開幕 蒼き月の海を航るもの-ルナマリアノーツ-(後編)




 リィィィィィィィィィィ……ン……



 豪奢ごうしゃな法衣に身を包み、女神っぽい刺繍が施された司教冠ミトラを頭に載せた四十代後半くらいのその男が、手にしていた赤銅色しゃくどういろのハンドベルを鳴らすと、すぐに変化は生じた。

 ボコッ、ボコッ、と男の全身の筋肉がたちまち変色・隆起りゅうきし、肥大化――ヒト以外の何かへとその姿を変えていく。


 ――『変身』していく。


「な……何よあれ……。私、悪い夢でも見ているの……?」


 ボクの隣で金髪の少女――クレアがそれを見て震える声で呟く。


「もはや人間じゃないね、あれは」


 クレアの独白に答えたのは、自称・仙女の女の子――カグヤだった。

 彼女は『変身』した男をすがめた瞳で睨み、吐き捨てるように言う。


「もうただの化け物だよ。そして残念ながらこれは夢じゃない。現実だ」


 そう。男の姿は、もはや人間とは呼べない異形いぎょうと化していた。

 身長は6mほどか。全身が黒い毛に覆われていて、腕が四本に増え、垂直に割れた頭頂部には牙が生えた巨大な口が付いている。


 どこからどう見ても立派な化け物――怪人だ。



 ――キェェェェェェェェェェッ!



 金切り声のような奇声を上げて、怪人が一番前の帆檣フォアマストの見張り台、30m近い高さから飛び降りる。

 そして中央甲板メインデッキにドスン! と着地した怪人は、そこに倒れていた水兵を四本の腕で空中へ吊り上げると、頭頂部の大きな口でボリボリと貪り喰い始めた。


「な……」


 これにはボクも絶句してしまう。


 まさかヒトを……それも自分の配下を食べてしまうとは……。


『フハハハハハッ! みなぎる! 漲るぞ! あの御方がおっしゃったとおりだ! ヒトを喰えば喰うほど全身に力が漲っていくのを感じる! もっとだ! もっと喰わせろ!』


 げ。しゃべった。まだ喋れたのかアイツ(なんか機械越しみたいな変な声だけど)。

 あんなナリでもヒトとしての意識が残っているのか。

 それなのに――平気でヒトが喰えるのか。


「どうやら精神こころのほうは、とうに人間じゃなかったみたいだな」


 ボクは気絶している水兵たちを次々と喰らっていく怪人――『人喰い』とでも呼ぼうか――を眺めながら毒づいて、まだ向こうの船に残っている仲間たちへ叫ぶ。


「みんな! そいつには手を出すな! 早く戻ってくるんだ!」


 捕まっていたヒトたちはみな、ちょうどこちらの船へ船首斜檣バウスプリットづたいに避難を完了したところだ。海面までの高さに怖じ気づき自力では渡れなかった女の子が一人だけいたが、そのコはボクが迎えに行ってお姫様抱っこで運んであげた。そしてどうやら、その緩く波打つ金髪をショートカットにした十二歳くらいの愛らしい女の子こそが、クレアの妹のユーノだったようで、


「ユーノ!」

「お姉ちゃん!」


 駆け寄ってきたクレアとユーノはひっしと抱き合い、互いの無事を喜び合う。


「ユーノ! 怪我は無い⁉ ごめんね、あなたが市場いちばで捕まってしまったとき、何もしてあげられなくて……」

「大丈夫だよ、お姉ちゃん! どこも怪我してないよ! ボクこそごめんなさい、使……。……」

「ああ……ユーノ……」

「お姉ちゃん……」


 その感動の再会、血の繋がらない美人姉妹の百合百合ゆりゆりしい……もとい美しい光景を後方彼氏面でウンウン頷きながらいつまでも眺めていたいところだったが、残念ながら今はそれどころではなかった。


