第10話 油断

 アルヴィスはぼうっと、上空を眺めていた。

 敵地の奥、それも相手を視認しているというときに行うことでは無いだろう。アルヴィス自身それは理解しているし、そうしようと思っての行動ではなかった。もしかすれば口も開いているかもしれない。

 自分でも不思議に思っている程だ。何故自分は今こうして空を見上げているのだろうか。

 あと少しすれば夜の帳も下りようという時間、うっすらと残る夕日の余韻がとても綺麗だった。


 アルヴィスは昔から優秀だった。幼いころに見た騎士の姿に憧れ、市民の盾となって戦う自分の姿を思い描いた。成長してもその憧れは消えぬまま、学園を卒業してすぐ騎士団へ入団し兵士になった。


 すでに成人していたため、騎士を目指す兵士としては少し年齢は高かったがそんなことは彼女には関係はなかった。

 兵士になってからも、その憧れは揺らがなかった。むしろより身近に感じるようになったせいか、以前よりも強くなったほどだ。自分は必ず騎士になってみせる、と思いは強くなる一方であった。


 もちろん訓練は厳しかったし、良いことばかりではなかった。

 学生時代の友人知人は、そのまま学園のある街の店で働いたり故郷へ戻り店を開いたり、それが所謂普通の人生だ。そんな友人たちをよそに朝早くから汗を流して鍛錬に勤しみ、剣を振り、同期の仲間たちと切磋琢磨してきた。上官である騎士に迫り無理を言って教えを請うたり、後輩に教えたり。そんな下積みの時期すらも楽しかったものだ。


 従騎士となってからも彼女はまっすぐ走り続けた。上官にくっついて各地で転戦し実戦を経験してゆく。そのころにはすでに剣の腕は上位に位置していたし、勉学だって疎かにしたことはなかった。


 知識を増やすことは自分の生命を守ることに繋がる、自分の生命を大切に出来ないものが市民を守れるなどと思うな。

 彼女の上官である女性騎士からは口を酸っぱくして、そう言われ続けていた。

 能力を認められた彼女は叙任式を経て、念願叶い騎士となる。語れば長いようで、実際には訓練兵として入団してからここまでほんの数年、まさにスピード出世といえるだろう。こうしてアルヴィスは第二騎士団へと配属されたのだった。


 そこで出会った第二騎士団長のシグルズは、彼女の思い描いていたような清く正しい騎士とは少し、いやかなり違った。貴族ではないにせよ騎士爵は王室より叙任される立派な爵位だ。そんな騎士爵を持っているはずの彼は、パッと見ただの傭兵頭のようであった。

 言葉遣いは荒っぽいし、外した装備はそこらに散らかすし、悪い意味で適当な男だった。

 そんな彼だが部下にはめっぽう慕われていたし、何よりその実力は圧倒的であった。彼は頻繁に団員の訓練に混ざり、自ら指導を行っていた。汗だくで地面に転がされた団員たちに、説教を垂れることもあった。


 曰く『俺たちは剣さえ振れればそれでいい、色々考えるのは上の仕事だ』だそうだ。実際には彼が騎士団長として様々な書類仕事に追われているのをアルヴィスは知っていたのだが、その上でこう言い切ってみせる彼を尊敬していた。


 実力と知識を買われて副団長に任命されてからのことだ。面倒な書類仕事が続々と彼女に回されてきた時、あのときの彼のそのセリフは実際にはそう深いものではなく、ただの愚痴だったと気づいた。


 そう過去を思い起こして、彼女はふと思う。

 はて、自分は今なぜこんなことを考えているのか、と。

 ここは敵地ではなかっただろうか?今は作戦行動中ではなかったか?

 薄暗くなった空を背にくるくると宙を舞うシグルズの腕から、それでも目が離せなかった。


「───何をやっておるんじゃ馬鹿者!呆けておる場合かッ!」


 誰の声だっただろうか。

 ふと視線を前へ向ければ、凶刃はもう目の前まで迫っていた。




 ───────────────────




 刃物がぶつかる甲高い金属音が鳴り響く。


(くッ・・・これは不味いのぅ)


 珍しくユエは焦っていた。普段は飄々として巫山戯たような態度でいることの多い彼女の額には汗が流れていた。阿呆のように呆けたアルヴィスと鉈との間に身体を滑り込ませ、刀を盾にする。

 この状況で受け流すことなど出来ようはずもなく、ならばと力ずくで押し返す。鬼の膂力によって弾き返された鉈を睨みつけ相手を威嚇する。


(──────初手で盾役タンクを潰されたッ)


 盾役とは、集団戦闘において敵の矢面に立ち攻撃を受け持つ役割のことだ。言うまでもなく集団の要となる存在であり、戦闘指揮を執ることも多いポジションだ。

 一方ユエの本領は攻撃役アタッカー。その馬鹿げた膂力を武器に敵を粉砕するのが役目である。

 これが軍隊であれば欠員が出ることを前提に考え、その能力には万能を求める。だが少数の集団戦においては、こうした役割分担が非常に重要だ。

 ここに至るまでの戦闘でもシグルズはその筋力を存分に活かして大剣を盾のように使うことが多く、その防御術は非常に優れていた。

 防御術といってもユエのように受け流すものとは部類が違い、敵の攻撃を正面から受け止め、凌いだ後に攻撃する。単純な力技ではあるが、単純であるがゆえに安定性が高く味方を守ることにも向いていて、その上で鈍重ではなく攻撃力も申し分ない。流石というべきか、守って殴れて指示も出せる。シグルズはまさに盾役として最上クラスだった。


