第24話 想定外

イヴァンは内心ではユエにはさほど期待していなかった。

普段の雰囲気や見た目、実際に戦っている姿を見ていなかったこともそうだが、そもそも戦いを生業としているもの特有の気配というものを彼女からは感じられなかったからだ。

イヴァンは、別段鼻にかけるようなことはしないまでも、それでも三級探索士としての自負はしっかりと持っている。


探索士としての資格を取得し、五級から三級へと上がるまでの間、自分なりに死線をくぐってきたつもりでいた。昇級したての当時は、今にして思えば調子に乗っていたようにも思う。すぐに打ち砕かれることになったのだが。


様々な探索士や、それ以外の強者の姿も彼は見てきた。だがその中でも彼女は別格であった。

イヴァンは忘れもしない、二年前にこの国の統括騎士団長であるベルノルン公爵と出会った時のことだ。出会ったと言っても、探索士協会へと諸用で訪れていた彼女を近くで見たことが有るだけだ。


衝撃だった。

息が詰まるほどの、身を刺すような鋭い気配。ただそこにいるだけで周囲へと重圧を感じさせ、ただ見ているだけの自分の身体が、まるで錘でも付けられているかのように、脚も動かせないほどに、緊張していた。


その時に彼は気づいたのだ。

自分など、三級探索士など、この世界に存在する一握りの強者からすれば取るに足らない存在なのだと絶望した。

そして同時に、強烈に憧れた。

"渾天九星ノーナ"とまでは言わずとも、いつか自分もへ至ってみたいと。

それから彼は、絶望を希望へと変え邁進した。

歪園へ潜り、毎日遅くまで剣を振り、仲間を得て数年、そうして今までやってきた。全ては強くなるために。


そんな彼だからこそ、馬車から飛び出していったユエを見たとき頭を抱えそうになった。

あれはあの時の自分と同じだと。根拠のない自信、井の中の蛙。表現は様々だが、行き着く先は同じだ。つまりは絶望である。

自身も経験したことだが、さりとて今こんな時にその自信が発揮されるなどとなれば、頭の一つも抱えたくなる。


ただでさえ絶望的なこの状況で、どうやって被害を最小限にして逃げるかを考えていたイヴァンは、しかしもはや選択肢が無いということも悟っていた。

考えても見れば、そもそも接敵してしまった時点で逃げるなど土台無理な話だ。救助を諦めてさっさと通り過ぎるくらいしか可能性は無かっただろう。つまり自分が今考えるべきは、過ぎたことではなくこの状況下でどう動くのがベストかという一点のみ。


三級探索士としての経験は、こうした状況での判断力を養ってくれていた。そして結局ユエの言う通りに、牛頭ごず馬頭めずの足止めを誰かが行い、その間に救助者の確保する、というのが最善だろうと判断した。というよりも、それしか無い。

問題はユエがあの二体の歪魔をどの程度足止めできるのか、そして彼女を援護しつつこの場を離脱できるかどうか、だ。

彼女が思いの外強かったとして、それでも一分と保たないだろう。その間に自分たちは八体の猿型歪魔を倒さねばならない。こちら側はソルを入れて四人、あちらの護衛は三人のうち一人が戦闘不能。六人で八体ならば、まだやりようはある。


「あとはやるだけ────か」


先程のユエの台詞を思い出す。

そうだ、彼女の言う通り、もうやるしかない。そうと決まれば腹を括る。イヴァンは即座に思考を戻し、味方へと指示を出す。


「俺が正面に出る!ムン、後詰を頼む!サラはあちらの護衛のフォローを!ソルさんは──────」


そう告げようとして、イヴァンが指示を出し終えるより早く、ソルは既に動いていた。

馬車から降り立ったソルが右手を伸ばし、最後方の歪魔へと向ける。彼女の上空では光球が二つ、今にも破裂せんばかりに輝いていた。


はしれ燐光の復讐者。万里を駆ける輝条の雫、天を震わす煌めきの重奏を今ここに───"双束ふたばね"『光彩陸離こうさいりくり』」


光彩陸離とは、汎用魔術である『光の道筋レイ』を彼女が改変した魔術である。

術者の手から魔力を凝縮した一筋の光を放ち、対象を貫くのが光の道筋レイであるのに対し、光彩陸離はその発動地点を術者ではなく上空としており、その光線の本数も数十本へと増加させている。

