第86話 特別依頼

「さて、じゃれるのもその辺にしてもらえるか?」


ユエとエイルが異口同音、アニタへと渾身の突っ込みを入れた時。

ユエ達から見て向かって正面の、この卓上で最も上座となる席に座る男が発した声であった。

それはアニタやアクラと並んでも遜色ないほどの巨躯に、協会の制服の下からはち切れんばかりに主張する筋肉を持ち、短く刈り込んだ金髪に、左目の大きな傷が特徴的な男だった。


低く深みのある声はよく通り、ユエ達の声を割ってなお室内の全員にまで届いた。

アクラの様な荒々しい声ではなく、どちらかと言えば落ち着きのある、有り体に言えばイケメンボイスだ。その声は彼の厳つい強面を考えれば若干の違和感はあったが、それを差し引いてもなお余りある魅力を感じさせた。


「わざわざ呼び出しに応じて貰って悪いとは思っているんだが、一先ず席に着いてもらいたい」


などと、威厳たっぷりの声で言われてしまっては否応もない。

それにユエ達は自分たちが何用で呼び出されているのか、勿論ある程度の察しはついているがその詳細については把握していないのだ。その詳細を語るのであろうこの場で、何時までも騒いでいては話が進まないということくらいは理解していた。質の悪いことに、彼女たちはそれを理解していながら騒いでいるのだが。


「む、すまんすまん」


言葉面だけの謝罪を述べ、もう一度室内を見回す。アルス達一行にアニタともう一人の男、そして自分達。三組の探索士パーティを集めた上で、目の前には協会の上役らしき男。どうやら予想通りらしいこの集まりに辟易しつつも、目の前の空いている席へと腰を下ろすユエ達三人。そもそも室内に大男と大女が合わせて三人もいるこの部屋は閉塞感が凄まじいのだ。会議室事態は狭くなく実際にはそれほど窮屈という訳では無いのだが、三人の放つ圧と威圧感はとても会議とは思えない。今回の主導であろう男の態度が、よくありがちな横柄なものではなく殊勝なところだけが救いだろうか。


「さて、では始めるとしようか。今回君達を───」


「お待ち下さい、支部長」


本題に入ろうとした大男の言葉を遮ったのは、先程まで読書をしていた片眼鏡の男だった。


「ぬ・・・何かね?」


「彼女達の紹介はして頂けないのですか?自己紹介は円滑な友好関係を築くための非常に重要な要素の一つです。挨拶に始まり挨拶に終わる。これこそが我々人間にとっての基本です。とても素晴らしい事だとは思いませんか?無論私も彼女達の事は聞き及んでいますが、それは所詮人伝に聞いただけの、謂わば噂話に過ぎません。良くも悪くも、噂など幾つもの脚色が加えられることが常です。その様な不確かな情報しか持たない私達では、彼女達と正しい関係性を保つことは難しいでしょう。それに玉石混交と言いましょうか、有ること無いことが混在した色眼鏡で彼女達に相対するなど、それこそ失礼というものでしょう。私としても自己紹介は行っておきたく思っておりますし、支部長はもちろんそのような───」


「理解った。もう理解ったからやめてくれ。俺が悪かった」


静かに、一言も発すること無く読書をしていた先程までの様子とは打って変わって、抑揚の無い声色、かつ早口で捲し立てる片眼鏡の男。横で聞いていたユエは、よくもまぁそれほど喋れるものだと感心すらしていた。てっきり物静かで無口な男かと思っていたが、どうやらそういう訳でも無いらしい。アニタ然り、探索士とはこの様な二面性を持つ者ばかりなのだろうか、などと考えていたところでイーナと目が合った。彼女は『皆まで言うな』とでも言いたげに肩を竦め、意味ありげに視線を送ってくるだけであった。


