第15話
【人生色々なんだから、まあ店員さんも色々だよね・ノンフィクション・前編】
* * *
「……肩凝りがひどい……首痛い……背中だるい……あー……」
うなりながら自分の指でツボを押しても、気休めにもならない。
私──仮に宮阪と言おう──は、新卒で入社した会社でデスクワークをしていたが、残業しない社員は意欲のない不真面目な人材という時代錯誤も甚だしい気風の会社だったため、自分の仕事が定時までに終わっても帰るに帰れずデスクに向かってパソコンを使っていた。
長時間のデスクワーク、パソコン見つめっぱなし。視力はみるみるうちに落ちて、パソコンに向かうにも前のめりになった。
それら全てが悪く作用したのか、我慢の限界を迎えて転職を決意する頃には、慢性的な肩と首と背中の凝りに悩まされるようになっていた。
もうデスクワークは嫌だ。心に決めた私は、ショッピングモールのアパレル店員に転身した。
慣れない接客に最初こそ挙動不審でおろおろしていたものの、3年目を迎えた今では学生時代のコンビニバイト経験や趣味の同人誌を扱う即売会での経験も活かして普通に勤務出来るようになった。
──だが、凝り固まった身体は戻らない。
幸いにもモールにはマッサージ店が入っていた。お財布と休憩時間を鑑みて、急いで食事を済ませれば三十分の施術が受けられると計算し、明るくおしゃれな店内に緊張しながら初めて足を踏み入れた時のことは忘れない。
そこで、私は初めて受けたマッサージに感動した。相手は同年代くらいの女性店員さんで、華奢な見た目とは裏腹に絶妙な力加減で的確に凝っている部分を揉んでくれる。施術後の身体は嘘のように軽やかだった。
名前は仮に大橋さんと言おう。大橋さんは主婦業のかたわらで働いており、あん摩マッサージ指圧師の資格も取得している凄腕のマイスターだった。大橋さんでなくては嫌だという固定客も老若問わず多く抱えている程だった。
私は一度で大橋さんのテクニックに惚れ込み、施術後のお茶を頂きながら次回を予約した。おしゃれなお店なだけあって、お茶も意識の高そうなハーブティーだった。大橋さんは固定客が多い事から、大橋さんの都合に合わせて予約を入れてもらった。
それからはモールでの楽しみと言えば大橋さんからのマッサージになった。多い時は週に三回頼んだ。大橋さんは朗らかで親しみやすく、いかにも優しそうな雰囲気を醸し出していた。それも人気の要因だろう。
「宮阪さん、相変わらず凝ってますね。ツボに指がなかなか入らないくらいですよ」
「何ででしょうね……長年のデスクワークが祟ってるのかな?」
「座り方ひとつで姿勢が悪くなりますしね。凝りやすくなってるのかも」
「でも大橋さんの施術極楽です、ふあー……」
気づくと、大橋さんの元に通い始めて一年以上が経っていた。緊張していた店内にも馴染んだものだ。気楽に入って大橋さんと会える。
けれど、蜜月は続かないのか。
その日の施術後、大橋さんは私にハーブティーを出しながら言いにくそうに切り出した。
「実は私、来月でお店を辞めるんです。ちょっと家の事情があって……」
「……マッサージ辞められてしまうんですか?」
青天の霹靂、天国から地獄。
私にとって、大橋さんの指圧は生活に溶け込んでいた。
「他のお客さんからは個人でお店をやれば、って勧められてはいるんですけど……それもちょっと無理かなと」
「……残念です……」
ショックで気の利いた言葉も浮かばない。どれだけ凝っていても揉みほぐしてくれていた大橋さんがいなくなる。
「あ、でも、お店には私以外にも優秀なスタッフがいますので」
「……でも、大橋さんが上手すぎたから……」
こんな事を言えば大橋さんを困らせてしまう。言ってから気づき、しくじったと思った。気を取り直して努めて明るく振る舞う。
「お別れは寂しいですけど、大橋さんもお身体をお大事にして頑張って下さいね」
「ありがとうございます。宮阪さんもお元気でいて下さいね」
元気なら週三でマッサージ店に通わないんですよ、とは言えない。私は、ぐっと堪えて聞き分けのいい客に徹した。闇堕ちしそうな心を押し殺して笑顔を保つ。
「大橋さんが辞められるまで、お世話になりますね」
「はい、よろしくお願い致します」
