベンチから立ち上がり、ルキナの正面に移動する。


「正直言うと、最初は楽しかった」


 ルキナの顔を、静かに見つめる。


「そして次第に苦痛に変わっていった。自分の限界を突きつけられて絶望した」


 綺麗な瞳だった。その瞳に映る俺を、お前はどう思っている? 


「けどな、お前とアルバートに救われた」


 サンキュー、アルバート。お前の一押しがなかったら、俺は自分の気持ちを隠したままだったと思う。


「お前の言葉に救われたんだ。もう特別じゃなくていいって、今の自分でもいいんだって、ようやく受け入れられた気がした」


 自分は特別な人間でなければならない。その強迫観念を打ち破って見えた景色が、確かにあった。


「最近、新しい夢が出来たんだ」

「それって?」


 だから、もう迷いがなくなった。正直に伝えよう。


「お前と一緒になること」



「俺と付き合ってください」


 ルキナの目を大きく揺らいでいた。

 その感情は喜びか、それとも困惑か。

 次の瞬間、震えていた彼女の唇が動き始め、言葉を紡ぎだす。


「────-」





 ☆☆☆





 魔術学校を卒業してから、みんな別の道へ歩んだ。


 アルバートは旅に出るそうだ。

 各地を放浪し、見識を深めるのが目的らしい。


 まあ多分嘘だろう。どうせ「異国の女と遊びたい~」とか思っているに違いない。

 このチャラ男め! 


