第15話 旅路

馬車での旅は、今まであまり国外に出たことのなかった二人にとってそのほとんどが新鮮であった。

およそ二十日の旅路である。進む先々でほんの一人二人程度の乗客を拾い、また次の町や村で下車する。同乗した客から様々な話を聞いたり、あるいは話して聞かせたり。そんな出会いと別れもひどく楽しかった。


当然ながら途中で止まらないはずもなく、一日の間に村から村へ、街から街へと経由して進んでゆく。小さな町や村では宿を借りて泊まることができたが、雨に降られ大幅に遅れたときなどは、街道の脇に停車し馬車の中で一夜を明かすこともあった。乗客は荷台に座りながら眠り、御者は御者台に乗ったまま毛布に包まって眠る。それもまた旅の醍醐味だろうと、二人は喜んだものだった。


荷台の屋根に登り見る夜空は、森で見上げていた星空ともまた違っていたし、だだっ広い草原は月の光で一帯が照らされ、夜だというのに明るいとさえ感じた。ユエなどは何に興奮したのか、夜中の草原で刀を振るったり走り回ったりもした。まるで散歩に来た犬のようでさえあった。


余談だがこの時、はしゃぎまわるユエを眺めていたソルが、月の光と相まって大層幻想的で美しかったために「まさに閉月羞花である」などと同乗していた絵描きに言われ、記念に描いてもよいだろうかと頼まれた一幕があった。なおこの時に描かれた絵は後に王国内にて高額で取引されることになるのだが、二人は知る由もない。


また、町で部屋を借りた時は、こんな田舎で宿屋など商売が成り立つのか不安にもなったが、意外にもその心配はなかった。

話を聞いてみれば当然で、王国とアルヴを繋ぐ道なのだから当然アルヴへ向かう者もいる。つまりは田舎ではあるものの、往復の途中にある村として見れば客足はそれなりにあるということらしい。


この辺りは治安も良く、もしかするとただ田舎すぎて居なかっただけなのかもしれないが、野盗の類の心配すら必要無かった。御者の話ではこのあたりは護衛すらいらないほど長閑で、今までにも襲われたことなど無いということらしかった。


そうして二人は今、王都までの道のりの間では最大規模である大きな街、トリグラフを目前にしていた。

ここまでで十日、王都までの旅程の半分ほどまで来たことになる。

王国のトリグラフ辺境伯領であり、アルヴとの交易で栄えている上、国境に一番近いことから国防の意味も持っている。その重要度は王国内でも高く、そのためか高い城壁の中に大きな街が作られた都市であった。


「御覧くださいお姉様、トリグラフの街が見えて来ましたよ。あの街を覆う高い城壁が────」


「みえーん!!目の前にぶら下がったおぬしの横乳でなんもみえんわぁ!」


べちん。


「んッ・・・ふぅ───城壁が有名ですね。王国内でも有数の規模の街だそうですよ」


「くっ、効かんじゃと?・・・いやちょっと顔赤くなっとる!効いとる!」


もはやお約束となったやり取りであった。

ゆさゆさと揺れるソルの胸をぐいと押しのけて前方を覗けば、この距離でもハッキリと分かるほどの高い城壁がようやくユエにも見えた。


「おぉ!アレが噂に聞くトリグラフの街じゃな!アルヴにいた頃から兵士やら商人やらからよく聞かされたのぅ。曰く食事が美味い、と」


「この辺りの大地はとても肥えていて、そこから採れる作物や、育った獣は非常に美味だそうですね」


「今から夕飯が楽しみじゃのぅ!どれ、あとで少し運動しておくとするかの」


未だ王都への道中だというのに、もはや二人は完全に観光するつもりであった。

むしろ二人にしてみれば、急ぐわけでもない旅路で、否、急ぐ旅路であったとしても観光しないわけがない、とまで言える程に楽しみにしていた街である。


ちなみにユエはもちろん、エルフであるソルも肉や魚も普通に口にする。

世間一般ではエルフは菜食であると思われがちであったが、別段そういうわけでもない。

初めてアルヴを訪れ、エルフを見た人間からは度々驚かれたりする程度には勘違いされているが、エルフは基本的には何でも食べる種族である。

確かに野菜や果物が好まれる傾向はあるが、だからといって口にしない訳ではなく、肉や魚のほうが好みだというエルフも大勢いる。要するに他の種族と同じく、人それぞれである。


