第4話 五年後

 それから五年の歳月が過ぎた。

 子供のころはまるっきり樹木の生い茂る森の中だった、ミムルと自分二人だけの家と、王族の居室を繋ぐ道のり。今となっては一本の小さな道がすっかり舗装されている。


 十数年間、ほとんど毎日通ったその道を、ユエはひとり歩いていた。その装いは少なくともこの国では随分見慣れない姿だった。

 巫女装束をベースに、こちらの世界でのアレンジを重ねたような。

 白を基調に、ところどころが金と緋色で装飾され、前部の布を前掛けのように長く垂らした上衣。成長を見越してか、上着から独立した長すぎる袖が風に靡いている。下衣は緋袴ではなく黒のミニスカートになっていた。


 数年前に東から来たと言う行商人の店で買い付けた布を使い、仕立ててもらった服だ。

 アレンジされてはいるものの、和風と言える服装であるのに、草履では刀が振りにくいという理由から靴はロングブーツである。そこに刀を佩いて居るのだから、もはや異質の塊であるといえる。だが彼女には不思議と似合っていた。

 装いは随分と変わったが、背丈は相変わらずだったし発育も相変わらず芳しくなかった。


「ツノは結構伸びたのぅ・・・」


 額の両端に生えた角を撫でる。

 幼い頃は、前髪に隠れて見えるか見えないか。そんな程度だった小さな角は、今では顔の半分ほどの長さになっていた。邪魔に思い削ってみようかと思った事もあったが、義妹に泣いて止められた。

 そんなどうでもいい過去を振り返っていると、思いの外時間が経っていたようで、少し先に義妹の姿が見えた。


「お姉様、お迎えに上がりました。今日は王城に来客があるとのことですから、稽古は出来ませんね」


「そういえばなんか言っておったのぅ。わしらには関係ないじゃろうが、すぐ裏手で騒がしくするわけにもいかんしの」


 ソルの言動はこの数年ですっかり落ち着いたように見えた。だが実際には興奮を隠すのが上手くなっただけである。今もこっそりユエの尻を触ろうとして、手を叩き落とされていた。

 五年前にはすでに完成されていたと言っていいほどの容姿をしていたソルは、成長するにつれ背丈も伸び、その体つきはあっちこっちがえらいことになっていた。

 ユエと並べばすっかり大人と子どもである。ちっこいほうが姉であるなど誰に分かるだろうか。


「本日は歪園メイズへ向かわれますか?あそこならば、誰も来ませんよ。二人きりです」


「なんかちょっと意味が違う気がするんじゃよなぁ・・・」


「まさか、気の所為ですよ」


「ならいいんじゃが・・・まぁ今日はもうよいじゃろう。晴耕雨読、たまにはダラダラするのも悪くなかろ」


「そうですか・・・チッ」

「それに、歪園メイズでの鍛錬もずいぶんと慣れてしもうたしのう・・・いま舌打ちせんかった?」


「まさか、気の所為ですよ。それに油断は禁物ですよ?慣れてからが怖いのです」


「ふむり・・・増上慢になるわけではないが、とはいえマンネリは事実じゃしのぅ」


 そう言いながら庭へと着いた二人は、屋敷の侍女がお茶の準備してくれていた ───ユエのものだけはソルがその場で準備した─── テーブルへと席に着いた。

 この十余年、居室の庭先で鍛錬するのはもはや日課となっていた。剣術や魔術を、レーシィとミムルに師事することもあれば、二人で組手をすることもある。

 たまに歪園メイズである聖樹の森へと足を伸ばし、獣や歪魔を相手に実戦経験を積むこともあった。


 歪園メイズとは、超高濃度の魔素が一箇所に溜まることで空間が歪み、世界の理から隔絶された場所のことである。歪園メイズ内部は通常よりも高濃度の魔素が充満しており、魔素濃度の高い場所において世界中で発見されている。

 理を外れた歪園メイズの内部からは、高濃度の魔素が蓄積したことにより性質が変化したとみられる植物や鉱石、果ては過去に失われた資源まで、説明がつかないような物資が発見されることが多々あった。そうしたものは非常に高値で取引されていた。


 内部の魔素濃度を下げることで歪園メイズは崩壊し、元の世界へと戻る。一般的にはその魔素溜まりの元凶を取り除くことが手っ取り早いといわれている。

 また歪園メイズと化した地域は空間ごと隔絶されているため、内外の出入りはゲートと呼ばれる特定箇所からしか出来なくなる。


 そして魔素の影響で体組織が変化した獣 ───あるいは人─── を歪魔と呼び、体内の魔素許容量を超えて魔素を取り込み続けることで徐々に身体が変化する現象を"深化"という。

 歪魔は深化による体組織の変化で禍々しい姿をしており、魔素の過剰摂取から膨大な魔力を持つようになる。通常の獣よりも遥かに力が強い場合がほとんどで、自我を失い本能にのみ従うことから基本的に人類にとっては害しか為さない存在とされている。

 とはいえ自我が無いため、扉から歪園メイズの外へと出ることなどほとんど無いので、歪園メイズ内部の物資を求め歪園メイズを囲うように街が作られている場所さえあった。


 ちなみに"聖樹の朝露"での怪我の治療はこの深化を利用したものであり、摂取量を誤れば歪魔を作り出してしまう恐れがある非常に危険なものでもある。毒薬変じて薬となる、というわけだ。

