第11話 走れ!
「助けて……」
電話の向こうで、彼女が言った。
平穏な僕の毎日に、いつも緊迫感をもたらすのは、彼女だ。
今日も、彼女の一言で、僕は、問題解決に動き出す。
11. 走れ!
「助けて……」
電話の向こうで、彼女が言った。
僕は一瞬にして、緊迫感に包まれる。
「ど、どうしたん?! なにがあったん? 今どこ?」
矢継ぎ早に、僕は訊く。
「駅前のコンビニ出て、南に少し行ったところで、」
彼女が言いかけた言葉を、僕は最後まで聞く余裕もなく、大急ぎで言った。
「わかった。とにかくすぐ行く。電話は切らんとそのままにしといて。すぐ行くから」
ちょっと待って、聞いて、とかなんとか彼女の声が聞こえた気がしたけど、とにかく一刻も早く、助けに行かねば。スマホを握りしめて、部屋を飛び出す。
駅前のコンビニから南に、ということは、マンションの前の道をそのまま北上すれば、その途中のどこかの地点に彼女はいるはず。
自転車。自転車。
駐輪場まで来ると、カギを忘れたことに気づく。あああ。
マンションのエレベーターホールまで戻ると、エレベーターは、8階にある。家主さんのフロアだ。ボタンを押しても、なかなか降りてこない。
あかん。待ってられへん。階段や、階段。非常口のドアを開けて、階段を駆け上がる。3階なんてすぐだ。
部屋に戻って、自転車のカギを握りしめて、部屋を飛び出す。マンションの駐輪場に行き、自転車のカギを開ける。
よし。出発!
乗ってみると、なんか、おかしい。タイヤにさわると、べこんべこん、だ。
(そや。昨日、タイヤべこべこやったから、自転車屋さん持って行かなあかんな、と思ってたんやった)
あああああ。こうしている間にも、彼女の身に何か起こっていたら――――!
様子を聞こうと、手を見ると、持っていたはずのスマホが、ない。さっき、自転車のカギを取りに行ったときに、うっかり玄関の靴箱の上に置いてきてしまったらしい。
あああああああ。
だめだ。もう取りに行ってる暇なんかない。
走れ! 走るんだ! それしかない。
僕は、全力で走る。足には、けっこう自信がある。
走る。走る。
前方に、なにやら人だかりが見える。まさか、あの中に彼女が……?!
人だかりの頭の上からのぞきこむと、カマキリがいた。
周りにいるのは、小学生たちとその親だった。
カマキリは、まるで勝負を挑むかのように、カマを振り上げ、小学生に対峙している。小学生は嬉しそうに、しゃがみこんで、そんなカマキリを見つめている。親は、そんなカマキリと我が子たちをほほ笑ましそうに見つめている。
こことちゃう!
彼女は、どこだ? ここにはいない。
走る。走る。
メロスにまけないくらい、僕は必死で走る。
(どうか、無事で)
祈りつつ、走る。走る。息があがる。汗が目に流れ込む。
やがて、前方に、道端に止めた自転車の横で、手を振る彼女が見えた。
「ここ、ここ!」
「どうしたん?」
「パンクしてん」
「え? パンク」
「ほら、コンビニで、アイス買うたのに、早く持って帰らんと、この暑さやから溶けてしまう」
「助けて、って?」
「そやから、私の代わりに、このアイス、先に家に持って帰って、冷凍庫に入れてほしいなって」
彼女は、アイスの入った袋を僕に差し出す。そして、気づく。
「あら。自転車は? 走ってきたん?」
「うん。僕の自転車も故障中」
「あら~」
袋の中には、細い小さいアイスバーが8本入った箱がある。開けてさわってみると、
「これ、やばいね」
「うん。けっこう溶けてきてる。どうしよ」
僕は、解決策を提案する。
「いっそ、今ここで食べてしまわへん?」
炎天下、道端でアイスバーを食べる僕らの横を、さっきの親子連れが通っていく。子どもたちの目が、僕ら2人に注がれる。袋の中には、アイスバーがまだ6本。そして、それらは、絶賛溶けかかり中。
「あの」
彼女が、彼らに声をかけた。
「よかったら」
アイスバーをかじりながら、ゴキゲンな子どもたちは、虫かごにいれたカマキリを見せてくれた。カマキリは、黙っているけど、なんだかちょっとふてくされてみえる。
アイスバーは、ぎりぎりのところで、アイス汁にならずにすんで、彼女もほっとした顔をしている。
「あとで、一緒に自転車屋さんへ修理に持って行こうね。でも、この辺に自転車屋さんって、あったっけ?」
彼女が、僕に話しているのを聞いて、親子連れの男性が、言った。
「あ。ありますよ。駅の北側に、シルバー人材センターから派遣されてきてる人たちがやってはるところ。『ちゃりんこや』ていう名前で。親切丁寧で、いいですよ」
「なるほど。そこ、行ってみます。ありがとうございます」
アイスと引き換えに、僕らは貴重な情報を手に入れた。
親子連れwithカマキリが去って行き、僕らはトコトコ歩き出す。ひとまず、彼女の自転車を修理にもって行き、そのあとで、僕は自分の自転車を取りに帰ることにした。
「助けて、って言うから、何事かと思って、めっちゃ焦ったよ」
歩きながら、僕は、ささやかな抗議をする。
「ごめんね。ちゃんと続き言おうと思ってんけど」
そういえば、ちょっと待ってとかなんとか。……僕の早とちりだ。
「でも、ほんとに必死で走ってきてくれたんやね。ありがとう。暑い中、ごめんね」
彼女の自転車を押して歩く、僕の左腕に彼女の腕がからむ。お互い半袖で、素肌が触れあう。
……暑い。けど、なんだかちょっと嬉しいかも。
「無事で、よかった」
僕の言葉に、彼女も嬉しそうに笑った。
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