せめて、大橋さんの退店まではマッサージを享受しよう。
──とは思ったものの、大橋さんの人気は本物だった。辞めてしまわれるまでに、私は一度も予約を入れられなかったのだった……。
「あああ……痛い、固い、気持ち悪い……」
大橋さんが辞めてから三ヶ月、身体はバキバキに凝っていた。他のスタッフからも施術を受けてみたものの、誰も大橋さんには遠く及ばない。満たされない施術に失意を抱えて、マッサージ店から足は遠のいた。
けれど、凝りには耐えがたい。私は最近、自宅の近くに小さな個人経営らしきマッサージ店がオープンしていたのを思い出した。安っぽい看板を立てているお店だ。
胡散臭い。でも、隠れ家的な名店の可能性もある。看板に書かれていたお値段も手頃だった。
「騙されたと思って行ってみようかな……」
何しろマッサージに飢えている。藁にもすがる思いで、私は休日に身支度を整えて胡散臭いマッサージ店へ赴いた。
「すみませーん……」
建付けがよろしくないのか、重い引き戸を開ける。そろそろと入りながら声をかけると、アジア系の外国人らしき中年女性が出迎えてくれた。
「らっしゃいませ、初めてね?」
片言の日本語だが、とりあえずこちらも日本語で話して大丈夫そうだ。
「はい、肩凝りがひどくて……」
「じゃ、そこに横になって」
前に通っていたマッサージ店とは比べ物にならない、安っぽくて質素な寝台だ。恐る恐るうつ伏せて横になると、タオルやブランケットも無しに中年女性が施術を始めた。
「固い、凝りすぎ、指入らない」
中年女性はしきりに呟くが、そのマッサージは確かなものだ。女性の文句に目をつぶれば、マッサージそのものは素晴らしい。久しく味わえなかった満足感がそこにある。女性も口は悪いが手抜きなどしていない事が伝わってくる。
これは……思わぬところに当たりがあったのでは。
会話らしい会話も交わせないが、私としてもマッサージに陶酔しているので構わない。力を籠めてツボを的確に押す女性は、どうやら店長らしい。女性が他のスタッフとお喋りしながらマッサージしてくれている間に知った。他のスタッフと言っても一人しかいないが。
BGMのつもりだろうか、テレビがついている。スポーツ番組が放送されていて、そこにヒーリングは期待しない。施術こそ正義だ。
「はい、終わりね」
「ありがとうございました」
三十分はあっという間だった。しかし、久しぶりに私を満たしてくれた。次も来よう。そう決めた。
──だが、世の中はそんなに優しくは出来ていないのだ。
意気揚々とマッサージ店を再訪した私を待ち受けていたのは、凝りすぎの私を店長から押しつけられたスタッフの若い外国人男性だった。日本語は店長以上に片言だ。私より明らかに歳下の、しかも異性から施術を受ける。今まで同性からしか施術を受けたことはない。
いや、しかし、わざわざ海外から来て働いているくらいだ。腕は確かかもしれない。
そんな淡い期待も、施術が始まってすぐに打ち砕かれた。下手すぎる。
しかも、やたらと「リラーックス、リラーックス」と話しかけながら、やたら背中を無駄にさする。店内には他のお客さんがいない事もあり、リラックスとは真逆の気持ちで満たされる。こんな時に限って、テレビさえついていない。
早く終われ三十分。
マッサージを人から受けるようになって初めて、私はマッサージに心地悪さを味わった。
マッサージは、ほぼ肩や背中をさすられるだけで終わりを告げた。もう二度と来るものか。私は心に誓い、そのマッサージ店と別れを決めた。その後もマッサージ店は薄暗い店内で営業していたが、いつの間にか廃業していた。そりゃ潰れるよねとだけ思った
しかし、私がマッサージ難民になってしまったのは事実だ。私は私をほぐしてくれる指を求めている。
ああ、大橋さんが恋しい。
そう思いながら、スマホで「マッサージ、近所」のワードを検索にかけた。検索先生に頼るしかない。
「……ん?」
出てきた案内に、私は首を傾げ──スマホを放り投げるのを辛うじて我慢した。液晶が割れたら修理代が高い。理性が何とかまさった。だがそれでも衝撃は大きかった。
検索結果の一番上にあったのは、「性感マッサージ〜貴女の身体も心もほぐします〜」──と謳う、いわゆるいかがわしいお店だったのだ。