「クレア。ユーノ。みんなと一緒に下がってるんだ」

「「えっ」」


 ボクの指示に従い戻ってきたメンバーに、クレアとユーノ(まさかのボクっと判明)を任せ、ボクは一人歩き出す。


 みんなとは逆方向――『人喰い』が待つ横帆船バークのほうへ。


 が、


「ちょ……ちょっと待ってよ! どこへ行くつもり⁉」


 船首斜檣バウスプリットへ足を掛けたボクの腕をクレアが掴み、引きとめてきた。


「まさかあなた、自分がおとりになるつもり⁉ 自分があの化け物を引き付けている間に自分たちの船をここから退避させようというの⁉ まだ見習いだからって、なんであなたがそんな貧乏くじを引かなきゃいけないのよ⁉」

「――クレア。だんなさまは見習いなんかじゃないよ?」


 気まずさから頭を掻くボクの代わりに、カグヤが種明かしをしてくれた。


「だんなさまはこの船――『トゥオネラ・ヨーツェン』の船長なんだ」


 しばしの沈黙。

 やがて、


「…………え? せんちょう?」


 信じられない、という表情かおでクレアがオウム返しをする。


「まあ、お飾りに近い船長だけどね。実はそうなんだよ」


 ボクはそう言って肩をすくめ、


「ごめん、黙ってて。なんか言い出しにくくてさ」


 呆然としているクレアの頭を撫でた。

 そしてこちらの腕を掴むクレアの手をそっと外し、


「ボクが行くのは囮になるためじゃない――船長として乗組員クルーのみんなを護るためだ」


 告げて、船首斜檣バウスプリットの上を一気に駆け抜け跳躍。『人喰い』が待つ横帆船バーク甲板デッキに着地する。


 一人、戦場へと降り立つ。


『ほぉう? 神器――神よりたまわりし奇蹟のチカラで「変身」した私に単身立ち向かうつもりか? 大した度胸だな!』


 甲板デッキに倒れていた水兵たちをあらかた喰い尽くした『人喰い』が、こちらに気付いて振り返る。


「ひとつ訊いてもいい?」


 ボクは鮮血で赤く染まった甲板デッキに思わず眉をひそめつつ、気になったことを訊ねた。


「なんで配下たちを喰った? さっきの口ぶりだと、ヒトを喰うことでパワーアップ出来るみたいだけど……人間相手にそこまでする必要は無いじゃん。今のアンタならさ」

『残念だが、私の配下たちはけがれてしまった可能性があるのだよ』

「穢れてしまった?」


 どういう意味だ?


『先程貴様の仲間たちのせいで、捕まえていた連中が脱走してしまっただろう? あのとき逃がすまいと、連中に触れてしまった者がいたのだよ。何人もな』

「それで?」

『知らんのか? <>に触れた者はな、魂魄タマシイが穢れてしまうのだ。――穢れてしまった者を生かしてはおけん。だが、乱戦になってしまったせいで、どの兵が穢れたのかわからなくなってしまった』

「だから手っ取り早く全員処分することにした、と」

『そういうことだ』


 首肯しゅこうして、「くっくっくっ」と笑う『人喰い』。


「……穢れてしまった者を喰って、アンタは穢れないワケ?」

『私だけは大丈夫なのだよ! このとおり、神の寵愛を得ているゆえにな!』

「ふぅん……。身勝手な理屈だな」


 なんでこいつらはどいつもこいつも自分だけは特別だと思えるんだろ……。


『貴様にも疑問に答えてもらおうか』

「? なんだい?」

『先程私が<魔女>という単語を口にしても、貴様は一切の動揺を見せなかったな。……まさか、あの者たちは全員<魔女>とその身内だということを承知の上で助けにきたのか?』

