第77話 姉妹と山羊

エイルが戦闘を開始した頃。

幼い頃より共に育った、常から隙あらばサボってばかりである不出来な妹分を見送る眼。

ソルもまた、黒霊山羊ヘイズの走る進路上に居た。


興奮を抑えられずに突進してくる眼前の歪魔など、ソルにとっては取るに足らないモノでしかない。

ソルは戦闘が好きというわけではない。さりとて嫌いというわけでもない。

彼女にとって戦闘とは、正しくことであった。


エイルのように『面倒だ』とすら思っていなかった。

彼女が戦うのは偏に、『義姉がやっているから』というだけの理由でしかない。ユエが戦うから自分も戦うし、もっといえば戦っている義姉の姿を近くで見るために戦っている。義姉の役に立つためだけに腕を磨き技術を学んでいる。義姉に褒められ労ってもらうためだけに行っている。こと戦闘に関して彼女が楽しいと思えることなど、義姉との模擬戦闘くらいのものである。


そんな限界まで行き着いたユエ信者シスコンである彼女が、現在何を考えているのか。

答えは言わずもがな『早く終わらせて義姉の勇姿を眺めたい』である。

エイルの背中を見送ったソルは、自分の眼前に迫る黒霊山羊ヘイズを見つめた。焦りや恐怖などといった感情は微塵も見当たらない。


(さて、雑事は早々に終わらせてしまいましょうか。時間がありませんからね)


ソルには時間が無かった。

先の"厄災"とやらであればいざしらず、この程度の相手であれば瞬きする間にユエの戦闘が終わってしまうだろう。遊びや試しなど必要ない。とはいえは使わない。魔法は詠唱が長く、省略も出来はしない。速度と効率だけを求めて処理する、それが今のソルにとっての最善であった。


今回の探索では、ここ45階層に至るまでの道中でさえも戦闘らしい戦闘はしていなかった。獣や歪魔と遭遇するたび、程度の低いものはエイルが間引き、それなりの敵はユエとノルンが行きがけの駄賃とばかりに雑に処理してきたおかげだ。"厄災"の一件で深度が上がって以来、ソルが魔術を用いて敵と戦うのはこれが初めてであった。


深度が上がるということは魔力総量や身体能力が向上するということだ。

しかし低深度で一つ上がることと、高深度で一つ上がるのでは意味が違う。


(おや、これは・・・魔力量もそうですが、心なしか体内の魔力伝達速度も向上しているようですね。この分だと恐らくは放出量も、でしょうか)


魔術とは一般的に、バランスが重要だと言われている。

術式の理解度が高ければ高くなるほど、呪文の詠唱を削ることが出来る。

伝達速度が上がれば、行使が早くなる。放出量が上がれば規模が増す。

逆を言えば、術式に対する理解度が高いだけでも大した意味はない。伝達速度が高いだけでも、放出量が多いだけでも駄目なのだ。


(ふふ。調整する必要はありますが、出来ることが増えましたね。一層お姉様のお役に立てそうで何よりです)


そして、元より全てが最高級であったソルのそれらが、深度が上昇したことで更に高みへと登ったとすれば。もしもこの場にミムルが居れば、喜びと寂しさが綯い交ぜになった、なんとも言えない顔をしていたかもしれない。


自らの内に宿る魔力に満足したのか、思索にふけることをやめたソルが黒霊山羊ヘイズへ向けて、ぱちり、と指を鳴らした。


「───『四律しりつ灰姫の墓標グレイヴ・アッシュ』」


ソルの魔力行使速度は、もはや予兆を感じさせない程であった。ソル自身の瞳でさえ魔力の残滓が見えぬ、ともすれば即時発動とすら呼べそうなほどの行使速度。

螺旋を描きながら隆起する大地の牙が、黒霊山羊ヘイズを襲う。危険を察知する間もなく両前足を縫い留められた黒霊山羊ヘイズが躓くかのように体勢を崩す。即座に後ろ脚をも貫かれ、十字に変形した灰姫の墓標グレイヴ・アッシュがそのまま黒霊山羊ヘイズを大地へと縫い留める。


「───『双束ふたばね緋色の瞬きスカーレット・オルナ


拘束された黒霊山羊ヘイズの前足、その膝関節部分で二つの爆発が起きる。

まるで剣閃のように細く鋭い不自然な爆発によって黒霊山羊ヘイズの前足が断ち切られ、頭を垂れるようにソルの眼前へと黒霊山羊ヘイズが倒れ込んでいた。

詠唱など、ただの一節すらも必要ない。それほど位階の高くない───彼女の魔術の中では───ソルの魔術は、圧倒的な速度で行使されつつも、上昇した魔力放出量のおかげで威力は十分以上であった。


