第75話 ウル

「ふふ。如何でしたか?」


珍しく満足したような顔で、ユエ達の元へと戻ってきたノルンの第一声がコレであった。

二振りの剣は既に納刀されており、魔術は解除されている。


「『ふふ、如何でしたか』キリッ、では無いわたわけ。なーんも見えんかったわい」


「気がつけば目の前に肉片が積み上げられていた我々の身にもなって頂きたいですね」


「見学者の事も考えて欲しいッス。時間も短い所為で、まだほとんど何も口を付けて無いッスよ」


そんなノルンに対してブーブーと文句を垂れる三人の姿は、まさに面倒なクレーマーそのものであった。戦闘を終えたノルンを労うでもなく、いつのまにか準備されたシートの上に座り、飲み食いしながら観戦しようとしていたら戦闘が終わってしまったことへの不平不満を異口同音に並べ立てる。


「・・・じゃがまぁ、あれからまた腕を上げたのぅ。わしが言う事でもないんじゃが」


「いいえ。貴方から褒められるのは存外気分が良いものですよ。有難う御座います」


「あら?ノルンさん、見込みがありますね」


「何の見込みじゃ・・・じゃがの!言っておくがわしもまだ奥の手があるんじゃからな!」


ユエが負け惜しみを吐けば、ノルンが上機嫌であしらい、ソルが怪しい勧誘を行う。

とはいえ腐すだけではない。冗談もそこそこに、口を尖らせながらユエが褒め称えれば、ノルンが素直に礼を言う。ユエが自分で言うように、ユエはノルンの師匠でも何でも無い。どちらかと言えば好敵手ライバルのほうが、二人の関係性としては適切だろう。そんなユエが『腕を上げた』などと言えば、場合によっては上から目線に聞こえてしまうだろう。勿論ユエにはそんなつもりはなく、ただ純粋に褒めただけなのだが。


ところが、ノルンは気を悪くするどころかどこか嬉しそうにしていた。

実は不思議な事に、ユエに褒められると何故か嬉しく感じるという者はこれまでにも居たのだ。鍛冶に関することならば分からなくもないが、それこそユエの持つ技術とはまるで畑違いの者にすら、今のノルンと同じように言う者が以前にも居たのだ。理由を問うたところで、返る答えは『何故かは分からない』でしかないのだが。


ユエの妙に年寄り臭い口調が威厳を醸し出している、などということではないだろう。

仮に口調に威厳があったとしても、見た目は完全に幼女、或いは少女である。そこには威厳も含蓄もあったものではない。事実、先程気分が良いと宣ったノルンにも、薄っすらとした答えはあれど、明確な理由は分からないでいた。


「おや。そうなのですか?ちなみに私の『辿り至る春疾風アクセル・ステア』も実はまだまだ未完成です」


「む?そうなのか?見た感じは既に十分な完成度じゃと思うたんじゃが」


「ひどく。疲れるんですよ。性能はともかく、体力的にも精神的にも負担が大きすぎます。具体的にはとても空腹になりますし、非常に眠気が強くなります。改良が必要でしょうね」


「成程のぅ。相手では完全にオーバーキルじゃったな。ちなみにわしの奥の手は完全無欠の完成品じゃ。嘘ではないぞ?精進せぃ」


「嘘ですね。本当に欠陥が無ければわざわざ嘘ではない等と念押ししないでしょう。それに私のほうも時間の問題です」


「はー、見せてやりたいんじゃがのー。機会がなくてつらいのぅ」


しばらくの間、そうしてぎゃあぎゃあと喚いていたところで、いつの間にか行動を起こしていたエイルから終了の声がかかった。こういった部分での抜け目なさが、エイルをエイルたらしめている。


「はいはい、もういいッスから。こちらの方々がどうしていいか分からずに困ってるッスよ」


「あ、もういい・・・の?えっと、私はウルって言います。その、さっきは有難うございました」


そう言うエイルの背後には、黒霊山羊ヘイズと戦闘をしていた五人の探索士達が立っており、代表としてウルと名乗った双剣使いの女が困惑した様子で礼を口にした。負傷した前衛の一人は弓使いの男に肩を借りる形でどうにか立っている、といった様子である。そんな彼らの様子を見たユエには、ふと疑問が思い浮かんだ。


「気にせんでよいぞ、助け合いが大事じゃとウシ乳が言っておったからの。ところで、見た所怪我の治療をしておらんようじゃが・・・」


そう言ってちらりと肩を借りて立っている前衛の男へとユエが目を向ける。

見れば怪我の治療はおろか、魔術による止血さえも行っていない様子であった。ユエの見た所、致命傷ではないとはいえさすがにずっと放置しておけるような傷でもなさそうなのだが。