「…………<魔女>、か」


 ――<魔女>。


 それは地球で生まれ、時空を超えてこの蒼き月の海ルナマリアへ流れ着いた地球人の女性……<漂流者>と、この月で生まれた男性の間に出来た子供のことを指す。


 両者の間に出来る子供は必ず女児で、一時的に腕力の底上げが可能だったり、超常的な勘の冴えを発揮できたりと、生まれつき不思議なチカラを持っているものなのだが……、


『<魔女>はこの世界を滅ぼすため生まれてくる忌むべき存在! 触れればこちらの魂魄タマシイまでけがれてしまう生きとし生ける者すべての敵だ! それを承知の上で助けようというのか⁉ あの者たちを受け容れてくれる場所など、この世界のどこにも存在せんのだぞ!』


 ……そう。<魔女>と呼ばれる者たちに――世界中の人々から忌み嫌われ、憎まれている彼女たちに、居場所は無い。


 いや――『無かった』。

 これまでは。


「心配ご無用。この蒼き月の海ルナマリアにもちゃんとあるんだ。<魔女>と呼ばれている者たちと、その身内が安心して暮らせる場所が」


 彼女たちがずっと探していた逃げ場。安住の地。隠れ里。理想郷。……楽園が。


「ボクたちがつくったからね」


 ボクの言葉に、『人喰い』がピクッ……と反応する。


『そうか! 先日耳にした「この海のどこかに、人々から忌み嫌われている者でも平穏に暮らせる隠れ里がある」という噂。あのくだらない噂は貴様らが流布したモノだな⁉ 世界中の<魔女>とその身内に希望を与えるために!』

