第69話 待望
「お、なんか嬢ちゃん達が絡まれてるぜ」
最初に気づいたのはアクラだった。
その言葉に釣られるようにアルス達が眼を向けて見れば、ユエ達一行が三人組の探索士と揉めている姿が見えた。否、揉めているというと語弊があるかもしれない。遠目に見ても分かるほど、ユエはニヤニヤとした表情で楽しんでいるのだから。
「ホントだ。珍しー」
「イサヴェルでは最近はあまり見かけませんけど、他の街だとやっぱりまだまだ居るみたいですよ。ああいうの」
そう他人事のようにつぶやくのはイーナとフーリア。
そう、フーリアの言うようにああいった輩は居ないわけではないのだ。
勿論基本的には規律の保たれた探索士だ。とはいえ、どうしても虫の居所が悪い者や、普段から素行が良いとはお世辞にも言えないような者たちも居るには居る。
「っていうかイサヴェル公爵の顔知らないのかな?」
「イサヴェル卿は基本的に王都に居ますし、その関係で近頃は弟君のストリ様のほうが顔は売れていますからね。ここ数年でイサヴェルに来たものなら知らなくてもまぁ不自然ではないかと」
「
アクラは完全に傍観の構えだ。イーナとフーリアにしても同じこと。
ここイサヴェルで唯一、彼女達の実力をよく知る者たちはわざわざ顔を突っ込んだりはしない。
心配など何も要らないと分かっているからだ。
しかしここに、静観しているわけにはいかないと張り切る男が一人。
「皆何を呑気な事を言っているんだ。先輩探索士として放ってはおけないよ」
そういって一人席を立つアルス。立派な言葉とは裏腹に、妙に緊張したその足取りは誰がどう見ても、良いところを見せようと張り切っているだけである。そんな彼の様子に、これから起こるであろう面白そうな展開を想像し目を輝かせる三人は何も言わず見送るだけだった。
* * *
「オイそこのおめぇら。ちょっと待てや」
「おん?」
受付でいつもの下らないやり取りを本日のノルマ分繰り広げた後のこと。
意気揚々と迷宮へ向かおうとしていたユエ達であったが、しかし背後から何者かに呼び止められた。
どう聞いても友好的ではないその声色にユエが振り返ると、そこには男女三人の探索士が剣呑な雰囲気を纏って立っていた。
一番前に立つ男は筋骨隆々で、頬に大きな傷があった。先程の声は彼の発したものだろう。アクラにも負けず劣らずの鍛え抜かれた筋肉によって服をぱつぱつにしている大男。背には大剣を背負っており、いかにも力自慢といった様子。
大男に並ぶようにして立っていたのは気の強そうなツリ目の女。
腰に両手をあて、胸をそらして仁王立ちするその姿は随分と偉そうである。
スタイルに自信があるのだろうか、肩口から胸元まで大きく開いた扇情的な衣装に身を包んでいる。成程、確かに見目は良い。探索士という職業であるにも拘わらず、色白なその玉の肌には一見して傷ひとつ見られない。
最後の一人は少年だった。前述の男女の陰に隠れるようにしながら、きょろきょろと周囲を見回している。
どうみてもまだ十五かそこらといった幼く中性的な顔だちに、低めの身長。何かの本を大事そうに胸元に抱えており、あわあわと怯えながらも二人の仲間を制止しようとしている。
「なんじゃ?わしらに何か用かの?」
「ここじゃ見ねぇ顔だな。おめぇら新人だろ?」
「ふむり。まぁそうじゃな。それがどうかしたのかの」
ユエ達は探索士となってから日が浅い。
戦闘力で言えばそこらの探索士などでは相手にならないであろうが、探索士とは戦闘力が全てではないのだ。それはユエも理解しているところであったし、そもそも日頃から自分の実力を過大評価していない。それは別に謙遜というわけではなく、ただ単に慢心していないだけだ。自分達が最強だなどとは考えたことも無かったし、上には上がいると常に考えているというだけの事。
故に自分たちは新人であると素直に肯定した。
「今あんた達が受付で騒いでいたのを見てたのよ。新人の癖に随分とまぁ、ぎゃあぎゃあと煩いじゃないのよ」
「ふむ・・・?」
「気に入らないわね。今もそうよ、先輩に話しかけられてるってのに、態度が悪いんじゃないかしら?私達が誰か知らないわけじゃないわよね?まずは挨拶、そうでしょう?」
男に続いて声を張り上げるのは偉そうな女だ。
このあたりでユエは既になんとなくの心当たりはついていた。
(よもやこれは・・・ついにアレか!?アレなんじゃな!?)