これによって光の道筋レイよりも広範囲かつ複数を対象に攻撃することができ、直線的故に攻撃タイミングが分かれば避けやすいという、光の道筋レイの欠点も補っている。

ソルが編み出した上位互換魔術である。その分魔力消費は大幅に増えているが、アルヴの誇る天才からすればそれほどの消耗でもない。


その光彩陸離を、さらに改変したものが双束・光彩陸離だ。

本来であれば数十本もの光が上空より降り注ぐのが光彩陸離だが、それらを全て、たった二本のみに凝縮させる、それが"双束"である。

これは彼女が、本来複数を対象にするような魔術を、単体あるいは数体の対象へと使う際に行う改変であり、光彩陸離以外にも使用する。要するに、分散させている威力を集約するための技術だ。

ただの光彩陸離はではなく双束を使用したのは、囲まれている護衛の三人を巻き込まないよう配慮したためである。


詠唱が終わるとともに、二つの光球より弾けるように光芒が放たれる。

辺りには硝子が割れるような破裂音が鳴り響き、同時に金属を引っ掻いたような甲高い音。

着弾まではほんの一瞬。ともすれば発動とほとんど同時。

二条の光はまるで彗星のように粒子を撒き散らしながら、後方で控える二体の歪魔を捉える。狙われた二体は魔術が発動したと気づく間もなくその胴に大穴を開けられていた。


未だ自分の命が失われていることにさえ気づいていない二体の猿型歪魔が、互いに顔を見合わせていた。

その妙に人間的な動作が、光彩陸離の凄まじい速度を物語っているように思えた。そうして歪魔が倒れたのはたっぷり二秒ほど顔を見合わせた後であった。


「これで六対六です」


そう言い放ち静かに歩みを進めるソルの様子は、三級探索士でさえ苦戦するであろう歪魔を、瞬時に二体減らした張本人とは思えないほどに優雅であった。ともすれば気分転換の散歩にでも来た貴族のようである。


「ソルさんは─────え?」


イヴァンは何が起こったのか、その目で見て居たのにも関わらず理解ができなかった。その光景に言葉を途中で切ることとなったイヴァンに対して、ソルが警告する。


「敵の前で呆けていてはいけませんよ、まだあと六体残っています。急がなければ、こちらまでお姉様にとられてしまいかねません」


そう言われ、イヴァンははっとなり思考を切り替える。未だ信じられないことだったが、ともあれ敵との数の差は無くなった。これならば希望が出てきたと、敵へと向き直ったその時。

結局イヴァンは再度呆けることになった。彼の目の前に、何かが空から落ちてきたのだ。

それが牛頭ごずの手首より先だと気づき、はっとユエの飛び出していった方を見やれば、丁度牛頭ごずが手首を押さえて喚いているところであった。その傍らでは、ユエが巨大な鉄棒を足蹴にして転がしている。


「え?何、嘘でしょ?えっ?どういうこと?」


「は、はは・・・君たち、こんなに強かったの・・・?」


サラやムンの反応も、イヴァンと似たようなものであった。

残った敵の猿型歪魔でさえ、仲間が突如死んだことに呆気に取られていたから良かったものの、敵が冷静であれば致命的となり得る隙であった。


「全て後です。今は彼らの救助を優先するべきでしょう。ほら、エリーさんやブラギさんがもう動いていますよ。我々も急ぎ動きましょう」


自分たちの馬車からは既に非戦闘員であるエリーにブラギ、それから御者が、倒れ車輪が壊れた馬車のほうへと駆け寄っていた。彼らからすれば急いで離脱したいだけであったが、この場には最も適した行動だろう。

それを見た護衛の三人はようやくといった様子で思考を戻した。非戦闘員である彼らでさえ迅速に行動しているのだ。戦闘を生業としている自分たちが、いつまでも呆けているわけにはいかない。


「そうだったね。すまない、気を引き締めるよ。それにこれは嬉しい誤算だ」


「ふぅ・・・そうね。よし、これならきっとなんとかなるわ」


「うん。これなら・・・っ」


そうして彼らは、囲まれている護衛の探索士のほうへと駆け寄る。

そのころには敵歪魔も既に動き出しており、既に消耗している三人よりも、新手であるこちらへと優先して数を割いてきた。数は四。

先程伝えた作戦通りに、イヴァンが前へ進み出て歪魔の腕を剣で受け止める。置いてあるだけの剣では傷も付かない腕の重さに、イヴァンが顔を顰める。

だが動きの止まった歪魔へと、回り込んだムンがすぐさま剣を振り抜く。強靭な肉の重みに剣の動きが鈍るも、裂帛の気合と共に最後まで剣を振り抜き首を落として見せた。敵を一体倒した余韻に浸る間もなくイヴァンは大声を上げる。