「勘が良いね」

『まさか貴様ら、世界中の<魔女>とその身内を救うつもりか⁉ そんなことが出来るとでも思っているのか⁉』

「思ってないさ。……思ってないけど、この目にまったヒトたちがごく普通の幸せを掴むための手助けくらいは出来ればと思ってる」


 乗りかかった船ってヤツさ。いろいろあったんだよ、ボクにも。


『愚かな……。世界の敵と言っていい<魔女>とその身内の肩を持とうなど……』

「ボクから言わせれば、愚かなのはアンタらのほうだ。アンタみたいな司祭はその筆頭だな」

『ほう……。我々が何者か知ってての狼藉ろうぜきというワケか』

「もちろん知っているさ。罪無き女性たちに<魔女>というレッテルを貼り、迫害することで、人々の間に軋轢あつれきと分断をもたらす悪魔の教徒どもめ」


 彼女たちが世界中の人々から忌み嫌われることになったそもそもの原因は、コイツらが広めた教義、『神託』とやらのせいなのだ。


 そう。コイツらは世界中に根を張り、迷信をバラまいて、『断罪』という名目で罪無き女性たちを捕らえ処刑している狂信者の集まり。


 邪宗じゃしゅう組織――『秩序管理教団』。


 これまでボクが幾度も対峙してきた悪党ども……。


『よかろう! 互いの信念、正義を賭けて殺し合おうか! 勝ったほうが真の正義だ!』

「生憎、ボクは正義なんて曖昧なモノのために戦ったりはしない。ボクが戦うのは目の前で涙を流している人々のため――彼女たちを放っておけない自分自身のためだ」

『なんでも構わん! いずれにせよ、貴様は今日ここで死ぬのだから! さあ、覚悟するがいい!』


 吼えて、『人喰い』は一足飛びでこちらのふところへ飛び込んでくると、四本ある腕のひとつを横薙ぎにする。


「っ!」


 ボクは想定を遥かに上回るスピード、轟音とともに襲ってきた丸太のようなそれを両腕の十字防御クロスアームブロックで受け止め――そして、そのままふっ飛ばされた。


「………………!」


 木の葉のように吹き飛ばされ、海面へと叩きつけられてしまった。






                  ☽






「ああっ……」


 私はその一部始終――イサリが海面に叩きつけられ、そのまま海中へ沈んでいく様を、茫然と見届けることしか出来なかった。


「そんな……、イサリ……」


 海面に出来た大きな波紋を見つめ、私は項垂うなだれる。



 ――『まあ、でも、血も繋がっていない女の子のために必死になれるキミは、とても素敵な女性だと思うよ』



 彼がくれた言葉、笑顔が不意に脳裏に甦り……、気付けば私は涙を零していた。


『ハッハッハッ! 口ほどにもない! 先程のあの威勢の良さはなんだったのだ⁉』


 司祭が『変身』した化け物が哄笑を上げる。


『――さて。このまま「断罪」といくか。船ごと沈めてやろう』


 そして化け物は、そのままこちらへと向かってきた。


「ひっ」

「お姉ちゃん……!」


 私は恐怖で腰を抜かし、ユーノを抱き締めガタガタと震える。

 そんな私たちを庇うように、イサリの仲間たちが化け物の前に立ちはだかろうとするが、勝敗は火を見るよりも明らかだった――どんな歴戦の猛者もさだろうと、ヒトの身であの化け物に太刀打ちできるワケが無い。

 あの化け物がこちらの船に乗り込んできたときが、殺戮ショーの始まり。私たちの最期だ。


 私たちは――今日ここで死ぬ。


「うっ……ううっ……」


 絶望し、嗚咽おえつを漏らしてしまったそのとき。


「――大丈夫だよ」


 仙女の囁きが、私の耳朶じだを打った。


「えっ?」


 振り向き、仙女の横顔を見つめる。


 彼女――カグヤは、慌てていなければ、絶望してもいなかった。


 冷静に――悠然と。

 こちらへ向かってくる化け物を見据え。

 その口元に、小さな笑みすら浮かべていた。


 ……いや、彼女だけではない。

 周りにいるイサリの仲間たち全員がそうだ。


 この状況で誰一人悲嘆に暮れていない。

 絶望していない。


 ……というより、これは……。


「イサリが死んだとは、誰も思っていない……?」


 私の独白が聴こえたのだろう、カグヤが振り向く。


「良いことを教えてあげる。わたしたちの船長はね、とっても強いんだ。この月と地球を創造つくった神様たちも認め、そのチカラを貸す、宇宙最強の少年なんだよ」

「…………え?」


 ――その瞬間だった。



 ドドド……ドドドドドドドドド……!



 轟音とともに海が膨れ上がった。


 視界の隅。ちょうどイサリが叩きつけられ、そのまま沈んでいった辺りで。

 先程よりも遥かに盛大な水飛沫とともに。

 まるで津波が押し寄せてきたみたいに。


 ゆっくりと海面を持ち上げ――『それ』が姿を現した。


「ま、まさかあれは、潜水艦⁉」

「違うよお姉ちゃん! あれは鯨さんだよ! 真っ白な鯨さんだ!」


 そう――ユーノの言うとおり、『それ』の正体は鯨だった。

 全長30mはありそうな、異常なくらい全身が真っ白なシロナガスクジラだ。


 海が膨れ上がったように見えたのは、あのシロナガスクジラが海中から勢いよくその半身を突き出したせいだったのだ!


『な……なんだ、あの化け物じみた巨大生物は⁉』


 その迫力に、司祭が『変身』した化け物すらもが度肝を抜かれている。どうやら鯨という生き物を初めて見たらしい。まあ、無理も無い。この蒼き月の海ルナマリアで鯨は一生のうちに一度お目に掛かれるかどうかという珍しい生き物なのだ(もっともあのシロナガスクジラも化け物に『化け物じみた』なんて言われたくないだろうけれど)。


 でも……、あの鯨はいったい……。


「あのコは『シロ』。だんなさまの相棒みたいな存在ものだよ。あなたは気付いていなかったみたいだけれど、ずっとこの船のあとを追いかけてきてたんだ」


 私の疑問にカグヤが答えてくれた。


「あ、相棒?」


 鯨が? イサリの?