「それは・・・」


「毒ですね。黒霊山羊ヘイズの角には毒がありますので、まずは解毒しなければ治癒も出来ないでしょう」


口ごもるウルの台詞を、この数分でいくらか疲れを見せ始めたノルンが補足する。

魔術による治療は万能ではない。やっていること自体は"朝露"による治療と同じである。魔素によって深化を促すことで治癒効果を得る朝露に比べ、魔素ではなく術者の魔力を分け与えるような形となる為に、非常に効果が落ちるのだ。故に魔術による治療は基本的には応急処置程度でしかなく、回復薬ポーションの方が効果が高いと言われている。以前にソルがシグルズ団長に治癒を施したことがあったが、ソルが行使したとしても応急処置程度にしかならなかった。如何にソルが本職の治癒術師ではないとしても微妙な効果である。その上毒に侵されているとなると魔力も馴染まず、治癒効果は殆ど得られない。


「ふむり。つまり解毒手段が無いということか」


「はい・・・解毒薬はあるんですけど、通常の解毒薬では黒霊山羊ヘイズの毒には効果が無いんです。毒自体は強いものではないんですが、特殊な毒だから解毒が難しいんです」


「ほーん・・・」


「私達はもう随分長くこのあたりで探索をしているんですけど、黒霊山羊ヘイズなんて今まで一度も見たことが無いんです。そもそも黒霊山羊ヘイズは下層以降でしか目撃情報がありません。だから解毒の用意なんてしてなくて・・・」


そう言いつつもちらちらとベルノルンの方へと横目をやって気にしている様子のウル。

どうやら彼女はベルノルンのことを知っているらしい。それ故に言葉遣いや態度に気をつけている、といったところだろうか。


「あー、此奴のことは気にせんでよいぞ。普通に話してよいよい。此奴こやつなんぞただのストーカーじゃ」


「失敬な。・・・とはいえ、ユエさんの言うように普通にして頂いて構いませんので」


「そ、そうです・・・か?ではお言葉に甘えて・・・やー、本当は貴族の人と話すのなんて初めてで、どうしていいのかわからなかったんですよね。ていうか本物ですか?昨日アルスさんのパーティと会った時に伺ってたんですけど、まさか本当にあのイサヴェル公爵様がこんなところにいるなんて思いもしなくて。おかげで命拾いしたんですけどね。本当に有難うございました!」


通常であれば貴族という存在に相対する時には礼節が求められる。いち探索士として初めての探索を行っている最中のベルノルンからすれば彼らこそが先輩にあたる。そうでなくとも、こんな場所で、このような状況で礼儀作法を求めるほどベルノルンは石頭ではない。

そんな貴族様から許可が出た途端、ウルは今までどうにか隠していた本来の調子を取り戻したらしい。次から次へと話し始めたウルには、さすがのユエも突っ込みを入れた。


「変わりすぎじゃろ!急に喋りすぎじゃろ!」


「あはは、こっちが素ですから」


「まぁわしとしてもそっちのほうが話しやすくて助か───待て、今何と言うた?」


「え?」


「アルス達と会ったじゃと?」


「あ、うん。昨日一緒に野営したんだ。カッコよかったー」


なにやらアイドルにでも出会ったかのように瞳を輝かせるウルを他所に、ユエは地面に崩れ落ち項垂れていた。彼女たちは昨日アルス達と出会っている。それが意味することはつまり。


「ぐぉぉぉ・・・いつの間にか抜かれておった・・・何故・・・」


「いやぁ、普通に野球と壁尻じゃないッスか?」


「ぬぉぉ・・・」


「お姉様、帰りも是非やりましょう」


「やらんわ!」


鼻息荒く、手をわきわきとさせながらにじり寄るソルを張り倒し、ユエは勢いよく立ち上がった。

よくよく考えれば今は落ち込んでいる場合ではないことに気づいたのだろう。先の屈辱を振り払い、ウル達へと向き直って今後の話を進めなければならなかった。


「ともかく、じゃ。早う解毒せねば不味いのじゃろう?」


「あ、うん。すぐにどうにかなる傷じゃないけど、このままじゃ不味いのは確か。それにこんな場所に黒霊山羊ヘイズが居たことも明らかに異常だよ。協会に報告しなきゃ」


男の怪我に関しては概ね予想通り。直ちに命の危険は無いとはいえ、急ぎ戻って治療を受けさせなければならないだろう。ウルがいう話が真実であるならば、黒霊山羊ヘイズが現れたという異常事態イレギュラーに関しても気がかりだ。ウシ乳然り、アルス達然り。先人たちから『異常を感じたらすぐに引き返せ』と口を酸っぱくして言われていたユエである。であるならば新米である自分の判断よりも、彼らの言葉に従うべきだろう。


