第9話  お祭りの日に①

 「あ。まちがえた……」

 彼女が言った。

 平和な僕の毎日に、いつも緊迫感をもたらすのは、彼女だ。

 今日も、彼女の一言で、僕は、問題解決に動き出す。



9. お祭りの日に①


 駅前をお祭りムードで行き交う人々の向こうに、彼女の姿が見えた。

 可愛い浴衣姿だ。優しく涼しげな空色に、黄色のひまわりの花模様が映える。帯も、ひまわりに合わせて明るい黄色だ。とってもよく似合っている。


 今日は、駅の近くの八幡宮で、お祭りがある。出店がずらりと並んで、夜には、河川敷で、花火も上がるらしい。

 僕と彼女は、駅の近くで待ち合わせすることになっていた。

 今日、彼女は、浴衣の着付けとヘアメイクのために、午後、友達の家に行っていた。友達のお母さんは元美容師さんで、着付けとヘアメイクの達人らしい。


「お待たせ」 

 彼女の頬が、ほんのり上気している。いつもとは違い、長い髪をアップにして、頭の上の方でお団子にしている。小さなひまわりの髪飾りが似合う。手に持っている可愛らしい巾着袋にも、小さなひまわりの飾りがついている。

「めっちゃ可愛い……!」

 思わずため息がもれる。

「あなたも、めっちゃカッコいい! 浴衣、すごく似合ってる」

 ネットで動画を見ながら、自分で着たので、少し心もとないけど。

「ヘンじゃない? 大丈夫?」

「ばっちり。カッコいいよ! 髪型も、すごくあってる」


 普段見慣れない姿なので、お互い、ついつい頭のてっぺんから足の先まで、じぃっと見つめてしまう。

 もう一回、じぃっと見つめる。

 僕の視線をたどっていた彼女が、一瞬フリーズしたあとつぶやいた。


「あ。まちがえた……」

 彼女が言った。足元を見下ろしている。

 彼女の足元は、スニーカーだった。

「しまった……。下駄のことすっかり忘れて置いてきてしもた。……痛恨」

 

 浴衣に合わせて、下駄も買っていたらしい。そういえば、「鼻緒がめっちゃ可愛いねん」と言ってたような。

「でも、浴衣はもともとカジュアルなもんやから、足元は、何を履いてもいい、ってきいたけど」 

 僕はフォローするように言う。

「でも……やっぱ、浴衣にあわへん。おしゃれ系のスニーカーならともかく。これは、あまりに普段履き」

 彼女は、とっても悔しそうだ。

「う~ん。……そうかなあ? あわんこともないような気がするねんけど」

 僕の微妙な言い回しは、失敗だった。

「ほら。微妙な言い方。やっぱりあわへんと思ってるんやろ」

 彼女がちょっぴり涙目になっている。

「そんなことないよ。ほら、周り見たらきっと、スニーカーの人とかいっぱいいてるんちゃう?」

 

 僕たちは、顔を上げて周りを見回す。

 なぜか、今年は、例年より浴衣姿の人が多いのは、気のせい?

 それとも、今年は初めて2人して浴衣にチャレンジしたから、よけいに浴衣姿が目につくだけ?


 足元は……う~ん。下駄の人が多いかも。というか、浴衣姿の人のほとんどが、下駄か草履を履いている。なんでや。

 彼女が、しょんぼり肩を落とす。

「せっかく、2人おそろいで、浴衣にしたのに。……私がマヌケなばっかりに」

 そう言いながら、僕の足元に目をやる。

 昨日、彼女に何度も念を押されたので、僕は下駄を履いている。

「ちゃんと、あなたが忘れないでいてくれたのに。うう……」 彼女がうつむく。

 

「……あのさ、ちょっとここで待っててくれる?」

 僕は言った。

「うん」

 彼女に、八幡宮への参道の脇で待っててもらうことにして、僕は駅へ引き返す。

 この近くに、靴屋さんの類いはなかったか? 少なくとも、今、現時点では、ない。

 ほんとは駅前のスーパーに1軒あるけど、この間から改装中で閉まってる。だから、僕は、この下駄を買うために、隣町まで行ったくらいだ。

 となると。


 僕は、駅のコインロッカーに走る。そこで、ロッカーに預けていた袋から、スニーカーと靴下を取り出して、大急ぎで履く。代わりに下駄を袋に入れてロッカーに放り込む。

 ほんとは、どうしても、下駄が足になじまなくて、ここの駅までは、スニーカーで来たのだった。


 スニーカーに履き替えると、僕の足は軽くなった。どこまでも走って行けそう。なんなら彼女をおぶっても、お姫様抱っこしても行けそう。

 さっきは、一生懸命走っても、前につんのめりそうで、走りにくかったのに。


 彼女の待っている場所に戻ると、彼女は、小さな肩をいつもより小さくして、しょんぼり立っていた。

 浴衣のひまわりまで、なんだかくたっとして見える。


「ひまわりみたいな、素敵なお嬢さん。僕とお祭り行かへんか?」

 僕は、普段とは違う声で、思いっきりチャラい感じで言ってみた。

 キッと顔を上げた彼女は、僕だと分かって、ちょっと笑って、へなっと眉を下げた。そして訊く。

「どこ行ってたん?」

「駅のコインロッカー」

 ほれ。 と僕は、自分の足元を指さす。彼女とおそろいのスニーカーだ。履き古してはいるけど。

「履き替えてきた。――これで、おそろいやん?」

 次の瞬間、彼女が、ポロンと大粒の涙をこぼした。

「え? え? そんな、泣かんかて……」

 あわてる僕の胸に、彼女がそっと顔をうずめた。

「好き。……大好き」

 彼女のつぶやきに応えるように、僕は、ぎゅっと彼女を抱きしめる。

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