第21話 道中

ユエは屋根の上に居た。

つい先程まで、同乗者であるサリーの学園での話で盛り上がっていたところである。

彼女の話は、前世はともかく今世では学園へ通っていないユエにとって、どこか懐かしい気持ちにさせるものだった。


本人曰く優等生であるという彼女は、勉学はもちろん魔術や剣術に加え、料理や服飾、果ては水泳まで学んでいるらしく、その全てで好成績を残しているとのこと。

それを聞いたユエは初め、授業内容が多種多様に過ぎるのでは?などと思ったものだ。


こちらの世界で過ごして凡そ十八年、鍛冶に関する事以外は既に朧気になりつつあった前世の記憶を辿れば、そういえば小中学校くらいまでは前世でも似たようなものだったな、と気づく。

あの頃はちょうど、刀と出会い、その後様々な本を読み漁り、部活に励んでいた頃だった筈。


懐かしい記憶。それを思うと、何故だか不思議と景色を眺めたくなったのだ。

そうして一人、屋根の上で胡座かいているのが今であった。


上を見上げれば青空が広がり、少しばかりの雲が時折馬車へと影を落としている。


──────思えば随分と遠くまで来たものだ


両親や師の期待に応えられなかった無念はあれど、別段過去に戻りたいなどと思ったことはない。

今はこうして、二度目の人生を前へ向かって歩んでいる。ほんの少しだけ、ただ懐かしくなっただけだ。


心地よい風が頬を撫でる中、ゆっくりと進む馬車の上でぼうっとただ前を眺める。

馬車での移動とはいえ、長い道のりである。車を牽く馬の疲労も考え、基本的には歩く速度で進む。

少し前で護衛として歩いているイヴァンの後ろ姿が見えた。


ふと、木々の匂いと森林特有の少し湿った風を感じた。

そろそろ件のトリスの森とやらが見えてくる頃だろうか。そう思ったのと殆ど同時、ユエの耳がぴくりと揺れ、馬車の窓から顔を覗かせたソルの声が聞こえてくる。


「お姉様」


たった一言ではあったが、もちろん言わんとしていることは分かっている。

だからこそ、返答もたった一言。


「心配いらんじゃろ」


こうして傍観を決め込むことにしたユエ。

もちろん手を焼きそうであれば横槍を入れるつもりではあったが、その心配もないだろう。

つまり二人は獣の気配を感じたのだ。まだ随分と遠く、恐らくはこの先の森の辺りだろうか。


護衛の彼らはいまだ気づいてはいないようだが、発見次第すぐに対応するだろう。

事前に御者から通達されていた通り、春先になって凶暴になっているという獣の出現に、いよいよ護衛の出番である。


この世界では、探索士という者たちはそれこそ世界中に存在する。

しかしアルヴという辺境の森の中で育ったが故に、その戦いぶりをその目で見たことは未だ無かった。


(さて、お手並み拝見といこうかのう)


実を言うとユエはすこしだけ心が踊っていた。

屋根の上で胡座をかいて腕を組み、そうして人が戦っているのを高所から見下ろす。

なんとも偉そうで、気分が良い。このまま偉そうに評価をしてやろうではないか。

そうした趣味があるわけではないが、たまにはこういうのも悪くないと思った。


ユエが何やら不遜な態度でわくわくしていると、どうやらイヴァンが獣の気配を感じたらしく、馬車の後方を追従していた二人の仲間を呼び寄せていた。


(索敵は及第点じゃな。早くもないが遅くもない。レーシィ義母様ならば、遅い遅いなどと言っておるじゃろうか?)


