第30話 模擬戦

「では。イサヴェルへとお越しになられた際は当家をお訪ね下さい。現在イサヴェル領の管理運営は弟に任せております。私はまた暫くの間王都を離れることが出来ませんが、最大限便宜を図るよう手紙で伝えておきます。ですので何卒、刀の件は宜しくお願い致します」


「別にそこまでしてもらわんでも、手を抜いたりはせんのじゃが」


「いいえ。疑っているわけではありません。ただユエさんの作業環境を整えることは私にとっても大きな利があります。いわば出資、スポンサーとでも思って頂ければ」


「ふむ。まぁ断る理由もないしのう・・・ならば世話になろうかの」


ユエ達の目的地を知ったベルノルンによる、妙に強力なゴリ押しで、思いがけず現地での協力を得ることが出来た事は素直にありがたかった。イサヴェルへと到着すればどの道工房を確保しなければ始まらないのだから、その最初の準備を整えてくれるというのならば断る理由などあるはずもない。

強いて言うなら、王国貴族の中でも屈指の権力を持つ彼女に借りを作りすぎると後が怖いくらいだろう。


とにもかくにも、こうしてイサヴェル公爵家からの協力を取り付けたことにより、あとは現地へと赴き計画を始めるだけとなった。そちらの心配が無くなったのならば、ここから先は旅行のようなものだとユエは思うことにした。


そしてその日の夕刻。

迎えとしてやって来た騎士団員達が全員分の夕食を準備する中、ユエはベルノルンから声をかけられる。

ちなみにユエはまたも馬車の上へと登っている。前世ではそのようなことはなかったのだが、この身体になってからは何故か無性に高いところへ登りたい気分になることが多い。馬鹿と煙はなんとやらと言うが自分はそこまで馬鹿だっただろうか。景色を眺めながら、そんな事を考えていたときのことだった。


「ユエさん。もし宜しければ食事の前に、一手ご教示願えませんか?」


完全装備というわけではなかったが、腰の左右に剣を携えたベルノルンがこちらへと歩いてきていた。


「なんじゃ急に。王国騎士のトップが妙にへりくだって」


「私も。幼い頃より剣を磨いてきた身ですから、強者と出逢えば腕試しをしたくなるというものです。ここ数年、既に忘れた気持ちだったと思っていたのですが・・・ユエさんにはそういうことはありませんか?」


「ふむり。・・・正直に言えばあまり感じたことはないのう」


「そう、なのですか」


「昔から、わしにとっての物差しは以前の自分じゃった。今までの自分と比べてどれだけ進めたか、それだけじゃ。他人と比べることは、随分と昔にやめてしもうた」


昔とはもちろん前世のことであった。

何をしても、誰と比べても。他者より上へと進むことに、長い時間はかからなかった。こういう言い方をすれば嫌味にしかならないことは自分でも理解している。だがユエとて、何をしても自分が世界で一番などとは露ほども思っていない。事実、鍛冶の道においては最後までその頂へは手が届かなかった。だが幼かったあの頃、他人と比べることを止めてしまう程度には彼女の才は頭抜けていた。

ベルノルンの問いにそう話すユエの顔には、嫌味や傲慢などはまるで無く、ただ少し寂しそうに見えた。


「そうでしたか。・・・無理を言ってしまったようですね、申し訳ありません」


「いや、構わぬ。やろう。食前の運動に丁度いいじゃろ。それに言ったじゃろ?最近はそうでも無くなってきた、と」


「それは。ユエさんの心変わりに感謝しなければなりませんね。こんな機会は滅多にありませんから。では、あちらの開けた場所へ行きましょう」


「そういえばおぬしこそ、"渾天九星ノーナ"とやらの一人らしいではないか。先程イヴァンから聞かされたわい。なーにがご教示じゃ。わしの方こそ、胸を借りさせてもらおうかの」


そう言って笑いながら馬車から降りるユエと、先導するように少し前を歩くベルノルン。

共に剣の道の上を歩く者同士だからだろうか、どうにも馬が合うというか、ユエにとっても悪くない気分であった。そうして街道を挟み、今夜の野営場所より少し離れた広い草原へと到着した二人。そんな彼女らに気づき、何が始まるのかと見物客が集まってきた。ちなみにいつの間にかソルは一番見やすい場所へと既に陣取り、応援グッズをいそいそと準備していた。


