第25話 下衆

「存外、脆いのう」


ユエはただの一度も自分に触れられなかった、牛頭ごずの右腕を胡乱げに見ていた。

先の攻撃は、ほんの小手調べのつもりであった。救助の邪魔にならぬよう、注意を逸しこちらへと目を向けさせるためである。だからこそ牽制として素早く抜き放つために『吹雪』を使った。

だがそんな小手調べで手首が飛んだのだ、これは彼女にとっても予想外である。


聖樹の森を駆け回っていた頃は一度も出会わなかった為、半人型の歪魔と戦うのはこれで二度目である。

そもそも半人型の歪魔とは、元は人だ。聖樹の森は禁足地であるので出会わなかったというよりも存在していないというのが正しい。

初めての遭遇はもちろん先日の半狼型歪魔ウェアウルフである。

かの相手は特性として物理攻撃に対して異常なほどの耐性を持っており、魔術が効かないスコルとは丁度正反対のような特殊な存在であったのだが、ユエはそのことを知らなかった。そのため彼女の中では、半人型とは皆一様に恐ろしく硬いものだと認識されてしまっていた。


実際に牛頭ごずにしろ馬頭めずにしろ、別段攻撃が通りやすいなどということはない。むしろ普通の歪魔より肉体の強度は高いくらいである。もしも探索士協会の中で「牛頭ごずって柔らかいよね」などと言おうものなら、周囲からは見たこともない歪魔の話をして粋がっているだけの残念なやつ、としか思われないだろう。

つまりユエの認識は間違っているのだが、残念ながらこの場にはその間違いを正す者などいなかった。


手の先を失い喚く牛頭ごずを眺め、次にその手からこぼれ落ちた鉄棒を足蹴にして眺めるユエ。

どういう原理か、元々存在していた訳でもあるまいに牛頭ごずの身体の大きさに合わせたかのような巨大な鉄棒。何故か持ち手さえ存在しているそれを見て、しかし彼女は落胆の息を漏らす。


「なんじゃ、本当にただの鉄塊ではないか。誰がどうやって作ったのか、などと興味が湧いたが、無駄なことじゃったな。こんなものは武器とは呼べぬ。阿呆が、道具ぶきを舐めるなよ」


先程まではチームワークがどうだのと考えて高揚していたというのに、今のユエは機嫌が悪かった。

そんなことは牛頭ごず馬頭めずからすれば知る由もない、あるいは関係がない。

片割れが攻撃を受けたことで怒りを顕にした馬頭めずが、左手で鉄棒を振りかぶりユエへとめがけ横薙ぎにする。大の大人の身体よりも太い強靭な左腕から繰り出された薙ぎ払いは、風を巻く轟音を伴ってユエへと迫った。


しかしユエはその場を動かない。刀も先程『吹雪』を放った後に納刀したきりである。ただ己の右側方、馬頭めずの振るう鉄棒と自分との軌道上へと右腕を突き出すだけであった。

次の瞬間には鉄が何かにぶつかるような低い轟音、次いで土煙が舞い上がり周囲を覆い隠した。その音と土煙をみれば衝撃の強さが伺い知れるだろう。手応えを感じたのか馬頭めずの口角が上がり、嘲笑するかのように息を吐く。もしも人間が受けたのならば、既に原型を留めぬ挽肉と化している筈である。


だがそうはならなかった。

土埃が晴れたとき、そこには何も変わらぬユエの姿があった。その場からただの一歩も動くことなく、鉄棒を右腕一本で抑えている。唯一変わったところがあるとすれば、彼女の左脚が地面へとめり込んでいるくらいだろうか。


「重量が足りぬ。重心もバラバラ。素材は粗悪もいいところ。打点も定まっておらん。こんな粗雑な物で一体何をすると言うんじゃ。身体能力スペックで負けておるというのに、頼みの武器がこれではな」


馬頭めずの表情からは明らかな同様が見て取れた。

何故、死んでいない?何故、自分の攻撃は止められている?今なお、僅かにも押し込めないのはどういうことなのか。目の前の、先程から異様な気配を放っているこの小さなモノは一体なんなのだ。

怯んだように小さく呻いた馬頭めずは、本人すら気づかぬうちに武器から手を離し後ずさっていた。

ゴトリと鈍い音を立てて地面へと転がる鉄棒には、めり込んだ五本の指の後が残っている。


「なんじゃ、怯えておるのか?自分よりも弱い者は嬲れても、格上相手では向かってくる気概も無いんかの。所詮は歪魔といったところか」


ユエの不機嫌の理由はこれであった。三人の護衛の内、一人を戦えぬよう逃げられぬように痛めつけ、どう足掻いても負けない状況を作ってから手下を使って弄び、それを自分たちは高みの見物。


「気に入らぬ」


ユエは戦いを否定しない。戦った結果、護衛が死んで歪魔が生き残ったとしても、それは残念な事ではあるが、仕方のないことだと思っていた。勝ったのならばいっそひと思いに殺せばよいとさえ思う。