二人が今夜の食事に期待を膨らませていると、同乗していたエナという名の少女が声をかけてきた。

一つ前の村から父親と共に乗り込んできた十二才くらいの少女で、さきほどまでユエとソルの二人と話をしていた父娘である。


「お姉さんたちは、あそこに滞在するのですか?」


「うむ、数日程度は滞在する予定じゃよ」


「そうですか!だったら真ん中の通りの、真ん中にある"マロース亭"という宿がおすすめです!料理がとってもおいしいんです!」


元気よくそう教えてくれる少女。

初めて訪れる街だというのに、泊まる宿のことなどそっちのけで食事の事ばかり考えていたユエとしては、料理が美味しい宿となれば渡りに船であった。


「ほほぅ!聞き捨てならんのぅ!おすすめの料理も教えてもらってよいか?」


「お肉とお芋ときのこの甘辛炒めがおいしいです!街に行ったらいつも帰りにお父さんが連れて行ってくれるんですけど、わたしの大好物なんです!」


「いかん、今の話だけでわしもう肉の口になっとる。決まりじゃー!」


「では是非、エナさんのお勧めに従って一度そちらへ行ってみましょう」


つい先程食事をどうするか、などと話していたところである。

空きっ腹にずしりと効きそうな料理を聞かされては否応もない。こうして二人が向かう宿は少女のおかげですぐに決まった。だがまだ部屋が空いているかどうかなど不明であるということに、すっかり肉の口になってしまったユエは気づいていない。

ソルが居なければこの旅は成立していなかったであろうことは間違いなかった。


少女と三人で仲良く会話をしているうちに ───エナの父親は邪魔をしないよう笑顔で隅へと移動していた─── すでに門は目前まで来ていた。

門の前には街へ入るための列が出来ており、その最後尾へと並ぶことになった一行を乗せた馬車。

この様子だと自分たちの番になるまで少し時間があるだろうか、と考えたユエは荷台からひょいと飛び降りなにやら準備運動を始める。


「好機じゃ!今のうちに腹を空かしておくのじゃ!」


そう言いながら徒手空拳で早速といわんばかりに型らしきものを始めた。

彼女の格闘の基礎を教えたのはソルの母親、レーシィ・エル・アルヴである。今行っている型は彼女に教えてもらった格闘術を、自分の身体に合わせて調整したものである。


傍から見れば小さな少女が、何やらおかしなはしゃぎ方をしているように見えたかもしれない。

しかしそれは、見るものが見ればその鋭い動きに気づき目を見張っただろう。

普段は刀を振るっているユエではあるが、も相当なものである。それもそのはず、身体能力の塊である鬼人族は伊達ではない。


しかし本人は気づいていないが、丈の短い服でそれを行うということはどういうことか。


「お姉様、素晴らしいパン・・・チです。とっても素敵です」


「くふふ・・・この拳が、この蹴りが!美味い肉を作るんじゃー!」


意味の分からない叫びとともにちらりちらりと見え隠れするそれ。

最後尾であったことが幸いしたのか、それは妹とエナにしか見られることはなかった。

本人は普段からさほど気にしていないのもあってか、ユエはこうした部分のガードが甘い。

そしていつもは姉の気づいていない点があればそっと教えるソルだが、周囲の目がある場合を除いてこの件に関しては何も言わないのだ。


なおユエやレーシィからの手ほどきもあって、ソルも近接格闘術は修めておりそこらのものには負けないほどに強い。

にも関わらず基本的に後方からの魔術に専念して戦う理由は二つある。

ひとつはそもそも姉に前衛を任せたほうがよほど強いこと。

そしてもうひとつが、後ろに居たほうがという理由であった。


そうして自分たちの番がくるまで運動を続けるユエと、ニコニコと嬉しそうに眺めるソルであった。



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