「イサリはいったい何者なの……?」


 その疑問に答えてくれたのもカグヤだった。


「……時空を超えてやってきた、この宇宙最後の希望。この月の海とてついた地球に秩序を取り戻すため流れ着いた、魂魄タマシイの旅人……」


 うたうようにそう言って、カグヤはまるで水族館で芸をするイルカみたいに海中から半身を突き出しているシロナガスクジラの鼻先を指さす。




「その名も――『蒼き月の海を航るものルナマリアノーツ』」




 そしてそこに――『彼』はいた。


 端々はしばしに施された黄金色こがねいろ金属彫刻エングレーブと、所々に浮かび上がる白鯨はくげいかたどった純白の光芒こうぼうが神々しい、美しい留紺とまりこんの衣装で全身くまなく包んだ人物が。


「あれは……」


 テンガロンハット風の帽子と長手袋、襟の長いコートとスラックス、そしてブーツで構成されたその全身防護服メタルジャケットは、『幽玄ゆうげん』という言葉が似合う深い蒼を基調としていて。


 そして、白鯨はくげいの形をした光が表面を泳ぐその身は、全身のあちらこちらでうずみびのような蒼白い火が……人魂ひとだまのようなモノがチラチラと燃えていて……。


「まるで幽霊だわ」


 けど、何故だろう――ちっとも怖くないのは。

 むしろ、どこか美しく、神々しくすら思えるのは……。


「あれはまさか……イサリなの……?」


 シロナガスクジラの鼻先で腕組みをして仁王立ちし、司祭が『変身』した化け物を睥睨へいげいする『彼』の頭部は、帽子とコートのえりの間の僅かな隙間、目元すら蒼い水晶クリスタルみたいなモノでふさがっていて、顔を確認できない。


 だから顔はわからない。


 だけど、わかる。

 不思議と確信できた。


 あれはたぶん――神様のチカラか何かでイサリが『変身』した姿だ。

 イサリは生きていたのだ……!


『き……貴様はっ⁉ 貴様のその姿は⁉ ――そうか! 貴様こそが以前あの御方の仰っていた要警戒対象! 我々の船を手あたり次第に襲っては、せっかく集めた<魔女>たちを横取りしていくという怨敵!』


 司祭が『変身』した化け物がイサリを見上げて呻き、後退あとずさる。


『<魔女>たちの主人――<魔王>……!』


 そしてハッと我に返ると、


『お……おのれ! 神をもおそれぬ不届き者めが!』


 上半身を傾け、垂直に割れている頭頂部、牙が生えた巨大な口から、ヒトの身の丈はありそうな火球を撃ち出した!


 小さな帆船なら一撃で沈めてしまいそうなそれを、イサリは腕組みを解き、握り拳を作った右腕を横薙ぎにしてアッサリと弾き返す。


 弾き返された火球は明後日の方向へ飛んでいき――


『ああっ⁉』


 化け物が乗っている船の船尾楼せんびろうそびえる巨大な女神像に当たって、爆散した。


 ギィィィィィィ……と、衝撃で傾く横帆船バーク


『ひ……ひぃぃぃぃぃぃ……!』


 それだけで勝てないと悟ったのだろう――格の違いというモノを思い知ったのだろう。傾いた甲板デッキの上で化け物はみっともなく尻餅をつくと、イサリに背を向け、海へ飛び込んで逃げようとする。


 それを見てイサリが動いた。


 シロナガスクジラの鼻先を蹴って跳ぶと、空中でクルリと一回転し、左脚を畳み、右脚を突き出した跳び蹴りの構えを取る。

 同時に、彼の全身でくすぶっていたうずみびのような蒼白い火が、ドン! と爆発的燃焼を起こし燃え上がった。


 そしてそれを推進力に、イサリはまるで一条の流星のごとく空中を翔け――


「ハアアアアアアアアアアッ!」


 燃える弾丸と化した彼の、青白いほのおを纏った右脚が、化け物の土手どてぱらに風穴を開ける。


『ぎゃああああああああああっ!』



 ズズゥ……ン……!



 断末魔の叫びを上げて、化け物は甲板デッキの上に倒れ伏した。


 同時に、火球の直撃を受けた巨大な女神像が傾き、化け物の遺骸いがいし潰すように横転。その勢いと重量でもって船を真っ二つに叩き割る……!