「ふむり・・・で、おぬしらは自分たちだけで戻れるんじゃろうか」


「ゔ・・・そ、それは勿論!!・・・やっぱ正直ちょっと厳しい、かも・・・?」


「・・・まぁそうじゃろうな。であれば送ってやらねばなるまい。わしらも一度戻るとするかの」


「ホント!?助かる!さっきのも含めて後で絶対お礼するから!お願いしてもいいかな!?」


そもそも今回の探索はユエ達にとってはただの試用期間である。

一応の目的は設定していたものの、なんとしても達成したいという類のものではない。なんとなれば現在の魔溜石の色からおおよその限界値が予想出来なくもない。故に彼らを地上まで送り届けるということはそれほど問題ではないのだ。むしろ目の前で見捨てたとあっては、そちらのほうが夢見が悪くなるというもの。


「宜しいのですか?お姉様」


「構わん。ある程度探索も出来たし資源も回収出来た。差し当たっての目的は達成したといえるじゃろ」


「ふふ、ならば私に否やはありません。どうぞご随意に」


「すまんの。それにほれ、流石にを処理せんとどのみち此奴ら帰れんじゃろ」


「・・・三体ですか。そろそろエイルにも戦わせましょう」


「え、嫌なんスけど」


ユエが意味ありげにソルへと目配せをして、ついでこの広場の出口、数刻前に自分たちが入ってきた入口を顎で指し示す。全てを語らずとも、ソルはユエと考えを共有し計画プランを提示する。二人にしか為せない阿吽の呼吸といえるだろう。一人は異を唱えていたが。


「え、なになに?報酬の相談?心配しなくても私達そこそこお金持ってるんだから、ちゃんと払うよ?」


未だ何も気づいていない様子のウルが無邪気に纏わりついて来たが、次いでユエから発せられた言葉に耳を疑うこととなった。


「阿呆。敵じゃぞ。さっきの・・・黒霊山羊ヘイズじゃったか?あれが三体じゃ」


「・・・ぇ」


「ツいておるの。丁度ノルンに出番を取られて退屈しておったところじゃ」


ユエからすればそうだろう。先程ノルンと出番を取り合って譲った挙げ句に、初めて見る───厳密には見えなかったが───技を見せつけられたのだ。近頃は戦闘も悪くないと思い初めていたユエは不完全燃焼もいいところであった。

しかしウル達からすればたまったものではない。彼らからすれば黒霊山羊ヘイズとは、五人がかりで苦戦し、負傷させられた上にイサヴェル公爵が介入しなければパーティの崩壊もあり得た相手である。それが三体ともなれば異常も異常。自分たちの手に追える範疇を大いに越えている。


「しかし、新人探索士が初めての探索でこうも立て続けに異常事態に遭遇するなど、どれほどの確立なんじゃろうか・・・」


「退屈しておられたお姉様の願いが届いた、といった所でしょうか」


「聞いてるッスか!?嫌なんスけど!?」


呑気に会話する三人の眼前、出口の方からは先程と同じ気配。

一方で、ノルンと違い無名であるユエ達を知らないウル達は戦々恐々としていた。そんな中でウルがあることを思い出す。そうだ、先程苦もなく黒霊山羊ヘイズを屠った者がこの場には居るではないか。


「待って待って!ホントに言ってる!?全然分かんないんだけど!?え、嘘でしょ!?どうす───いやいや、私達には公爵閣下が居るじゃない!」


忙しくも、先程までとは一転して安堵の表情を浮かべたウルがノルンの方へと振り向けば、そこには胸の前で腕を組み、真面目な表情で何か思案をするように眼を閉じて佇むノルンの姿があった。


「・・・」


「公爵様、あの、えっと・・・もう一度手をお借りしても・・・宜しいでしょうかぁ・・・?」


ノルンの前で手もみをしながらすり寄るウルは、『本当に慌てているのか』と問い正したくなるような緊張感のない姿であった。先程も言っていたように、ただ貴族への接し方が分からないだけで、本人はいたって真面目なのだが。


「・・・」


「あの・・・」


「はぁ・・・無駄ッスよ」


「え?」


「よく見てみるッス」


渋々、といった様子で戦闘準備をするエイルが小さな溜息を一つ吐く。

エイルに言われるがままに、怪訝な顔でウルがノルンの顔を注視する。

整った顔立ちである。黒く艶のある髪に長いまつ毛。眼を閉じていても分かる切れ長の美しい眼。形の良い耳に、スッと通った鼻からは鼻ちょうちんが出ていた。


「もう寝てるッス」


「終わった!!」

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