♯12 可愛い仙女様たちと、船内を探検した


 この蒼き月の海ルナマリアに流れ着いた直後からずっと感じていたことなのだけれど、ここは蒸し暑い。それがこの地方だけの気候なのか、それともこの蒼き月の海ルナマリアはどこでもこういう感じなのか、それはわからないけれど、少なくともボクたちが現在いまいるここが昼夜を通して日本の東北地方の八月初旬と同じくらいのポカポカ陽気であることだけは確かだ。


 ……そんなワケでボクとルーナはまず、ここの気候に合わせるため、こっちの服に着替えることに決めた。


「イサリさまっ。どうですか? 似合ってるでしょうかっ?」


 頭に大きなコブを作った(理由は言わずもがなだろう)ボクの目の前で、ルーナが「見て見て☆」と言わんばかりに両腕を広げ、クルリと一回転してみせる。

 今、彼女は水色のドレスを脱ぎ捨てて、ツバキが着ているモノと同じ『セイラー服のえりがついたスクール水着モドキ』に身を包んでいた。


「う、うん……とっても可愛いよルーナ」

「本当ですか? 嬉しいです☆」


 嘘はついてない。可愛いか可愛くないかで言えば、間違いなく可愛い。なんなら至高の可愛さと言っても差し支えないだろう。元々、超絶的なまでの美少女だし。


 でもなんだろう……、この微妙に漂う犯罪臭は……。


 この制服、スクール水着にそっくりなぶん、ツバキのような二十歳はたち手前のお姉さんよりも、むしろルーナみたいな小学生のほうが着用時の違和感は少なくてもおかしくないはずなのだけれど……。


 金髪だからか? それともスクール水着とは言っても、とっくの昔に滅び去った旧式のデザインのヤツにそっくりだからか? ……わからん。教えてスク水に詳しいヒト。

 教えてくれるのなら、お礼に巫女装束の素晴らしさについて説明してあげてもいい。

 小一時間ほど。


「ツバキのその服装、やっぱこの帆船ふねの女性乗組員クルー用の制服だったんだね」

「うむ」


 ボクの言葉にツバキは首肯し、自分の隣でニコニコしているカグヤをちょっぴり恨めしそうに睨む。


「とは言っても、これまでこの帆船ふねの女性乗組員クルーはカグヤとわらわの二人だけじゃったから、この制服は実質、妾専用じゃったがの。カグヤは自前の衣装があるからとかたくなに着てくれんかったのでな」

「そりゃそうでしょ。こんなの普通の神経をしていたら恥ずかしくて人前じゃ着れないよ」


「「あれぇ⁉」」


 ツバキとルーナが『聞き捨てならないことを聞いた気がする!』という顔で振り返ってくる。しまった、口が滑った。


「ホント可愛いよルーナっ! 食べちゃいたいくらい! シミひとつ無い四肢がとっても健康的だね! ぺったんこのお胸のゼッケンに書かれてる『ろりっこ』の文字もいい味出してるよ!」


 ……失言を有耶無耶うやむやにしようと咄嗟とっさに口にしたセリフだったけれど、中々キモイことを口走ってるなボク。


「あ、ありがとうございます……?」


 ルーナが素直なコで助かった。なんとか勢いだけで誤魔化せたぜ……(何か釈然としない、という顔はしているけれど)。


 てか、あのゼッケン、なんで『ろりっこ』なんだろう……。『げすと』とかじゃダメだったんだろうか。


「でも、ルーナにピッタリなヤツがよくあったね」

「いや、無かった。無かったから、妾が予備の制服を裁断したり裁縫したりして用意したんじゃ。夜なべしたぞ」


 ……器用なんだなこのお姉さん。意外と家庭的なんだね。ちょっと見直したよ。

 あ、でも帆船乗りってセイルの修繕とかも自分たちでしなくちゃいけないから、針仕事がそれなりに出来るヒトが多いんだっけ。


「イサリさま! イサリさまもその服、とってもお似合いですよ☆」

「……ありがとう」


 街中を歩いていたら推しのアイドルを偶然発見してしまった女の子みたいに目を輝かせ頬を紅潮させているルーナに褒められて、ボクは苦笑いを浮かべる。


 ボクがツバキから渡されたのは、予想どおりというかなんというか、男性乗組員クルー用の制服である作務衣さむえに似た紺色の衣装と白いスラックス風のズボンだった。

 これが意外と着心地が良い。しかも通気性に優れていて、想像以上に涼しい。

 ……実はちょっぴり心配していたのだけれど、『なんもせんちょー』や『だんなさま』と書かれたゼッケンはどこにも見当たらなかった。良かった……。そんなん、ほとんど見世物だろ。