 崩壊する船体。発生する衝撃波。舞い上がる粉塵と水飛沫。荒ぶる海面。



 ギ……ギギギギギィ……!



 軋む音とともに、私たちが乗っている船も、右へ左へと大きく揺れて傾く。


「これはマズいね! ――急いでここを離れるよツバキ! みんな!」

「わかっておる! 幸いさっきの衝撃波で、向こうの船と距離が開いて行き足も付いたようじゃ! もうここに用は無い! 行くぞみなの衆! ――上手回しタッキング用意!」

「「「「「「「了解サー!」」」」」」」


 カグヤと乗組員クルーたちのやりとりが耳に飛び込んできて、半ば茫然としていた私はそこでようやく我に返った。


「ま……待ってよ! イサリは⁉ イサリはまだ向こうの船にいるのよ⁉ まさか彼を置き去りにする気⁉」


 詰め寄る私に、カグヤは小さく微笑むと、


「言ったでしょう、だんなさまなら大丈夫だよ」


 と言って、沈んでいく横帆船バークのほうを指さす。


 するとそこには――


「あっ、見てお姉ちゃん! あのお兄さんだ! 鯨さんの背中に乗ってるよ! スゴイスゴイ! ボクも乗ってみたい!」


 ――ユーノの言うとおり、粉塵の中から悠然と現れたシロナガスクジラの、海面から少しだけ覗いている背に立つ、『変身』を解いたイサリの姿があった。


「は……ははは……。信じらんない……。なんなのよ、アイツ。まるで実弟おとうとが昔ネットで見ていた日本の特撮番組のヒーローだわ」


 思わず笑ってしまう私に、しかしカグヤは肩をすくめてこう言った。


「本人にそんなことを言ったら、渋い顔をされるよ? 『ボクはそんなご大層なモノじゃない。どこにでもいる、ごく普通の地球人だ』ってね」



 ……あんなのが『どこにでもいる、ごく普通の地球人』であってたまるか。






                  ☽






「――イサリ!」

「お兄さん!」


 ボクが縄梯子ラダーを使って自分の船――『トゥオネラ・ヨーツェン』の甲板デッキに戻ると、真っ先にクレアとユーノが駆け寄ってきた。

 というか、胸に飛び込んできた。


「ええっ⁉」


 まさか胸に飛び込んでくるとは思わなかったボクは、そのまま二人に押し倒され、甲板デッキの上に引っくり返ってしまう。


「あいたたたた……」


 ぶつけた後頭部の痛みに顔をしかめていると、


「あのカグヤってコから聞いたわよイサリ! 人々から忌み嫌われ、憎まれている者でもあっても、受け容れてくれるという例の隠れ里! 私とユーノが探していた『楽園』! あれって、あなたたちが創ったんだって⁉ でもって、あなたたちは迫害されている<魔女>とその身内をあちこちで保護しては、そこへ案内しているんでしょう⁉ この船、やたら若い女の子の乗組員クルーが多いと思ったら、彼女たちもみんな<魔女>だって言うじゃない! ――ねえ、当然、私とユーノも『楽園』に連れて行ってくれるわよね⁉ 連れて行ってくれるなら私、あなたの恋人になってあげてもいいわ!」

「お兄さん! ボク、ユーノって言います! 助けてくれてありがとう! とっても格好良かったよ! それでねそれでねっ、ボクもあの鯨さんに乗ってみたいの! ねえ、乗せて! お願い! 乗せてくれたらお礼にチュウしてあげるから!」


 二人はボクにし掛かったまま、仲良くまくし立ててきた。


 …………うん。

 確かに姉妹だわ、この二人。

 血は繋がっていなくても、いろいろとそっくりだ。


「わかったわかった。別に見返りなんか無くてもちゃんと連れて行ってあげるし、シロにも乗せてあげるよ」

「「えー……」」


 何故か不満そうな表情かおをする姉妹。


 なんで⁉

 何が不満なの⁉

 連れて行ってあげるし、乗せてあげるとも言ってるじゃん!