「───と・・・ご理解頂けたのなら重畳」


「ふぅ・・・お前はその悪癖をどうにかせんから、その顔で恋人の一人も居ないのだ」


「支部長にだけは言われたくありませんが・・・」


「俺はこの面で嫁が居る。残念だったな」


今も昔も、鍛冶にのめり込んでいたユエには今ひとつ理解らないが、それでも確かに、片眼鏡の男の顔は控えめに言っても整っているように感じた。アルスとは別ベクトルの美男子と言えるだろう。アルスが爽やかな好青年系であるとすれば、この男は何処か影のあるインテリ系とでも言おうか。少なくとも人気があるであろうことは想像に難くなかった。


「さて、では折角なので全員の紹介をしておこう。先ずは俺、イサヴェル探索士協会の支部長を任じられている、ラギエルと言う。見ての通り元探索士だ。"聖お姉様教団あねメイト"の者以外は既に知っているだろうがね。で、そっちのアルス達は・・・面識があるのだったな。では時間の無駄なので飛ばすとしよう」


そう言いながら太い腕を見せつけ、左目の傷を指して獰猛そうな笑みを見せるラギエル支部長。どこからどうみても気質の者では無いその瞳は、未だ現役を思わせる鋭い輝きを放っていた。一方で雑に流されたアルスはといえば、彼とは長い付き合いであるのか特に気を悪くした風もなく、ただ相変わらずだと笑っているだけだった。


「あはは、言い方悪いなぁ」


「お前達相手に今更取り繕っても仕方あるまい」


ここまで場の流れに任せるままに、静かに話を聞いていたユエ達。正直に言えば支部長の言う通り、顔見知りであるアルス達の自己紹介に時間を割くよりも、残った二人の詳細を知りたかった。もっと言えばユエは自分の所属する怪しげな教団の話題から離れたかった。


「で、そっちの二人が"赤槍ベガルタ"のリーダーであるレイリと、そのメンバーのアニタ。こう見えてレイリは深度8、アニタは深度9の一級探索士だ」


「ご紹介に預かりました、レイリと申します。皆様のお噂はかねがね───と言っても私の知っていることなど、協会のロビーでそこのアルスを盛大に蹴り飛ばした話くらいのものですが。それ以外だとアルスに半ば強制的に聞かされた鬱陶しい賛美の嵐くらいのもの。ですがその話を聞いて以来、是非とも直接お話を伺って見たいと思っていました。いえ、鬱陶しい話の方ではなく、実力だけは確かなそこの男を蹴り飛ばしたその腕前を、ですよ?無論実力を疑っているなどという話ではなく、単純な好奇心と言いますか、それを為したのがまだ幼く見える少女だというのですから、興味が湧くのも当然の───」


「あ、私がアニタだよぉ、よろしくね。その、あとで頭撫でてもいいかな・・・?」


「う、うむ、よろしく頼む・・・二人とも癖が強いのぅ」


「おぉ・・・姉様が引いてるッス。貴重ッス」


先程と同じように、突如として機関銃と化したレイリと、それを無視してこっそりと自己紹介を済ませるアニタ。たった二人の自己紹介にしては多すぎる情報量にすっかり疲れた様子のユエは、ただただ素直に挨拶を済ませる事しか出来なかった。一先ずユエは、未だ虚空に向かって話続けているレイリを危険人物として脳に記憶し、相好を崩してユエの頭を撫でているアニタを無害扱いすることにした。


「では自己紹介も終わったところでいい加減本題に入るぞ」


ユエはこの時点で既に帰りたい気持ちで胸が一杯だったが、ここまで来た以上は何も聞かずに帰るわけにもいかないとかぶりを振って思い直した。そもそも先の一件がその後どうなったのか、そのことについてはそれなりに気がかりではあったのだ。


「今回集まって貰ったのは他でもない、先日迷宮内にて発生した異常事態イレギュラーについてだ。君たちもある程度は知ってはいるだろうが、一応概要を説明しておく。二日前、迷宮から帰還した探索士パーティから、中層に"黒霊山羊ヘイズ"が現れたと報告が入った。それも全部で四体だ。皆も知っている通り、"黒霊山羊ヘイズ"はこれまで下層でしか発見報告が無かった歪魔だ」


