第90話 拳で

 スコルは魔術が効かない厄介な歪魔だ。

 基本的に群れで行動しているにも関わらず、魔術による範囲殲滅が出来ないのだから当然だ。その対処はどうしても近接戦闘に頼ることとなり、数で押されやすい。

 以前にシグルズ団長率いる王国の第二騎士団が苦戦したのは、決して彼らが弱かったからではないのだ。


 今この場で戦場を駆ける四人にとっても、スコルは苦戦するような相手ではない。だが、やはりその数は圧倒的だった。

 狼人ウェアウルフと戦ったあの時とは、まるで比べ物にもならないほどの大きな群れ。倒しても倒しても後続が追いつき、そして襲いかかってくる。


 ソルの魔法を使えばあっさりと終わるであろう状況だが、ユエにはそうするつもりは無かった。既に魔法の存在を知っているアルス達はともかくとして、アニタとレイリが信用できる者達かどうかまだ判断出来ないからだ。


 悪い人間で無いのはここまでの道のりで既に理解っている。

 だが信用できるかどうかとなれば話は別だ。

 例の"厄災"との戦いで、半ばなし崩しに明かすこととなったアルス達の時とは違い、今はまだ余裕がある。

 そして何より、魔法で殲滅してしまってはつまらない。


 ユエが周囲へと目を向ければ、ノルンが縦横無尽に駆け、次から次へと死体の山を築いていた。エイルはちまちまと、一体ずつ確実に処理している。いつものようにサボっているというわけではなく、単純に彼女の戦闘スタイルと武器は対多数に向いていないのだ。


 そしてアニタ。

 レイリの魔術によってすっかり小さくなってしまった少女は、群れの真ん中で戦鎚を振り回しながら着実に数を減らしていた。


 無駄口の一つも叩かずに、真剣な表情で黙々とスコルを叩き潰している。

 ある時は上段から振り下ろした戦鎚による一撃で頭蓋を叩き割り、その衝撃で周囲の数体も巻き込んでしまう。

 ある時は横薙ぎのフルスイングで飛びかかるスコルの横っ腹をえぐり取る。重い戦鎚の勢いをそのままに、ぐるりと回転すれば彼女の周囲へと殺到していたスコルが軒並み弾け飛ぶ。


 その破壊を為すのは純粋な彼女の膂力だ。

 流石にユエほど圧倒的なパワーは無い。それは種族的にも深度的にも、当然といえば当然だったが、しかし人族としての膂力で言えば、恐らくユエが今まで見た中で一番だった。こと膂力のみで言えば"渾天九星ノーナ"であるノルンをも上回るだろう。とはいえ彼女は速度系の剣士だが。


 並外れた力を持つアニタだが、どうやら欠点もあるようだった。

 パワータイプの例に漏れず、速度が低かった。

 速度といっても足の方だ。真っ先に飛び出して行ったにも関わらず、群れのそれほど奥までは到達していないのがその証拠だろう。


 だがその一方で、一般的な重戦士とは違い瞬発力に優れている。

 筋肉が多い重戦士系は、力に優れている反面どうしても速度と持久力に欠けることが多い。単純に筋肉が重く邪魔なことと、その筋肉を動かすのにエネルギーを多く消費するためだ。


 しかし魔術によって少女となった今のアニタは、筋肉に動きを阻害されることがない。そのためスムーズに身体を動かすことが出来、無駄が少ないのだ。結果腕の振りは早くなるし、無駄が減った分消耗も抑えられる。


(ふむり。成程のぅ・・・重戦士の欠点をある程度補いつつも、長所を伸ばしておる。見た目は巫山戯ふざけておるが、なかなかどうして良く出来ておる)


 力を凝縮しただけ、というレイリの話を信じるならば、恐らく重さは変わっていない筈だ。もしもあの状態で体重を測れば、身長が縮んでスマートになった分、見た目より随分と重い数字が出るだろう。


(しかし、この世界のパワー系は小さくないと務まらぬ理由でもあるんじゃろうか)


 己然り、アニタ然り。

 今の身長になってからすっかり伸びなくなったユエからすれば、変身前のいかにもなアニタも、あれはあれで良いものだと思えた。


(まぁ今は目の前に集中するかの。わしもそろそろ参戦・・・ん?)


 ここまで襲ってきた数体のスコルを手で払い除けていただけのユエが、そろそろ本格的に自分も混ざろうかと思った時。ふと、いつもより軽い身体に違和感を覚えた。

 普段であればもう少し、肩のあたりが重かったような気がしたのだ。

 それもその筈、前回ここ45階層へ来た時同様に、"宵"をソルに預けたままであった。


(ぬぉおおお!またやってしもうた!)


