第32話 王都グラフィエル

ベルノルンとの模擬戦闘から二日、晴れ渡る晴天の下、今日もユエは馬車の上にいた。

黒塗りゆえに威圧感があり、所々に程よく装飾が為されたその大きな馬車は、今までに登った屋根上の中でも最高級の乗り心地だと言えた。馬車内部ほどではないが十分に広い面積に、僅かにしか揺れを感じさせない滑らかな動きに馬車の位を感じさせる。


公爵家所有というよりは統括騎士団長が個人で所有している、大層立派なその馬車の屋根を目にしたユエが、ベルノルンに対して大胆にも「乗ってよいか?」などと訪ねてみたところ、条件付きであっさりと許可を得られたのだ。ベルノルン曰く、「靴は。脱いで下さいね」だそうだ。

道を走れば公爵家の威光を振りまき、車体の紋章を見せつけることで統括騎士団長としての武威を示し、人々を平伏させることすら可能なその馬車の上に登るという謎の行動に、副官であるリンディは顔を顰めたものだった。とはいえ上官であり所有者であるベルノルン自らが許可したのだから、もはや否応もない。こうして無事ユエはここらで一番の高所に陣取ったわけである。


「うむ・・・良いのう。寝転がってもまだまだ余裕があるのに加えて、この程よい揺れがたまらん・・・これで青空が見えれば完璧なんじゃが・・・重いのぅ」


「私達も王都でこのくらい大きな馬車を調達致しましょう。ところで馬車とはお店で買えるものなのでしょうか?業者に発注するのでしょうか?困りました、勝手が分かりませんね」


屋根の上で大の字になって寝転ぶユエはソルに膝枕をされている。

二人とも言い付けを守り、ちゃんと履物は脱いで登っていた。なおイヴァンやエリー達は、公爵家の馬車の上で寝転ぶという二人の行動に対して、周囲の目を気にし、今更ではあるが他人の振りをしていた。彼らは黒馬車とは別の馬車に乗っている。

エリーは始業に遅れてしまうため予習復習を行っている。一応騎士団から学園へ宛てた、所謂遅延証明書のようなものを書いて貰えるらしく、単位の方については心配は要らないらしい。

イヴァン達三人の探索士は、歩きながら今後の修練方法や活動方針などの話をしつつ、時偶軽く走り込んだり剣を振ったりと、彼ら本来の日常へと戻りつつ有る。

今回の濃すぎる道程で想像を掻き立てられたブラギは作詞作曲に勤しんでおり、全員がユエたちに対して見て見ぬふりを徹底し、各々自由に過ごしていた。


そうして太陽が中天にかかろうかという現在、一行は王都へと到着しようとしていた。

前方を馬に乗って走るアルヴィスから声がかかる。


「お二人共、そろそろ王都が見えてきますので、いい加減に降りて下さい。流石にその状態で城門は通貨出来ませんよ・・・?」


「な、なんじゃと・・・この偉そうなスタイルで優雅に門を抜ける予定じゃったのに・・・」


「いくら統括が許しても、今回はダメですからね!」


さすがに国内でも有名な、一目見ればベルノルンのそれと分かる馬車であるので、そのまま門へと到着しては混乱を生むことになりかねないとのこと。アルヴィスの言葉の通り、あの公爵家の馬車の上で寝転ぶ二人は一体何なのだ、となるのは間違いないだろう。


「あ、お姉様。城壁が見えてきましたよ。ここからでも見えるあの一際大きなお城が王城でしょうか?」


「うむり・・・とりあえずわしの顔から乳を退けるんじゃ。重いしなんも見えん。あと呼吸も困難じゃ」


「ふふ。ではとりあえず一旦降りましょうか」


「うむり・・・」


心なしかぐったりとした様子のユエを小脇に抱えて、いつの間にか靴を履いていたソルが馬車から優雅に飛び降りた。王侯貴族、淑女にあるまじき行動であるが、それを咎める者などこの場には居ない。こう見えて彼女が飛び抜けて優秀な魔術師であり、類まれな戦闘能力を保持していることは周囲も既知のことであったし、そもそもこの二人はそういった貴族然とした振る舞いを行わないと、この数日で誰もが知っていたからである。

