第71話 早すぎる別れ
「おぉ・・・」
「や、それもういいッスから」
"
大型の劇場ホールほどはある空間で、壁も天井も硬質な岩で作られている。その一方で地面だけはある程度舗装が為されていた。
そこから馬車が三台程度ならば横並びで通れるような広い幅で、探索士達を誘うかのように迷宮の奥へと道が続いている。一足先に抜け駆けをしたユエが感嘆していると、直後に残りの三人も門から姿を見せた。
「これは・・・想像していたものとは随分違いますね」
「迷宮は。上層のある程度までは舗装が済んでいますので。中層以降になれば恐らく、皆さんの想像しているような光景が広がっているかと」
「なるほどのぅ。確かにわしもっと狭い洞窟っぽいのを想像しておったわ。先人たちの努力の結晶、といったところじゃろうか」
「そうですね。迷宮を管理することを目的にイサヴェルという街が出来て以降、長い年月をかけて少しずつ少しずつ開拓してきた成果です。そのおかげで現代の探索士達はいくらか楽に探索ができるようになりました」
「昔の人に感謝じゃな」
ユエはなにやらしみじみと感想を垂れながら頷いて見せた。
とはいえいつまでも感動しているわけにもいかないので、早速今後の予定を確認する。
「さて、では確認じゃ」
今回の初探索においてユエ達の主な目的は4つ有る。
一つ。取り敢えず行けるところまで行ってみること。
今回は様子見であるとはいえ、感覚を掴むためにもある程度は進んでおきたい。
一つ。危険を冒さない程度に留めること。
少しでも厳しいと感じた場合、即座に撤退することを最優先事項としている。
一つ。物の目利きなど出来ないので取り敢えず全て持ち戻ること。
様子見とはいえ手ぶらで帰る訳にはいかない。かといって選別も出来ないので手当たり次第に持ち戻ってみよう、という雑な作戦である。
そして最後の一つ。
「
そういってユエは自らの左耳に装着された耳飾りを指で弾く。
その耳飾りにはつるりと輝く純白の、真珠のような球体が取り付けられていた。
これは迷宮へと探索へ赴く全てのものに協会から与えられる装飾品であった。
迷宮とは即ち
そのような事態を防ぐために作られたのがこの装飾品であった。
取り付けられた純白の石は魔素濃度によって色が変化し、蓄積量によって徐々に黒く暗くなってゆくのだ。これによって探索士達は自分たちの滞在できる限界を色で知ることが出来ると共に、予期せず危険な地域に足を踏み入れたことを察知することも出来るというわけである。なおこの取り付けられた石は変色こそするものの、どれだけ魔素を浴びても変質しない特殊な石が使われている。
耳飾りタイプのものもあれば腕輪や指輪、ネックレスなど、形状は様々なものから選ぶことが出来、その全てが同じように真珠のような丸い石が取り付けられている。ユエとソルは耳飾りであったが、エイルとベルノルンは腕輪タイプである。これは各々が使用する武器によっては邪魔になってしまうが故の措置であった。
要するに今回の一番の目的はこの装飾品、通称"
その他細かいことを上げればキリがないが、今回の大きな目的はこの四項目である。
「まぁなんじゃ、折角じゃし下層くらいまでは覗いておきたいところじゃのう」
「はい。今回は、採取等は後回しにしてでも出来る限り進んでみるのが良いかと。戦闘に関しては上層や中層程度では苦戦することもないでしょう」
ユエがふんわりとした目標を掲げればノルンがそれに同意する。
ソルとエイルの二人も特に異論は無いようで、ひとまず目指すべき地点が決まった。
当然ながらこの四人の行動は常軌を逸している。初めての探索で下層を目指すなど通常の感覚で言えばもはや気狂いの類である。無謀も無謀。もしも聞いている者が居れば腹を抱えて笑っていただろう。
迷宮はその全貌が未だ明らかになっていない超巨大歪園である。
一説によれば、始めに発生した巨大な歪園が、その後続けて発生した小さな歪園を取り込み続け、連鎖するように結合したものが迷宮であると言われている。そのため取り込まれた無数の歪園には元凶が存在せず、最深部に位置するであろう
徐々に下方へと進んでいく形状をしているために各歪園は階層と呼ばれ、1~30階層までを『上層』、31~60階層までを『中層』、61~90階層までを『下層』、それ以降を『深層』と呼ぶ。
現在の最高到達階層は96階層である。なお攻略パーティは言わずもがな、アルスと愉快な仲間たちである。
駆け出しからベテランまで、最も多くの探索士がいるのが『上層』。
この層は歪魔が殆ど存在せず、ほぼ全てが獣である。探索師の数が多いために、魔素を吸収して獣が歪魔へと変じるその前に大抵は倒されてしまうからだ。それ故駆け出しの探索士でも比較的安全に探索を行うことが出来るが、魔素濃度は薄いため希少な資源は殆ど産出されない。
中層になれば探索出来る数はグッと減る。
それ故、中層からは歪魔が出るようになり、ここが迷宮に於ける一人前とそれ以下の壁でもあるのだ。
