第72話 兎と亀

迷宮内、上層25階層。

行きがけの駄賃感覚で通行の妨げになる獣だけを処理しつつ、四人の探索士が談笑しながら道を歩いていた。彼らのように下層に挑むような探索士達は移動時間を短縮するために、上層で獣と遭遇してもわざわざ倒したりはしない。比較的好戦的で向かってくる獣だけを処理しつつ、足早に通過するのが常であった。


「今頃ユエちゃん達はどの辺りかなー」


そう言いながら手にした小剣を薙いで血糊を落とすのはイーナであった。

入口付近とは違い、この辺りの地面には草や花、蔦のような植物が地を這うように道を彩っている。そんな道の上には絶命したばかりの二体の獣の死体が転がっていた。


「私達が出発してからそろそろ五時間程です。先に出発した大姉様達は既に中層に到達しているかもしれませんね」


フーリアが懐から魔導具を取り出して時間を確認する。

アクラとイーナが率先して露払いを行うお陰で彼女はここまで一度も戦闘には参加していなかった。魔術師の魔力は可能な限り節約するのが探索士の基本だ。故にこの程度の階層の、この程度の相手になどフーリアの魔術を使用する訳にはいかない。ならば魔術を使わなければよいのでは、と思われがちであるが、魔術とは上位の物になればなるほどその習得難易度の高さが格段に上がってゆく。魔術の習熟に手一杯であるため、一般的に魔術師は魔術以外で戦闘に参加することは無いのだ。ちなみにソルの場合は敵を蹴り殺しているだろう。


「ふぁ・・・いやァどうだろうな。様子見っつってたし、のんびり進んでるんじゃねェか?案外そろそろ追いつくかもしれねェぜ」


頭の後ろで腕を組み、呑気に歩くアクラが欠伸あくびをしながらフーリアに続く。

大盾を破損した彼は両手に金属製の篭手を装着した近接格闘スタイルであった。彼らも今回は慣らし運転程度のつもりで探索に赴いているため、下手に代替品を用意するよりもこちらの方が良いだろうという判断だ。そんな彼の眠そうに目元を擦る姿からは緊張感といった類のものはまるで感じられない。


「アクラ、さすがに気を抜きすぎだよ。いくら上層とはいっても油断は関心しないなぁ」


そんなアクラに苦言を呈するのはアルスだ。

彼もここまで一度も戦闘しておらず、腰に履いた二振りの剣はもちろん一度も抜かれていない。

根が真面目なアルスはパーティのリーダーとして、アクラの緩んだ姿勢を一応は諌めておかなければと考えたのだ。もちろん彼とて上層程度では危険は無いと思っているが、それとこれとは話が別だ。予測出来ないが故に想定外。そして歪園では得てして想定外が起きるものなのだ。


「まだ上層だぜ?気張り過ぎだって。何か起きてもどうとでもなるだろ」


「僕もそう思うけれどね。それでも何が起きるか分からないのが歪園だし、一応さ」


「急にリーダーが寝るとか?」


「ゔっ・・・それは悪かったよ・・・でも何だったんだろう。確かユエさん達の受付を待っていたと思ったんだけど・・・なんか前後の記憶が曖昧なんだよね。体調は特に悪くないんだけどなぁ」


イーナからの鋭いツッコミに、アルスは言葉を詰まらせた。

体調管理も探索士にとっては重要な仕事の一つだ。その点でいえばアルスに抜かりは無かった筈なのだ。昨晩はよく眠れたし、酒も飲んでいない。体調は万全な状態だったし怪我もない。

どうにも腑に落ちない、といった表情で首を傾げるアルスの姿を見た残りの三人はニヤニヤと意味ありげに笑うだけであった。


「なんだい、皆して不気味だなぁ・・・」


「それはともかく!私達も先輩として負けてられないし、さっさと先に進もうよ。今ならまだ追いつけるかも!」


「そうですね。今回は軽めに下層の入口までという予定ですし、さくさく進みましょう」


「それもそうだね。よし、頑張って行こうか!」


怪訝そうなアルスであったが、イーナとフーリアの言葉に同意してすぐに気持ちを入れ替えたらしい。

そんな露骨な話題転換にも気づけなかったアルスの姿を見て、アクラは暫くの間ニヤニヤし続けていた。



* * *



迷宮内、上層28階層。

アクラの予想は半分当たっていた。

ユエ達はのんびり進むどころか、殆ど進んでいなかった。

狭い道を抜けた先、少し開けた場所にユエ達一行は居た。

イサヴェルの中央広場ほどの広さのそこは、中層へと向かう道筋から少し外れた場所。

樹の一本すら生えていないというのに何故か枯葉の絨毯に覆われたその空間の中央にユエが立っている。


「くふふ。わしの球がおぬしごときに捉えられると思うでないわ!」


などと怪しげな台詞を吐くユエの手には拳大の見た目だんご虫のような物が握られていた。

だんご虫と違う点は黒色ではなく白色であるところだろうか。

そんなユエの向かい、18m程離れた所にはエイルが立っており、その手には何か獣の骨のようなものが握られている。エイルは半身になりながら肩の上でゆらゆらと骨を揺らし、不敵に笑っていた。


