♯13 小さなお嬢様と、月のあれこれを知った


 この蒼き月の海ルナマリアに流れ着いてからこっち、常にルーナがそばにいたから表には出さないようにしていたけれど、実を言うとボクはずーっと絶望的な気分だった。


 だって仕方ないだろ? 気が付いたら、とうの昔に絶滅したはずの生き物がウヨウヨしている多島海に――どこからどう見てもボクが知っている地球とは思えない場所に、着の身着のまま放り出されていたんだ。これで平然としていたり、無邪気に『わーい帆船だぁ☆』と喜んでいたりしたら、ソイツはもう超人だよ。あるいは狂人だ。良くも悪くも精神ココロがぶっ壊れてるって。


 従妹アズサが好きで買い集めていた、どっちかと言うと男が好むモノだという印象がある異世界モノの漫画や小説の主人公なら、驚異的な適応力を発揮して即座かつ前向きに行動に移ったり、あまつさえ転移ボーナス? とかそういうのを貰って喜んだりも出来るんだろうけれど。でも生憎、ボクはそこまで強くなれない。『なんでボクがこんな目に遭わなきゃいけないんだ』と天に向かって喚いたり、『帰りたい』と泣き叫ぶのを我慢するので精一杯だった。自分で自分を騙し、鼓舞するために、無理矢理ボケたりツッコんだりしたけれど、内心では常に『数日前に戻りたい』という気持ちでいっぱいだったんだ。


 ルーナがいなければ、とっくに自暴自棄になって自殺でもしていたかもしれない。自ら海に飛び込んで、人食いアノマロカリスのご飯になっていたかもしれない。

 あるいは――精神ココロを壊し、廃人になっていたか。

 たぶん、そのどちらかだろう。

 そういう意味では、真に『同じ境遇の存在』に支えられていたのはルーナではなく、むしろボクのほうだった。ルーナがボクに依存気味になっていることに対し、ちっぽけなプライドから『仕方ないなぁ』みたいなスタンスを装ってしまったけれど、白状しよう、実のところボクだってあのコに依存しつつある。『このコがいるから頑張れる』。『このコのためにも死なないぞ』。これが依存でなくてなんなんだ。まさに共依存ってヤツだ。正直ボクはボクを慕ってくれるルーナが可愛くて可愛くて仕方ない。目に入れても痛くないくらいだ。今ならあのお祖父じいさんと(未成年だけど)美味い酒を飲み交わしながらルーナの可愛さについて一晩中でも語り合える気がする。


 だからこそ、というべきか。それでもなお、というべきか。ボクはルーナを家族のもとへ無事に送り届けるためなら、どんなことでもすると決めた。どんなに直視したくない現実も、すべて受け入れると誓った。たとえそれが一種の依存であってもだ。


 ……けれど。


「……こうして改めて自分が非日常的な世界に放り込まれたことを突きつけられると、流石にキッツイものがあるな……」


 船尾甲板クォーターデッキの、舵輪ホイールの手前にある海図室チャートルームと呼ばれる小部屋で、ボクは机の上に広げられたA1サイズの海図を見下ろし、頭を抱えたい気分になっていた。


「見たことない海です……」


 ボクの隣ではルーナが海図――ちなみに版画だった――をマジマジと見つめ、「はえー……」と目を丸くしている。見た感じショックを受けたり、改めて落ち込んだりしている様子は無い。……やっぱこのコ、ボクよりずっと精神ココロが強いわ。小学生だからイマイチ現実を受け止め切れていない……これがどれほど絶望的な状況なのか認識できていないだけかとも思ったけれど、このコの場合は違う気がする。ちゃんとすべてを理解した上でこの反応な気がする。かと言って、無理して気丈に振る舞っているワケでもなければ、精神ココロがぶっ壊れてるというワケでもなさそうだ。


「……イサリさまと一緒なら、ここがどんなところでも、わたくし、平気です」


 ボクの視線に気付いたルーナが、こちらが考えていることを察したのか、はにかみながらそう言ってくる。ああくそぅ、可愛いなぁ。なんて健気なんだ。ぎゅっと抱き締めてあげたい。……さっきカグヤに医務室で言われた『もしかして今、こういうことはボク以外の男の前ではして欲しくないなぁって思っちゃった?』という揶揄やゆにもついギクッとしちゃったし、ボクそのうち『気付いたときにはロリコンでした』なーんてことになってたりして。HAHAHA☆


 ………………。


 ……大丈夫だよね? まさか本当にロリコンになったりしないよね? これからも変わらず年上のお姉さん好きのままだよねボク?(弱気)