もちろん私は、すぐにバックスクロールしようとした。「性感」マッサージだなんて、何をされるか分かったものではない。これは風俗だと本能が告げている。しかも女性用風俗だと。
──が、スマホは敏感にも、触れるか触れないかのギリギリだった指に反応してしまった。私は今度こそスマホを放り投げたい気持ちを我慢しきれず、けれど最後の理性でベッドに投げた。ベッドならば液晶は割れないだろう。
しばし呆然としながら、なんとも言えない濁った気持ちをやり過ごす。それから、のろのろとベッドに向かいスマホを拾った。投げた時にどこかを触っていたらしく、怪しい検索結果が開いた画面は他のものに切り替わっていた。
それにしても、と思う。
私は凝りを何とかしたいだけなのに、マッサージ店にも検索先生にも恵まれないとは。他のワードで検索する事も考えたが、いかんせん気力が萎えていた。とりあえず寝てしまおうと決めた。
一人暮らしを始めた時に買った枕に頭を乗せて、ベッドに身を委ねる。モールのアパレル店員はとにかく立ちっぱなしだし雑用も多い。溜まった疲れのお蔭で、私は数分で眠りについた。
何か夢を見たような眠り。なのに何の夢かかけらも思い出せない眠りから目を覚ますと、首が痛い。肩から背中にかけて、鈍痛がある。そのせいで身体も重くてだるい。
けれど仕事は待ったなしだ。幸いまだ朝の早い時間に起きたので、少しSNSを覗いて見る事にする。可愛い動物をアップしている人達をフォローしているので、新着のペット動画や画像で心だけでも癒されたい。──が。
「え、ええ、何これ……」
アカウントを持つ、いくつかのSNSを次々開いてスクロールする。そして閉じる。次は可愛い動物との日常を綴ったブログを開く。全てが広告収入でまかなわれているものだが、だが、それでも、しかし。
──あらゆるものに、様々な性感マッサージのお店の広告が大きく出ている。
「ちょっと待ってよ……」
どうやら、昨日サイトに誤ってアクセスしてしまったせいらしい。広告は利用者の検索結果を反映してしまう。
その為、以降どのSNSやブログを見ても性感マッサージの広告が現れるようになり、私は頭を抱えることになった。
──それでも、検索結果を反映するならば他の検索をしまくればいいと考えもした。
だが、実践しても相手は強敵だった。なかなか消えてくれないのだ。これでは私が異性に飢えているようではないか。私が飢えているのはマッサージ、健全なる指圧なのに。
新たな検索を半月繰り返し、粘り強く頑張ったが、性感マッサージの広告はなくならなかった。その頃には、心のどこかで性感マッサージというものは広告に載せても良いような類のものなのかもしれない、と洗脳されつつあった。
かといって、広告をタップするのは怖い。詐欺サイトに飛ばされるケースだって、健康食品やらコスメやらで珍しくないではないか。私の知り合いには、日雇いバイトや在宅ワークの広告で高額請求してこられた人もいる。その人はメールアドレスを変えることで逃げる事が出来たけれど、格安スマホを使っている私にその選択肢はない。
広告に悩まされ、散々迷った挙げ句に、私は検索先生を再び使った。詐欺ではないなら、あの性感マッサージのお店はまだあるはずだ。
「うわ……」
果たして、そのお店はまだあった。検索結果の一番上に。
いくらお金をむしり取ってなんぼの風俗でも、サイトにアクセスするだけなら無料だろう。私は覚悟を決めながらも、無意識のうちに息を詰めてリンクをタップした。サイトにはまず、もの柔らかだけれど胡散臭いとしか言いようのない謳い文句が記されていた。
『日常に疲れていませんか。マンネリを感じていませんか。恋人に不満はありませんか。女性は皆、日々に様々なストレスを感じています。ストレスに晒されて擦り減る毎日に潤いを。当店のセラピストは皆、女性の味方としてストレスや不満をやわらげるお手伝いを誠心誠意させて頂きます』
「……うわぁ……」
ご奉仕、という単語が頭に浮かんだ。ただし高くつく。
謳い文句の下にはセラピストとやらの顔写真と源氏名がずらりと並んでいた。人気トップ10まではわりと大きく扱われている。その下に行くと、扱いは小さくなっていた。