「イサリ、あなたってやっぱり幼女が好きなの?」

「『やっぱり』ってなんだ『やっぱり』って」

「それは違うんじゃない、お姉ちゃん。だってもしそうなら、今頃ボクのチュウに飛びついてるはずだよ? ボクまだ十二歳だし。こんなに可愛いし」

「意外といい性格してるなこのコ」


 なんてやりとりをしていたら、



「イサリさまっ!」



 と、誰かがボクの名を呼びながら、クレアとユーノに負けじとばかりに胸に飛び込んできた。


 いや、正確には胸ではなく鳩尾みぞおちにだったが。


「げふっ」


 鳩尾の痛みに涙目になりながら正体を確かめると、そこにいたのは、亜麻色に近い金髪プラチナブロンドと、カグヤのそれよりも若干薄い水色の瞳が愛らしい十歳の女の子。ツバキ同様『セイラー服のえりがついたスクール水着』みたいな衣装を着た幼女だった。


 彼女の名は――


「る、ルーナ」

「イサリさま、ご無事でしたか⁉ さっきまで『危ないから甲板デッキに出てはいけない』と船内なかで皆さんに止められていたので詳しいことまではわかりませんが、戦いがあったのですよね⁉ お怪我はありませんか⁉」

「だ、大丈夫だよ。だから落ち着いて、ルーナ」

「……ねえ、イサリ、そのコは誰?」

「お兄さんの妹じゃないよね? 髪や瞳の色が全然違うもん」


 上半身を起こし、心配そうにこちらを見上げている幼女の頭を撫でていると、クレアとユーノが訊ねてきた。


 ……何故か揃ってジト目で。


「このコはルーナ。カグヤが言ってただろう、クレア。ボクはルーナってコと一緒に、ちょっと前にこの蒼き月の海ルナマリアへ流れ着いたばかりだって」

「! じゃあそのコも<漂流者>なの……?」

「そうだよ。ボクはこのコを元いた時代、元いた場所――『本当の家族』のもとへ送り届けるために旅をしているんだ」

「……そう。そうだったの」


 そう言って目をすがめるクレアの表情、声音は、とても優しかった。

 彼女はどこか感慨深そうに――噛み締めるように、小さく呟く。


「あなたも、『血の繋がらない妹』のためにずっと戦ってきたのね……」


 そんなクレアと、「お姉ちゃん……」と姉を見つめるユーノを交互に見、


「……あの、イサリさま。こちらのお二方ふたかたはどちら様でしょうか?」


 とルーナが不思議そうに訊ねてきた。


「彼女たちはクレアとユーノ。――『楽園』の新たな仲間だよ」


 答えながら立ち上がる。


 同時にカグヤがみんなを――この船の乗組員クルーたちや、ユーノと一緒に救出された人々を順繰じゅんぐりに見遣みやり、ニッコリ微笑んでこう言った。


「さあ、帰ろうか。わたしたちのホームへ。――あなたたちの『楽園』へ」


 クレアとユーノがようやく見つけることが出来た安住の地へ。






 くして、ひとつの戦いが終わり、ボクたちはまた新たな仲間を迎えた。



 けど、ボクの戦いはまだ終わっていない。

 ボクを兄のように慕ってくれているルーナが、『本当の家族』と再会できるその日まで。ボクの戦いが終わることはない。



 だからボクは今日も旅を続ける。

 いつか必ずルーナと時空を超えて地球へ帰還してみせる。



 ときに立ち塞がる邪悪を滅し、ときに降りかかる神の試練を乗り越えて。



「スパンカーひらけ! 面舵いっぱいハードスターボード!」

「「「「「「「了解サー!」」」」」」」



 ――仲間たちと、この蒼き月の海をわたって。






        『開幕』了

         本編 序章へつづく


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