第15話 願いごと


「え! ウソ! なんで!」

 彼女の声が必死になる。


 平和な僕の毎日に、いつも緊迫感をもたらすのは、彼女だ。

 今日も、彼女の一言で、僕は、問題解決に動き出す。


15. 願いごと


 ターゲット出没の狙い目は、14日夜中から、15日明け方にかけてのことらしい。

 もちろん、その日以外でもいいのだけれど、ピークはそこだという。


「絶対、見る」

 彼女は、目をきらきらさせて、そう言った。

「子どもの頃から憧れててん。群、て言うくらいやから、群れのように、大量に、見られるよね?」

「う~ん。どうやろ。条件にもよるからなぁ。でもまあ、ふだんよりは、多いと思うし」

「いいね。普段はめったに見られへんもん」

「そやな」

「あのな、私、リストアップ、始めてるねん」

「……なんの?」

「願いごと。一瞬でも、さっと言えるように」

「へ、へえ~。そうか。気合い入ってるね」

「うん」

 

 そう。

 僕らが見ようとしているのは、ふたご座流星群。

 新聞の記事で見かけたのと、夕方のニュースで紹介されたのをきっかけに、彼女の“流星群熱”が一気に高まったのだ。

 彼女は、流れ星を見たら願いごとをしようと、楽しみに待っている。

 それも1つや2つではないらしい。リストアップ、というくらいだから。

「そんなに願いごとあるんや」

「ん」

 ちょっと気になる。

「教えて?」

「ないしょ」

 まあ、そうやろな。

「じゃあ、とりあえず、14日の夜見ることにしよか」

 僕は言った。


そして、数日後の13日。

「あかんわ」

 彼女が言う。

「14日から15日って、曇りか雨やって。見えへんわ」

「そうか。じゃあ、今晩、見る?」

「うん」

「ピークの1日手前ぐらいなら、そこそこ見えるやろ」

「うん」

「じゃあ、バイト終わって帰ってきたら、誘いに行くから」

「うん。待ってる!」


 夕方6時から2時間の家庭教師のバイトを終えて、帰宅するとすぐに、彼女の部屋のチャイムを押す。

「おかえり。晩ご飯は?」

「もちろんまだ」

「じゃあ、さき食べよう」

 彼女の部屋のテーブルの上に、おにぎりののったお皿がある。

「おにぎりは、鮭、昆布、かつお。おかずのかわりに、具だくさんのお味噌汁」

「美味しそう。じゃあ、さっと食べて出かけよう」


 急いで晩ご飯を食べて、しっかり着込んで、外に出る。

 この時期にしては、例年よりあたたかだけど、長い時間外にいると冷えてくるはず。寒さに備える。

 少し歩いて、近くの田んぼの間の細い道まで出ると、住宅外のひろがる北側と西側以外の空は、ひらけていて、きれいにオリオン座が見える。その少し横に、ふたご座も見える。


「あんまり、見えへん。視力落ちたかも」

「外に出てすぐは、見えにくいって。15分ぐらいは、目を慣らさんとあかんみたい」

「そっか」


「オリオン座見たん、めっちゃ久しぶりかも」

「まともに見たん、初めてかも。3つの星が並んで、ほんまにベルトみたいやね。」

「うん。わかりやすいよね。僕もよう知らんけど、オリオン座って、すごく有名な星雲があるよね」

「馬頭星雲」

「お。よく知ってるね」

「昔、理科の教科書に写真が載ってた。あんなの見てみたいね」

「すばるは? おうし座のプレアデス星団」

「あ、それも写真載ってたな。今、見える?」

「見えるよ。ほら、そのオリオンのベルトをそのまま延長して、まっすぐ右の方へたどっていったら、なんかもやもやっと、光が集まってるみたいなところ、あるやろ? あれ」

「え? あれ? 青くないやん。青くて、輪っかになった光の、その真ん中から、さらに光がぴか~って」

 彼女のイメージしている写真が頭に浮かぶ。確かに、理科の教科書や資料集には、青いガスまできれいに映った写真が載っていたな。

「うん。あれは、写真で露出時間とか長くして、めっちゃ工夫して撮ってはるから。ふつうに、目で見る分には、あんな風には、見えへんよ。残念ながら」

「え~。そうなん。がっかり」

 彼女は、ため息をつく。

「まあ。いいやん。今日は、流星群が主役やろ?」