 とはいえ、勢いよく突撃などと宣言した手前、今からソルの元へ戻るのは少々格好悪い。


(ふむり・・・そういえば前回黒霊山羊ヘイズを倒した時に"氷翼"は試したが、『こっち』はまだ試しておらんのぅ)


 そう考えてユエが見つめるのは己の拳。

 深度が12に上がってから試して居なかった、刀とは違う彼女のもう一つの武器である。試しては居なかったとはいえ、実際にはユエはある程度どうなるか想像がついていた。それは前世と現在を合わせ、こと身体操作に関して彼女に理解らないことなどこれまで一つも無かったが故の自信。


 とはいえ実践する価値はある。

 万が一にも自らの想像を外れるような事があれば、自分のみならず仲間まで危険に晒しかねないからだ。ユエは自分の身体操作に自信を持っているが、さりとて驕っているわけではないのだ。


 そうと決まれば早速試してみたくなるものだ。

 ぺきり、と指を鳴らしたユエは駆け出す。既に死体の山となった、ノルンが通った跡を利用して速度を稼いだユエはそのまま跳躍。元々強かった彼女の脚力は、深度が上がったことで更に強化されていた。


 その身一つで高く飛び上がったユエは、あっさりと敵陣の奥深く、その上方へと到達する。ともすれば自殺行為のようにも見える大跳躍であったが、ユエの表情には恐怖心などまるで見えない。


 上着の袖を捲くって、振り抜きやすいよう右腕を肩まで露出させる。

 何処を狙う、という考えは特に無かった。目についた地面、あるいはスコルに向けて全力で拳を叩きつければそれでいいだろうという杜撰な考えだ。


 落下による位置エネルギーを右腕に乗せ振りかぶる。

 ユエの眼下には丁度、新たな獲物がやって来たとでも言いたげなスコルが数体、牙を剥いてユエの落下を待っていた。


(その意気や良し!)


 歪魔としての本能か、狼としての野生か。

 心の中で、逃げずに戦意を見せるスコルの気概を褒め称える。

 しかしだからといって拳を下ろすなどということはしない。そのまま先頭に立つスコルの顔面へと、渾身の力を込めて叩きつけた。


 45階層は天井も高く、広い空洞状になっている。謂わばホール、或いは講堂のような地形である。故にユエが拳を叩きつけた瞬間、入口から出口まで、フロアの端から端へと轟音が鳴り響いた。


 当然、拳を叩きつけられたスコルなど一瞬で肉塊と化す。

 頭蓋など、その小さな拳から溢れ出る圧倒的な殺意の前では僅かな障害にもならなかった。眼球などどこかへ飛んで言ってしまったし、直接打ち付けられた訳でもないというのに破壊の圧と衝撃だけで内蔵まで弾け飛ぶ。


 ユエの拳はスコルを破壊しただけでは飽き足らず、フロアの硬質な地面へと到達する。ユエの膂力に重力加速度が加わることで、常人であれば大怪我をすることは間違いないだろう。しかし十二という高深度に達した探索士の身体能力は、そんな衝撃でさえも耐えられてしまう、それだけのスペックがあった。


「いッ───────痛ァーーーーー!!」


 とはいえ、痛いものは痛い。

 耐えられるということはダメージが無いということではないのだ。

 自らが今の全力でパンチをすればどの程度の破壊力を生むかを想像できたとしても、どの程度の衝撃まで我慢出来るのかは理解らなかったらしい。


 深度という要素が無ければ想定出来たのかも知れないが、理外の要素が加わった状態ではさしものユエも『まぁ死にはせんじゃろ』程度にしか想像出来なかった。


「ぬぉぉぉぉ!!折れたじゃろ絶対!」


 などと喚きながらユエが自らの腕を見れば、そこにはいつもと変わらぬ小さな腕があった。彼女の言うように折れたなどということもなく、地面を殴りつけたことで多少の汚れが付いていた程度だった。


「ぬぉおおぉぉ・・・意外と大丈夫じゃったけど!」


 瓦礫と砂埃が収まった頃、腕を抑えてぴょんぴょんと跳ね回るユエの周囲には、罅割れて陥没したフロアの床と、半径10mほどに渡って肉と血が撒き散らされる光景が広がっていた。


「おぉ・・・存外、範囲攻撃としては悪くないのぅ・・・二度とやらんが」


 拳一つで為した成果としては上々だった。

 とはいえ、ユエに言わせればあの痛みと引き換えに得たものだと思えば費用対効果はイマイチだった。実際には怪我など無かったものの、"宵"さえあれば痛みもなく今と同様、或いはそれ以上の殲滅力が発揮できる。


 せめて飛び蹴りにしておけば良かったか。

 未だ全滅というには程遠いだけの数が残るスコルの群れの中、破壊の中心に立つユエは、そんな今更なことを考えていた。

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