 聖樹はそれ自体が魔素の塊であるために、その周囲の森が歪園メイズ化するのは至極当然の現象と言える。そしてユエが捨てられていたのが、その聖樹の森である。

 つまりは危険な歪園メイズ内であったがために、当時バルドルトとミムルは随分と訝しんだ、というわけだ。


 そんな危険な場所で実戦経験を積んできた二人であったが、当然はじめから上手くはいかなかった。生命の危険も何度か経験している。大きな建物ほどもある猪形の歪魔と遭遇し、逃走するも敢え無く戦闘に発展たときなど、ユエはこれにて今世の終わりか、とさえ思った。なにせ牙が掠ったと思えば自分の右腕が無くなっていたのだ。いつもクールな、あのソルが泣き叫んでいたのだ。聖樹の朝露がなければ、今も腕は失われたままだっただろう。


 そんな危険な目に遭ってさえユエは諦めなかった。そうした危険の度に自らの未熟を実感することが出来たし、前世では終ぞ得られなかった強くなることへの喜びを感じる事ができたから。

 刀を鍛え、技を鍛え、精神を鍛えて再び挑み、その猪形歪魔の大きな首を落とした時などは絶頂を覚えるほどだった。ともすれば戦闘狂というある種の変態に片足を突っ込んでいた。


 そんな二人も近頃はすっかり慣れたのか、はたまた順調に強くなれたのか。今となってはそこらの獣や歪魔に遅れを取ることなど、そうそうなくなっていた。


「くふふ・・・そろそろ例の計画を始めるときが近いようじゃな!」


「お姉様、私はいつでも準備万端です。もちろんお姉様の分のご支度も完了しております。"宵"も私が預かっておりますし、替えの下着まで完璧です。今すぐにでも出立できます」


「よいぞよいぞー!となればやはりここはコッソリじゃよな?メモ書きだけ残して旅立つやつじゃ!」


「あっ、お姉様。急に動かないでください。御髪がうまくいきません。」


 そう言いながらも、髪を整える手には澱みがない。ユエの伸ばしっぱなしの髪を手入れするのは妹の特権だ。ソルにとって義姉の髪を触っている時間は至福であり、日々様々な髪型を試しては恍惚の表情を浮かべ眺めている。ユエにとっては髪型など何でもよいのだが、幸せそうに自分の髪をいじくり回す義妹の姿は微笑ましく、止めさせる理由もないので好きにさせている。


 本日は、両サイドの髪をすこしまとめ上げ残りは流す、所謂ツーサイドアップだった。

 ともすれば少し子供らしい印象を与える髪型だが、ユエにはよく似合っていた。

 そんな他愛もない無駄話をし、ダラダラとお茶を飲んでいたところ、王城のほうから一人の侍女が駆けてくるのが見える。


「姉様姫様ー!なんか分かんないッスけど、陛下と賢者様がお呼びッスよー!」


 この国の王女であるソル、その義姉とはいえ姉であるユエに対する言葉遣いとしては随分と不敬。取ってつけたような雑な敬語は最大限よく言ってもフランクすぎた。だがユエとソルはすこしだけ呆れを見せるも、別段気にしていない様子。


 幼い頃から二人に ───主にこの居室に住むソルの専属である─── 付けられ、共に育った彼女のその態度はいつものことであったし、そもそも二人とも自分たちの立場などまるで興味がない。というよりこの国の王族は皆、良くも悪くもこんなものであった。

 とはいえ、侍女であれば一応の形だけは整えるべきである。大声で要件を伝えながら走ってきたその侍女は、二人のもとにたどり着くなり無言のソルから水魔術で作られた弾(弱)をしこたま浴びせられていた。


「はて、なんじゃろうか。確か今は来客中とか言っとらんかったかの?」


「無視してよいのでは?今が私達二人の時間であることは承知している筈ですが」


「あの二人の呼び出し・・・さすがに、行かぬわけにもいかんじゃろ。あとその辺にしてやってくれ。エイルが痙攣しとるぞ」


「では、参りましょうか」


「別にここにおってもいいんじゃよ?エイルを送ってきたということはそう重要な話でもないじゃろ」


「僅かでも私達の邪魔したことに文句を言いたいので。それにお姉様を呼ぶということは、私も着いてくることは分かっているでしょうし」


 そういって立ち上がり、王城へと歩き始める二人。


「何じゃろうな・・・来客とやらに関係しとることは間違いなさそうじゃが」


「ついにお姉様の素晴らしさに世界が気づき、お目通りを願いに来たのではないでしょうか。困りました、姉帳に記す偉業がまた増えてしまいます」


「ずっと気になっとったんじゃが、その得体の知れん帳簿は一体今何冊あるんじゃ・・・」


「ちょうど先月の末に、百巻を突破しました。さすがに場所を取り始めたので、近頃は姉帳を保管する専用の部屋を用意しようかと検討中です」


「・・・せめて屋敷の隅っこのほうの部屋にするんじゃぞ・・・あと聞き流しとったけど、何でおぬしがわしの替えのパンツ保管しとるんじゃ」


「妹ですから」


「そんな当然です、みたいな顔で言うても無駄じゃぞ!どおりでたまーに見当たらんくなったパンツがあると思っとったわい!爺、疑ってすまんかったのう・・・」


 結局わちゃわちゃと騒がしくしながら城へと向かう二人の背後で、連絡役としてやってきた侍女エイルはすっかり無視されていた。

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