いや知らん、と言いたいユエ達であったが、しかし口を挟んだところで話の腰を折るだけである。ここは黙って訳知り顔をしながら頷いておくことにした。


「理由は未だ不明だが、迷宮に限らず歪魔が階層を跨いで移動することは基本的に無い。濃度の高い歪園メイズの影響を受け、歪園の外に発生することはあるがね。ともかく、今回は発生地点が中層であることから、自然発生したものではないと思われる。つまりは基本法則を無視して下層から移動してきた、ということだ。ここまではいいか?」


知らん、と言いたいユエ達であったが、周囲のベテラン探索士達が頷いているのを見て、それに倣い黙って頷いておくことにした。


「問題は『何故黒霊山羊ヘイズは中層に降りてきたのか』だ。通常、獣型の歪魔は魔素の濃い場所に群がる傾向がある。であれば場所を移動する理由など、より魔素濃度の高い場所を目指す以外には考え難い。しかし中層にはそのような場所はなく、まして報告の会った水場は下層に比べれば随分と魔素濃度が低い筈だ。故に我々協会は、奴等は何かに下層を追われて仕方なく中層に降りてきた、と考えている」


「成程、推測ばかりなのが少し気に入りませんが、一応の筋は通っていますね」


実際に現場を見たわけではなく、情報も所詮は一組のパーティから齎されたものに過ぎない。そうである、と断定するには情報が不足しており、大部分が推測となってしまうのは仕方のないことだろう。ラギエル支部長の推理に一応の理解を見せたのはレイリだった。


「僕らも同意見だよ。あの時は僕らも下層の入口までは到達していたけど、通った道にはそんな魔素濃度の濃い場所は見当たらなかった。他に原因があるのは間違いないと思う」


次いでアルスが同意する。

経験豊富なベテラン探索士の二人が同意するのならばと、ユエもふんふん頷いておくことにした。


「我々の推測が正しければ、黒霊山羊ヘイズを中層へと追いやった何者かが下層に居るはずだ。黒霊山羊ヘイズよりも強力な歪魔は勿論居るが、しかし群れを追いやるほどの歪魔は下層でも確認されていない。特殊な個体か、或いはそれ以外の何かか・・・正体は不明だが、が今回の異常事態イレギュラーの原因であると思われる」


レイリとアルス以外の者達からも反対意見は挙がらず、皆神妙な顔でラギエル支部長の話を聞いていた。探索士となって日の浅いユエ達はなにがなにやら、すっかり蚊帳の外である。


「そこで探索士協会は中層以降への立ち入りを一時的に封鎖することとした。中層を主な活動場所としている中堅探索士達には悪いが、先ずは安全が最優先だ。迷宮内で安全がどうだのというのもおかしな話だが・・・ともかく、ここまで話せば大体の用件は察してもらえただろう」


これはユエ達にも、不本意ながら察することが出来てしまった。

というよりもここに来る以前から薄々感じてはいたことだ。そしてこの場に、自分達以外にも探索士が招集されていることを鑑みれば、疑念はほぼほぼ確信へと変わっていた。


「今回、イサヴェル支部でも腕利きと名高い君達に集まってもらったのは他でもない。今話した異変の原因を調査し、可能であれば排除して欲しい。無論これは協会からの特別な依頼として処理され、達成の暁には基本報酬の他に別途特別な報酬も用意する予定だ」


そう話を締めくくったラギエル支部長は静かに茶を口に含んで喉を潤した。

今回呼び出されたその理由は案の定と言うべきか、残念ながらユエ達の予想通りであった。

先日キリエと『可能な限り協力する』と契約した手前、表立って無視するわけにもいかない。協会の依頼に対しては出来る限り協力するつもりであったユエ達は、昨日の今日でこれか、と三人揃って深い溜息を吐き出すのだった。


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