中層ともなれば魔素の濃度も上がり、探索中に瀕死となった探索士が長期間魔素を浴びることで深化してしまい半人型歪魔となることもある。
下層以下は別世界ともいえる。
仮想深度は6を越え、その危険度は中層までの比ではない。当然探索を行う事のできる者などほんの一握りの一級探索士のみだ。王都支部で出会ったヴィリーとリスニの二人が迷宮に挑めば恐らくはこの辺りで壁にぶつかるだろう。
以上のことから、ユエ達の言う「ちょっと下層の様子を見に行きたい」などという発言がどれだけふざけているかが分かるだろう。
とはいえ、彼女らの戦闘能力がそこらの探索士と比べ物にならないのは事実であり、全くの大言壮語であるとは言えないのだが。
目的を共有し終えたユエ達は早速歩き出す。
ここは上層であり、ノルンの話によれば30階層近くまでは主だった道は舗装されているとのこと。直截に言えばこの浅い階層で彼女らが得るものなど殆ど無い。故にさっさと通過しても良いのだが、ユエ達は折角だからと先ずは雰囲気を楽しみながらのんびり歩くことにした。すっかり迷宮を舐め腐ったお散歩コースである。そうして歩き初めて数分、ユエが楽しそうに声を弾ませた。
「おっ!ソルや!あそこに
「ふふ、群れから逸れたのでしょうか?今は繁殖期ではないので放っておいても害はありませんね」
前方でげっ歯類らしく樹の実を齧っている獣を発見したのだ。
ずんぐりとした身体に全身を覆う体毛。中型犬程度の大きさで愛嬌のある顔。以前にトリグラフから王都へと向かう道中にも遭遇した、ラタトスクとよばれる獣である。当時は丁度繁殖期であったために気性が荒く獰猛であったラタトスクであったが、今の時期は穏やかでこちらから手を出さない限りは襲ってくることはない。仕留めたところで採れる素材は特に需要がないこともあり、駆け出しの探索士ですらも相手にしない獣である。
「わしは折角じゃから触ってくるぞ!」
そう言い残し、警戒する様子も一切見せず一心不乱に樹の実をかじり続けるラタトスクへと駆け寄っていくユエ。その様子を微笑みながら見守るソルと、しげしげと観察するノルン。
「よーしよしよし、いい子じゃから黙ってモフらせるんじゃぞー。なかなかどうして愛嬌のある顔をしておるではないか・・・よし、おぬしの名前はリスじゃからリっくんじゃ。よーしよしよし」
じっとユエを見つめながら樹の実をかじり続けるラタトスクへと、じりじりと近づきながら勝手に名前をつけるユエ。そしてあともう少しで手が届くというところまで来た次の瞬間、『さくり』というまるで落ち葉が敷き詰められた森の中を歩くかのような音と共に、リっくんの額には銀に輝く鋭利なナイフが突き立っていた。脳天からは噴水のように血が吹き出し、リっくんは即座に絶命した。
「リっくぅぅぅん!!!」
早すぎる別れにユエは膝から崩れ落ちた。
突き立ったナイフには見覚えがあった。柄が無く反りも無い、投擲用として最適といえる直刀。自分が作った物なのだから見覚えがあるのは当然である。振り返ればそこには数本のナイフを片手で弄ぶエイルの姿があった。
「き、貴様ーッ!!」
「え?なんスか?全然聞いてなかったッス。姉様、ばっちぃから近づいちゃダメッスよ」
「よくも哀れなげっ歯類を殺しおったな!」
「え、ダメだったッスか?あ、もう一匹いるッスよ」
「なんじゃと!?・・・おぉ!」
ユエが見つめる先、リっくんの屍の向こうには一回り大きなげっ歯類の姿があった。
何やら食料を運搬しているのか、大きな大きな樹の実を両手で転がしながらよたよたと歩いている。やはり人を警戒していないのか、ユエと目が合ってもまるで気にせずこちらの方へと向かってくるではないか。
「よーしよしよし、冬眠に向けて食料でも集めておるんかのぅ。よし、おぬしは体が大きいから大ちゃんじゃ!大ちゃんや、そのぷにっとした腹を触らせるんじゃ!」
さくり。
「大ちゃぁぁぁぁん!!き、貴様ァー!!」
「あ、もう一匹来たッス」
「何じゃと!?」
なおこのやり取りはこの後も何度か続き、周囲に居たげっ歯類の死体はそこら中を埋め尽くしたのだが、ユエがラタトスクをモフることは終ぞ無かった。
そんな様子を離れたところから観察していたノルンは、テンポのよいコントのような、それでいて早すぎる展開について行けずに居た。
「・・・彼女達は。いつもあのような?」
「はい、大体あのような感じですね。ノリと雰囲気だけで行動してますから。大抵の場合、後でロクなことにならないのですが。そんなところが最高に可愛らしいですよね。ノルンさんも是非今回の探索でお姉様の魅力をたっぷり堪能して下さい」
「成程。・・・成程?」
ここぞとばかりに布教を始めるソルは当然のことながら。
バイオレンスな一幕を前にしても小首を傾げるだけでさほど何も感じていない様子のベルノルンもまた、大概変人であった。
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