「そっちの二人!まだやれるかい?怪我人の状態は!?」


「正直少しキツい!こっちの二人は腕と脚がやられてる!後ろのやつは分からねぇ!確認してる余裕がなかった!!多分だが相当ヤバい状態だ!」


「もう少しだけ耐えてくれ!サラ、怪我人の治療を頼む!俺とムン、ソルさんで削るぞ!」


「すまねぇ!恩に着る!」


「まだ礼を言うには少し早いね!」


イヴァンはあちらの様子を確認し、再度指示を伝える。

残りは五体。こちらにはまだ三体の歪魔が向かってきており、少なくともサラが向かうだけの道を拓かなければならない。そうでなくとも、数が減ったとはいえ彼らがあとどれ程耐えられるか不明なのだ。急ぎ数を減らさねばとイヴァンは奮起した。

こちらへと襲いかかってくる敵の振るう腕を、イヴァンは身を屈めてどうにか躱す。ムンが後ろから剣を横薙ぎにして肩口へと傷をつけたことを確認する。

イヴァンは屈んだ姿勢から脚に力を込め、瞬時に懐へと潜り込むと、敵の傷口へと手を当て魔術を使用した。


「『火点』ッ!ムン頼む!」


「任せて!」


イヴァンが手を当てたのと同じ場所、先程自分が傷を付けた部分へとムンが剣を突き出す。

突き刺すと同時に傷口が燃え上がり、次いで爆発した。肩口で起こった爆発は敵の首を吹き飛ばすのに十分な衝撃を持っていたが、至近にいたイヴァンとムンも大きなダメージを受けこそしなかったが、衝撃の余波で態勢を大きく崩してしまった。

そんな二人の獲物を敵が見逃すはずもなく、更にもう一体が牙を剥き出しにして飛びかかる。


「させませんよ。『割断する祈りディヴァイド・エア


だがそんな歪魔の攻撃が二人に届くことはなく、ソルの放った魔術によって空中でその身体を二つにされる。悲しいかな、態勢を崩していた二人は避けることもできず、歪魔の血や臓物を大量に浴びることとなった。


「ぶッ!!汚ッ!」


「・・・生きているだけマシだと思うしかないね」


そんな彼らの横をサラが駆け抜けていった。こちらへと向かってきていた四体のうち三体を倒したことで、彼女が走り抜けるだけの隙間が生まれたのだ。血まみれの二人を尻目に駆けてゆく、彼女のその目はひどく同情的であった。


「申し訳ありません。瞬時に、かつ巻き込まずに倒そうとするとアレしか思いつかなくて──────あ」


ソルは申し訳無さそうな表情で謝意を伝えるも、そういえば他にもあったなと思い至る。そんな彼女の様子に、しかし二人は文句を言う事はなかった。


「いいよ全然、こんなの慣れっこさ。それより助かっ・・・ん?今『あ』って言わなかった?他にもあったって顔してない?」


「まあまあ。臭っさい歪魔の涎まみれになったときに比べたらまだマシだよね。それよりほら、こっちはあと一体だよ、早く倒してあっちの援護に向かわないと」


こちらへと向かってきていた四体のうち、最後の一体へと目を向けるイヴァンとムン。

その向こうではサラが三人の護衛の元へとたどり着いていた。

二対二となった事で未だなんとか耐えている二人の後ろで、怪我人に回復を施していた。遠目に見てもギリギリ間に合うかどうかといった怪我だったので先に向かわせたが、どうやら間に合ったらしい。


もはやこちらは三対一である。

そう時間もかからないうちに最後の一体を倒した三人は、怪我人達の元へと急ぎ向かう。

この時イヴァンは既にいくらか安堵していた。恐らく山場は乗り切っただろうと。

ソルの力に救われた。こちらの被害はほとんど無いといっていい。せいぜい自分とムンが軽いやけどを負った程度で、それもすぐに治せるようなもの。


あとは残った二体を倒せば─────。


そう思った直後にイヴァンは思い直した。

違う、まだだった。肝心な事を忘れていた。

まだ二体のが残っているではないか。

戦闘が始まってから既に何分も経っている。何故自分は今まで忘れていたんだ、と自責する。そんな大事なことを忘れるなど、そんなことがあり得るだろうか。そういえば何故あの二体はこちらへ向かってこない?ユエは、彼女はどうなったのだ。


瞬時に様々な疑問が浮かび、すぐさまユエの方へと顔を向ける。

何故忘れていたのか、何故やつらはこちらへと向かってこなかったのか。その答えは直ぐに明らかとなった。


「お姉様の心配ならいりませんよ。あの程度では────足りません」



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