「なになに?もしかして模擬戦かい?イサヴェル公爵閣下とユエさんが?そんな面白そうな催し、見逃すわけにはいかないよね!新しい詩のネタになりそうだ」


「お邪魔でなければ是非見学させて頂きたいね。きっと俺たちにとっても得るものが多い試合になる」


騎士たちも炊事係を除いて集まってきており、ブラギは手帳と羽ペンを片手に全体が見えるよう少し遠目に陣取っている。イヴァンは一瞬たりとも見逃すまいと、ムンを伴って最前列へ。サラとエリーはソルの両脇で、渡された応援グッズを両手に座り込んでおり、すっかり洗脳されていた。


「これは。どうにも注目を集めてしまったようですね・・・」


「ま、構わんじゃろう。・・・パンダのような気分じゃが」


「パン・・・?何でしょう。それは」


「いや、気にせんでよい。見た目がやたらと愛くるしい歪魔のようなものじゃ」


ユエは幼い頃にテレビで見た動物園のスターを思い出し呟いたが、面倒臭い上に説明のしようもないというだけの理由で珍しい歪魔扱いすることにした。ユエは実際に見たことはなかったが、きっと動物園の彼らはこんな気持ちだったのではないだろうか。


「では。どちらかが降参、あるいは寸止めで決着ということで宜しいでしょうか」


「うむり。間違いが起こるような腕でもなし、大雑把でええじゃろ」


「そうですね。先に申しておきますが、模擬戦とはいえ手加減無しの真剣勝負でお願いします」


酷く杜撰なルール決めではあったが、騎士同士の模擬戦でもこのようなルール決めは別段珍しくもない。余程の駆け出しならば万が一が起こることもあり得るが、この二人に限ってそれは無い。ならば大雑把に決めて、あとは流れで構わないだろう。

ルールを適当に決めながら凡そ十メートルほど離れ、向かい合う形となった二人。

双剣を抜き、両手で下に構えるベルノルンと、未だ刀を鞘から抜かぬまま先手を譲る様子のユエ。


「では。────────参ります」


ベルノルンによる戦闘開始の宣言と同時に彼女の姿は掻き消え、その刹那の後に激しい金属音が二度鳴り響く。開始して一秒にも満たないうちに放たれた双剣による斬撃は、鞘に入ったままの刀によって受けられていた。


「─────ぇ」


誰が発したか、周囲から漏れるような声が聞こえた。

その間にも剣戟の音は続く。二度、三度、四度と、それぞれ二度ずつの剣のぶつかる音。

そう、音だ。

周囲の者達からは、恐らく双剣による斬撃を受けているのであろうユエの姿は開始の頃と変わらないように見えた。だがベルノルンの姿が見えない。余りにも疾い彼女の動きが、まるで捉えられない。

イヴァンなどは一瞬たりとも見逃さないつもりで居たにも関わらず、それどころか一瞬たりとも見えなかった。戦う姿を見たことは無くとも、万能でありつつも、強いて言うならば速度を武器に戦う剣士だと訊いていた。

だが、これほどか。

これは疾いなどという言葉では済まないだろう、と叫びたい思いが胸中を支配する。


「・・・イヴァン、見えるかい?」


「・・・いいや、俺には・・・俺では、何も見えない」


以前にベルノルンを遠目で見て、そして感じた威圧感と、憧れ。

こうして実際に目にした王国最強の騎士は、あまりにも遠かった。その距離すら測れないほどに。

ブラギは遠くで「これじゃ何も書けないじゃないか!」などと喚いていた。


一方で、ユエは違和感を感じていた。

肩透かしと言い換えてもいい。そんな違和感だ。


(確かに疾い、疾いが・・・これでは先の狼人型歪魔ウェアウルフと然程変わらんぞ・・・?確かにシグルズよりは強いかもしれんが・・・世界最強の九人としては、どうにも物足りん気がする・・・少なくとも負ける気がせん・・・つまり、こやつ───)


思考しつつも、攻撃は全て弾いている。弾くことが出来ている。

ユエは、世界最強などではない。ならばこの違和感の正体など一つしかなかった。


「・・・お姉様が少し機嫌を損ねていますね」


「え?そうは見えないけど・・・」


ソルは姉のそんな様子に目敏く気づいた。

それは隣で観戦しているサラにはまるで分からないほどの小さな変化であった。

ユエは双剣による連撃の二撃目を防ぐと同時、続くベルノルンの攻撃に先んじてそっと右足を上げる。その間にベルノルンは今まで行ってきた正面からの攻撃ではなく、ユエの背後へと回り込む。


(眼が。とても良いですね。私の速度に追いつく相手など何年ぶりでしょう。では背後からならばどうで─────ッ!!不味ッ!)