「甘いッス!もう姉様の球に眼が慣れてしまったッスよ!次は芯で捉えられるッス」


「抜かせ、追い込まれておきながら生意気な!この一球で止めをさしてやるわい!」


そんな二人の傍らにはソルとノルンが座っている。

ソルはユエへと熱い視線を送りながら手帳にその姿をスケッチしていた。隣に座るノルンはジトっとした瞳で真顔のまま左手の指を一本立て、右手の指は二本立てている。


ユエが足を上げ、腕を大きく振りかぶってエイルへとだんご虫を投擲する。

軸足の接していた地面がひび割れ、枯葉は宙へと舞い踊った。


「くたばれぇぇぇぇ!!」


「は!?早ッ、くッ───汚ぇッスぁー!!」


ユエの手から離れただんご虫が空気を引き裂き、轟音とともにエイルの元へと飛来する。

先程までの三球は全力では無かったのだろう。ユエの全力投球を見誤ったエイルが必死にスイングするも、彼女の持つ骨が振り抜かれたのは残念ながら既にだんご虫が通過した後であった。完全な振り遅れである。


「ストライク。バッターアウトです」


ノルンの無情なコールが広場にこだまする中、エイルは全力スイングの勢いですっ転んでいた。


「どうじゃー!くふふ、わしに勝とうなど百年早いわ!」


「流石ですお姉様。御覧下さい、お姉様の勇姿は私がしかと記録しておきました」


そう言いながらユエに駆け寄ったソルの手帳には無駄に上手い、否、上手すぎるユエの投球シーンが描かれていた。画家も裸足で逃げ出しそうなほどのその絵は、ともすれば金を取れるのではと思えるほどであった。唯一の問題は脚色されすぎていて実際の光景とはかけ離れていたことだろうか。


「でかした!くふふ、見よこの勇姿!わしの時代の始まりじゃ!」


「いいえ。残念ながら貴方の時代は訪れません。次は私の番です」


「・・・ほぅ?わしは手加減は苦手じゃぞ?」


「無用。王国騎士団統括騎士団長ベルノルン───推して参ります」



倒れたままのエイルの手から受けついだ骨を、ノルンが真剣な眼差しでユエに向かって突きつけていた。

余談だがこの世界には野球は存在しておらず、ユエが適当なルールで勝手に行っているだけである。




* * *



迷宮内、中層45階層。

いわゆる駆け出しエリアである上層を抜け、暫く進んだここは中層の丁度中間地点でもある。

これまではちらほらと姿を見ることのあった他の探索士達の姿はここにきてグッと減り、出現する獣も歪魔へとその姿を変えている。


そんな中にあっても、アルス達は苦戦もせずに順調に歩を進めていた。

慣らし運転が目的でもあったため、中層に入ってからはアルスも戦闘に参加していた。とはいえ三人全員で戦闘するわけではなく、専らアルスかアクラ、イーナの中から誰か一人が戦うといった形式である。フーリアは今回の探索では戦闘に参加するつもりがないので、すっかり採取専門となっている。


現在アルス達は45階層にある水場で野営の準備をしているとこであった。

周囲にはアルス達の他にもう一組の探索士パーティがおり、アルス達と同じように野営を行っている。男が二人と女が三人の五人パーティであった。このようにパーティ同士で隣り合わせに野営をすることは珍しいことではない。人数が多ければそれだけ歪魔の襲撃といった危険度が下がるため、むしろ協会からも推奨されているほどだ。


問題があるとすれば素行の悪いパーティ等と出くわしてしまった場合、逆に危険度が増してしまうという事だが、実際にはそんな者たちは滅多に居ない。それにアルス達をみて盗賊紛いの行為に走ろうものならばそれは自殺行為と違いがないだろう。


「こんなところであの"輝剣"のパーティと出会えるなんて光栄です!あの・・・あとでサイン貰ってもいいですか?」


「そんなもので良ければいくらでも。本当は恥ずかしいんだけどね」


先客であった彼らはこの水場を拠点に探索を行っているらしい。

例に漏れずどうやらアルス達のファンであるらしい彼らの頼みを恥ずかしがりつつも快諾したアルスは、サインの代わりにというわけでもないが、彼らから情報を得られないかと考えた。


