♯36 月に棲みついた巨獣と、荒涼の地で戦った(前編)
「
プラズマと化した
ぶにょん。
「なっ⁉」
――カグヤが『
「なんだ今の感触⁉」
まるでゴムを殴ったみたいだったぞ⁉
それにプラズマを浴びたはずの表面に焦げ目すら付かないのはどういうことだ⁉
「コイツの皮膚、いったいどうなって――て、うわっ⁉」
困惑するボクに、巨獣の鼻から伸びる無数の触手が
「がはっ」
「だんなさま!」
「イサリ!」
「イサリさん!」
視界の隅、ティラノサウルスの頭蓋骨の陰でカグヤ、アリシア、シャロンの三人が悲愴な表情で叫んでいる。『大丈夫だ、問題ない』と返してあげられればよかったのだけれど……ちょっと無理そう……。
「『電光石火』すら効かないんじゃ、打つ手が無いじゃないか……」
あの『深きものども』の融合体すら
ていうか、相手は全長15m近い、『深きものども』の融合体以上の怪獣だぞ。
こんなん、どうやって
ウルト〇マンでもないと無理だろ。
「ったく……」
だというのに、だ。
ボクの
『あれの存在を決して
この場から逃げることを良しとしない。
『深きものども』と相対したときと同じだった。
あの『月棲獣』とかいう巨獣――やはり『深きものども』と同質の存在らしい。
ギャオォォォォォォォォォォッ!
巨獣が吼える。目があったならそれはボクへの憎悪で
『どうした、
オシッコちびりそうになっているボクに、<
両手に握る
「うっさいわ! 好き勝手言うな! 勝てるかこんなん! サイズ差を考えろサイズ差を! 無茶振りが過ぎるだろ!」
……ボク今、神様に対してかなり無礼な口をきいちゃってるけれど、この場合仕方ないよね?
試練だかなんだか知らないけれど、ボクじゃなくてもキレると思うんだ、こんなの。
『無茶振りは百も承知。ゆえにこうして手伝っている』
「どっちかって言うと手伝わされているのはボクのほうだよね⁉ キミさっき『我ら造物主をもってしても滅ぼすことが叶わなかった』って言ったよね⁉ 試練とか言いつつ実際は自分たちでは退治できなかった化け物をボクに退治させようとしているんだよね⁉」
『そういう見方も出来るな』
「アッサリ認めた!」
『申し訳ないとは思う。……だが、この亜空間の
「ンなこと言われても……」
神様でも勝てない奴をいったいどうやって――ってオイ、ちょっと待て。
「なんかよく見たら、その光の鎖、どれもこれもヒビが入ってない? 最初からあったっけ? そのヒビ」
『……どうやらこの混沌の獣の力を見誤っていたようだ』
「え?」
『前言を撤回する。汝がこの混沌の獣を斃せなかった場合、コレが現実世界に解き放たれるのは「近い将来」ではなく「今日」だったらしい』
「な――」
バキィィィィィィィィィィン!
言ってる
キラキラと降り注ぐ紅い光の粒子。
衝撃でよろけたスーザンが慌てて体勢を立て直そうとするも、巨獣の触手によって叩き落とされてしまう。
「スーザン⁉」
スーザン(つい呼び捨てにしちゃったけど、まあいいか)が墜落したのはカグヤたちが身を隠しているティラノサウルスの頭蓋骨のすぐ近くだった。
墜落したスーザンは中々動けずにいる。大丈夫だろうか。
グルルルル……。
マズイ、巨獣の注意が、墜落したスーザンを追ってカグヤたちのほうへ向いてしまう!
「
間髪入れずに手刀の連撃を叩き込み、なんとか巨獣の注意をこちらへ向けることに成功する。……けど、やはりダメージらしいダメージを与えられた様子は無い。
打撃も、斬撃も効かない。
――どうする? どうすればいい⁉
「何かないのかよ……コイツに効く武器みたいなモノは」
ギャオオオオオオオオオオッ!