ベルノルンが斬り込み、ユエの間合いへと接近した瞬間だった。

ユエが右足を地面へと叩きつける。傍から見れば丁度、片足のみで足踏みをしたような。それこそ周囲の見物人たちからはそのように見えていた。

だがその足踏みは、ユエを中心として半径五メートルほどの範囲で地面を叩き割り、罅割れるどころか隆起するほどの衝撃と轟音を生んだ。

飛び散り舞い上がるつぶてを慌てて回避するベルノルン。いかに浮かんでいるだけの石欠だとしても、この速度で触れれば十分ダメージになる。急ぎ全速を以て回避し、離れた場所へと姿を見せた。


「驚きました。・・・まさかこのような方法で防がれるなどと────」


「ノルン。おぬしは手加減なしの真剣勝負じゃと言うたな。ならばこれはどういうことじゃ」


ベルノルンの言葉を遮るようにして、ユエは心底つまらなさそうな顔で問いかける。


「何を・・・」


「おぬし、おるじゃろう」


「ッ!!」


眼を見開くように驚きを顕にするベルノルン。

刀の鞘で肩を叩くように苛立ちを見せるユエは、そんな彼女をじとりと睨んだまま言葉を続ける。


「このまま続けるつもりなら、次で終いじゃ。それなりに痛い目を見てもらうことになるの」


それはつまり「手ェ抜いたまま続けるなら、ぶちのめす」という意味に他ならない。

だがそんなユエの言葉を聞いたベルノルンの表情は、恐怖や怒りなどではなかった。

それは喜び。愉悦。感謝。ああそうか。彼女は、自分が相手なのだ、と。


「謝罪を。・・・申し訳有りませんでした。そして心からの感謝を」


ベルノルンはイサヴェル公爵家へと生を受け、女性でありながら幼い頃より剣を振るってきた。

イサヴェル公爵家は代々緯武経文いぶけいぶんを掲げている家ではあったが、数多くの優れた騎士を輩出してきた過去もあり、どちらかといえば武力寄りに傾いていた。

そんな公爵家の長女として生まれた彼女に求められていたものは、剣の道などではなかった。彼女に望まれたのは、より良い家へと嫁ぎ関係性を強くすること。貴族に産まれた子女にとっては珍しくもない話ではあるが、ベルノルンはそれを認めることが出来なかった。別に他家から嫁いできた母のようになりたくない、などという事ではない。ただ自分で道を選び、歩いてゆきたかった。それが尊敬する父を見て育った彼女の望みであった。


だが幼い彼女には貴族家としての決定を拒む力など無い。だから剣を取ったのだ。来る日も来る日も剣を振ってきた。拒む力が無いのなら、力を付ければ良いだけなのだと。そうして気がつけば、周囲の誰も彼女の相手にならなくなっていた。

簡単に言ってしまえば、剣の才に恵まれていたのだろう。その上で妥協を一切しなかった。

ある意味、ユエと同種の人間。それがベルノルン・ヘルツ・フォン・イサヴェルであった。


「今まで。私は人を相手に全力を出したことがありませんでした。いえ、出せなかったというのが正しいですね。相手を見れば分かってしまうのです。全力を出せば殺してしまう、と。そうしているうちに、自然と手を抜く癖がついてしまいました。そういう理由で、歪魔と戦うのが好きになりました。殺してしまっても問題無いですから。なので今回も無意識に────いえ、これは言い訳ですね」


「心配せずとも、わしは死なぬ。・・・というか本性は結構サイコじゃのうおぬし」


真面目にやれと唆したユエといえども、人と戦えば殺してしまうから代わりに歪魔を殺すのが好きです、などと言われるとは思ってもいなかったのだ。妙なスイッチを入れてしまったのかとほんの少し後悔していた。


「改めて。心よりの謝罪を。・・・ここからは全力でお相手させて頂きます」


「というか、おぬしから言うてきたんじゃろうが。その癖に抜いておるのではなにがなにやら、じゃ」


「その通り。ですね・・・ふぅ。では─────参ります」


ベルノルンの体重移動に伴い、彼女の姿勢が徐々に前傾姿勢になっていく。


「うむり。早う─────ッ!!」


そうしてベルノルンは、ユエの眼すらも置き去りにした。

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