第8話  誰かが掃除機をかけている理由。③ 


「ヒモが、いる」

 彼女が言った。

 平和な僕の毎日に、いつも緊迫感をもたらすのは、彼女だ。

 今日も、彼女の一言で、僕は、問題解決に動き出す。


 

 最近(いや、ほんとはもっと前からだと思うけど、僕が気づいたのが最近)、鳩のカップルの間で、優良物件として注目を浴びている、うちのベランダについて、僕と彼女は、作戦会議を開いている。


 一度巣作りとたまごをかえすところまで、一切の妨害もなく(!)やり通せた物件として、鳩界では、かなり評価が高そうな、うちのベランダには、今日もひっきりなしに、内覧客?が押し寄せている。

 

『ここは、決して、優良物件ではない』と分かってもらうために(鳩に!)、様々なミッションを遂行したものの、ことごとく、それは、失敗に終わった。

 カップルたち(鳩の!)にとっても、これは死活問題で、僕と彼女は、彼らと日々死闘?を繰り広げていた。

 そんな中、とうとう、僕は、この2日間寝込んでしまっていた。フンやら羽根やらを片付けるときに、マスクをしていなかったので、それらをたっぷり吸い込んでしまったせいだ。くしゃみが止まらず、頭が重く、熱こそ出なかったけど、ほんとにつらくて起き上がることも出来なかった。彼女がなんともなかったのだけが、幸いだ。


「チクチクマットは、多少は効果あるみたいやね。やっぱりちょっと歩きにくそう」

 ベランダを見ていた彼女が、僕に報告してくれる。

「そうか。むだじゃなかったんやね」 よかった。

 初めて敷いたばかりのチクチクマットの上を、ゴキゲンで歩き回るカップルを見たときは、ショックで力尽きそうになったけど、多少は効き目があったらしい。


「でも、このままでは、近日中に、入居者が決まってしまいそう。なんとかしないと」

 彼女の横顔が厳しい。

 僕たちは、真剣に考える。とにかく、考える。

 どうすれば、相手(鳩)が嫌がってくれるか、考える。


 子どもの頃から、『相手の気持ちになって考えて、相手の嫌がることをしてはいけません』そう躾けられてきた。だから、『相手の気持ちになって、あえて、嫌がることをする』というのは、僕にとって、人生で初めてのことだ。

 

 僕のベッドの横に座っていた彼女が、ふと思いついたように言った。

「ヒモが、いる」

「ヒモ?」

「そう、ヒモ。それと、ペットボトルたくさん。大小いろいろ」

 幸い、空きのペットボトルはたくさんあるし(次のゴミの日まで、ためていた)、ヒモは、ビニールの荷造りひもがある。


「まかせて」

 ベッドの中でぐったりしていた僕が、起き上がろうとすると、彼女は頼もしく言った。

「いいこと思いついてん」


 彼女の作戦は、水を入れたペットボトルをベランダに並べて、そのペットボトル同士をヒモで結んで、縦横無尽に張り巡らせるというもの。

「私たち、歩きにくさばかり考えてたけど、相手は、飛ぶのよ。飛ぶためには、翼を広げるでしょう。それが出来へんようにすればいいねん。翼を広げにくいベランダ。どう?」

「いいかも。ってか、めっちゃいいと思う! やろう!」

 希望が湧いてきた僕は、必死で起き上がり、叫んだ。


 僕たちは、しっかりとマスクをつけ、大きなゴミ袋にチクチクマットを回収し、さらに、ビー玉も回収し、かわりに、ありったけのペットボトルに水を注ぎ、ビニールヒモで、ペットボトル同士を結ぶ。

 ペットボトルの大きさや、ヒモを結ぶ位置によって、ヒモの高さも変えられる。そのヒモをベランダ中に張り巡らせる。羽ばたこうとすると、いやでも、引っかかるに違いない。これは、嫌だろう。僕が鳩でも。



 結果、ミッションはみごとに成功した。

 優良物件との評価はおそらく取り下げられたのか、内覧客は、訪れなくなった。

 

 平和な日々を取り戻した僕は、買い物帰りに、ふとマンションを見上げた。

 僕の住む部屋の上下のベランダには、キラキラ光るテープがいくつも垂れ下がっていたり、CDが、物干し竿からぶら下がっていたりする。

 やはり、みんな闘っているのだ。

『同志諸君』

 なんだか、そう呼びかけたいような気がした。

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