「ソル!状態は!」


「生命に別状はありません。ですが右腕を失っています。戦闘の継続は困難かと」


「グッ・・・舐めんな、腕の一本くらい別になんでもねぇ!」


 ソルに止血を施されながらもシグルズが吠える。

 どう考えても強がりであろう事は分かるが、この状況で腕利きを一人失う事を考えれば否応もない。


「やれるんじゃな!?」


「当たり前だッ!」


 ならばやってもらうしかない。狼人の振るう鉈を受け流しつつ、ユエは高速で頭を回転させる。

 先程から何度か打ち合って分かったことだが、この狼人型は武器の扱いが上手くない。ただ力任せに振るっているに過ぎず、その技術は脅威ではない。だがそれは今の状況を好転させる要素足り得なかった。問題は敵の速度、その一点である。

 身体能力の権化フィジカルエリートである自分ならば捕捉はできる。その圧倒的とも思える速度の攻撃も、自分の身体と技術とならば捌くことができる。だが、それでは手が足りないのだ。

 捌くだけで精一杯、などとは言わない。事実先程から何度か攻撃を返してはいる。

 だがのだ。傷こそつくものの致命傷には程遠い。

 この鬱陶しい敵を叩き潰すには力を込めた一撃が必要だろう。攻撃役である自分が防御を担っている今、そのための数秒が作れない。盾役が潰されたことがここで効いている。


 無理もないことだが、アルヴィスは敵の速度に反応できていない。むろん彼女が弱いわけではない。それだけ敵の速度が異常である証左だが、こと今回の戦闘において残念ながら彼女は使えない。


 シグルズは恐らく視えてはいた。だが初手で攻撃を受けたのが痛かった。片腕では決定打を放てないであろうし、ポジションを代わったところで攻撃を凌ぎきれない。


 ソルも視えている様子だったが、いかにある程度近接戦闘も仕込んであるとはいえ相手が悪い。追尾魔術も有った筈だが威力は低めであるし、そもそもこの速度の前では通用しないだろう。

 ここまで計算して、初手でシグルズを狙ったのならば恐ろしい相手であるが、そこまでの知性は無さそうに見える。


 今現在、弱った獲物を狙うでもなく自分にかかずらわっているのを見ると、どうやらそういうわけではなくたまたま一番前に居たシグルズを狙っただけらしい。つまりは運が悪かった。

 そして今、その一度の不運に追い詰められている。


 怪我の治療────不可。どう考えても時間が足りない。

 敵を撹乱誘導────不可。人数が足りない。

 魔術での討伐────不可。自分でようやく捕捉できる速度だ、当たらない。

 逃走────不可。そんな速度から怪我人を連れて逃げ切れる筈もない。

 怪我人の放棄────不可。それを選べる自分が過去と未来のどこにもいない。


 いくつもの選択肢を拾い上げ、拾い上げては捨てる。

 すでに帳は落ち、辺りには闇の世界が訪れている。

 応急処置としてソルが使用している治癒魔術の光と、徐々に登り始めた月の光だけがうっすらと辺りを照らす程度だ。


 こうなった今、選択肢はいよいよ一つしか無くなる。否、もとより一つしかなかったのだ。小難しく考える必要などない、自身の最も得意な選択肢だった。

 策はある。出来れば使いたくはなかったが、決め手には心当たりがある。

 そうと決まればあとはやるだけだった。

 敵の斬撃を弾き返して距離をとり一度後ろに下がったユエが、敵の一挙手一投足を見逃す事のないよう睨みつける。


「団長とアルヴィス殿はソルの援護じゃ。こやつはわしが引き受けるのでな」


「痛ッ・・・あんたが受け持ったら誰がそいつを倒すんだ。やれるっていってんだろ、俺によこせ」


「阿呆、すっこんでおれ。残念ながら今宵はわしが主役じゃ。油断したおぬしが悪い」


 もうユエに焦りはみえなかった。軽口すら叩くほどだ。


「私も戦えます!・・・先程は無様を晒しましたが、次は大丈夫ですから!」


「ど阿呆、すっこんでおれ。おぬしは帰ったら団長にボロ布のようになるまでしごかれる未来が確定しておる」


 じっと静かに姉の言葉を聴いていたソルには、すでにユエと同じ作戦が見えているのだろう。

 その表情はどこか嬉しそうで、誇らしげで。こんな状況でありながらも楽しんでいるようですらあった。

 まるで徒競走で一着をとった子供が母に自らを誇るようだ。


「わしがアレの硬直を作る。ソルは""の準備じゃ。合図はいらんからの、好きにせぃ」


「ふふ、お任せ下さい。お姉様はどうぞご随意に」


「うむり。ではの」


 言葉少なに会話を終えた二人であったが、義姉妹の間に無駄な言葉は必要なかった。

 義姉の役にたつ事ができて喜ぶ義妹を一瞥し、微笑みを浮かべながらユエは跳ねるように駆けていった。

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