第85話 ギャップ

スヴェントライト教の教皇自らやって来るという突発イベントの翌日。

ユエ達一行は探索士協会イサヴェル支部へと呼び出されていた。朝の早くから店へと訪ねてきた、名も知らぬ協会職員の話によれば、『出頭しろ』というよりも『お越しいただけませんか?』といった態度であり、どちらかと言えば呼び出しというよりも招聘に近い。機嫌取りのつもりか、その職員は店に並べていた短刀をひとつ購入していた。地球風に言うのならば、まるでトイレを借りにコンビニへ来ただけにも関わらず、申し訳程度にガムを買ってゆくサラリーマンのようである。十中八九、先日の異常事態イレギュラー絡みの話だろうということは予想がつく。


そんな職員の態度に絆されたというわけでもなかったが、ユエ達は職員に案内されるがままに店を出た。非常に嫌な予感を感じつつも三人揃ってやって来た探索士協会は、普段とそう変わらぬ活気を見せているように感じた。しかし実際にはそれは一部の事で、主に駆け出しの探索士達が元気よく騒いでいるだけのようだった。よくよく見渡してみれば、ある程度装備の整った、所謂中堅探索士と呼ばれるような者達はどこか冴えない表情をしている。とは言え、落ち込んでいるだとか、不貞腐れているといった様子ではなく、単純に暇を持て余して仕方なくここで管を巻いているといった様子だ。


そんな彼らを横目に協会内を歩いていたところ、ユエ達に気づいた周囲の目線がこちらへと向きはじめていた。ユエ達は知る由もないことだが、彼女たちは探索士活動数日にして既に、会いたくても会えないレアキャラ扱いを受けている。そもそも活動を開始してから日が浅い、というよりもまだ一度しか探索を行っていない上に、何かしら用が無ければ彼女達は一切協会に来ないのだ。


何も予定が無くても取り敢えず協会へと集合して、食事をするなり、知人と会うなりする探索士は多い。同盟ユニオンを組んでいる者達はそれぞれ間借りしている集合場所に集まる事が多いが、何処にも所属していない探索士達の集合場所といえばここ、探索士協会となる。

そんな彼らからすれば、ユエ達が普段何をしているのか、何処に集まっているのかなど全くの未知。いわば彗星のごとく現れた一切の素性が謎に包まれた実力者集団(推定)なのだ。ユエの本職が鍛冶師で、基本的には郊外の誰も客が来ない店で、日がな一日店番をしていることなど誰も知らないのだ。


徐々に増してゆく、ひしひしと感じるこの視線は、そういった同盟に誘いたいと考えている者や、単なる好奇心や下心で話しかけたいと考えている者等のものであった。

とはいえ、ユエ達は視線にこそ気づいていたものの、どういった意図の視線かまでは理解していなかった。強いて言うなら、アルスを蹴り飛ばしたことでファンに睨まれているのだろう、といった程度の理解度である。思い切り蹴り飛ばした割には、不味いことをしたという自覚はあったらしい。


そんな視線に晒されながら、微妙に居心地の悪さを感じていたところで、協会の奥からいい加減に聞き慣れた、間延びする声が聞こえてきた。


「あ、ユエさぁん、こっちですぅ」


あざとくもぴょんぴょんと小さく跳ねながらユエ達へと手を振っているのはナナであった。

跳ねるたびに胸がばるんばるんと揺れ、男性のみならず女性探索士の目すらも釘付けにしていた。

職員の制服こそ着用しているものの本日は受付担当ではないらしく、受付カウンターではなく奥の会議室前からユエ達を呼んでいた。ちなみに本日はベルノルンは同行しておらず、彼女は例の賓客への応対で忙しいとのことである。


「チッ、これみよがしに揺らしおって・・・」


「アレ絶対わざとッスよ」


「お姉様への嫌がらせでしょうか。なんと卑猥な。わたくしが一度厳しく言っておきましょう」


「おぬしが言っても説得力が無いんじゃが!?」


「卑猥で言ったら姫様も似たようなもんスからね!」


未だこちらに向けて手を振りながら乳を揺らし続けているナナを放置し、やいのやいのとソルの乳を揉みしだき始めるユエとエイル。どこか満更でも無さそうな表情のソルと、何故か自分を無視して始まったやりとりに困惑するナナの表情がとても対照的であった。


そうしてひとしきり騒いだ後、満足した様子でナナの待つ会議室へと向かう一行。

ナナは無視され続けて若干涙目になっていた。しかし『どうせ嘘じゃろ』などと雑にあしらわれてしまう始末。終いにはぷりぷりと怒り出し、いいからさっさと入れと言わんばかりにユエの背中を押していた。実際に嘘泣きなのだが。