 あと、この帆船ふねの男性乗組員クルーの制服がブーメランパンツとかじゃなくて良かった。もし常に(しかもツバキやカグヤやルーナの前で)ブーメランパンツ一丁でいろと言われたら、ボクはたとえ人食いアノマロカリスがウヨウヨしていようとも海へ飛び込んで逃走を図っていたかもしれない。


「しかし……あれじゃな。おまえさまがその制服ふくに着替えとったときに、背筋やら上腕筋やらが、ちょーっとだけ! 見えてしまったんじゃけども。その……、おまえさまって一見ナヨっとしているように見えて、実は意外と鍛えとるんじゃな」


 ほんのり頬を赤らめ、もじもじしながらツバキが言う。


「なんというか、こう、決してマッチョというワケではないんじゃけども、全身の筋肉が野生動物の肉体のようなしなやかさと力強さを両立させとるというか……。――もう一回、今度はじっくり時間を掛けて、ぎゅっとされたいというか(ボソッ)」


 ……『ちょっとだけ見えた』と言う割に、ガッツリ観察しとるなこのお姉さん。筋肉フェチなの? あと意外とムッツリなんだね。


 それとカグヤさん? なんでボクを見て「じゅるり……」と舌なめずりしてるんですかね? 怖いんですけど……。


「一応、叔父さんと叔母さんに九年間みっちりしごかれたからね……」


 叔父さんとしてはボクをもっとバルクポーズが似合う筋肉ムキムキのマッチョメンにしたかったみたいなのだけれど、叔母さんと従妹アズサが猛反対した結果こういう細マッチョ的な方向性を目指すことになったんだよな……。叔父さん、妻と娘に声を揃えて「解釈違い!」って怒られて落ち込んでたっけ(なんだよ解釈違いって)。


「さて。旦那様たちの着替えも終わったことじゃし、早速この帆船ふねの中を案内しようかの」

「昨日はドタバタしたせいで、ルーナしか案内できなかったからね☆」

「……それじゃあお願いしようかな」


 確かに昨日は号令の掛けかたについてボクの知識に問題は無いか……たとえば『上手回し』を指示するときは『タッキング』という言いかたでいいのかとか……そういうことをツバキに確認したりなんだりで忙しくて、船内を見て回る時間が無かったんだよな。

『なんも船長』とはいえ船長は船長だ。自分が乗っている帆船ふねのことは隅々まで知っておくべきだろう。


「よし。妾の次の当直ワッチまで、もうあまり時間が無い。駆け足で行くぞ」

「探検探検☆ 行こっ、だんなさま」

「あっ、イサリさま! わたくしもご一緒させてください!」

「……う、うん」


『狭い船内で駆け足はどうなんだ』とか『案内してもらうだけなのに探検は大袈裟だろう』とか『同じところをもう一度見て回ってもキミは面白くないかもしれないぞ』とか、そういう様々なツッコミを呑み込んでボクは頷いた。せっかく女性陣が楽しそうなのに、水を差したくない。


 代わりに、前を歩くカグヤへ訊ねる。


「そういえば、まだ聞いてなかったんだけどさ。この真っ白い帆船、なんて名前なの? 確か、船首斜檣バウスプリットの彫像――船首像フィギュアヘッドは白鳥だったよね」




「――『トゥオネラ・ヨーツェン』だよ」




 振り返った少女がたたえていたその微笑みは、どこか大人びて見えた。






                  ☽






「――というワケで、ここがかわやじゃ」

しょぱなに案内するのがトイレかいっ」


 ここなら既に何回か使わせてもらったよ。ここと食堂だけは昨日のうちに案内してもらったよ。


「もう知っとるじゃろうが、この帆船ふねの厠はすごいぞー。すっごく衛生的じゃ」

「うん……。初めて見たときは目を疑ったよ……。有り難いと言えば有り難いんだけども」


 通常、こういう古式ゆかしい帆船のトイレは船体側部とか後方とかに突き出している小部屋の床に空けられた『ただの穴』だ。要は、その穴からアレやコレやらを直で海にポイするワケだ。

 でもこの帆船ふねは違った。この帆船ふねのトイレは、簡単に言えば水で満たされたかめだった。そしてその甕の底には、ボクが昨日カグヤに無理矢理食べさせられたあの緑色の果実よりも少し色が薄い、ヘチマみたいな形の黄緑色の果実が一個沈んでいて、甕に用を足すとその果実が一瞬で排泄物を分解・浄化してくれた。カグヤに言わせれば「その気になれば中の水を飲めるくらい綺麗に浄化してくれるよ」とのこと。そうなんだ。だとしても絶対飲まないけどね。