「見てのとおり、こっちの海洋はほぼ全域が多島海じゃ」


 アイデンティティ崩壊の可能性に怯え震えるボクへ説明しつつ『こうして改めて現実を突きつけられたら、そりゃあ辛いよね』といった感じの同情の眼差しを向けてくるツバキ。でもごめんツバキ、今は非情な現実じゃなくて、いつかボクがロリコンになってしまうかもしれないという不安で震えてたんだ。言えんけど。


「――もちろん、広範囲にわたって島などの陸地が全く無いという場所もあるにはあるが、全体で見れば七分の一程度じゃな」

「ほら、だんなさま。わたしたちが現在いまいるのは大体この辺りだよ」


 カグヤが指さした場所を見る。そこは海図の左端、真ん中よりちょっと下くらいで、『静かの海』と記載されていた……ってオイ、


「……『静かの海』?」

「うん。それがこの辺りの海域の名前だよ。ちなみにわたしたちとだんなさまが出逢ったのはちょうどこの辺り――『静かの海の穴』と呼ばれている海難事故多発地帯だね。まあ、その海難事故の正体は、実のところあの『深きものども』なワケだけれども」


『静かの海』って……アポロ11号の月着陸船が着陸した場所の名前じゃん……。

 よく見たら他にも『嵐の大洋』とか『晴れの海』とかどこかで聞いた名称がいっぱいだし……。


 ていうかさ、


「気のせいかな? ボク、地球にいたころに月面図を見たことがあるんだけれど、それに比べるとこれ、なんか全体的にひとつひとつの場所の間隔が広いっていうか……空きすぎじゃない? 間延びしてるっていうか」

「ああ、


 ……重要な情報をさらっとぶっ込んでこないでほしい。


「そ、それって地球は大丈夫なの? ボクあんまりそっちの知識が無いから漠然としたイメージでしか言えないんだけど、自転とか公転とか引力とか潮汐とか……地球のいろいろなモノに影響がありそうだけれど」

「そこは神様たちが上手くやってくれたよ。超常的なチカラでね」

「へ、へー……」


 深く考えないほうがよさそうだ……。どう上手くやったのか気になるといえば気になるけれど、聞いたところで絶対に一割も理解できない気がする……。


「ちなみに月と地球の間の距離も変わってるよ」

「はあ」

「まあ、それ以前に地球は――というか地球の生命体はとうの昔に滅び去ってるから、月の改造の影響が有ろうと無かろうとあんまり関係無いかもしれないけどね」


 ………………。

 だからさぁ……。


「滅び去ってるの……? 地球の生命体……」

「そりゃあそうだよ。だんなさまたちがいた時代からどれだけの年月が経ってると思ってるの」


 いや知らないけども。いったいどれだけ経ってるんだよ。こっちが聞きたいよ。


「でも、そうだよね……、ボクたち『時空を超えて』きたっぽいもんね……」


 つまりルーナを家族のもとへ送り届けるためには時間をさかのぼる必要があるワケか。


「わたくしたち……もう帰れないんでしょうか……?」


 流石に泣きそうな表情になってルーナが訊ねる。


 それに対しカグヤは「ううん」とかぶりを振った。


「<漂流者>が元いた時代、元いた場所に帰る方法が無いワケじゃない。絶望するのはまだ早いよ」


 ………………! 本当か⁉


「その方法ってなんなんだ⁉ ……ん? <漂流者>?」


 なんだそれ?

 そういえばツバキと初めて対面したときもその言葉を聞いたような……。


「<漂流者>というのはな、おまえさまやルーナのように時間と空間を超えてここに流れ着いた地球人のことじゃ」

「! ボクたちの他にもいるのか⁉ ここに流れ着いた地球人が!」

「おる。一言で地球人とは言っても、生きていた場所、時代はどうやらバラバラのようじゃがな」

「マジか……!」


 つまり弥生時代の日本や中世のヨーロッパから流れ着いたようなヒトもいるってこと?

 ボクたちと同じ時代の日本から流れ着いたヒトもいるのかな?


「もっとも、これまで確認された<漂流者>は十代から二十代の女性しかおらんがの。そして<漂流者>の存在、漂着が確認され始めたのは、ここ三十年以内のことじゃ。理由まではわからんがな」


 え……?