巨獣が吼えて前脚を持ち上げ――ボクめがけて降り下ろした。
「っ」
躱す暇は無かった。
悲鳴を紡ぐ時間すらも。
「だんなさまああああああああああっ!」
ボクが最後に耳にしたのは、カグヤの悲痛な叫び。
目にしたのは、視界を覆う巨大な脚の裏。
……そして。
全長15m近い巨体に踏み潰され、ボクの意識はそこで途切れた。
☽
『――お母さん、お母さん』
もうどこにもいないヒト――二度と会えない母親へ、決して届かないと知りつつ飽きることなく呼びかけながら。
「……泣くなよ」
そんな
「泣いたって、もう遅いんだ。どれだけ泣いても母さんは生き返らない……ボクのせいで母さんが無念のうちに死んでいった事実は変わらないんだよ。永遠にな」
『――お母さん、お母さん』
「っ」
泣き続けるもう一人の『ボク』の襟首を掴み、空中に吊り上げる。
「泣くな! 被害者ぶるんじゃない! そんな資格、ボクには無いだろ! 毎日毎日、一日中咳が止まらなくて苦しかった? 夜も眠れなくて辛かった? だからなんだ! だからって、あんな言葉を口にしちゃダメだろ! 毎日毎日、ろくに寝ずに看病してくれた母さんに『生まれてこなきゃよかった』なんて! 絶対言っちゃダメだったろうが! そんなボクに母さんを
そんな資格、ボクには無い。
赦しを
仲の良い親子を羨む資格も。
自分自身を憐れむ資格すら。
こんな人間に、あるワケが無い。
「……いいさ。ずっとそうやって独りで泣きじゃくってろ。ボクはボクを赦さない。死ぬまで。いや……死んでも、か」
ボクはあの巨獣に負けた……。
ここがボクの
アリシアを、シャロンを、カグヤを、最後まで護り抜けぬまま。
『必ず無事に帰ってくる』というツバキやルーナとの約束を守れずに。
ボクは今日ここで死ぬ。
「やっぱり……ボクは誰も救えない」
『ボク』の襟首を掴んだまま、ボクはその場に両膝をつく。
「こんなボクを慕ってくれたヒトにすら、何もしてやれない……」
――そのとき。
『諦めるんですか?』
どこからか、声がした。
「っ⁉」
『ボク』の声じゃない。
少女の声だ。
聞き覚えの無い――けれど、不思議と懐かしさを感じる声。
誰かに似ているような……。
慌てて周囲を見回す。が、姿は見当たらない。
『死を……受け入れるんですか?』
姿は見えないのに、声だけがする。
「誰だ……?」
『これは一種の残留思念……。「彼女」があなたのために
「残留思念……。『彼女』がボクのために生らした実……?」
ひょっとして『デイジーワールドの実』のことだろうか?
カグヤもそんな感じのことを言っていたような……。
『ここで死ぬことを良しとするんですか? あなたにはまだ、しなければならないことがあるのでしょう?』
「……それは、」
『守らなければならない約束が、叶えてあげなければならない願いが、……あるのでしょう?』
「っ」
約束……、願い……。
『思い出して』
――『本当に……? 本当に約束してくれる……?』
――『――そんな約束をされてしまったら……私、
――『
……アリシア……。
――『勝手なことを言ってるって……自分でもわかってます……。でも、どうかお願いです……。お母さんのこと、救って頂けませんか……? お母さんとわたしだけの淋しい世界から……お母さんを、連れ出しては頂けませんか……? 船長さんならそれが出来るんじゃないかって……わたし、そう感じたんです……。船長さんは、どこかお父さんと似た雰囲気をしているから……』
……シャロン……。
そうだ……ボクはあの二人に約束した……。
ボクたちの
これからのキミたちの人生に、楽しいことや嬉しいことをいっぱい用意してあげるって。
ボクはまだ……その約束を果たしていないじゃないか……。
こんなボクを、あの二人は信じてくれたのに……。
『そう。それに……「あの子」も』
――『必ずキミを家族のもとへ送り届けてみせるからね、ルーナ。――そのためならボクは、どんなことでも頑張ろう」
――『………………イサリさま………………。――はい』
――『必ず……。一緒に帰りましょうね。イサリさま』
――『うん』
――『一緒に、ですよ』
ルーナ……!