そう、ユエが各街の探索士協会を尋ねるたびに期待していたあのイベントが遂に開催されたのだ。
定番も定番、現代日本に生きていて転生モノの小説を読んだことの有るものならば誰もが知るであろう
新人が素行の悪いベテランをボコボコにして一目置かれるという、冷静に考えればよく分からないイベントではあるが、この憧れは理屈ではないのだ。
待ち続けて数ヶ月、妙に大人しい探索士達の姿に辟易しながら過ごす日々。
いよいよやってきたこのチャンスを逃すわけには行かないユエは自然と浮かぶ笑みを抑えられなかった。
「ふ、ふむり。それはすまんかったのぅ・・・ンフッ」
言葉の上では一応の謝罪を口にするも、漏れ出る半笑いとニヤついた表情は相手を舐め腐ったそれにしか見えなかった。
「・・・舐めてんのかテメェ?」
「ふぅん、その度胸だけは認めて上げるわ。けど探索士は実力が全て。私達も新人に舐められっぱなしじゃ沽券に関わるの。言ってること、わかるわよね?」
当然そんなユエの態度は相手を怒らせてしまう。
とはいえ訳の分からぬ理屈で因縁をつけてきた相手だ。ユエの態度がどうであれ、最終的にはこうなっていただろうことは想像に難くない。機嫌が悪いのか、ただ鬱憤を晴らしたいだけなのか。いずれにせよ相手の二人からすれば理由など何でも良いのだ。
「いやいや、舐めてなどおらぬぞ・・・フフッ・・・それで、おぬしらは結局何が言いたいんじゃ?」
「・・・頭に来たわ。けれど私達も先輩探索士として後輩を優しく指導してあげなくっちゃね。それにココじゃあ、ね?」
そういって芝居がかった動作で両手を広げる女。
ここイサヴェルの探索士協会は、他の街のものと比べても随分と大きい。奥に迷宮の入口があることが大きな理由ではあるが、それを抜きにしても王都支部と同等かそれ以上の広さが有る。
多くの探索士でごった返す現在でもそれなりにスペースには余裕があったが、さすがに殴り合いをするほど大きくスペースが開いているわけでもないのだ。
「痛い目に会いたくないなら、そうね。有り金の半分を置いていきなさい。先輩探索士を舐めた授業料と考えれば悪くないでしょう?」
「それとも一度、痛い目見ておくか?俺たちは深度6だぜ。何、俺ぁ女を殴るのが嫌いでな。手加減くらいはしてやるぜ」
成程、彼らの自信は深度6という思いの外高い実力から来ているらしい。何やら悦に入った女と、両の拳を鳴らしながら威嚇する大男。まるで理屈の分からないことを喚き散らすその様は正しく因縁をつけているだけであった。彼らの仲間であろう少年は未だにおたおたと狼狽しているだけである。
その他、周囲の探索士たちは様子見である。中にはユエがアルス達と話している姿を見かけたことがある者も居り、また件のメンバー募集をしていたのがユエ達であることを知っている者もいる。つまりはお手並み拝見といったところだろうか。ちなみにこの時点で既にユエ以外の三人、ソルとエイル、ノルンの三人は手頃な席に腰を下ろして他人の振りをして観戦モードに入っていた。エイルなどは朝食を注文している始末である。
「まぁそう無駄にイキるでない。世の中は広いんじゃぞ、デカいのは図体だけにしておくんじゃな」
「あ?何だと?・・・優しくしてりゃ調子に乗りやがって、もう謝っても許さねぇぜ。ぶっ殺す」
煽るユエの言葉に、ついに辛抱できなくなった大男が前に出る。
そのままユエに向かって詰め寄ろうと足を一歩進めたその時だった。
「ちょっといいかい?随分物騒な言葉が聞こえたんだけど、誰が誰をどうするって?」
「ア"ァ!?」
横合いから聞こえてきた声に苛立った大男が、血走った眼で振り向いた。
その目線の先に居たのはアルス・グローア。ここイサヴェルで最も強く、最も名の知られた、最も人気のある男であった。怒るでもなく、ただやんわりと微笑んで割り込んだアルスを見た大男とツリ目の女は言葉を失うことになった。ノルンの顔は知らなかった様子の彼らでもアルスのことは流石に知っていたらしい。
「あァ!?テメェ・・・いや、アンタは・・・」
「あ、アルス・・・様・・・?」
たじろいだ二人は数歩後退りして無意識のうちにアルスから距離を取っていた。女の方はなにやら艶のある視線をアルスに送っている。そんなことはまるで気にしない様子でアルスは言葉を続ける。
「彼女は僕の知り合いなんだけど、彼女に何か用かい?良かったら僕が代わりに────」
しかしアルスが最後まで台詞を続ける事はなかった。
「邪魔じゃぁー!!」
「──話をへぶしッ」
足を縦に振り上げて放たれたユエの綺麗な上段回し蹴りを頬に受け、アルスは画面外へと高速で消えていった。事前にソルから合図をもらっていたアクラがしっかりと受け止めてはいたが、アルスはすっかり夢の世界へと旅立ってしまっていた。
「さて、続きを・・・何じゃったっけ」
ユエがそう言って大男とツリ目の女との会話を再開しようとしたが、当の二人は信じられないものを見たとでも言わんばかりの表情で、すっかりと萎縮した様子であった。周囲で様子を伺っていた探索士達の反応も似たようなものである。そもそもユエの蹴りをまともに目で追えた者など殆ど居なかった。気づいたときには視界の端に回し蹴りの残像とアルスの残像がチラついた程度のものである。
「あ・・・いや・・・何でもない・・・っす」
「その・・・ご、ごめんなさい・・・でした・・・?」
因縁をつけてきた二人はそう言い残して、一目散に何処かへ消えていった。置いていかれた仲間の少年もまた、必死に二人を追いかけていく途中で何度もユエに向かって謝罪をしながら消えてゆく。
あまりの逃げ足にユエは呆然と見送る事しか出来なかった。
「・・・まだボコっとらーん!!」
こうしてユエが楽しみに待ち望んでいたイベントは、罪のない成年が蹴り飛ばされて幕を閉じたのだった。
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