「そやった。そやった。……ところで、だいぶ、目ぇ慣れてきたけど……見えた?」

「いや」

「案外流れへんね」

「う~ん」

 多ければ、1時間に40コは流れるだろうと、テレビで気象予報士の人は言っていた。


 ふたりで、空を見上げる。

 どちらの空でもいい、全天に流星が流れると言うけれど、ついつい、真上の空を見たくなる。

 ただ見上げるのはしんどいので、ふたりで、背中合わせに立って、お互いを背中で支え合いながら空を見る。彼女の指示で、見上げる空を分担する。


「なあ」

 背中越しに彼女が言う。

「うん?」

「流れた?」

「いや」

 

 30分過ぎた。

「なあ」

「いや」

 流れた?と訊かれる前に、思わず答える。

 こんなに、見えへんもんやったっけ。


40分過ぎた。

「なあ」

「うん?」

「夜中にさ、こんな道端に立ってぼ~っとしてて、誰か怪しい人に絡まれたら、どうしよう、って思ってたけど。よくよく考えたら、私らの方が怪しいよね」

「そやな。もこもこに着ぶくれて、うす暗いところに灯りも持たずに、ぬぼ~っと立ってる、なんてな。僕やったら、近づきたくないな」

「ほんま…」

「あ!! 流れた!」

 ほんまやと言いかけた彼女に、かぶせるように僕が言ったので、彼女は、俄然、張り切り始めた。

「ちょっと、場所交代。そっちの方が見えやすいかも」

「ええよ」

 場所を入れ替わって、背中合わせに立つ。

 入れ替わってすぐ、

「あ!! また流れた!」

「え! ウソ! なんで!」

 彼女の声が必死になる。

「ずるい」

「あ! また!」

「なんで、そっちばっかり、飛ぶん?」

 彼女がぼやく間に、僕の見ている空で、星が流れる。

「もう」

 悔しそうな彼女の声がする。

 僕は、背中合わせをやめ、彼女の肩を抱え込んで、同じ方向の空に向ける。

「一緒の空、見よ」

「……うん」


 それからまたしばらく、僕らは並んで空を見上げたけれど、なかなか流れる気配はなく、

「うう」

 彼女のしょんぼりしている気配が、肩に回した腕に伝わってくる。

「あと少し見て、あかんかったら、帰る。立ってるのも疲れた」

 彼女がつぶやくように言った。

「うん。そうしよか」


 観測を始めて1時間後。

 ついに、わずか1コ、彼女は、流星を見ることが出来た。

「……群れ、ちゃうやん。単独やん」

「残念やったね。でも、案外、いろんな星座がきれいに見えるよね」

「まあ。そやけど。願いごと、リストアップしたのに」

「ふふふ。しゃあないね」

 笑いながら、僕が彼女の顔を見ていると、

「あ! 流れた!!」

 彼女が小さく叫んだ。

「ほんま?」

「あ! また! あ!」

 立て続けに流れた星に、やっと彼女は満足そうにほほ笑んだ。

「よかったね」

「うん」

「そろそろ、帰る?」

「うん。納得した」



 暖かい夜だったけど、長時間外にいたので、やはり、けっこう体は冷えていた。

 彼女がお茶をいれようと、キッチンに立った。僕は、マグカップを出そうとして、ふと見ると、彼女のコートが掛かっている下の床に、小さな紙片が落ちている。

 拾って広げてみると――――。


『来年こそ一緒に金沢21世紀美術館にいけますように』

『一緒に近鉄特急ブルーシンフォニー乗れますように』

『一緒に京都で、名所巡りできますように』

『一緒に飛鳥をサイクリングできますように』

『一緒に満開の桜を見に行けますように』

               ・・・

 一緒にやりたいことが、いっぱい並んでいる。

 たくさん並んだ願いごとの最後には、

『ずっと、ふたりでいられますように』とあった。


――――これって、流れ星に祈るより、全部、僕に言ってくれたら。

 僕は、その紙をたたんでそっと元の場所に戻す。

 そして、キッチンにいる彼女に、声をかけた。

「ねえ。春になったら、ブルーシンフォニーに乗って、吉野へ桜、見に行けへん?」



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