第11話 九界

 さて、自分が隙を作ると宣言したはいいが。


 敵の動きを止めるだけならばそう難しくはない。こうして戦い続けるだけでいいのだから。

 問題はそれを行うとすると自分もソルの『魔法』に巻き込まれるという点だ。


 ソルの扱う魔法はその効果領域が圧倒的に広い。故に巻き込まれないためには敵の足を止めた上で、距離を稼がなければならなかった。

 それを魔法の発動に合わせなければならない。言うは易く行うは難しのお手本だ。


 魔法はその特性上連発が出来ない。二度目は無いのだ。

 何も言わず、ただ当然のように自分を信じてくれた義妹のためにも、失敗など許されない。

 泣き言を言っても始まらないのだ。

 そうしてユエは戦闘中にも頭を回し、戦略を立てていく。



 ユエの戦いは身体全体を使った動きが多い。

 これはその背丈の低さからくる間合いの短さを補うために編み出された、ある種苦肉の策であった。

 至極単純な話、攻撃が届かないのであれば届く位置まで移動すればいいのでは?という思考。

 "宵"もこの思考をもとに生み出された刀である。


 遠くて届かないのならば長い武器を使えば良い。

 高くて届かないのならば飛べばいい。


 動きは大振りになりがちだが、ならばそれを能力と技術で補えばいいのだ。

 回避したならそのままの勢いで攻撃へと転じ、受け流したなら相手の勢いを利用する。

 全身を使って勢いを次へと繋げれば、躱されても動きは止まらない。身体を操作する技能において自分の右に出るものはない。

 防御されたのならその上から叩き潰せば反撃はない。膂力で自分の右に出るものはない。

 ユエにとってはそれだけのことだった。


 常人であれば無茶を言うなと憤慨するかもしれない。?巫山戯るな、と。

 前世では許されなかった才能が、ユエの背中を押していた。

 この世界に生まれてからこれまで、そしてこれからも。命を賭けて戦う中で、そこには確かに"熱"があった。


 ───楽しい。

 そうだ、自分は自分のやりたいようにやればいい。難しいことなど何もないではないか。

 どうにか捻り出そうとするその途中の戦略など、すぐに投げ捨てた。



 鉈の横薙ぎを屈んで躱す。このなりだ、下方へ躱すのはお手の物。

 唐竹などは、速度を合わせて鎬で軽く左右に弾いてやるだけで、真っ直ぐになど落ちはしない。

 袈裟は上から刀を被せるようにして下へと流す。ひょいと跳ねるついでに、鼻面へと蹴りをくれてやる事も忘れない。

 悩むことを止めたユエの動きは、水を得た魚のようで。


「なんじゃ、速度が通じなければ、あとはただ硬いだけかの?」


 挑発するように見下す瞳。

 ほとんど本能でしか動けないような相手に、技術など望むべくもない。

 こんなお粗末な剣術では、自分は殺せない。

 お前では、この熱は抑えられない。


 状況が変わったわけではない。幾度となく与えた傷も、依然致命傷と呼ぶには程遠い。

 敵の馬鹿げた硬さ、その上から真っ二つにするほどの溜めを作るには、やはり時間が足りない。

 だがその必要はなかった。自分には頼りになる妹がいるのだから。

 徐々にソルの準備が整うのを背中に感じていた。


 ユエの態度に何かを感じたのであろう狼人は、焦っているかのように先程よりも激しく攻め立てる。

 本能と衝動の化身であるがゆえか、嫌な気配を感じ取ったのだろうか。

 目の前の厄介な。急ぎこの小さな障害を排除しなければ、奥のアレを殺せない、と。


「出来ると思うておるのか、今更」


 事ここに至り、今更焦ったところでユエを抜ける筈もない。

 なりふり構わず鉈を薙ぎ払う。鋭い爪をどうにか届かせようと、もがくように振り回す。

 躱され、いなされ、焦りは募る。


 刀を肩越しで担ぐように構え、ユエが疾走する。

 アレを近づかせてはいけないと、歪魔の本能が叫んだ。

 そうして歪魔が放った下段からの鉈による切り上げは、いともあっさりとユエの刀に絡め取られる。


 振り下ろすように差し出した刀をそっと添え、勢いを殺しつつ鉈の峰を踏みつける。

 理外の力で踏み込まれ、完全に地に埋まった鉈を足場にして飛び上がるように刀で掬い上げ、跳ねるように斬り上げる。


「────きよめの肆、『咲雷さくいかづち』」


 幸か不幸か、狼人は自身のその硬さゆえに真っ二とならずに上空へと舞い上がる。


「さすがに空中では身動き取れんじゃろ?存外楽しかったぞ」




 * * *




 駆けていった姉を見送り、ソルは魔法の準備を始める。

 準備と言っても特段何かが必要な訳では無い。必要なものは己のみ。


「お二方、これより暫くの間私は周囲に気を配ることができません。ですのでその間、私を護っていただきたいのです。お姉様が向かわれた以上あちらは問題ありません。もしも周囲の歪魔等がこちらに現れた場合の、その保険と考えて頂ければ」


