第84話 契約
「まほう・・・。たしかに魔素をあやつる術はむかしから研究されていた。でもだれひとり成果が出せなくて、いまではふかのうとされている。魔術師の到達点ともいわれているそれを、あなたは為したということ?」
「『魔法』はお姉様と
先程までの寛いだ様子とは打って変わり、ソファから少し身を乗り出したキリエは未だソルの手を見つめていた。ソルの見せた小さな魔法とも呼べない、ただ魔素を集めただけの障壁にすっかり興味津々といった様子。そしてそれはジラントやベルノルンも同様だった。とりわけ、ソルの持つ『厄災"に対して有効な何か』を探してここまで来た二人の反応が顕著だった。
「魔素を操る術。成程・・・それならば確かに、彼らの魔素による防御を突破することが可能かもしれません。否、"
「興味はありませんね。さて、こちらは一枚手札をご覧に入れました。これ以上を望むのであれば、次はそちらが見返りを提示する番では?」
「む・・・確かに。聖下」
「ん。いいよ、なんでも」
「というわけですので、そちらの希望には可能な限りお応え致します」
何でも、とは随分と太っ腹である。先程キリエが望むままに報酬を約束すると言ったのはどうやら嘘では無かったらしい。スヴェントライト教のトップでありながら探索士協会の長でもある彼女であれば、殆どすべての要求が通ると思って良いだろう。それほどまでに彼らは"厄災"への対抗策を欲しているということなのだろうが、いち探索士に支払う対価としては破格とも言える。
「お望みとあらば一筆認めて・・・否、後になってやはり教えることは出来ない、等と言われてしまっては我々の大損となってしまうので、お互い魔術契約でも交しましょうか」
「おや、今更信用出来ないと?」
「いいえ、そのようなことは。ですが金銭は友情を破壊すると古来より言われております。こういったことはキッチリとしておいた方が後々のためとなるでしょう」
そう言いながら、ジラントがいそいそと準備を始める。
懐からは常に携帯しているのであろう羊皮紙と筆記用魔術具を取り出し、テーブルの上で契約書類を二枚作成してゆく。手慣れているのか、手書きであるにも関わらず凄まじい速度で書き上げられてゆくその書類は、ものの数分で完成してしまった。神経質そうな彼らしい、まるで機械で書かれたような文字だった。
「お姉様」
「うむり。委細おぬしに任せる」
すっかり交渉をソルに任せたユエが鷹揚に頷いた。昔からこういった場ではソルに任せて黙っていることの多いユエではあるが、今回もまたそのつもりらしい。何より彼女はそこらの子供程の魔力も持たないが故に、筆記用魔術具が使えないのだ。その割にはふんぞり返って偉そうである。
「では我々は『スヴェントライト教、及び探索士協会に対して、今後我々の要求に可能な限りの便宜を図ること』を要求いたします。とはいえ、そう難しい事を言うつもりはありません。我々が資源や何かを要求した場合に融通して頂いたり、立場的に不都合を
「成程。聖下や私個人に対するものでないのは・・・」
「無いとは思いますが、頭をすげ替えて無効にされても面白くありませんので。先程貴方が仰ったように、歴史に名を残すほどの偉業、その内容を開示せよ、と申すのであればこのくらいは構わないでしょう?」
ソルの要求は簡単に言えば『魔法を教えてやる代わりに、お前らはこっちの言う事何でも聞けよ』といった乱暴なものである。難しい事は言わない、などとクッションを挟んではいるものの、その部分は要求には含まれていないのもいやらしく、いざとなれば無理を言うことも出来る。当然あちらも気づいてはいるだろうが、友好的に事を進めたいあちらとしては下手に触りたくない部分であろう。そもそもからして、この交渉は対等なものではなく、教えを乞われている側であるソルが圧倒的に優位に立っているのだ。
「当然の要求と言えましょうな。そのつもりもありませんので、問題ありません。では我々は『"魔法"の情報開示、及び"厄災"問題に対する任意的な協力』を要求致します。後者に関してはあくまでも任意であり、強制することはありませんのでご安心を」
一方で、ジラントの要求はソルのものに比べれば非常に緩いものであった。
任意的な協力とは、要するに『こっちがお願いした時は、気が向いたら助けてね』といった程度のものでしか無い。探索士である以上は協会からの依頼には可能な限り協力する、といったルールがそもそも存在しているのだから、これはただの念押しにしかなっておらず、後者の要求に関しては殆ど無いものと同じだった。それだけ前者の要求、『魔法』が重要なのだろう。
「それで構いません。ですが一つだけ。
「簡単に習得出来るような技術ではないと理解しているつもりですので、当然それに関しては責任を問いません。また、習得できなかったからといって我々がそちらの要求に応えない、といったこともありません。剣術指南を受けて剣術が上達しなかったからといって、金を返せ等と言う者は居ませんからな。我々はそこまで恥知らずではないつもりです」
「それを聞いて安心しました。では契約は私が行います」
「ええ。それでは聖下」
「ん」
ジラントに促され、ソファから降りたキリエが契約書の下部へと記名を行う。その後、名前の横に右手の親指を押し付け、ゆっくりと魔力を流し込む。すると白く輝く魔力の粒子が羊皮紙へと流れ込み、彼女の指紋を象って光り輝いていた。続けて二枚目にも同様の動作を行ったあと、キリエは満足気にソファへと戻り再度寛ぎ始めた。