『「あの子」は今も、あなたの帰りを待っていますよ。あなたの勝利を信じ、幼いなりに一生懸命あなたの無事を祈りながら……』
「…………そう、か」
忘れていたな。
まだ十歳の女の子が、家族から引き離され、見知らぬ場所に放り出されて
今この瞬間も、自分の
なら、
「ボクがこんなところで諦めるワケにはいかないじゃないか」
そうだ。
アリシアやシャロンが救われることを、阻止しようというのなら。
ルーナが家族と再会することを、邪魔しようというのなら。
「たとえ相手が
ボクは――負けるワケにはいかないんだ。
『……行くの?』
立ち上がったボクに、座り込んだままの
いつの間にか『ボク』は泣き止んでいて、そしてボクをジッと見上げていた。
責めるような目で。
『お母さんを無念のうちに死なせておいて? 自分はやらなくちゃいけないことがあるからって、
「……ああ」
頷く。
「気付いたんだ。ボクはまだ地獄へは行けないって。少なくとも、彼女たちが救われるのを見届けるまではね」
『誰かが救われるのを見届けるために……そのためだけに、生にしがみつくの? ……自分が幸せになるためじゃなく? あれだけ傷付いてもまだ……』
「ああ」
『…………そう』
ボクの返答に、『ボク』は何かを諦めたような自嘲の笑みを浮かべて――そして、また膝を抱えてポロポロと涙を零し始めた。
『……いいよ。これからもずーっと、そうやって他の誰かのためだけに生きていけば? ……だったら「ボク」も、永遠にボクを赦さないだけだ。このままここで泣き続けるだけだよ。死ぬまでね』
「………………」
無言で
遠く。微かに光射すほうへ。
幼き日の『ボク』を、独り、この仄暗い海の底に置き去りにして。
今のボクには、救わなくちゃいけないヒトが他に沢山いるから……。
『……だけど、もしもいつか……』
「……いつかボクが、みんなを救えたなら……」
そのときこそは。
「『きっとボクを――』」
『
……最後にもう一度だけ聴こえたあの少女の声は、どこか誇らしげで。
それ以上に、哀しそうだった。
☽
「だんなさま! だんなさまぁ!」
「お、落ち着いてください、カグヤちゃん! 今飛び出すのは危険です!」
「でも……でも、だんなさまが!」
普段は余裕たっぷりなあのカグヤが、ほとんど半狂乱みたいになって、私たちが隠れている巨大生物の頭蓋骨の陰から飛び出していこうとする。
それを必死に抑えているシャロンも、顔から血の気が引いており、目には涙が浮かんでいるのが見て取れた。
無理もない。
だって船長が……イサリが、あの化け物に踏み潰されてしまったのだ……。
あんなの……普通に考えたら生きているはずがない……。
確かにイサリは強いし、不思議なチカラを使うけれど……、でも、あれはいくらなんでも……。
「イサリ……」
嘘だよね?
あなたが負けてしまったなんてこと……死んでしまったなんてこと、無いよね?
だって、約束してくれたじゃない……。
あの
これからの私の人生に、楽しいことや嬉しいことをいっぱい用意してくれるって。
ギャオォォォォォォォォォォッ!
