第33話 イッヌ

ユエとソルの二人は観光の予定を中止し、件の侍女を連れ、紹介された宿屋の一室へと入ったところであった。


恐らくは鬼人族であるユエに合わせて選んでくれたのであろうそこは、王都に数多く存在する宿屋の中でも有数の高級宿であり、宿屋というよりはもはや旅館といった様相である。

清掃の行き届いた高級感のある外壁に加え、庭は枯山水で、池や鹿威ししおどしまである始末。部屋の床は畳が敷かれ、襖や障子で部屋が割られており、当然のように個室風呂まで完備。全てが純和風である。

こんなものを見せられては、自分以外にも日本からこの世界へとやって来た者が居るのでは、あるいは居たのでは、とユエは思わずにいられなかった。


非常に気になる。気になるが、しかし今それは重要ではないのだ。


「エイル、説明」


「倦怠期の夫婦じゃないんスから、単語のみの会話はやめて欲しいッス」


当人であるエイルは、折角の義姉との観光を邪魔された形となったためか、どこか機嫌悪そうにしているソルから説明を求められていた。ソルも凡そ分かってはいるものの、念のための確認である。が、そうして説明を求められたエイルは余計な一言を添えた為に、ソルからじろりと睨まれていた。まさに「飯」、「風呂」といった様子である。


「ひぃ!怖ッ!」


エイルは幼い頃よりソルに専属として付けられたメイドである。歳はソルと同じく十七であり、ユエにとっては、共にアルヴで育った、いわばもう一人の妹のような存在である。なお、彼女の兄とはリューテのことである。

深い紺色の髪で、髪型はボリュームがありもっさりとしたショートボブに近い。エルフらしく少し尖った耳に、笑うと見える八重歯が人懐っこさを感じさせる。メイド服の下は褐色の肌をしている。この肌の色でよく間違われるのだが、ダークエルフなのではなく、単純に日焼けである。彼女の趣味は年中川や湖で水浴びをし、遊ぶことであった。


アルヴにおける名家の出ではあるが、エイルには兄と姉が一人ずつ居り、家の後継とはまるで無縁であった。そうして王家へと奉公に出された彼女は、ソルの友人兼世話係として教育を受け、その後も専属侍女として王家へ仕えている。昔からソルがユエにべったりと懐いていたのだから、必然的にユエとも一緒に居ることが多くなったというわけだ。


役職としては一侍女であるので、本来であればソルに対してへりくだり恭しく仕えるべきなのだが、そうした家族同然のような環境もあってなかなかうまく折り合いが付けられなかった。ユエとソルもまた、敬われるようなことを望んでいなかったこともあり、その板挟みと葛藤の結果生まれたのが「ッス」などという適当な敬語口調である。なお彼女はユエのことを姉様あねさまと呼ぶのだが、ヤクザっぽいので止めさせたいとユエは思っている。

彼女はソルの警護───主人のほうが強かったため実際には必要なかったのだが───も兼ねているため、戦闘もしっかりとこなす。彼女のスカートの中は暗器だらけになっており、武器以外にも、何でもスカートの中から取り出すので、ユエからは『四次元スカート』などと呼ばれていた。勉学も卒なくこなし、料理や掃除等の家事にも秀でており、スペックは凄まじい少女である。


彼女は三人でいる場合、専らイジられ役となることが多い。口調と相まって、ユエにとっては後輩のようにも見えるのだ。


「そんな邪険にしないで欲しいッス。私も仕事なんスよ?多分姫様は気づいてると思うんスけど、二人が脱走するつもりだったのは結構前からバレてたんスよね」


「なん・・・じゃと・・・?」


「脱走などと人聞きが悪いですね、これは夢へ向かった愛の逃避行です」


「やっぱ脱走じゃないッスか」


まるで気づかれていないつもりで完全犯罪よろしく、気分良く書き置きを残して飛び出したユエにとっては青天の霹靂であった。しかし以前から、自分の将来の目標を笑顔で話すユエは度々目撃されており、ミムルやバルドルトに向かって堂々と宣言したことすらあったのだ。バレるバレない以前の問題である。