続いてソルが、キリエと同様の動作を行うことで契約書はそれ自体が光り輝き、二人の魔力で二枚の契約書を包みこんでゆく。そうして状態が固定され、契約は成される。
「ではこちらを。念のために申し上げておきますが、契約を違えれば魔力がこの契約書によって吸いつくされて魔力を失うこととなります。ゆめお忘れなきよう・・・まぁ契約を反故にしなければ何の問題も無いわけですが」
余談だが、魔力を持たないユエがこの契約を行えばリスクなく踏み倒せるのではないか、というようにも見えるこの魔術契約。しかし魔力が一定以上無い者では最初の魔力を流し込む作業が行えず、契約自体も行うことが出来ないのだ。過去にユエも試した事があったが、結局目論見は外れたという。そうそう美味い話はないらしい。
「さて、こうして契約も為されたことですし、我々がここへ来た最大の目的は達しました。長々とお時間を頂いてしまい、感謝の念に耐えません」
「んぅー・・・ん、ごくろう」
ぽん、と手をうち場を終えようとするジラントと、背伸びをしてソファへと沈み込みキリエ。
いつの間にかそれなりに時間が経っていたようで、彼らがやってきた昼前から時刻は既に二時間程が経過していた。
ソルに任せっきりで暇になったユエはカウンターへと移動して"氷翼"の手入れをしていた。懐紙を口に咥え、打ち粉を打ち終えたところで会話が終わったことに気づいたユエは、素早く油を塗布してから別の懐紙で刀身を拭い、鞘へと収めてから咥えていた紙を外す。
「終わったようじゃの」
ソファの方へとユエが戻ると、今度はキリエが立ち上がりユエの元へとのそのそと歩み寄る。
キリエは懐を漁り、そこから取り出した何かをユエへと差し出した。
「ん、貴女にはこれを」
「む?」
「これで遠くにいても会話ができる。ちょっとだけ」
「・・・ほぅ」
それは赤い金属で出来た小さなピアスであった。穴を空けるタイプではなく、両側から挟むタイプのものである。どんよりと鈍く輝くその金属はお世辞にも美しいとは言い難く、装飾目的には適していない事が一目で解る。キリエ曰く、通信用の道具ということらしいが、ユエはそのように便利な物があるとは聞いたことがなかった。
この世界には電話のような通信機器が存在しない。魔術具に似たようなものはあるが、対となる相手としか使用出来ず、非常に高価な上に効果の及ぶ範囲が狭い、なんとも使いづらいものである。以前王都でリスニと連絡先を交換していたように一応エイルが所持しているものの、ユエはその手のものは持っていなかった。理由はもちろん使用するだけの魔力が無いからである。
「すまぬが、わしは魔術具の類は使えんのじゃ」
「もんだいない。これはまりょくを必要としない」
「・・・なんじゃと?」
「使われている金属がじゅうよう。でも詳細はひみつ。いちおう神器のひとつだからとっても貴重」
キリエはこの小さな金属で作られたピアスが神器だという。未だにアルスの持つクラウ・ソラスしか現物を見たことが無かったユエは、神器とはてっきり武器しか無いものだと思っていた。だが考えてみれば確かに、"厄災"に対抗するために女神から齎された物と考えれば、こういった道具があってもおかしくはないだろう。そんな貴重なものを何故かユエへと渡すキリエの思惑は、その眠そうな表情からは読み取れない。
「あなたとはまた話がしたい。女神にえらばれた、異質なあなたと」
「・・・おぬし、何をしっておるんじゃ?」
「なにも。でもあなたは他とは色が違う。ただそれだけ」
「・・・」
色が違うとは一体どういうことなのか。ユエにはキリエが何を言っているのか理解らなかった。さりとて、心当たりがないわけでもなかった。ユエ自身もなんと形容していいのか理解らなかったが、キリエの言葉にはこの世界で目覚めてから初めての、何か
「・・・まぁ、もらっておこうかの」
「ん」
得体の知れない靄を胸の中に感じつつも、ユエはキリエの小さな手の中にあるピアスを受け取った。その後簡単に使用方法を聞いたユエは、自らの左耳へとピアスを装着してみることにした。如何にそれがどす黒く紅い、静脈から吹き出る血のような色をした物だとしても、生前よりあまり飾り気の無かった彼女にとって、それは思いの外心が踊った。魔留石のイヤリングならば以前に装着したが、あのときは歪園内だったこともあってまるでそういった気分にはならなかった。
「ど、どうじゃ!?」
「最高ですお姉様。そのまま動かないでください」
ぎこちない笑顔でポーズを取るユエと、瞬時に手帳を取り出してユエを描き始めるソル。
ソルに聞けば大抵の場合は『最高』としか言われないため、相対的な評価としてはまるで参考にならない。それを分かっていつつも、満更ではない様子のユエ。ちなみに『最高』以外の場合でも『素敵』『素晴らしい』などといった賛美の言葉しか出てこないのでやはり参考にはならないのだが。
「・・・もうかえってもよい?ねむい」
「ふむ。イサヴェル公爵、街まで送って頂いても?」
「はい。あの二人はああなると長いので、今のうちに戻るのが良いでしょうね」
やいのやいのと騒ぐユエとソルを尻目に、キリエとジラントはベルノルンに案内されてひっそりと店を後にした。別段そのようなことを気にする性質でもない彼女らだったが、ここまで雑な扱いをされたのは後にも先にも初めてだったという。
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