そうして入った会議室の中央には大きなテーブルが設置されており、それを囲うような形で椅子が置かれている。いわゆる円卓のような配置だ。どこか緊迫したような物々しい空気の漂うその部屋には既に何人かの男女が席についており、そこには見知った顔も幾つかあった。


「やぁ、こんにちはユエさん、それにソルさんとエイルさんも。初探索はうまくいったみたいで良かったよ。まぁ心配はしていなかったけれどね」


「嘘つくな、コイツ迷宮ん中で滅茶苦茶キョドってたぜ。あとで聞かせてやろうか」


「ユエちゃんとこは相変わらず騒がしいねぇ。あ、あとでお店行くからよろしくー」


緊迫した空気は何処へやら、口を開けばすっかりいつも通りであるアルス達だ。緊張感がなく迷宮内でもふざけて遊び始めるユエ達であったが、彼らも大概である。なおフーリアは今回の集まり───ユエ達はこれが何の集まりか理解していなかったが───には不在のようである。最も落ち着きのある知識人で、アルス達一行の纏め役兼ストッパーといっても過言ではない彼女がいないせいか、のびのびとしたイーナの台詞はもはや半分世間話である。


入室したばかりのユエ達から見て向かって右側に座る彼らは、普段装備している防具や武器などを装着しておらず、私服姿で座っていた。ユエはイーナの私服姿は店に遊びに来た際に何度か見たことがあったが、アルスとアクラの私服姿を見るのはは初めてであった。アルスはシンプルな白いパンツに赤のシャツを着ており、彼らしくきっちりと一番上までボタンを留めている。ユエは予想通りというか、面白みのない服装だなと考え直ぐに視線を外す。


ユエにとって意外だったのはアクラの私服であった。否、服装自体はごく普通だった。

しかしどうせあのぶっきらぼうな鬼人のことだ、私服など適当、下手をすれば服を着ていない半裸もあり得ると思っていただけに、彼がきちんと服を着ていることにユエは驚いていた。非常に失礼な話である。


そうしてアルス達一行を見渡した後、向かって左側の席へと目を向ける。

そこには男女一人づつ、初めて見る顔が座っていた。

恐らくはパーティリーダーなのだろう男性探索士は、怜悧そうな顔つきで左目に片眼鏡モノクルを着けており、椅子の背もたれにゆったりと背中を預けながら、ユエ達の方を一瞥することもなく本を読んでいる。


一方、女性の方は違った。

座っているというのにユエを見下ろす程の巨躯。まるで猛禽類を思わせる鋭い目つきに、筋肉と思しき厚い胸元でがっちりと組まれた太い腕。筋骨隆々の大女がユエ達を品定めするように見つめていた。ユエは彼女を見て瞬時に『あ、こいつはじゃな』などと失礼な事を考えていた。ユエの知る大女のパターンは二つある。一つはやたらと突っかかって来て偉そうな口を聞く割に、案外あっさりと負けるパターン。もう一つは話してみると意外と気の良い姉御系パターン。

根拠は無いが、直感的に前者であろうと判断したユエは、意味もなく彼女へと流し目を遣り挑発的に鼻で笑っておいた。


「───ふっ」


これが一体どういう集まりなのかは未だ知れないが、彼女の様子から察するに、後々自分たちに何かしらのケチをつけてくるのは目に見えていた。であれば最初から面倒事は済ませておこうという算段である。しかしそんなユエの初手は空振りに終わった。


「えっ、あ、ゴメンなさい!別に睨んでいたつもりはなくて・・・その、ちっちゃくて可愛いなぁって・・・気を悪くされましたか・・・?」


「・・・む?」


恐らくユエへと向けての言葉であろうその高く澄んだ声色が、一体何処から、誰から発せられたものなのかユエには理解出来なかった。否、理解らないわけではなかったが、しかし脳が追いついて来なかった。隣を見れば、エイルもまた困惑するように彼女を見つめていた。


「私、昔から顔が怖いとか眼が怖いとか言われることが多くって・・・全然そんなつもりじゃないんですっ!!」


「・・・う、うむり?」


「あ、申し遅れましたっ、私アニタって言います。こんなだけど、一応探索士やってます、よ、よろしくね?」


ユエが理解を拒む脳と戦いを繰り広げている内に、いつの間にやら自己紹介までされてしまっていた。

見るからに肉体派な見た目と、清く美しい声と、大人しい性格のギャップによる津波に押し流されそうになっていたユエは、しかしどうにか踏みとどまった。

これだけは、どうしてもこれだけは言っておかなければならないと。エイルもまたツッコミたくて仕方ないのだろう、俯いて肩を震わせている。そうして二人は力を合わせて叫んだ。


「見たまんまじゃろ!!」


「見たまんまッスよ!!」


かくしてユエの偏見シリーズは今回も大きく外れることとなった。

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