 対して俺は実家に帰り、両親の家業──商売を引き継ぐことにした。

 両親は、俺の選択をたいそう喜んでくれた。

 唯一の1人息子が魔術師を目指していたせいで、後継ぎに困っていたからだ。

 まあ成績スレスレで卒業した俺は、魔術師としては3流もいいところだし、仕方がない。


 当初、家業を継ぐことに不安があった。

 果たして自分には務まるのだろうか、と悩んでいた。

 しかし全くの杞憂だった。


 魔術の才能はからっきしのくせに、なぜか商才はそこそこあった。

 両親からもセンスがある、と褒められ、困惑するばかりだった。

 最初は地味だと思っていたこの仕事も、いざやってみると意外に自分とフィットする。

 俺にとって商人は、天職だったのかもしれない。


 そうして3年が経つころには、若手ながらある程度名が通る商人となっていた。

 そのころには俺はすっかりこの仕事を好きになっていた。



 そういえば、あいつについて言及するのを忘れていた。


「お疲れ、○○! ご飯できたから、先に食卓についててね」


 今、ルキナは俺の家で暮らしている。

 そう、俺達は同棲しているのだ。

 もちろん、あの日の告白の結果は言うまでもない。


「いただきます!」


 ルキナ──いや、未来の細君の飯をほおばりながら、感慨深くなる。

 そして、ついついおかわりしてしまう。


「ちょっ! 私の分も平らげちゃって、どんだけお腹空かせてるのよ」

「それだけ、お前の飯がうまいってことだよ」

「えへへ、うれしいな。って褒めてごまかそうとすんな!」


 時々どやされることはあるが、付き合って一度もケンカはなく、順調だ。

 俺は、とても幸せだ。




 ☆☆☆




 その日、俺はルキナを連れて、夜風を浴びに外へ出た。

 暗がりの中、遠くの家々に明かりがついている光景は幻想的だった。


「なんで、こんな夜更けに散歩? ちょっと急じゃない?」

「ほら、お前、天体観測が趣味だろ」

「……そうだけど」


 唐突な俺の誘いに、ルキナは驚いていたようだった。

 ここ最近は仕事であんまりデートできなかったからな。


 しばらく歩き続けると、展望台につき、夜の街並みを一望する。


「なあ、ルキナ。昔さ、こうやって夜の歩くことあったじゃん」

「そうね。確か2度ほどあったかな」


 1度目は、帰省して初めての夜。2度目は、高台から夜空を眺めたあの夜。

 まるで昨日の出来事のように、今でも鮮明に思い返すことができる。


「なんだか、自分が今でも子供だって、思うときがあるんだ」


 2度目の人生を送ったとしても、自分はいまだに未熟で、子供だった。


 特別になりたいとか、偉業を成し遂げたいとか。

 本当はただ認められたい、そういった子供染みた欲求の表れだった。

 ただ自分が存在してもいいって、誰かに肯定して欲しかっただけなのに。


「だからルキナ。俺のこと、これからも支えてくれないか?」


 そうやって遠回りしまくって、ようやく俺は大切な存在を見つけることができた。


「俺と結婚してください」


 ポケットに忍ばせていたジュエリーケースを取り出し、跪く。

 そして彼女の目の前でケースを開き、中に入っていたものを見せて言う。


 ルキナは、即答だった。

 俺は彼女の返事を聞き、薬指に指輪をはめた。

 そこで、ふと顔を上げると、彼女は涙をこぼしていた。


 俺は、ルキナの頬をそっと拭ってやった。




 ☆☆☆




 俺達は結婚した。

 式がとり行われ、親族や知り合い、商売仲間が押し寄せて来た。

 そのまま温かい雰囲気に包まれて、式は幕を閉じた。


 だが、1つ心残りがあった。

 それはアルバートが式に来なかったこと。


 仕方がなかった。

 アルバートは今でも旅を続けているか、所在を掴むことはできない。

 まあ、あいつのことだし、きっとピンピンしているだろう。


 けれども、俺とルキナはアルバートに会いたかった。




 結婚して2年が経ったころ、子供が生まれた。

 男の子だった。はじめて抱き上げたとき、なんてかわいいのだろうと思ったりもした。

 商売も軌道に乗り、子育ても順風満帆だった。




 息子が5歳になったある日、

 いつものように書斎で書類に目を通しながら、ハンコを押していた。

 少し休憩しようと外へ出ると、庭の片隅、木洩れ日なかで息子が何かの本を読んでいた。


 声を掛けようと近寄ってみると、息子の読んでいる本がくっきりと視認できた。


「お前が今読んでいるそれ、魔導書か」


 いきなり呼びかけられて、息子は驚いた様子だった。

 すぐさま俺から魔導書を隠そうとする。


「別に隠さなくていい。怒らないから」


 どうやら息子が手に持つ魔導書は、書庫から持ち出して来たものらしい。

 その魔導書は、かつて俺が初めて手に取ったものだった。親から子へ渡っていく、そんなイメージがぼんやり浮かんだ。

 ふいに、俺は懐かしい気分に襲われた。


 転生して、右も左もわからなかったあの頃。

 書庫から埃をかぶった魔導書を見つけたとき、かつてないほど胸が躍った。


 あの頃のバカで世間知らずだった俺と、息子の姿が重なった。


「とうさん、どうして泣いているの?」