 あと甕の近くにはそれぞれ別の大きさのおけがふたつあって、こっちにもやはり黄緑色の果実が一個ずつ沈んでおり、それぞれ用を足したあとの清拭と手洗いに使われている。至れり尽くせりだなぁ。

 ……やっぱこの黄緑色の実も、例の『不思議な樹の実シリーズ』(勝手に命名)の一種なんだろうか……。

 まだカグヤから詳しい話を何も聞けていないのだけれど、ホントなんなの、その樹は。


「ちなみに厠は男女で分かれとるから間違えんようにの、旦那様。どうもおまえさまからは、間違えて女性用の厠の扉を開けてしまいそうな危うさを感じる」


 ラブコメ漫画の主人公かボクは。






「ここが食堂じゃ」


 ちゃんと火を使って調理することが可能な厨房と隣接しているその食堂は、トイレと同じく船体の後方にあり、一度に二十人ほどが食事を出来るだけの空間を有していた。

 この帆船ふねには現在ボクとルーナを含めて四十五人ほどの乗組員クルーがおり、『四時間働いたら八時間休む』というサイクルで一日二回、計八時間働く『三直制』という勤務形態を採用しているっぽいのだけれど、みんなから『髭面ひげづら』という愛称で親しまれているいかつい顔の司厨長コックさんは操船のほうには一切関わらないらしい。

 まあ、司厨長コックとか船医ドクターとか船大工カーターとか、そういう所謂いわゆる『専門職』が操船のほうには一切関わらないというのはそう珍しいことではない。

 ……それはそれとして、


「ヒデエ愛称だ、と思うのはボクだけなんだろうか……」

「愛称はあれじゃが、料理は美味いぞ。髭面の料理はどれもこれもほっぺたが落ちそうな美味しさじゃ」


 ツバキの賛辞に、厨房で仕込みをしていた髭面さんがサムズアップで返してきた。厳つい髭面の割に案外とっつき易いヒトっぽい。


「まあ確かに、夕べご馳走になった食事はメチャクチャ美味しかったよ」


 食材にアンモナイトや三葉虫が普通に使われていて、しばし絶句したけどね……(ルーナですらちょっぴり顔を引き攣らせていた)。

 てか、ツバキも髭面って呼んでるんだね……。髭面さん、自分の愛称に何か思うところは無いんだろうか……。


「昨日からずっと悩んでるんですが、わたくしはあのかたをどうお呼びすればよろしいのでしょう……」


 あ、ルーナがボクの横で眉根に皺を寄せて悩んでる。まあ、お嬢様のルーナには、さん付けであっても呼びづらい愛称だよね……。もう『司厨長コックさん』でいいんじゃない?


「……で、あの髭面さんが持ってるトマトみたいな水色の実は何?」


 なんか、髭面さんがぎゅっと強く握り締めると、果汁? がドバドバ出てきたんだけれど……。あの実、それこそトマトくらいの大きさしかないのに……、あれだけの量の果汁をいったいどこに蓄えてるんだろ?


「あれは確かに果汁と言えば果汁じゃが、真水なんじゃよ。あの実ひとつから一般的な手桶百杯ぶんの真水が確保できるんじゃ。この帆船ふねにはあの実がどっさり積んであっての。ああして、飲み水としてはもちろん調理や厠で使用する水にも使用されておるワケじゃな。……まあ、洗濯は海水ですることも多いんじゃが」


 どこでも出てくるな『不思議な樹の実シリーズ』。いったい何種類あるのさ。

 そして今更だけど物理法則どこ行った。


「ちなみに妾も気が向いたときに髭面の代わりに料理をすることがあるんじゃが、その場合、乗組員クルーの間で料理の争奪戦が起こる。『お嬢の料理は全部俺のモンだぁぁぁぁ!』『久々の女の手料理ぃ!』『うっせぇ早い者勝ちだおまえらは大人しく当直ワッチしてろや!』と血で血を洗う『ばとるろわいやる』の開幕じゃ」


 なんでわざわざ余計な争いの火種を作ってんのこのヒト。






「ここが食糧庫じゃ」


 食糧庫は船体下部にあって、航海の間の乗組員クルー全員ぶんの食糧を保管しておく必要があることから結構な広さがある……って言うか、


「寒っ! 何この寒さ⁉ 冷蔵庫……いや冷凍庫じゃんこれ!」


 この部屋、『船体にまでダメージがあるんじゃないの?』ってくらい寒い! 壁とか床とか天井とか、全部真っ白! ていうか霜が降りてる!


