第18話

【乙女よ駆け抜けろ我が道を・半分ノンフィクション・後編】


* * *


私は陸上部への入部を決めかねたまま、目前に迫る原稿の締め切りに追われて、漫研部の皆にスクリーントーンを貼ったりベタ塗りしたりを手伝ってもらい、早割り入稿を無事に済ませて──早めに入稿すると印刷代が安くなるのだ、売り上げがあるとはいえ所詮高校生の私には欠かせない──ひと息ついて、そして新刊を出すイベントに意気揚々とサークル参加した。


お姉さん達は相変わらず綺麗だ。私の若さと精一杯のおしゃれを褒めてくれて、良い子いい子までしてくれる。なんという至福。


だがしかし、この日のイベントには恐るべき罠が隠されていた。それに気づかない私は呑気にも忙しく売り子をしながら午前中をすごした。


だけれども事件は起きる。


「──あ、本当に佐藤さんだ!」


「ひぁっ?!」


ラノベのような声が出た。私のスペースに推しが……若木さんが訪れた。なぜ。陸上部で頑張る若木さんには同人誌と無縁の日々があるはずだ。


「な、あの……若木さん、どうしたの?」


「うん、幼なじみに漫研部の子がいてね、佐藤さんは今日ここに参加してるよって教わったから。すごいねここ、皆手作りした本や雑貨なの?」


誰だ漫研部の裏切り者は。いや、まさかイベントにお見えになる程までに、若木さんが私に関心をいだいてくれていたとは知らなかったから口止めしていない。


「うん、……本は印刷会社に刷ってもらったりもするけど、原稿は自作だから……」


すると、若木さんは私のスペースに並べられた同人誌の数々を見て、感嘆の声を上げた。


「すごい、この本全部佐藤さんが作った本なの?」


「うん……一応……」


「何か、本屋さんみたいに本格的だね」


「え、あ、ありがとう」


元ぼっちのコミュ力は息も絶え絶えだ。会えて嬉しい、しかしやばい。何しろ、ここには──並べられている本のうちの二割相当が──。


「──あ、何か、この本の表紙の女の子私と似てない?」


「──!!」


どうしよう。表紙こそ推しの若木さんソロで描いているけれど、中身は百合だ。もちろん萌えに任せたラブシーンも気合いを入れて描いている。


とにかく手に取られては駄目だ。中身を見られたら、私は人生詰むことになる。


「可愛くて綺麗な表紙だね。せっかく来た記念に買っていこうかなあ」


「あ、──もっとお勧めの本があるから、ぜひそれを!」


私は焦って、ホモホモしい同人誌達の中から目を走らせて一冊の本を平積みから手に取った。


これは、好きなバンドのメンバーがコラムに載せたペットのハムスターが題材だ。楽器の上に鎮座してカメラ目線を向けるハムスターのつぶらな瞳が可愛すぎて、勢いで豪華なゲストも呼んで作った。ページ数は薄めだけれど、中身はハムスターでみっちりしている。しかもハムスターが主役なのでカップリング問題もない。ノリと勢いで五百部刷ったものの、わずか二か月で完売寸前という好評ぶりだ。皆可愛いものには弱いんだなあと幸せを噛みしめた一冊だった。


──これなら、見られてもホモはないし、若木さんもいない!


「これね、すごく好評でお勧めなの。よかったら記念にもらってくれるかな?」


「えっ、くれるなんて悪いよ。買うよ?」


「ううん、ぜひもらって欲しい。部活で忙しい若木さんが来てくれたんだから、何かお土産に渡したい。これね、好きなバンドのメンバーが飼ってるハムスターの本なの。今の私の、一番の自信作だから……ね?」


「自信作。何か、すごいね。こんなに立派な本が並んでる中の一番なんだね」


「うんうん、一番」


「でも、女の子の表紙も気になるなあ……」


ああああああああぁぁぁ。


私は何とかしなければならない。打開策を。気をそらす方法を。


「──あ、それなら、若木さんの似顔絵をね、スケッチブックにカラーで描くよ!──記念にもなるし、世界にひとつ!」


「似顔絵も描けるの? すごい……でも忙しいんじゃない?」


「大丈夫だよ、新刊目当ての人達はもういないから、午後はわりと時間が取れるの。このハムスター本と似顔絵でお土産にしていこうよ」


一気にたたみかける。若木さんは同人誌イベントには馴染みがない。右も左も分からないはずだ。大丈夫押せば通る。


「じゃあ……ハムちゃんの本と……似顔絵は学校で受け取れるのかな?」


「ううん、一時間くらい後にまた来てくれたら、その時に似顔絵渡すよ。スケッチブックの為に簡単な画材は持ち込んでるから。来られるかな?」


「──嬉しい、ありがとう!」


「ハムスター本は本当に気持ちだから、遠慮なくもらっていってね」


「うん、読むの楽しみ。ありがとうね。──あ、これ、差し入れに……昨日の夜にクッキー焼いたから」


推しの手作りクッキー。もし私が自在に鼻血を吹けるなら、今ここは血の海だ。


「嬉しい……ありがとう、お菓子作れるとかすごいね、若木さん!」


「お菓子って言っても、クッキーとカップケーキしか作れないから褒められるの恥ずかしいよ」


「十分すごいって。このクッキー食べて描いたら若木さんの似顔絵が天使か女神になりそう」


「大袈裟だよー。──あ、後ろにお客さんいるみたい。邪魔になると悪いから離れるね、またね」


「うん、ありがとう!」


「私こそ、大切な売り物の本ありがとね」


若木さんは、手を振って足取りも軽く離れて行った。助かった。本当に助かった。スケッチブックを思いついた自分を褒め讃えたい。食い下がって来なかった若木さんのピュアな心を賛美したい。


