第13話  月が……

 彼女がうっとりした眼差しで、その人に言った。

「月がきれいですね」


 平和な僕の毎日に、いつも謎や疑問をもたらすのは、彼女だ。

 今日も、彼女の一言で、僕は、問題解決に動き出す。



13. 月が……。


 今日は満月で、あまりにきれいな月に誘われて、僕と彼女は、散歩に出かけることにした。

 近くの土手を歩いていると、目の前に広がるススキの野原は、風に吹かれて、銀色に波打っている。 とろりとした金色の光に包まれた月が、銀色の波の向こうで空に浮かんで、うっとりするほどきれいだ。

「ほんまに、きれいやねえ」

 僕と彼女は、ため息をつきながら、その景色に見とれていた。


 僕らと同じように満月に誘われて散歩に出たらしい人たちが、土手のあちこちで立ち止まって、空を見上げている。

 僕らのすぐ近くにも、立ち止まって月を見ている、高齢の男性がいた。

 僕らはその人に軽く会釈して、「こんばんは」と、お互い挨拶をし合った。もちろん、知らない人だ。

 そのまま、静かに、僕たちは、月とススキを眺めていた。


 丸くて大きくて、本当にきれいな月。

 2人で、きれいやね、と言うだけでは物足りなくなったのだろう、彼女がその人に話しかけた。

「月がきれいですね」

 彼女がうっとりした眼差しで、その人に言った。

 言われたその人は、一瞬、ドギマギしたあと、

「そ、そうですね。綺麗ですね」と答えた。

 そして、なぜか照れくさそうな顔で、会釈して急ぎ足で立ち去っていった。

 

 その人が立ち去ったあと、僕らは、首をかしげた。

「なんか、あの人、びっくりしてはったよね?」

 彼女が言った。

「うん。そやね。で、なんか照れくさそうな感じやったね」

「う~ん。ふしぎ。月がきれいですね、って言うただけやのにね?」

 彼女がつぶやく。


 彼女と僕は、頭の上に、大きな?マークを浮かべている気分で、家に戻ってきた。

 自分の部屋の窓から観る月もやはりめちゃくちゃきれいだけど、空高く上るにつれて、その光の色は、とろりとした金色から次第に透明度を増すように思える。


「月がきれいですね」

 ふとつぶやいた次の瞬間、僕の頭の中を、何かが通り過ぎた。

 あれ? そういえば、なんか、このセリフ、どこかで、聞いたことがあったような……。

 急いで、スマホに今、つぶやいた言葉を打ち込んでみた。

 

 その結果。びっくり!

「え~っ!! これって、I love you.の意味合いがあるん?!」

 夏目漱石が、I love you.を、そう日本語に訳したとかって書いてある。

 

 それでか~。あの男性が、びっくりして照れていたのは。

 ?マークを浮かべたまま、帰って行った彼女に、急いで電話をかける。

 調べた内容を話すと、彼女は、

「ひえ~っ。何それ?! 私、知らんおじさんに、I love you.って言うたことになるん?」

 と、とてもびっくりしていた。

「でも、夏目漱石、面白いけど、ちょっと困るね。ほんまに、月がきれいやから、そう言うただけやのに」

 彼女が少し、苦笑しながら言った。

「あのおじさん、夏目漱石の言葉を思い出しはったんやね。なんか、文学的で、いいね」

「うん。ほんまやね。ちょっと照れてはったのも、なんか可愛いね。もしかしたら、昔、彼女に、そう言うたことあったんかもね」

「そうかもね」

 そんな話をしている間も、月は、青みがかった透き通った光を、放っている。

 やっぱり綺麗だ。

 僕は、スマホの向こうにいる彼女にささやいた。

「ねえ。……月が綺麗やね」



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