だがそれでも、その所作の端々にはやはり隠しきれない上品さが備わって見えるソルと、一方でぐったりと妹の為すがままにされるユエ。二人は知らない事であるが、数日前に見せたその強さと、現在のようなギャップが相まって、騎士達の中で二人は非常に人気者となっている。現在は若干ソル派が優勢である。


そうして黒馬車へと取り込んだ二人は、執務を行っているベルノルンの執務机の前方、ソファーの上へと腰掛けた。もはや勝手知ったる、といった様子である。

集中していた様子のベルノルンがそんな二人に顔を向け、続けて時計へと目をやる。


「おや。お戻りになられましたか。・・・なるほど、そろそろ到着する頃合いですか」


「はい。さすがに登ったままでは、とアルヴィスさんに言われてしまいまして」


「別に。私は全く構わないんですけれど、リンディの胃が可哀想なので中に居てもらえますか?・・・ところでユエさんはどうされたのでしょう。なにやらぐったりしておられますが」


「ふふ、可愛いでしょう?あげませんよ」


「いえ。別に・・・やはり少し欲しいですね」


恐らく先の模擬戦を思い出したのだろう、対戦相手を欲したベルノルンが少し羨ましそうに微笑んでいた。彼女にとって全力を出せる相手とはそれほどに得難いのだ。騎士団の中でも腕利きであるシグルズ団長ですら、全力の彼女相手ではまるで足りない。まだまだ試してみたい剣技や魔術もあったベルノルンからすればもはやユエは手放したくない相手であった。

そんな会話をするソルのベルノルンの間に、ユエとソルの分のお茶を持ったリンディが現れ、今後の説明を初めてゆく。


「さて、我々は門で止まることなく、そのまま通過することができます。皆様への事情聴取や連絡先の聴取等その他諸々は既に済ませてありますので、通過後は皆様を希望の場所へとお送りさせて頂き、そこでお別れとなります。ですので、挨拶等は済ませておくようお願い致します」


「皆様はどこで降りられるのでしょうか」


「探索士の三人とブラギ様は探索士協会へとお送りさせて頂きます。依頼報告と、あとは事情説明のために数人の騎士を下ろす予定です。エリー様はそのまま学園寮へ。こちらも説明のために騎士を数人送ります」


探索士の三人は協会へ赴き元々の護衛依頼の報酬を受取ると共に、達成の証明を行うらしかった。

今回の救援の件は協会ではなく国、ひいては騎士団から別途報酬というか、慰労金のようなものが出るらしい。また戦闘は行ってはいないものの、救援活動を行ったエリーとブラギに対しても同じ様に支払われるらしく、騎士たちは数名ずつ同行するのにはその受け渡しもあるのだろう。


「ユエ様とソル様のお二方については、恐らく現在は王族としてではなくある種お忍びのようなものだと想定しているため、こちらでもてなすことはしないほうが良いのでは、と考えているのですが」


「ご配慮痛み入ります。私たちは門を通ったあと、広場にでも降ろして貰えればと」


「宜しいのですか?」


「はい。あ、出来れば良いお風呂・・・ではなく、宿屋を紹介していただけますか?お風呂付きでお願いします」


そもそも王都へはただの観光と通過のために立ち寄っただけである。ソルは門で降ろしてもらってから街を姉と二人で散策しつつ、そのまま宿屋へと向かうつもりらしい。ユエは未だソファーでと垂れている。先の乳圧迫からここまで、全てソルの計算なのかどうかは誰にも分からなかった。

そうしてリンディから宿屋を紹介してもらい、予約がなくて泊まれない、などということのないよう紹介状まで用意してもらえることとなった。数日滞在するので連絡はその宿屋へとするよう頼み、ようやくユエが復活した頃には、今後の相談は全て終了していた。


「終わりましたか。では、恐らくこの先はあまりお話をする時間も取れないかと思いますので・・・改めまして、今回はありがとうございました。・・・。イサヴェルへの連絡はすぐに行いますので、王都を出られた後、お二人はゆっくりと向かって頂いて結構です。私も近いうちに一度、暇を見て家へ戻ろうかと思っておりますので、その時は刀の件を何卒」