「───『果つる鈍色の断頭台エンドメイカー』」


頭を垂れ、身動きの出来ない黒霊山羊ヘイズの頭上。

そこでは周囲の地面からを吸い上げるようにして集められ形成された、鈍い輝きを放つ大きな刃が中空に浮かび、振り下ろされる瞬間を待っていた。

ソルは敵で遊ぶ趣味も、懺悔の機会も、見逃す慈悲すらも持ち合わせては居ない。姉の障害をただ消すだけ。


「成程。この感覚は、悪くないですね」


既に、否、最初から興味など持っていなかった眼前の歪魔へと背を向ける。

姉の元へと向かう彼女の耳には、断末魔の声など届きはしなかった。



* * *



時を同じくして。

己の担当となった黒霊山羊ヘイズへと歩を進めていたユエは迷っていた。


(折角深度が上がったというのに、ソルに"宵"を預けたままじゃった・・・)


いよいよ探索をすることが決まった当初、ユエ達は迷宮内部は閉所だと想像していた。

前世での記憶のせいもあるだろうが、迷宮と言うくらいなのだからもっと地下洞窟的なものを思い浮かべていたのだ。いわゆるダンジョンというやつである。

となれば馬鹿げた長さを持つ"宵"は振るえないだろうと思い、ソルに預けたままにしていたのだ。


しかし実際に足を踏み入れてみれば、思っていたほど狭くはなかった。それどころか場所によっては広いとすら感じるほど。少なくとも"宵"を振るうのには充分だ。

しかし初の探索を満喫してしまっていたせいか、すっかりその事を忘れていたユエは現在、"氷翼"と数打ちの刀、計二振りの刀しか持っていなかった。


深度が上がったことで身体能力が上がったのならば、やはりまずは試してみたかった。

よく耳にする、身体能力の上昇に意識が付いてこないだとか、慣らし運転だとか、そういうことではない。膂力が増そうが何であろうが、こと身体の操作に関してユエの感覚を超えることなどあり得ない。どこをどうすればどう動くのか。その手の悩みとは無縁なのが彼女である。


上がった能力でもって"宵"を全力で振るえばどうなるのか、ただその結果だけが知りたかったのだ。

とはいえ、無いものをねだっても仕方がない。


「まぁ仕方あるまい。ノルンもで両断したわけじゃし、やれんこともないじゃろ」


すっぱりと諦めたユエは、腰に佩いた"氷翼"を抜き放つ。

この世界に来て初めて打った愛刀は、日頃の丁寧な手入れもあってか、その刀身には曇りなど微塵も無かった。構えはユエにしては珍しい上段、足を前後に開いて、駆ける黒霊山羊ヘイズを迎え撃つ。


ユエは敵を見据えて決意する。

恐らくは、ソルもエイルも問題なく敵を倒してしまうだろう。

姉として情けないところなど見せられない。故に一刀、ただの一振りで決着をつけよう、と。


一撃必殺。

ならばがいいだろう。


黒霊山羊ヘイズが血走った眼でユエを捉え、そのまま轢き潰そうと脇目も振らずに一直線に向かってきていた。通常の探索士、それこそウルなどであれば慌てて回避しようとする状況。しかしユエには焦りなどなく、回避するつもりもまるでない。


彼我の距離が詰まり、目と鼻の先まで迫った黒霊山羊ヘイズの脳天へと大上段から"氷翼"を振り下ろす。技など必要ない。今必要なのはただただ気合と力のみ。大きく息を吸い込み、裂帛の気合と共に放たれる全身全霊の一太刀。


「スぅ──────ちぇすとォオー!!」


切り抜ける、などという鮮やかなものでは無かった。

速度と質量を武器に迫る敵を、真正面から斬り伏せる。振り下ろされた刃は毛皮を斬り裂き、硬質な皮膚を貫き、肉を潰す。頭部を割断し、敵の頭蓋をも両断しながら地に叩き伏せる。

ユエの叫びと、敵が潰れる音、大地が割れる轟音。その全てが混ざり合い、轟音となって周囲へと響き渡る。


巻き起こる土煙の中、完全に頭部を破壊され地に沈んだ黒霊山羊ヘイズの無惨な死骸と、返り血やら何やらで全身を真紅に染めたユエの姿があった。ユエは辟易するような顔でべっとりと張り付いた血を拭い、しみじみと一言呟いた。


「うむ・・・最悪じゃ、二度とやらん」


そう心に誓い、トボトボと皆の元へ帰るユエの背中には哀愁が漂っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る