「それってつまり、男性はこれまで一人もいなかったってこと? ボクが史上初の男性の<漂流者>?」

「うむ。だからこそ、わらわはおまえさまに訊かずにはおられんかったワケじゃ。『お主、本当に漂流者か?』とな」

「……本当はボクの他にもいるんだけど、ツバキが知らないだけって可能性は?」

「もちろん可能性はある。それを否定することは誰にも出来ん。方法が無いからの。じゃが世間一般でも『<漂流者>は若い女性しかいない』というのが常識となっておるし、男性の漂流者が確認されたという話は、噂すら聞いたことがないの」

「……えーと。ってことは、」



「だんなさまは最後の地球人のオスってワケだね」



 ………………Oh………………。

 地球人自体が言わば絶滅危惧種なのに、その中でも更に絶滅危惧種なの……?

 てか、オスって。そこは普通に男って言ってくれよ。


「イサリさま、すごいです!」


 さっきまで泣きそうな顔をしていたルーナが、興奮で顔を紅潮させて褒めてくれた……けど、すごいかなぁ? 貴重ではあるかもしれないけれど、別にすごくはないんじゃない?

 ほら、ボクは出自も能力も何ひとつ特筆すべき点の無い凡夫ぼんぷだし。


「だんなさまは一度『凡夫』の意味を辞書で調べてみたほうがいいね」

「こちらを思考を読むのはヤメなさい。――で? これまで何人くらいの<漂流者>が確認されているの? そのヒトたちは今どこに?」

「その質問に答えられる者はこの世に一人もおらんじゃろうな。妾とて身近に<漂流者>は一人しかおらんし」

「そういえばツバキ、ボクに『もしや妾の母上と同郷か?』って訊いたよね。もしかして、」



「……忘れろ。そのことは絶対に誰にも言うな。いいか、絶対にじゃぞ」



「っ」


 ……怖かった。

 京美人といった風貌の気品溢れるこのお姉さんに、ボクは初めて気圧され、そして気後れを覚えてしまった。

 ここで返答を誤ったら、ボクは口止め目的で殺されるんじゃないか――本気で、そう思ってしまった。


「……わかった」

「それで良い」


 そう言ってツバキは頷く。そのときにはもうツバキの雰囲気は普段の彼女のそれに戻っていた。


「ちなみにじゃがな、」


 ……と思ったら、何故か頬を赤らめてもじもじし始めたぞ?


「<漂流者>の中には、こっちの男性との間に子供をもうけた者もおるんじゃ。これも理由はわからんが、<漂流者>の女性はみな見目麗しい者しかおらんくての。『出身地うまれの違いなんざ関係ねえ! こんなに美しい女性なら、是が非でも嫁にしたい!』と考える男が少なくないようじゃな」


 え。ちょっと待って。


「地球人とこっちのヒトで、子供って作れるもんなの……?」

「当然だよ」


 と答えたのはカグヤだ。


「――だって生まれた星が違うだけで、しゅとしては一緒だもん。全く同じ生き物なんだよ」


 ……そうなんだ……。ボク、ツバキたち『月星人げっせいじん』(と呼んでいいのかわからないけれど)は共時性的なモノで誕生した地球人のそっくりさんで、遺伝子とかDNAとかそういった細部は違うんだろうなと思ってたよ……。

 こう言ったらあれだけれど……生き物としてはあくまで別の種ってことになるんだとばかり思ってた。


「そ、その理屈で言うとじゃぞ、旦那様。当然、地球人の男性とこっちの女性の組み合わせでも子供を作れるということになるのではないかっ?」

「……まあ、そうなるかな?」


 理屈の上では、ね。

 でも現状ボクの周りにこっちの女性はツバキとカグヤしかいない上、ツバキにとってボクは『下郎』、『厄介な秘密を知られてしまった警戒対象』でしかないワケだから、ボクからしてみれば『だからなんだ』って話だけれど。

 三歳みっつ四歳よっつは年上だろうこの見目麗しいお姫様と、半分お子様で凡夫のボクなんかじゃ、どう考えても釣り合わないしね。

 カグヤは年齢が年齢だし……、そもそもこのコ、本当にただの人間なのかな?

 訊いてみたいのは山々なのだけれど、訊いていいものか、わからないんだよな。

 もし『キミって人間なの?』と訊いて、れっきとした人間だった場合、このコを傷付けることになりかねないし。『だんなさま……わたしのこと、化け物みたいに思ってたの……?』って悲しそうな顔をされたりしたら、たぶんボクは耐えられない。なんだかんだ言ってボク、このコのことは嫌いじゃない……というか……うん……好ましい、とは思ってるんだよ。普通に。そう、普通にね。


「その理屈で言うと地球人の男性と地球人の女性の間にも子供が作れるということになりますね、イサリさま!」


 自分も話に混ざりたかったのか、ルーナがちょっぴり強引に話に割り込んでくる……けど、キミ、すっごく当たり前のことしか言ってないからね? そんな世紀の大発見をしたかのようなキラキラしたお目々めめで言うほどのことじゃないよ?