「あれのチカラじゃ」


 ツバキが指さした先にはひとつの台座があって、その上に蜜柑みかんみたいな形の白い果実と、バナナみたいな形の茶色の果実が並んで乗っかっていた。そのうちの前者、白い実のほうがハッキリ視認できるほどの冷気を発している。


 ……あー、ハイハイ。わかった。ボクわかっちゃいましたよ。ここでも例によって『不思議な樹の実シリーズ』が活躍しているワケですね。

 察するに、冷気を発する実のチカラで、普通の帆船なら腐ったり発酵したりで保管できないような食材もこの帆船ふねなら冷凍保管できると。そのため、食生活が比較的豊かと。なるほどねーこりゃ便利だ。うわ凍った豚肉とか牛肉とかもある。こっちは……お約束のライムジュースと麦酒ビールだけじゃなく、各種野菜ジュースや牛乳まで取り揃えてますね。ビタミンCの不足で発症しちゃう壊血病とかもこれなら防ぎやすいですねえ。なるほどなるほど……。


「もうなんでも有りだな、『不思議な樹の実シリーズ』」

「なお茶色の実のほうも便利かつ超強力でな、ネズミなどの害獣や蛆虫うじむしなどの害虫を半径2㎞以内には絶対に近付かせんチカラがあるのじゃ。この帆船ふねが寄港すると港町まちからネズミや蛆虫が群れを成して逃げていくから、すわ地震の前兆か⁉ と住人たちがビビることもあるという」


 強力すぎてヒトさまに迷惑を掛けとるやんけ……。






「ここが医務室じゃ」

「狭っ! 食堂や食糧庫のあとに見たからか余計狭く感じる!」


 医務室とは言っても小さな机と椅子、あとは寝台ボンクしかない……。棚すら見当たらないんだけど。なんていうか……普通の部屋だ。ていうか船医ドクターさんは? 姿が見えないのだけれど。


「ふっふっふっ……」


 ボクの疑問にカグヤが不敵な笑みを浮かべたかと思うと、着ていた巫女装束をバサァと(手品のように一瞬で)脱ぎ捨てる。

 ヤベエこのコ絶対ボクを押し倒して既成事実を作る気だ、と一瞬身構えてしまったけれど、カグヤは裸になったワケではなかった。


 なんとカグヤは、巫女装束の下に白いナース服を着ていたのだ(厳密にはナース服ではなく、あくまでナース服『っぽい衣装』だが)。


「じゃーん♪ 怪我人や病人は基本わたしがてあげてるんだよ、だんなさま☆」

「え⁉」


 このコ、この帆船ふねの船長だけでなく船医ドクターまでしてたの⁉ このコ、医療の知識もあるの⁉


「ううん。でも、とりあえず病人や怪我人にはこの実を食べさせておけばすぐ治るから☆ この実は大抵の病気を治すし、四肢欠損レベルの怪我じゃなければたちまち癒すチカラがあるんだよ」


 出た、『不思議な樹の実シリーズ』!

 ていうか、だったらその白いナース服モドキにわざわざ着替える意味無いじゃん! 看病も不要ってことでしょ?


 ……あとキミ、その桃の形をした桃色の桃にしか見えない実、今、例によって胸の谷間から取り出したけども。他の男……病人や怪我人の前でもそういうことしてんの?


「なあに、だんなさま。もしかして今、『こういうことはボク以外の男の前ではして欲しくないなぁ』って思っちゃった? ――安心して。わたしがこんなに無防備になるのは、だんなさまの前でだけだよ☆」


 ………………お黙り。






「ここが浴室じゃ」

「浴室⁉ 浴室があるのこの帆船⁉」

「浴室とは言っても部屋の真ん中にひのき風呂が鎮座しておるだけじゃがの」

「本当だ……。大人が二人は余裕で入れそうな円柱形の檜風呂が置いてある」


 そして覗いてみると檜風呂の中、なみなみと満たされた水の底には、トイレでも見た水質浄化用の黄緑色の果実と、あとメロンみたいな形をした赤い果実が一個ずつ沈んでいた。

 ……なんかここまで来るとボクにもパターンが読めるようになってきたよ。


「もしかして、あれ? この赤い実にはモノを温めるチカラがあるとか?」

「うむ。よくわかったな」


 わからいでか。火を焚いているワケでもないのにメチャクチャ湯気が出てるんだぞ、この檜風呂。試しに指を突っ込んでみたらそこそこ熱いし。


「ちなみにその実はヘタのところに火をつけて投げると何かに当たった瞬間に爆発するから要注意じゃ」

「爆弾じゃん!」

「あと、このお風呂は基本、妾とカグヤしか使っとらん」

「え。そうなの⁉」


 酷くない⁉ 男性乗組員クルーにも使わせてあげてよ! ていうかお風呂があるんならボクだって入りたいよ!