それにしても、トップ10とやらは皆お顔が良すぎて、普通の生活と恋愛遍歴しかない私には、あまりにも煌びやかで「はー……」という感想しか出ない。まるでアイドルか人気俳優の画像が並べられているかのようだ。現実味が無くて、画像をタップしてプロフィールを見る気持ちにもなれない。
「何でこんな人達が風俗で働いてるんだろ……あ、顔が良くて売れるからかな。やっぱりブランド物とか貢いでもらえたりしてるのかな」
偏見だろうが、風俗初心者の感想としては真っ先にそれが出てしまう。それに、ホテル代やらデート代は客の自腹らしいので、売れっ子だと何かとお金がかかりそうな気もする。
見てみるだけと思ったわりに、結構真面目に眺めてスクロールしている自分がいる。おかしな話だ。
試しに何人かプロフィールを覗いてみる。キャッチコピーが無駄に元気で健全をゴリ押ししているけれど、思っていたより下品ではない。画像も、どこか外で撮影しているようで、背景は爽やかな自然の豊かな公園といった感じだ。淫靡な雰囲気を敢えて消している。
プロフィールの説明によると、時間は一時間からお泊まりまで選べるらしい。一時間は想像よりお手頃な値段だったが、お泊まりともなるとホテル代とデート代込みで月給が丸ごと飛ぶような値段で「これ、お泊まり選ぶのガチ恋勢くらいだよねえ……」と、思わず独白してしまった。
とりあえず全員見ておくか。そう思い、スクロールしてゆく。一番下には、リョウジという黒髪ショートの控えめな容貌をした男性が載っていた。風俗で顔を出して働くだけあって整った顔立ちだけど、派手なところはない。落ち着いていて穏やかそうな風情で、「ほー……」と呟いてプロフィールをタップした。
二十代前半、得意なのは相手の緊張をときほぐす事。お悩み相談も歓迎ですとある。お婆ちゃんっ子だった癒し系男子と書かれていた。ときほぐすより揉みほぐして欲しいのだけれど、凝りを。
しかし、不思議な事に他の上位セラピストより値段が安い。イケメンに見えるけれど、なのに売れていないのか。一時間あたりの値段は私が通っていたマッサージ店の二回分程度だ。ホテル代はその辺のビジネスホテルで、デート代はそれなりの喫茶店で済ませれば、お小遣いで払ってもそう痛い出費にならなそうだった。
──と、危ない。相手を買えることに意識が傾いている。けばけばしさのないサイトの作りがよろしすぎて良くない。
でも。マッサージ店二回分のお金と時間をフルに普通のマッサージにしてもらえれば。男性用風俗でも、女性に話し相手としてだけ頼む客もいるらしいし、そういうリクエストも受けてもらえるのでは。と、つい魔が差してしまう。
見た感じ好青年のようではあるし、癒し系らしいし。日々の凝りと疲れを癒して欲しい気もしてきてしまう。とにかく凝りを、バキバキの凝りをほぐして欲しい。
画像では特に鍛えてはいないように見えるけれど、男性ならばそれなりの力はあるだろうし、マッサージ店二回分フルでマッサージしてもらうのも無理はないのではないか。揉まれたい、肩と首と背中を。
リョウジさんとやらを見ていると、そんな悪い考えが湧いてきて止まらなくなってくる。これは危険だと理性は警鐘を鳴らすが、凝りは深刻なのだ。
一時間だけ……なら……。デートは無しにして、ビジネスホテル直行でマッサージ……。お婆ちゃんっ子だったなら、肩揉みくらいしていたはず……。
私は獲物を見つめる眼差しでリョウジさんという人のページを凝視していた。
欲望が、揉みほぐされたいと暴れている。お悩み相談も得意というなら、単なる話し相手にもなっているはずだ。話し相手がマッサージ相手に変わるだけだ。何が悪い。
そう考えてしまう私が誰より悪いが、お小遣いで余裕のあるお値段だと分かってしまうと、心はぐらぐら揺れてくるのだから仕方ない。
──どれほどの時間が経っただろうか。私は申し込み画面に移り、シフトが休みの日を選んで、第一希望から第三希望まで全てリョウジと記入して一時間コースで送信してしまったのだった。
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