自分たちに戦闘の手ほどきをした、ソルの母親であり、ユエの育て親の一人。

みっちりと絞られた過去が思い起こされる。彼女はああ見えて厳しいのだ。

彼女に与えられた課題を出来るようになるまでは、それこそ一生繰り返させられるのだ。さらには、課題をこなしたとしても、様々な難癖を付けて結局続けさせられる無法ぶり。ユエといえど必死にもなるというものである。


「どうやら獣のおでましみたい。悪いけど馬車から出ないで待っていてね、すぐ終わるわ」


後ろから小走りで前方へと向かうサラが、馬車内の三人へと向けて声をかける。

現れたのはラタトスクと呼ばれる獣であった。大きさは人よりも少し小さい程度で、栗鼠のような見た目をしている。アルヴ周辺の森でも度々見られ、普段は人に襲いかかることなど稀な獣だ。

注意すべきはげっ歯類らしく発達したその前歯であるが、それ以外はそれほど特筆すべきところはない。強いて言うならば爪であろうか。とはいえ危険度の低い獣で、その数は四。


探索士の三人はそれぞれ役割が決められているようで、イヴァンが前衛を務めるようであった。

そのイヴァンを補助するように少し後方脇にムンが備え、サラがその後方から魔術による攻撃と支援を行うといった隊列だ。


(ちゃんとバランスがとれておる。基本に忠実、といったところじゃな)


興奮した様子で襲いかかるラタトスクのうち、疾走する二体に対してイヴァンが前へと進み出る。

彼はまず先頭の一体の噛みつきに対し、向かって右方向へと身体を半身にしながら滑り込ませる。すんなり躱すと同時に、左手に持った盾で横っ面を殴りつけるようにして、自らの後方へと転倒させる。


「頼んだ!」


転倒させた相手へは一顧だにせず、二体目の牙を剣で受けて、そのまま受け持つ。

恐らくは打ち合わせ通りなのであろう。後方で控えていたムンが手にした短剣で素早く止めを差していた。

早々と二体の獣へ対処した彼らの後方では、サラが既に魔術の詠唱を終えるところであった。


「我が渇求は枷。汚れなき白銀の光、縛り、貫き、降り注げ!『銀の雪線フリーズ・ライン!』」


銀の雪線フリーズ・ラインは氷系統の汎用魔術だ。

殺傷能力はそれほど高くないが、その代わりに汎用魔術としては拘束力が高く応用が効く。

質量を持たず、更には障害物を貫通するために、その効果線上に於いては盾などで防ぐことが出来ない特性をもつ。


サラが杖を振り下ろすと同時、後方に控えていた二体のラタトスクの上空に陣が現れる。

陽の下でさえ煌々と光り輝く銀色が、八つの陣から敵へと一直線に降り注ぐ。

光は狙い過たず、二体のラタトスクの四肢をそれぞれ貫き、地面へと縫い付ける。


そのころには既に、イヴァンが自ら受け持っていた一体を斬り伏せたところであった。

その後イヴァンとムンが、銀の雪線フリーズ・ラインによって拘束された二体へとそれぞれトドメをさしていく。数の上では不利であった筈だが、彼らは大した時間もかからぬ間に四体の獣を全て倒してしまった。


(見事なものじゃな・・・個々の力は恐らく以前見た王国兵より、少し上くらいじゃろう。騎士と同程度・・・かの?じゃが何よりもチームワークが抜群じゃ。個々の強みを上手く活かしておる上に、お互いの信頼もある。勉強になるのぅ)


幼い頃よりソルと二人で戦ってきたユエは、集団戦の経験が乏しかった。

以前に騎士団長と副団長の計四人で共に戦ったときでさえ、その経験の浅さは目に見えた。

一人が負傷しただけで焦り、挙げ句味方を守るために使った手段は、弾くでも受け流すでも無く、ただの力押しであった。


普段から圧倒的な個人の能力で押し切ることが多く、共闘するのはお互いを知り尽くしたソルだけであったユエである。

こと集団戦での立ち回りは、ユエはこの三人にまるで及ばないだろうと感じていた。


(新たな課題が見つかったのぅ!いやはや、やはり実際にこの目で見ることに勝る経験はないのう)


百聞は一見に如かずとはよく言ったものであると、ユエは屋根の上で偉そうな姿勢のままうんうんと頷いていた。ちなみに丈の短いスカートで胡座をかいているので下着が丸見えであった。