「あ、ああ・・・それはいいんだが、何をするつもりなんだ?」


「もちろん私も、全力でお護りさせて頂きます。ですがその・・・?」


 ユエとソルの会話は聞こえていたが、阿吽の呼吸で行われた二人の意思疎通だけでは情報が足りなかった。

 どうやらユエが足止めを行い機会を作り、ソルが止めを担うということは分かったのだが。

 だが今の自分達では足手まといになってしまうことが分かっていたために、二人とも口を挟まなかった。


「""って言ってたか?それは魔術とは何か違うのか?」


「はい。おっしゃる通り魔法と魔術とは異なります。時間が惜しいので詳しい説明は省略させて頂きますが、乱暴に説明をすればつまり、魔術から汎用性を引いて範囲と威力を足したもの、といったところでしょうか。私とお姉様の愛の結晶です」


「あ、愛ですか・・・?」


「では、申し訳ありませんが宜しくお願い致します」


 これ以上の説明は必要ない。

 ちらりとユエの方を見やれば、すでに戦闘を再開しているようだった。

 義姉が自分に託してくれたのだ。こんなに幸せなことはない。ならば期待に応えるのみ。

 そうしてソルは瞳を閉じ、自分の中の静かな世界へと潜っていった。


 魔術とは、遥か昔に開発された技術である。

 世界中を漂う"魔素"。人は誰もがありとあらゆる行為から意識せずとも魔素を摂取して生きている。


 例えば呼吸や、食事。それどころか空気と接触しているだけでも皮膚から吸収される。

 そうして取り込まれた魔素は、時間とともに体内でそれぞれの身体に適した形へと変化する。その魔素が変化したものが"魔力"と呼ばれる。

 変化の過程で魔力には個体差が生まれるために、それぞれ得手不得手がある。それが魔術適正へと現れる。

 体内の魔力を操り、術式をなぞるように呪文で流れを補助し、身体の外へ放つ。それが魔術だ。

 術式を自分で作成することが出来るようになれば、体内に魔力がある限りは望むように魔術を変化させることができる。


 ちなみにユエは身体操作と同じように、魔力操作の技術だけは圧倒的である。エルフの中でも更に特別だと言われるソルよりも、だ。

 にも関わらず魔術が使えないのは、魔力の量が少ない事とその放出が恐ろしいまでに下手だからである。


 対して"魔法"とは。

 体内の魔力ではなく、周囲に漂う魔素を直接操る術のことを、ユエとソルはそう呼んでいる。

 魔素を操作する理論は過去にもあったし、研究されていたこともあるらしい。だが今は全てが遥か昔に凍結されている。


 理由は単純で、体内にある魔力を操作することに比べ、難易度が比べ物にならないほどに高いのだ。

 ユエはそんな魔素の操作すら、初めから簡単そうにやってみせた。だが操作した魔素を、どうすることもできなかった。

 だからソルに教えた。全てを感覚で行っているユエの言葉を理解できるのは、ソルしかいなかった。

 ミムルですらユエが何を言っているのか理解できなかった。妹だけが、姉を理解していた。


 魔法とはつまりイメージだ。妄想といってしまっても良い。

 自分の思い描いた妄想に、空気中の魔素を操り、巻き込み、そうして当てはめる。

 ユエが作り上げた妄想という名の設計図。

 その設計図をソルがなぞって放つ故に愛の結晶。馬鹿馬鹿しい話だが、その馬鹿が魔法を作り上げた。


 容量の限られた魔力ではなく、辺りを漂いほとんど無尽蔵に存在しているともいえる魔素を利用する特性上、効果範囲や威力の上限が桁外れに高い。

 世界中でたった一人、ソルだけが行使を許された術、それが魔法だった。


 効果領域を設定する。姉は敵を打ち上げる筈だ。ならば目に映る空に、逃げ場は要らない。上空ならば細かい調節も殆ど要らない。


 威力を落とす必要もない。定めた領域以外に影響は出ないのだから。

 事ここに至り、もはや悩むことなど何も無くなった。


「開け楽園───汝、恐れを知らぬ者。槍を砕き、龍を殺し、微笑み自ら生命を燃やし尽くす。水底の魔女さえ誘惑すること叶わず、いかなる謀略でさえ手は届かず。壮麗に輝く楽園が瓦礫と化そうとも、誰も愛を奪えない。我が血は高貴ならざる故に、冷たく淀む血で頬を染めることすら叶わず。故に願う。我に正義があるのなら、鎮まらない怒りの火を。───"九界"、『灼熱の世界ムスペルヘイム』」



 詠唱を終えると同時、轟音が鳴り響き狼人が空へと舞い上がるのが見えた。

 ほら。

 お姉様のことで分からないことなんて一つもないんだから。



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