そんな衝撃に打ちひしがれるユエを無視して、エイルの説明は続いた。


「で、ッスよ。二人が国を出たあとに、そのまま放っておくと色々やらかすであろう事は、火を見るより明らかッスからね。陛下達はなんとか眼を付けておきたかったわけッスよ。それが私って事ッス。ただ飛び出すのは予測してたんスけど・・・その時期が分からなかったもんで。だからあの日姉様あねさまの部屋で置き手紙見つけた後、急いで追いかけたッス」


「続けて下さい」


「怖っ!・・・まぁ二人のことだから、どうせトリグラフあたりでダラダラ観光でもするだろうなーってのは予測出来たんで、先回りしておこうと思って王都まで直で来たんスよ。二~三日は遊ぶだろうから、王都に着いた時点で私の方が早いのは分かってたッス」


「ぬおぉ・・・わしの行動が全て読まれておる・・・」


幼い頃より二人をよく知るエイルの為せる技か、行動から滞在日数までもぴたりと当てられていた。

次々と明かされる、自らの行動の読まれ具合を聞いたユエは、床へうつ伏せに倒れて小刻みに震えている。


「で、アルヴから来るなら北東の門ッスから。あとは門の付近でなにか騒ぎがあれば二人が到着したって事なんで、楽勝で合流できる予定だったんスよ」


「私達が問題児みたいに言わないで下さい」


「いやいや、姉様あねさまはどうせまともに入って来ないッス。馬車の上とかから登場して怪訝な眼で周囲から見られる筈なんですぐ分かるッス。姫様はそのへん歩いてるだけで騒ぎになるか誰かが噂するんで、こっちもすぐに分かるッス」


「ぬぉぉ・・・」


もはやユエはぐうの音も出ないほどに読まれていた。アルヴィスの懇願にも似た進言で馬車の中に居たものの、直前まで上に登ったまま門を潜ろうと思っていたのだから言い訳などしようもなかった。


「その割に、先程は食事に夢中で気づいていなかったように見えたのですが」


「二人が遅すぎるんスよ!計算では一日か二日、私のほうが早く着く予定だったのに、いざ蓋を開けたら私が王都に着いてから一週間以上ッスよ?流石に集中力も無くなるッス」


さすがのエイルも、移動中に起きた様々なハプニングまでは予想出来なかったらしく、王都でたっぷり一週間と少しの足止めを食らっていたということだった。今回彼女が来たことの、その大凡の理由を説明しきった彼女は乾いた喉を潤すようにゆっくりとお茶を飲んでいた。


「なるほど、大筋は予想通りでしたね・・・さて、エイル」


「なんスか?」


「ハウス」


「酷ッ!!」


足を組んだ姿勢で椅子に腰掛けたソルが、足を組み替え手の甲で宙を払いながら帰れと告げた。

非常に様になった、ともすれば扇情的とさえ言える所作であったが、二十日近くかけてここまで追ってきたエイルとしては堪ったものではない。


「いいじゃないッスか!二人だけズルいッスよ!私も旅行したいッス!あ、いや陛下の命令ッスから!」


「ふふ、本音が漏れていますよ、駄犬」


「駄犬!?めっちゃ機嫌悪いじゃないッスか!姉様あねさまも何時までも床で震えていないで口添えして下さいッス!」


威圧感と邪魔されたことによる機嫌の悪さを垂れ流し続けるソルを前に、ついにエイルは切り札を切った。いかにソルの機嫌が悪かろうとユエの一言さえあれば全ては解決することをエイルは熟知している。

しかし頼みのユエは未だに衝撃から立ち直れずにいた。


「ぬぉぉ・・・」


「床にうつ伏せで寝るとおっぱい縮むッスよ。ただでさえ貧乳なのにこれ以上縮んだら無くなるッス」


ユエを動かさなければならないエイルは第二の手札を切ることにした。

身長の低さはさほど気にしていないユエだが、胸の小ささと尻の大きさの話になると怒り出すことをエイルは熟知している。


「誰が貧乳じゃ!!わしのはちっぱいと言うんじゃど阿呆が!!成長しきった状態で小さいままの乳が貧乳!!ちっぱいは成長途上の小さい胸じゃ!!わしのはまだ成長の余地があるんじゃ馬鹿たれ!!」