「うむり。本人がおらねば始まらんからのう。その時までに色々希望を考えておくとよかろ」


「それでは。今後も変わらぬご交誼を賜りますようお願い申し上げます」


「別れるときまで固いのぅ!」


その後二人は、旅を共にした五人へと挨拶を行い、無事に門を抜けて街へと降り立った。

リンディの言っていた通り、騎士団率いる一行は全く止められることもなく、それどころか門兵たちが大慌てで道を開ける始末である。当然と言えば当然なのだが、こういった顔パス経験の無かった彼らはどことなく落ち着かない様子で門を通過した。

王都グラフィエルは、以前に立ち寄ったトリグラフよりも更に巨大な都市であった。

国王の住まう巨大な城を中心に同心円状に街が広がっていて、何本もの運河が街の中を通っており、専ら移動や運輸の手段として利用されている。

ここ北東の門から、リンディに紹介してもらった宿屋まででも相当な距離があることは想像に難くない。

人の数も凄まじいもので、そこかしこで人々が行き交っている。

商人だろうか、通りの向かいには荷物をたっぷり詰め込んだ馬車の横、でっぷりと腹の出た男が汗を拭いて休憩しているのが見える。

ちらりと、なんとなく目をやった喫茶店ではどこかの侍女らしき者が、テラス席でドカ食いをしている。

近くの街路樹の下では旅芸人だろうか、楽器を吹き鳴らしながらなにやら男女二人で見世物を行っていた。そのすぐ後ろでは若い男女が痴話喧嘩をしている。

このようにほんの少し目をやるだけで多種多様な人々が見られる程、この街は賑やかであった。


「では。お二方、またお会いしましょう」


「うむり、世話になったの」


ベルノルンと再度挨拶を交わし、馬車はそのまま進んでゆく。

馬車の中からは旅を共にした者たちが身を乗り出すようにして、別れの言葉を口にする。


「ユエさん!困ったことがあったら協会を訪ねてくれ!今度はきっと力になって見せる!!」


「ボクらももっと強くなっておくから!」


「ソルさん!会報は協会宛に送ってねー!!」


イヴァンとムンは次はまたもう一度共に依頼を、という思いと決意を口にして。サラは謎の組織へ入会していた。


「二人とも!よかったら学園も覗いてね!というか、どうにか許可とって講義してくれない!?もう学園の授業には戻れないのよ!」


「今回の旅の経験はきっといい曲になる、絶対に流行らせて広めるから期待しててよね」


エリーはすっかりソルの授業から抜け出せなくなった様子で、あの続きを学園でして欲しいと頼み込む。

ブラギは吟遊詩人らしく二人の活躍を歌って広めると宣言して。

各々好き放題叫びながら去ってゆく五人と別れた二人は、こうしてまたいつもの二人きりへと戻っていた。


「ふむ、よい旅仲間達じゃったな」


「ふふ、そうですね。また会えると良いですね」


こうした一期一会の出会いや、別れも旅の醍醐味というものだろう。

初めての旅物語は未だ半ばであったが、ここまではとても順調だと二人は実感している。願わくばこの先も、良い旅になりますように、と。


「うむり・・・で、じゃ」


「はい。いいえ、無視しましょう」


「そうしたいのは山々なんじゃがな・・・」


そうしていざ宿屋へというところでユエが立ち止まり、ソルへと話かける。

じとりと一点を見つめながら少しずつ歩を進めるユエと、気づきたくなかったとでも言いたげなソル。

ため息を吐きながら、仕方ないといった様子で二人はある場所へ向かう。先程見たドカ食い侍女の元へとである。

そのままユエはドカ食い侍女の向かいの席へと座り、一心不乱に食事をしていた侍女の目の前の皿を取り上げた。


「!!!何するんスか!?私の肉ッスよ!誰っスか!?あげないッスよ!」


「・・・何をやっとるんじゃおぬし」


「!・・・あああああっ!!見つけたッスよ姉様あねさまと姫様!!どこほっつき歩いてたんスか!!」


ようやく相手の顔に気づいた様子で、肉を頬張りながらユエを姉様あねさま、ソルを姫様と呼ぶメイド。この世界に、二人をそう呼ぶものなど一人しか居なかった。


「見つけたのはこちらのほうです。あなたはこんなところで何をやっているのですか、エイル」


肉をドカ食いしていたこの女の正体こそ、ソルの専属メイドのエイルであった。

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