「君たちはここに来てどのくらい経つのかな?」


「自分たちは今日で三日目です。あと二日ほどしたら帰還しようかと考えてますよ」


「そっか。それじゃあ───」


そうしてアルスがいくつか話を聞いた所、彼らは日頃からここを拠点として探索を行っているらしかった。探索中の水の確保は重要だ。多少回復するとはいえ魔力には限りが有るため魔術で水を作るのは最後の手段である。持ち込める水には限りがある以上、こうした水場を抑えて探索の拠点にするのは基本ともいえるだろう。ちなみにソルであれば歪園内では魔法が使えるので水が出し放題である。


その後も付近の階層の近況を聞かせてもらったアルスは、最後に一つ、と前置きしてから質問をした。


「このあたりで四人組のパーティを見なかったかい?女性四人組で、鬼人族の少女にエルフが二人、そこにイサヴェル公爵を入れた四人なんだけど」


「・・・なにかの冗談ですか?最後に厳つい名前出てましたけど、都市伝説的な?」


「まぁそんな反応になるよね・・・ごめん、気にしないで」


予想通りの反応に肩を落としたアルスはすごすごと自分たちのキャンプへと戻ってゆくのだった。



* * *



迷宮内、中層43階層。

野球をしているうちにすっかりアルス達に追い抜かれたユエ達はまたもや脇道に逸れていた。

中層に入ってからは初めて見る歪魔や資源物資等に気を取られ、あっちこっちへとふらふら移動していたお陰で進行速度はすっかり牛の歩みとなっていた。


「おや。これは黒鏡石こっきょうせきでしょうか。珍しいですね、是非持ち戻りましょう」


「ではこちらに。私が保管しておきますので」


ここまでの探索───のような物───のお陰で少しずつ慣れてきたのか、ノルンは目に映る違和感等から希少な資源を徐々に発見できるようになっていた。またソルはその特殊な眼に映る魔素の流れから、魔素によって変質した鉱物などを発見しては片っ端から収納していた。もちろんユエ曰くの謎空間に、である。魔素を操る事が出来るという圧倒的なアドバンテージを持つソルは、こと探索において凄まじい適正を見せつけていた。未だノルンには魔法のことは伝えていなかったが、魔力が底をついても魔法で戦える以上は節約する必要がないのである。そもそもソルの場合は魔力が底を尽きることすら殆ど無いのだが。


一方、そんな二人を他所にポンコツの二人もまた近くを探索していた。


「姉様、あそこ見て下さいッス!あの狭い穴、アレ地図に載ってないッスよ!!」


「なんじゃと!?ではわしらが一番乗りということか!?どこじゃ!」


「これッス!・・・でもこれだいぶ道狭いっスね」


エイルが発見したという未発見の道は岩の陰に隠れるようにして存在していた。小柄な者か、あるいは子供くらいしか通れないような小さな横穴である。このような場所まで子供が来れるはずもなく、それ故今まで誰も先を地図に記していないのだろう。奥を覗けば確かに広まった部屋のような場所が見えた。


「くふふ。わしを舐めるなよエイル。こんな事もあろうかと成長を適度に止めておいたのじゃ。ここはわしに任せろ!」


「おお!頼もしいッス!姉様のロリ体型が役に立つ日が来るとは思ってもみなかったッス!」


「ん?なにやら馬鹿にされた気が・・・いや、今はそれより未知なる世界じゃ!ゆくぞ!」


気合と共に、小さく口を開けた穴へと頭から突撃してゆくユエ。もぞもぞと身じろぎしつつ少しずつ身体をねじ込んでゆく。順調に見えたそれは、しかしユエの頭から腰のあたりまでが見えなくなったあたりで停止した。当然パンツ丸出しである。


「・・・」


「姉様?どうしたッスか!?何かあったッスか!?」


「うむり・・・いや・・・」


「な、なんスかその煮えきらない・・・んー・・・?・・・姉様、もしかして」


「・・・」


「・・・ブフッ!いやいや、そんな・・・ンフッ、まさか・・・」


「・・・尻がハマって動けん」


「あははははははは!!」


「笑ったなァ駄犬!!」


「ぶははははは!!そんな格好で凄んでも怖くないッスけど!!どんだけケツデカいんスか!!ぶふっ・・・ぐぅッ!!」


「貴様ァー!!」


ユエがじたばたと足を動かすも、ぴったりとハマってしまったのか抜ける気配は無い。

騒いでいる二人に気づいたソルとノルンがやってきた時、そこには壁から生えた尻と腹を抱えて転げ回るエイルの姿があった。その後、どう引っ張っても抜けないことに業を煮やしたノルンが壁を破壊して救出するまでの数十分、エイルはひたすら笑い転げ、ソルはユエの尻を一心不乱にスケッチしていたのだった。


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