彼女の怒りは、勝ちが確定してから獲物で遊ぶ、その腐った性根に対して向けられている。

歪魔たちが遊んだ結果、自分たちは救援に間に合った。だがそれとこれとは話が違うのだ。


「安心せい、わしはおぬしらのように遊んだりはせんからの」


言うが早いか、ユエの姿が掻き消える。そうかと思った瞬間には馬頭めずの眼前へと飛びかかっていた。

後退り、半ば恐慌状態へと陥りかけていた馬頭めずの鼻先を右手で掴み、力任せに握り込む。

肉の裂ける音と骨の割れる軽快な音が鳴り、血の吹き出す鼻先から、ユエは握ったその手を引き抜く。


この世界では一般的な成人男性の握力は凡そ60~70kgほどである。地球にいた頃の男性平均が50kg弱であることを考えれば、それよりも少し高いくらいだろう。身体強化を行って90~110kg程となる計算だ。だが鬼人族、それも恐らく特殊な個体であろうユエの握力は通常の人間の倍どころではない。彼女が自らの握力を計測したことこそ無かったが、その握力は10倍をゆうに超えて、1tに迫るほどであった。


地上へと戻ったユエは、その手に握った肉片を放り捨て、顔を抑えて喚く馬頭めず目掛けて疾走する。

馬頭めずはもはやそれどころではない様子で、防御する素振りすら見られない。攻撃して下さいと言っているようなものであった。


「ふッ!!」


ユエは加速した勢いをそのままに、振り絞った右手で拳を突き出す。通常の戦闘時ではとても当たらないであろう大ぶりテレフォンパンチであったが、今の相手は避けられないのだから問題ない。

それは体重を乗せて振り抜くような拳ではなかった。彼女の軽い身体では、体重を使ったところでさほども威力は向上しないからだ。

右足を軸に地面を踏みしめ、放った拳が当たると同時、振り抜くのではなく軸足とは逆の左足を前へと突っ張るように差し出す。インパクトした拳を起点に、上体を使って無理やり重心を後ろへと


その結果、疾走により加速を増した衝撃は、前へと抜けずに拳の先で爆発する。線ではなく点に力を集める拳の打ち方。一点に集中された衝撃は身体へと計り知れない反動を返すも、彼女の身体は反動を最小限へと吸収してしまった。

弾けるように空気を震わせ、同じようにして馬頭めずの胴が弾け飛ぶ。後方へと血を撒き散らして、ユエの言葉通りにあっさりと馬頭めずは絶命した。


だが拳を放った直後、硬直しているユエへと牛頭ごずが残った左腕で襲いかかる。咆哮を上げ怒りの表情で腕を振り下ろすも、ユエからすれば馬鹿の一つ覚えとしか言いようがなかった。


「まるで学習せんのう、おぬし。自分よりも弱い者としか戦って来なかった、その結果がこれじゃ」


ゆっくりと牛頭ごずへと向き直り、その拳を左手一本で受け止めてしまう。なんのことはない、鉄棒を用いた強振でさえも届かないのに今更ただの拳が通用するはずもない。


「足らん。学習能力も、恐怖心も、危機感も、身体能力も。あまつさえそれを補う武器さえも」


一般的に半人型歪魔の危険度が高いと言われているのは、その知能によるところが大きい。

弱った相手から優先的に狙う、罠にはめる。稀に人質を取ることさえあり、そういった点が非常に厄介で危険なのだ。

だが、こと肉体強度や力の強さといった点に於いては獣型のほうが高い。

事実、過去に聖樹の森でユエが腕を吹き飛ばされたのは猪型の歪魔による突進である。その牙にすこし掠っただけでそうなったのだ。

つまりユエの圧倒的な身体能力と肉体強度に対して、半人型歪魔の攻撃は武器がない限りはおよそ脅威足り得ない。このことから、半人型歪魔に対してユエは特効を持っていると言えるだろう。もちろん例外はあるだろう。だがその例外は、今ここには存在しなかった。


左腕一本で、狂ったように連打を浴びせる牛頭ごずであったが、その尽くがまるでゴミでも払うかのように片手でいなされてしまう。


「どうやらあちらも目処がたったようじゃし、こちらも終いといこうかの」


そう呟いた直後に、これまでは左右へと払っていた牛頭ごずの打ち下ろす拳を今度は自らの後方へと払う。

地面を殴りつけ、腕をめり込ませて一瞬動きが止まった牛頭ごずの懐、首の下へと入り込み、左足を踏みしめた。

失策を悟り、急ぎ拳を戻そうとする牛頭ごずであったがもはや後の祭りである。

半身になりながら腰を捻り、回転を加えるようにして右足を真上へと向け蹴り上げれば、牛頭ごずの首から上が呆気なく中空高くへと舞い上がった。その首は、最後まで恐怖と焦りを湛えたまま地上へと叩きつけられ、そして潰れた。


「ま、下衆の最後としては程度はいいじゃろ」


ちらりと馬車の方をみやれば、あちらも全ての敵を倒した様子で、今は怪我人の治療を行っているところであった。イヴァンやムンなどの探索士連中はどうやらこちらの観戦をしていたらしい。随分と余裕が戻って来たようでなによりである。

敵を倒したところで気分は晴れないが、それでも不機嫌なままで合流するわけにも行かない。


「ふむ・・・ふんッ!」


両の手で自分の頬を叩き気分を入れ替えたユエは、二体の歪魔の死体へは一瞥もくれずに皆の方へと歩いてゆく。結果として誰も死ぬこと無く、見たところ大きな怪我もないようだ。

つまり──────


「わしらのチームワークの勝利じゃー!!」


ソルの方は、拙くも探索士達と連携をこなしており、チームワークに貢献したといえるだろう。

役割を割り振った本人であり単身戦っていたユエだけが、どう考えてもチームワークとは関係が無かった。だが味方に任せて仕事を分担し、そして勝利したというこの状況は彼女にとって、立派にチームワークの第一歩であったらしい。


そんなユエは、若干の不満があったものの当初の目的を達した───本人にとっては───ことで、概ね満足したような表情であった。


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