「なるほど……だんなさまがどういうヒトなのか、だんだんわかってきたよ。わたしにとっては好都合と言えば好都合だけれど、苦労もしそうだなぁ」


 カグヤはカグヤでワケのわからないことを言ってるし……。


「そういえばさ、<漂流者>の女性がその美貌ゆえにこっちの男性と恋仲になりやすいってのはわかったけれど、それ以外はどういう扱いなの? 話を聞く感じ、ポジション的には『かなりの遠方からやってきた物珍しいお客様』って感じ?」


 ボクの質問に、ツバキが少し表情をかげらせた。


「いや……一概には言えんの。<漂流者>は貴重な知識を持っていることも多いから貴重な人材として重用されることもあれば、所詮は余所者として差別や偏見にさらされることもある。この辺りは地域によるとしか言えん」


 地域による……か。重用されやすい地域に流れ着いたヒトはまだいいけれど、そうじゃない地域に流れ着いたヒトは可哀相だなぁ……。

 ボクとルーナみたいに大海原のど真ん中に放り出されるのもそれはそれで困り物だけれど。

 きっとボクたちみたいにトンデモないところに流れ着いて、人知れず亡くなったヒトとかもいたんだろうなぁ……。


「<漂流者>の知識が貴重ということは、こっちの文明のレベルはやっぱ相当アレってことだよね……。――ちなみにツバキは蒸気機関って知ってる?」

「じょーききかん? なんじゃそれ」


 ……そっかー。そのレベルかー。そこまでかぁ……。

 まあ、ぶっちゃけ帆船を移動手段にしている人間を見た時点で薄々そんな予感はあったのだけれど。

 案の定、産業革命よりも前のレベルですかぁ……。


「これまでに確認されている<漂流者>の中に、従妹アズサが読んでいる異世界モノの漫画や小説みたいに現代知識無双をするヒトはいなかったってことだね……。現代人の知識を使って人々の暮らしに革命をもたらすような……」

「それはそうだよ。だってだんなさま、自分はそれを出来る? さっき言ってた蒸気機関とかいうモノを、自分がここに広められる自信はある?」


 ……無いです。

 製鉄や火薬を作る方法なんかも全く憶えてません。

 こんなことになるとわかっていれば、もっと真剣に憶えたのになぁ……。


「それにね、だんなさまはすっかり失念しているけれど、言葉の壁の問題もあるんだよ? 普通の<漂流者>はここの言葉を憶えるだけでも大変なんだ」


 ……あ。言われてみれば……。

 あれ? ってことは、


「カグヤ。キミが持ってるあの『不思議な樹の実シリーズ』、世間一般には出回ってないの? あの自動翻訳スキル? を習得できる……えっと、『バビロンの実』だっけ? あれとか」

「出回ってるワケないじゃない。存在すら知られてないよ。あれらはわたしのとっておきなんだから。ここの人間であれらの存在を知っているのは、この帆船ふね乗組員クルーと、ツバキの関係者であるごく一部の人間だけだよ」

「そうなんだ……」


 大変だなぁ、他の<漂流者>の皆さん……。放り出された場所はあれだったけれど、ボクとルーナはその点、恵まれていたんだね……。

 そんな状況で自分を愛してくれる男性と巡り会ったら、そりゃあ子供をこさえもするよね……。


 ……あ。そうだ。



「それじゃあ――<漂流者>とこっちの男性の間に出来た子供は? どういう扱いなの?」



「「っ」」


 ボクの質問に、ツバキとカグヤは露骨に顔をしかめ、息を呑んだ。


 空気が明らかに重くなった。


「え。何その反応……。ボク、訊いちゃいけないことを訊いちゃった?」

「いや……、そういうワケではないんじゃが」


 ツバキは重苦しい溜め息をついて、明らかに言葉を選びながら、こう言った。


「これまた理由はわからんが……<漂流者>とこっちの男性の間に生まれる子供は、決まって女児だと言われておる」

「えっ。男児は生まれないの?」

「うむ。そしてその女児は、ものなのじゃ」

「何かしらの不思議なチカラ……? それじゃあ、<漂流者>よりもよっぽど重用されて――」

「いや。彼女たちは、ここでは、どの地域でもこう呼ばれとる」


 ボクの言葉を遮ったツバキの顔は、どこか物悲しそうだった。



「――<魔女>、とな」



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