化け物が
「イサリ……!」
『待て』
腕を掴まれ、制止された。
先程あの化け物に
『ヒトの子よ。おまえが行ってどうなるものでもない。大人しくしておけ』
「っ」
頭の中に直接届く不思議な
スーザンが身に着けている黒い喪服の襟首を掴み、
「アンタに指図される
スーザンの頬に平手打ちしようと右手を振り上げて、そして振り下ろす直前に気付く。
遠目にはわからなかったけれど、よく見たらスーザンはボロボロだった。
確かに彼女は今この瞬間も、全身から圧倒的な存在感、神聖な空気を放っていたけれど。でも、その肌は傷だらけで、身を包む喪服もあちこち擦り切れてしまっていた。
さっき巨獣に叩き落とされたためかとも思ったけれど、明らかにそれだけが原因じゃない。古傷もいっぱいある。
「アンタ……なんでこんなに」
『……もう四半世紀近くずっとここであの「
四半世紀って、……二十五年近く?
そんなに長く、あんな化け物の相手をしてきたというの?
誰にも知られず――感謝されることもなく。
たった独りで……?
「なんで……そこまで」
『造物主としての責務だ』
責務……。
『我らはそのチカラがあまりにも強大であるがゆえに、月と地球の住民への一切の干渉を禁じられている……。赦されているのは己の本分を全うすることだけ……、我の場合は、滅びを与えることだけだ。基本、おまえたちに何かを願われても……何かを祈られても、個々の生命体には何もしてやれん……。……だが、だからこそ、』
「………………」
『だからこそ――月と地球に住まうすべての生命体の敵と、我らはずっと戦い続けてきた。特に、己の役割をとうに果たし終えた我は、もうおまえたちにそれくらいのことしかしてやれんし……、してやれることが嬉しくもあったからな』
「………………」
『散っていった多くの同胞たちも、きっと同じ想いだったのだろう……』
「……私たちは、……ずっと護られていたというの」
お父さんやお母さんと一緒に暮らせていた、あの温かく幸せな日々の間も。
お父さんやお母さんを失って、世界を呪い、神様を恨んだあの瞬間も。
ずっと……ずっと……。
「それじゃあ……この憎しみは、
『我らにぶつけ続ければいい』
そう答えるスーザンの口調、声音に、
『それがおまえたちの生きる意味、原動力となるのならば。……おまえたちの憎しみ、怨嗟を受け止めるのも、造物主である我らの役目と心得る』
……そんな……。
「……なんで……? なんでそこまでしてこの世界を
『益など無い』
え……。
『「生きたい」「生きて輝きたい」……。そんな、暗く寒い宇宙の片隅で自然と生まれ
……
私たち自身が望んだ――
『護らなければならん……「生きたい」と願い、生まれてきたおまえたちを。おまえたちのために
「……誰かが」
『そう――ゆえに我らは「彼」のもとへと集う』
「!」
スーザンの視線を追って……そして、私は『それ』を見た。
カグヤとシャロンも、すぐに『それ』に気付いて息を呑む。
イサリを踏みつけた化け物の巨大な右脚が、ゆっくりと『何か』に持ち上げられていく……。
『何か』。
決まっている。
イサリだ。
生きていてくれたイサリが……青白い
よく見ると彼の両腕には、これまで一度も見せたことがない
右のそれには
「! あれは
それを見たカグヤが、再度息を呑む。
そして、
ギャオォォォォォォォォォォッ!
化け物も驚いたのか咆哮し、イサリを踏みつけていた脚を
「っ」
私にもわかった。
あの化け物が……怯えている。
自分に比べたら遥かにちっぽけな人間に睨まれ、気圧されている。
神様ですら勝てなかった獣が、イサリに対し本気で恐怖を感じているのだ。
それを見て、……ふと思う。
「イサリ……、あなたは何者なの?」
その今更な疑問に答えてくれたのは神様だった。
『「彼」は時空を超えてやってきた、この宇宙最後の希望。この月の海とあの凍てついた地球に秩序を取り戻すため流れ着いた、
――「
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