いつの間にか屋根の上へと昇ってきていたソルも、ユエと同じような感想を抱いたのであろう。感心した様子でユエへと語りかける。


「私達も課題が山積みですね」


「じゃな。まだまだ楽しみは尽きんのぅ・・・尻を揉むな!」


ともあれ、これで馬車は進むことが出来る。

危なげなく戦闘を終えてこちらへと戻ってくる三人を眺めながら、思案する。

そしてこの後も恐らく戦闘が起こるであろうことを予想し、王都までの間にできるだけ彼らから学ばせてもらおうと、ユエは心に決めた。


「ふぅ、おまたせ。俺たちの戦いぶりはどうだった?合格かな?」


ユエがまるで値踏みでもするかのように、じっとりと見学していたことに気づいていたようで、戻ってきたイヴァンは気を悪くした風もなく、笑顔で感想を求めてきた。

つい先程まで、探索士への興味がさほども無かったはずのユエは少し興奮した様子だった。


「素晴らしい連携じゃったのう!息がとても合っておるように見えたし、いろいろ勉強させてもらったわい!三人は仲間になって長いんかのう?」


「ははは、それは良かった。俺たちは部隊パーティを組んでかれこれ五年程になるよ。長い・・・とまでは言えないかな?なにせ探索士には十年以上同じ部隊で活動している人たちも多いからね」


「ほうほう、では────」


「待って待って。とにかく進み始めましょうよ。まだ王都までは長いわよ」


色々と聞きたいことが出来たユエが、イヴァンに次々と質問を投げつけようとしたところをサラに静止される。

彼女の言う通り、先はまだまだ長い。

王都まではおよそ十日かかり、本日はまだその初日である。

すでに昼を過ぎてしばらく経っており、もうあと一~二時間も経てば夜の帳が降りるだろう。以降の接敵回数にもよるが、今日のうちにもう少し進んでおきたいところである。


「む、仕方あるまい・・・この先も色々と見学させてもらうつもりじゃし、今日はこのくらいにしておいてやろう!」


「よし、話は済んだかい?それじゃあ出発するよ」


御者の言葉で会話を締めくくり、ユエとソルは荷台の中へと戻っていく。

中ではサリーとブラギが談笑していた。彼らは馬車旅に慣れているのか、獣の襲撃があったというのにどこ吹く風、と言った様子で、気にもしていなかった。


「馬車でいろんな場所を旅していると、まぁ獣の襲撃はよくある事と言っていいね。ごく稀だけど、歪魔が出ることだってあるよ。いやぁあの時は流石に焦ったよ、死ぬかと思った」


「私は王都とトリグラフの往復を何度もしているもの。この時期はいつも実家に戻ってるから、こういう場面にはほとんど毎回遭ってるわ」


「おぉ・・・これが熟練の旅人達か・・・何じゃろ、妙に格好良くみえるんじゃが」


まだまだ旅初心者のユエから見た二人は、先程までと比べ一段輝いて見える。

そんなユエの眼差しはまるで大人に意味も分からず憧れの目を向ける子どものようであった。


「格好いいって何なのよ・・・そんなこと言ってたら世界中が格好いい人だらけになるわよ。馬車旅なんて、別に珍しくもないんだから───聞き流していたけれど、よく生きてたわね貴方」


「ほんとにね。護衛が腕利きだったのと、遭遇したのが猪型の歪魔だったのが幸いだったね。もし遭遇したのが半人型だったら今頃死んでるね、間違いない。よし、その時の様子を歌ってあげようじゃないか」


「お!よいぞよいぞー!暇つぶしに丁度よいぞー!」


「ふふ、よいぞー」


憧れるようなユエの瞳に気を良くしたのか、吟遊詩人であるブラギが歌にして語って聞かせてくれるらしい。それを受けてユエも退屈せずに済みそうだと煽り始める。

そんなやりとりを聞いたサリーがそっと呟く。


「暇つぶし・・・貴方がそれで良いのなら良いのだけれど・・・」


ユエにはそんな意図はなかった、というより何も考えずに煽っただけであり、ブラギもまた気分が良くなっていて気づかなかったのだろう。

彼の飯の種である歌に対して普通に失礼なユエの発言は、当人たちに気づかれることの無いまま溶けて消え、賑やかな様子で馬車は王都へと進んでいく。


そうして五日間、小さな戦闘が数度あったことを除けば、大きな問題もなく一行は王都へと近づいていったのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る