「別に妾が禁止したワケではない! 男どもが『いくら浄化の実で水質が保たれているとは言っても、うら若き乙女であるお嬢たちが使ったあとのお風呂なんて恐れ多くて使えません! かと言って俺たちが使ったあとのお風呂をお嬢たちに使わせるのも申し訳なさすぎて耐えられません!』とか言って勝手に自重しとるだけじゃ!」


 ………………。まあ、気持ちはわからなくもない。

 意外と紳士的なんだね、この帆船ふねの皆さん。見た目はあんなに厳ついヒトたちばかりなのに。


「そんなワケで、男どもはいつも甲板デッキで身体を洗っとるの。海水で」


 せめて、絞れば真水がドバドバ出てくるあのトマトみたいな水色の実を使わせてあげてよ……。

 真水が貴重なのはわかるけれどさ……。


「旦那様たちは昨日、なんだかんだでお風呂に入りそびれとるからの。このとおり湯はもう張ってあるから、あとでもう一度来るんじゃな」

「え。ルーナはともかく、ボクもここを使っていいの?」


 他の男衆に合わせなくて大丈夫? ボク、みんなにボコられたりしない?


「問題ないじゃろ。船長特権というヤツじゃ。それに、わら……カグヤのだんなさまじゃしの」

「今日は一緒に入ろうね、だんなさま☆」


 入らないよ⁉






「ここが乗組員クルーが就床や休憩に使用しとる部屋じゃ。同じような部屋がいくつもある」

「広さはボクが使っている船長室とそう変わらないね」


 三畳間ほどの広さの部屋に寝台ボンク……二段ベッドがふたつ押し込まれてある。他には小さな棚くらいしかない。殺風景な部屋だ。


 覗いた部屋には休憩中の男衆がいて、花札に興じていた。どうもお金を賭けて勝負しているっぽい。えらく白熱している。鬼気迫っていると言ってもいい。まあ、娯楽が少なそうだもんなぁ、帆船での生活って……。


「――で? 『不思議な樹の実シリーズ』は? どこに使われてるの? どうせ何かしらあるんでしょ」

「あそこに黄色い実があるじゃろ」

「……あるね」


 梨みたいな形をした実だ。色も黄色だから梨にしか見えない。


「あれはヘタを取ると一ヶ月くらいぼんやり光る。夜の照明として便利じゃ。昼間は勝手に消えるしの。旦那様は気付かんかったようじゃが、船長室や廊下とかにも置かれとるぞ。今まで紹介した部屋にも実はあったんじゃ」


 ……全然気付かなかった……。

 てっきり、船長室ボクのへやにあったヤツはそういう造形の照明器具で、中に蝋燭ろうそくが入ってるのかと……。


「で、じゃな。見てのとおり、当直ワッチに当たっていない乗組員クルーは基本的にここで休んでいることが多い。ちなみに誰がどこを使うと決まっているワケではなく、空いているところを使う感じじゃ。……妾が使っている部屋だけは固定で、男子禁制じゃがな」

船長室ボクのへやのすぐ隣だよね」


 船長室ボクのへや以外だと唯一、出入口に扉が付いてる部屋だ。


「うむ。……あ、そうじゃった。忘れとったわ。旦那様、おまえさまにこれを渡しておく」

「? 何これ?」


 鍵? 船長室ボクのへやの扉の鍵なら、昨日カグヤから貰ったけれど?


「……妾の部屋の鍵じゃ」


 なんでボクに渡した⁉






「どうじゃだんなさま、この帆船ふねは。すごくて驚いたじゃろ」

「確かにすごい……すごいんだけど……」


 すごいのは帆船ふねと言うより『不思議な樹の実シリーズ』なのでは……。


 ボク、蛆虫うじむしまみれのビスケットとか緑色になった飲み水とか壊血病とか、いろいろと覚悟していたのだけれども。正直、今、かなり拍子抜けしているよ……。

 いや、まあ、もちろん、衛生的かつ健康に過ごせるのならばそれに越したことは無いのだけれど……。

 でもなんだろう、この……何かが釈然としない感じ。

 ギャグ漫画を読んでたら途中からバトル物になってた、みたいな……。


「次が最後じゃ。海図室へ行くぞ。――そこでおまえさまが見ておくべきモノがある」

「見ておくべきモノ? …………! 海図室――チャートルームってことは、」




「そう。海図――この月の海の姿じゃ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る