「……ただ目にゴミが入っただけだよ」


 もし仮に3度目の人生を送ったとしても、あの時の高揚感はきっと味わえない。


「なあ、お前は魔術を習いたいのか?」

「うん!」

「どうしてだ?」

「俺はなりたいんだ! カッコいい魔術師に!」


「そっか」


 息子の頭をわしゃわしゃと撫でてやる。


「頑張れよ。お前の夢を応援してるぞ」


 俺の言葉を聞き、息子は安心しきったように目を細めた。

 息子には才能があるのか、それは分からない。

 挫折してしまうかもしれない、夢を諦めてしまうかもしれない。


 だから、そのときは思いっきり抱きしめて「よく頑張った」って言ってやりたい。




 ☆☆☆




 ある日のこと。

 いつものように来客が訪れる。


「よぉ、久しぶりだな」


 その一声で、誰か分かった。


「……アルバート」

「なに死人に会ったような顔してんだ、この通り、オレはピンピンしてんぞ」


 身軽な旅装束を身に纏い、あごひげを伸ばしているその姿は、昔とガラッと雰囲気が違う。


「ルキナとうまくやってるのか?」

「ああ、そうだ! 聞いてくれよ、俺達結婚したんだ」

「……そうか、おめでとうな」


 その時の、ほんの一瞬見せたアルバートの表情を忘れることはできないだろう。

 祝福するような、それでいて何か諦めたような表情を浮かべた。


 俺はせっかくの再会だというのに、湿った雰囲気をなるのは御免だと思った。

 ひとまずルキナにも対面させよう。きっと彼女だって喜ぶ。


「久しぶりにどうだ。うちに上がって一杯やろう」

「マジか、じゃあ、お邪魔するぜ」


 アルバートと共に、ルキナのいるリビングに向かう。


「アルバートじゃない、元気にしてた?」


 アルバートを見たルキナは、嬉しそうにパッと笑みを浮かべる。


「母さん、この人だれ?」


 ルキナの傍にいた息子が、アルバートを指さす。


「この人はね、母さんと父さんの友達よ」

「へー、こんにちは!!」

「おう、邪魔して悪いな坊主」


 息子は結構人見知りなのだが、不思議とアルバートには懐いている。

 やはり女たらしは人たらしでもあるのだった。


 その後、アルバートは俺達を夕食を共にした。

 食事の最中は昔話に花を咲かせ、時間が巻き戻ったような感覚を覚えた。


「じゃあな、オレもう行く。世話になったな」

「アルバート、気が向いたらいつでも家に寄ってくれ」

「おう、そのときは旅の土産話をたっぷり聞かせてやるよ」


 多分、アルバートは嘘をついている。

 こいつはもう俺達と会うつもりはない。

 根拠はない。けれどずっと何年も一緒に居た仲だからこそ、鋭く直感が働いた。


「なぁ○○、ルキナとうまくいってるか」

「ああ、おかげで尻にしかれる毎日だよ」

「そりゃあ、よかった」


 だから、最後かもしれないから聞きたいことがある。

 邪推かもしれないが、ずっと疑っていたあることを。


「なぁ、アルバート。ルキナのこと好きだったのか」

「……そうだ」


 観念したような声でアルバートは答えた。


「どうして、俺に譲ったんだ。女に目がないお前がどうして?」

「なに、簡単なことだよ」


 アルバートは、清々しさを感じるほどの笑みを浮かべていた。


「お前らに幸せになって欲しかったんだ」

「……アルバート」

「もしルキナを泣かせたら、ぶっとばしに戻ってきてやる」

「ああ、肝に銘じておくよ。このバカ野郎」

「幸せにな、○○。じゃあな」


 アルバートは歩き出す。

 その後ろ姿はどんどん遠のいていって、やがては豆粒みたいに小さくなって、ついには消えてしまった。


 アルバートを見送り、俺は深呼吸する。

 みっともなく泣いてしまわないように心落ち着かせて、静かにつぶやいた。


 ありがとう、そしてさようなら。俺のたった一人の親友。






 ☆☆☆





 息子が魔術学校に合格した。

 それから息子は寮に移り住み、その間ひどく寂しく感じた。

 きっと大丈夫だろう、という信頼と、親心から来る心配がせめぎ合った。


 そして4年経ち、卒業した息子が我が家に舞い戻って来た。


「父さん、紹介するよ」


 なんとびっくり恋人を連れてきたのだ。

 ったく、いつの間にか1人前の男になりやがって。

 それもかなりの美人。まあ、それでもルキナが一番だけどな! けっして嫉妬している訳じゃないぞ! 


 あらためて息子は大きくなった、と実感する。

 もうとっくに親元から飛び立っていた。


「俺達も、2人みたいに仲睦まじくやっていくよ」




 半年後、2人は結婚し、その翌年には子供が生まれた。女の子だった。


「かわいいわね。名前はまだ決めてないの?」

「いや、まだだよ、母さん。2人はどうやって僕の名前を決めたの」


 うーん、どうだったかな。


「そういえばルキナがその場のノリで決めてたな。『ライブ感が大事って』」

「仕方ないでしょ。だってあなた徹夜でずっと考え込んでいたじゃない。『命名は一世一代、頭をこねくり回してセンスある名前を考えないと』とか仕事もホッポリ出して」


 やめるんだ、ルキナ! そのことは今でも反省しているから、蒸し返さないでくれ! 