クッキーは本格的だった。甘さ控えめで、さくさくしている。口の中でほどけるようなクッキーだった。推しの欲目なしにしても、かなり美味しい。私と会うからと夜なべして頑張ってくれたのかと思うと感動もひとしおだ。


私は大切に一枚だけ食べて、残りは後のお楽しみにする事にした。若木さんの後ろに来ていた人の接客を終えてから、スケッチブックに取りかかる。持てる画力の全てをそそいで美しく描くと心に決めて。


そして一時間くらい後に、若木さんは再び訪れた。スケッチブックを渡すと、「え、すごい、めちゃくちゃ可愛い」と似顔絵を見つめて繰り返してくれた。体育会系の若木さんからは離れてしまうけれど、お嬢様風に描いた似顔絵は我ながら力作だったので、喜んでもらえて嬉しかった。


──そうして、嵐は乗り切れた。搬出を済ませてスペースを片付ける。周りに挨拶をして、キャリーの中の一番上にクッキーの包みを大切にしまって、私は会場を後にした。


驚いたし焦ったし慌てたし、どうなる事かと思ったけれど、何と実りあるイベントだった事だろう。ばらした漫研部員も笑顔で許せる。普段なら長く感じる帰宅の途も晴れ晴れとしていた。


──その、二日後だった。若木さんが私のクラスを訪れて、「佐藤さん、ちょっと」と声をかけてきた。


表情が心なしか固い。一瞬、百合がばれたかと思ったものの、怒っているようには見えない。むしろ、申し訳なさそうだ。


「……あのね、スカウトの事だけど……」


「う、うん……」


「やっぱり無かった事にしてもらえるかな?」


「……え……」


私に何か問題があったのか。頭が真っ白になりそうな危機に陥った。若木さんは私をまっすぐに見つめて言葉を続けた。


「イベントでね、佐藤さんが頑張ってるの見てたら、あの場所が佐藤さんの居場所なんだなって。活き活きしてたよ。本当に好きな事してるんだなって思った。それを中途で入部させてまで奪ったら絶対駄目だなって」


「……」


そこまで、私の事を考えてくれていたとは。


「似顔絵ね、部活の皆にも見てもらったの。皆すごいって言ってた。コーチまで来て、この子は絵を描く道を決めてるんだねって」


「……うん……正直に言うと、漫画を描くのは大好き。もっとたくさん本を作りたい……」


推しを近くで愛でたいけれど。


「うん。だからね、私は佐藤さんのファンとして応援するよ。あのハムちゃんの本、すごく愛情が籠もってて可愛くて優しくて面白くて感動したの。──部活は違っても、こんなにすごいの描ける佐藤さんと仲良くしたいなって。身勝手だよね」


「──ううん、身勝手とか全然ないから。私にはもったいないくらいの言葉だよ。本当に嬉しい。ありがとう……!」


単純な言葉しか出ないほど、ありがたい。心が大きく動くと、人は気の利いた言い回しとか思いつかなくなるんだなと自らを思った。


同時に、私は自分が今まで、若木さんから距離を置いたところから美味しいところだけ眺めて楽しんでいたと恥じた。それも、若木さんが今まさに私という個人を認めて歩み寄ってくれた事を実感出来たからこそだ。私は若木さんに対して言葉に尽くせない感謝をいだいた。──この人が推しでよかった、彼女の心がまばゆくて尊い、とも。


「じゃあ、佐藤さん。これからは友達として仲良くしてね」


「──うん、よろしくね!」


ようやく明るい笑顔になった若木さんに、私は声を弾ませて頷いた。推しと友達としてすごせる。高校生活は薔薇色になるだろうと思えた。


そして悟った。たとえ腐本を作るにしても、そこには推しへの理解を深める努力と、心に寄り添う──推しの心を知ろうとする努力が大事だと。若木さんは、ハムスター本で私の心に寄り添ってくれたではないか。


推しが何を想っているか、愛しているか、私はもっときちんと向き合わなくてはいけない。それは、若木さんのみならずバンドのメンバーに対しても同じだ。ハムスター本が異例の売り上げになったのも、きっとその心があったからだ。人はそれを愛という。──そう思い至り、私の心は高昂と悟りの静けさに満たされた。


──だが、だが。


この時の私はまだ、百合本が若木さんにばれてはいけない事に思いが至っていないのであった。


有頂天になって、休み時間の終わりに若木さんと別れ、席についた私は──不意と「推しの本……」と思い出して真っ青になったのであった。


同じ学校、学年。そんな近い距離であっても、心の距離が遠かったからこそ描けた作品達。でも、心の距離は少しでも近くなってしまった。


推しの本……推しの本……。


私は心の中で呻き続けた。


そして、ふと思い出した。差し入れのクッキー。あの丁寧に作られた優しい味わいのお菓子。あれこそが推しの心持ちの尊さの本質を現すものであると。


若木さんは、私にとって推しだ。これは変わらない。


けれど、あの優しい味を思えば、触れてしまった今では、百合本は──心の中でだけに留めるしかない。少なくとも、似せて描くことなど、もう出来ない。


私は決意した。


顔つきも特徴も変えて……性格だけ残して……若木さんファーストにネタを考えて……うん、そうだ。と。


──うんそうだ、ではない。思えば懲りていない。けれど、これを最善の策だと、一筋の光明だと、私の心は新たなるステージに向けて飛翔したのであった……。



【完】

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