「それいつも言ってるッスけど姉様あねさま以外に提唱してる人見たことないッス・・・そんなことより姫様を説得して欲しいッス」


目論見通り、すぐさま起き上がり謎の反論を初めたユエに、エイルは助け舟を要求する。


「む・・・?どうやら説明は終わったようじゃな。エイルなら問題なかろ。というかソルも、エイルで遊びすぎじゃ」


「ふふ、お姉様には何でもお見通しですね」


「ふぅ・・・ようやくッスか」


終始床で震えていたユエはエイルの説明をほとんど聞いては居なかったが、要点だけは掴んでいたようであった。そもそもこの三人の仲だ。ソルも本気で疎ましく思っていたわけではないため、先程からソルが放っていた殺伐とした雰囲気は嘘のように霧散する。最終的にここへ落ち着くことはエイルもわかっていたのだが、姉の事に関してソルの放つ威圧感は分かった上でなお凄まじいものがある。


「で、おぬしはわしらが来るまでの間にたっぷり観光しておったと?」


「いやぁ、暇すぎてほら、グラフィエル探索士協会で『歪園探索安全確保支援士免許』取っちゃったッス。取ったばっかりなんで五級ッスけど」


「なん・・・じゃと・・・?」


気を取り直し、これまでのエイルの王都での活動を聞こうとユエが軽く話を振ってみたところ、思いがけない答えが返ってきた。『歪園探索安全確保支援士免許』は各国に設置されている探索士協会支部で取得することが出来る資格である。協会支部は各国の大きな都市に設置されており、比較的小さな街には支部ではなく、地方窓口のような形で協会が設置されている。ちなみに協会の総本山であるスヴェントライト聖国には協会の本部が設置されている。


姉様あねさま達はイサヴェルで歪園探索しながら鍛冶屋をやるつもりッスよね?ってことで後々必要になるだろうと思って、これを機に取得しておいたッス。グラフィエル支部では週一で試験をやってるみたいで、四日前に受けられたんスよ。取り立てホヤホヤッス」


「ぬぉぉ・・・先を越されたッ・・・」


「特に勉強も要らなかったッス。余裕ッス」


てのひら大の免許証を自慢するように見せつけるエイルと、衝撃でまたも床に倒れ込むこととなったユエ。ユエ達は別段急いでもいなかったので、イサヴェルに到着したらそのうち取得しようかと考えていたのだが、いざエイルに先を越されると妙に悔しく思えた。


「ではお姉様、私達もここで取得しておきますか?」


「うーむ・・・ちなみにエイルや、試験とやらの難易度はどうだったんじゃ?」


探索士免許は王都で取得しようと、イサヴェルへ到着してから取得しようと、違いは何もない。

馬車の調達や観光のことを考えれば、王都でそれほど長居するつもりのなかったユエたちの予定はそれなりに埋まっている。だが難易度が高くなく、一発合格ができるようならばここでの取得も一考の余地があるかと思い、合格者であるエイルへと訪ねてみることにした。


「一般常識の範囲ッス。というか、自覚なさそうスけど私らはかなり上等、というか最高水準の教育を受けてるッスからね。問題ないッスよ。実技に関しては二人は言うまでも無いッスね」


王族と、その家族として育てられたユエとソルの二人は普段の巫山戯た態度とは裏腹に、教育面もしっかりと施されている。そこらの学園の試験で落ちるような頭ではない。


「次の試験は三日後か?ならばその間に馬車の調達・・・発注?を済ませて、完成までの間に取得してしまうとするかのう・・・ソルもそれでよいか?」


「お姉様のご随意に」


「馬車ッスか!いいッスね。一番良いやつを探しましょう」


まるで買い方は分からなかったが、そこらの店で馬車が売っているとも思えない。

発注を済ませておいてから次の行動に移るほうが時間の無駄が少ないだろうということで、これからの方針を大雑把に決めた。

そうと決まれば、あとはゴロゴロと寛ぐだけである。


「では明日にでも馬車を探しに行くとするか。今日はもうええじゃろ。エイル、多少試験の予習でも───」


「予習?どうでもよろしい。お姉様、湯浴みに参りましょう」


言うが早いか、畳でゴロゴロと転がっていたユエを小脇に抱え、ソルは風呂へと消えていった。


「二十日程度しか経ってないッスけど・・・相変わらずッスねぇ・・・」


そんな二人を眺めながら、エイルがお茶を飲みながら感慨深そうにそう呟いていた。

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