「うん、じゃあ僕たちは間をとってさ、2人でゆっくり話し合って決めるよ」


 まあ、息子は利口だし、俺達みたいに極端ではない。

 少なくともキラキラネームみたいな変な名前を付けることはまずないだろう。


「2人ってさ、いつも仲いいよね。ほんと幸せそう」

「まあな、夫婦円満は幸せにつながるからな」


 俺は孫を抱き上げる。

 生まれたばかりの小さな命。この小さな体にはたくさんの夢、可能性、希望、そして残酷なまでの絶望、あふれんばかりに詰まっている。

 将来、この子はどんな人間になるのだろうか。


 今こうやって、新しい可能性に想い馳せる。

 きっとこの特別な瞬間が、人生を豊かに彩るんだ。



 ☆☆☆



 孫が生まれて、その孫が大きくなる頃には、俺の足腰はすっかり弱くなっていた。

 手も皺だらけで、白髪も増えて来た。


 体力だってガクンと落ちこんでいるので、もう昔のように活発には動けない。

 だがそれに反し、心は穏やかだった。



 涼しい風が吹く秋の夜。

 空は雲一つなく、満月がぽっかりと浮かんでいた。


 俺とルキナは、家の縁側に静かに座っていた。


「○○、月が綺麗ね」


 結婚してから、ずっと「あなた」呼びだったので名前で呼ばれるのを懐かしく感じた。


「その呼び方、照れるからやめてくれ。昔に戻ったみたいで恥ずかしくなる」


 隣に座る、ルキナに目をやる。

 老婆になったルキナは、昔あった美貌の面影をごくわずかに感じるほど年老いてしまっている。

 それでも、俺は愛しくてたまらなかった。


 例えば彼女の皺だらけの手。俺にとっては世界で一番温かく優しい手だ。

 その愛しい人の手をそっと握って、目を閉じる。


「ルキナは、幸せだったか?」


 自分は多分、もうすぐ死ぬ。

 命のロウソクがあと数ミリさえ残されていないと実感していた。


「何言っているの、○○。私はずっと幸せだったよ」

「ずっと?」


「あなたと出会ったときから、ずっと」


 そうか。君はずっと幸せだったのか。

 君を幸せにすることができて良かった。君と出会えて良かった。


 座っていたら、なんだか眠たくなってきた。

 そういえば、最近よく昼寝してしまう。

 ダメだな、寝すぎるのは。だらけてしまうのはよくない。


「少し寝るから、しばらく経ったら起こしてくれ」


 けど今回ばかりは、ちょっとくらい楽してもいいか。人生は肩肘張ってばかりじゃつまらないよね。

 俺は微睡に身を任せ、意識を手放していく。


「ええ、ゆっくりおやすみ。○○」


 涙ぐんだルキナの声が、遠くから聞こえた。


 泣いているのか、ルキナ。

 ったく、もうダメだな、俺。ルキナを泣かせてしまうなんて。

 もしアルバートがこのこと知ったら、あいつに顔向けできないじゃないか。



 転生したけど、チートもないし、才能もなかった。

 特別な人間にもなれず、何かを成し遂げたことはついぞなかった。


 だけど、今、俺はとても満ち足りている。

 これ以上は何もいらない、何も望まない。


 俺は幸せだった。





 ☆☆☆





 私は、空っぽの人間だった。

 特にやりたいことも、夢もなく、漠然と日々を過ごしていた。


 私には幼馴染がいた。

 私より一回り小さい少年だった。


 はじめは頼りなくてか弱い、そんな印象を抱いていた。

 しかし、それは全くの勘違いだった。

 彼はいつも私の手を引っ張ってくれて、一歩先を歩く。

 私は目を輝かせて、彼の後をついていくのだ。


 ある日、幼馴染の家に訪れると、庭の木の根元にいる彼がなにやら本を読んでいた。

 近づいて、それは何かと問うと、彼は「魔導書だ」と答えた。

 話を聞くうちに、しだいに彼は必死に熱弁を振るっていく。

 そして語った。「俺には夢がある。かっこいい魔術師になりたい」と。


 その言葉は決して壮言大語ではない、溢れ出た本心だった。


 私は思った。

