第74話 春疾風
身体が大きいということは、力が強いということだ。
野生動物が威嚇の為に立ち上がり、自らを大きく見せることで力を誇示するように。
それはこちらの世界の獣や歪魔でも同じ事だ。大きな力を持つ歪魔は基本的にその体躯も巨大である。
無論例外はある。
魔素の影響を余すこと無く凝縮する形で深化を遂げた結果、逆に体躯が小さくなる場合も有るには有る。
だがやはり、例外は例外でしかない。一般的には身体が大きな者のほうが強いのだ。
そんな巨大な歪魔である
人間の深度と歪魔の深度はイコールではない。歪魔の深度とはつまり、協会が推奨している五人パーティで戦闘した際の目安である。要するに深度6の歪魔と戦うのであれば深度6の探索士を五人集めたパーティで挑むのが望ましいということだ。ユエ達が王都で出会ったヴィリーやリスニは
前述の通り、巨大な体躯は力の強さの証明だ。獣型の歪魔である
『大きくて強い』というシンプルな暴力は、ただそれだけで簡単に人間を蹂躙してしまう。その上毒まで備えているのだ。故に
しかし
迷宮内を静かに流れる冷たい空気と、草木と湖が作り出した薄い靄の中。ただゆっくりと、己に歩み寄るだけの存在から目を離せなかった。つい先程まで、己の眼前で必死に抵抗をしていた矮小な存在と同じ生き物である筈なのに。
だが今、己の前に立ち塞がる
これまで経験したことのない得体の知れぬ存在を前にして、
* * *
一方で、ベルノルンもまた悩んでいた。
出番を譲って貰ったは良いものの、さてどうするかと問われれば、取り立てて言うほどの計画があるわけでもなかった。だがここまでの探索では、歯ごたえのあるような手合と遭遇したことは無かった。故に退屈気味であったことは事実だ。
ただ倒すだけでは味気ない。ただ試し切りにするのでは勿体がない。それでは折角譲ってもらったというのに意味がない。どうせ戦うのであれば何かしら自らの益にしなければ。
そこまで考えたベルノルンは、しかし思い直すように
確かに
ならばベルノルンが苦戦するか、と問われれば答えは否。戦う?それも否。今から始まるのは戦闘ではなくただの蹂躙だ。
故にベルノルンは素直に感心していた。
全員が何やら驚いた表情で、自分の顔を見ながら何事か話しているのが気にはなったが。
とまれ、これで後顧の憂いは無くなった。言い方は少々悪くなってしまうが、ベルノルンにとって唯一、彼らが邪魔になることだけが心配だったのだ。下手に手出しをされること、或いは
(さて。そうとなれば折角ですし、例のアレを試してみましょうか)
方針を決めたノルンはその場で歩みを止めた。
この程度の距離、彼女に取っては有って無いようなものである。
ユエとの模擬戦を行ったあの日以来、ベルノルンはただ強くなることを望んだ。
そのために主な犠牲となってくれた第二、第三騎士団長には感謝している。しかし彼らではベルノルンの望むモノを与える事が出来なかった。
速度には自信があった。全力を出した自分は誰にも捉えられないと、そんな驕りにも似た感情すら持っていたといっても良い。しかしそんな彼女はあの模擬戦で考えを改めた。
見えていないにも関わらず、自分の攻撃を捌く者が居た。
思わぬ手段で動きを制限され、誘い込まれ、そうして事実上の敗北を喫した。
屈辱、などと思ったことはない。偏に、ただただ悔しかったのだ。自分でも知らなかった事だが、どうやら自分は非常に負けず嫌いであったらしい。
故に、二度と負けない為に考えた。
剣技を磨くのか。不足している力を補うのか。策を用いるのか。
勿論どれも有効だろう。だがそれらは、果たして自分の求める答えだろうか。
草と蔦に覆われた硬い地面を、確かめるようにつま先で数度叩く。
(否。力でもなく、策でもない。私が欲しいものは唯一つ)
双剣を両手に、地面へ向けるように握り直す。
グローブ越しですらぴったりと吸い付くようなその感触を確かめる。あの時初めて知った悔しさを昇華させて、辿り着いた彼女の決意を胸に。そうして魔術を行使する。それは詠唱のない、たった一つの
「"
ベルノルンの身体から煌めく碧の魔力が溢れ、激しく吹き荒れながら彼女の脚へと纏わりついてゆく。
徐々に収束する嵐は脚から足へ。ミスリル製の鉄靴を覆い尽くし、風で編まれた羽が周囲の葉を舞い上げていた。その激しい風圧は周囲の空気を震わせ、密度を変化させる。足元は蜃気楼のようにブレて揺らめいている。ベルノルンの放つ異様な気配に、先程まで敵意を顕にして彼女を睨みつけていた
「
瞬間、ベルノルンの姿がその場から霧散する。
その速度はいつぞやの模擬戦の時の比では無い。空気が泣き叫び、爆発のような轟音が鳴り響く。その衝撃は遠く湖面まで届き、水面を波立たせていた。
「
その様子を周囲で見ていた者は、誰一人彼女の姿を捉える事はできなかった。
五人の探索士達は勿論のこと、ソルも、エイルも、深度の上昇によって元々の優れた視力がさらに上昇したユエでさえも。先程まで呑気に食事をしながら観戦していたユエは、その両手から肉を取り落とし、口をあんぐりと開いて驚きを隠せずにいた。
「
最初に爆音が鳴り響いてから数瞬後、周囲の全てを置き去りにしたベルノルンがその姿を見せた時、事は既に終わっていた。足を踏み出したように見えた
後に残るのは、ただの一歩も踏み出すことを許されずに絶命した
返り血の一滴も付いていない双剣を、まるで血振りするように両手で振り払い、ゆっくりと納刀する。そうしながらも、阿呆のように驚き呆けているユエへと目をやるベルノルン。
そんな彼女の顔には、いつものようにむっつりとした無表情でありながら、心なしか満足そうにも見える気色が浮かんでいた。
なんのことはない。彼女が望んだものは唯一。
自分の全速を捉える者がいるのなら、捉えられなくなるまで速度を上げれば良い。気配だとか勘だとか、そんなものすら関係の無いところまで。
結局の所、彼女もまた脳筋の一人だった、というだけの話であった。
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