 なんて羨ましいだろうって。

 その夢を追う生き方が、どうしようもなく尊くて美しかった。


 空っぽだった私の心に、どんどん熱いものが注がれていく。

 胸が熱くなった。


 そうだ。私は幼馴染のことが好きなのだ。

 自分の心に火をつけた、この少年を。

 彼がどう生きるのかこの目で見届けたい、私は心底思った。


「ねえ、私に魔術、教えてくれない?」


 私には夢がある。

 この少年の隣にずっと居ること。


 ほんのちっぽけな夢かもしれない。

 それでも私にとって、なにより大切なことだった。





 ☆☆☆☆






 男は去り、そして男が愛した女も去った。

 彼らは墓の中、隣り合って地面の底で眠りについている。


 石畳を歩くブーツの音がコツコツと響く。


「ったく、探したぜ。お前らここで眠っていたのか」


 2つ墓の前で、1人の年老いた男が立ち止まった。

 男は旅人だった。

 長い間、各地を放浪しつづけた彼は、旧友らの死を聞きつけ、遠路はるばるこの墓に足を運んだのだった。


 年老いた旅人にとって、亡くなった男は親友だった。そして亡くなった女は恋した女だった。


「お前らが先に逝っちまったから、寂しくて仕方ねえよ」


 懐から取り出した白い花束を、墓へ献花する。

 それから、葉巻で一服し、心を落ち着かせた。


 年老いた旅人は立ち上がり、長年愛用しているカバンを肩にかける。


「さぁて、行くとするか」


 心の中で彼らに別れを告げ、旅人はふたたび歩き出した。


 旅人は、老いた体を引きずりながら旅を続ける。


 海の向こうの国々。竜の谷、精霊の川、かつての王国跡地。

 いまだ目にしたことない秘境の数々。


 旅人の歩みは止まらない。

 だが体は限界を迎えていた。命の危険がある過酷な旅は、年老いた旅人には辛く厳しいものだった。

 そうしているうちに、旅人の頭は疑問で埋め尽くされていく。

 自分はなぜ、こんなことしているのだろう? 

 頭に浮かんぶのは、親友と最愛の女の顔。


 ああ、そうだ。オレは寂しさを紛らわせるために旅に出たんだ。

 ○○とルキナが結婚して、オレは嬉しく思う反面、羨ましいと思った。

 背中を押した癖に、いまさらないものねだりをしている自分にひどくいら立っていた。


 体が痛い。骨がきしむ、少し休もう。

 そう思った旅人は、背を地面に付けて仰向けになる。

 ああ、疲れた。

 もう動けない。体が脱力しきっている。


 辺りは、見渡すかぎり青い草原が広がっている。

 その中心、仰向けになった旅人は陽の光を浴びていた。


 どうやらここが、オレの旅の最果てらしい。

 意外と悪くないな。ドラゴンに食われたり、崖から落ちて死ぬくらいなら、この爽やかな日向に包まれながら死を迎えるのは最高だと言える。


 そよそよと吹き付ける風が、青い草と旅人の髭を揺れ動かす。


 うとうとしていると、ふいに視線を感じた。

 その視線は突き刺さるようなものではなく、まるで包み込むように優しかった。


 遠くの丘には、誰かが佇んでいて、こちらを見ている。

 旅人には、それが誰なのか手に取るように分かった。

 彼らは、自分の人生の宝石。

 ずっと会いたかった人たち。

 永遠の親友と最愛の人。彼らは静かに旅人を見守っていた。


「ったく、そんなところでじっと見てるんだったらさ、こっち来て起こすの手伝ってくれよ」


 年寄りの腰には常におもりがついてんだよ、と愚痴をこぼし、旅人は起き上がる。


 旅人は丘に向かって歩き始めた。

 愛する者たちとの再会を喜んで、長かった旅はようやく幕を閉じた。

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チートがなくても幸せだった(プロトタイプ版) 東雲るぅ @shouhei1111

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