第14話

【目力で禿げるほど愛して・後編】


* * *


お姉さんに導かれて入った喫茶店は、アンティークのテーブルに不思議でおしゃれなランプの明かりが灯されて、随所にハンドメイドの小物が飾られていた。小物は依託販売しているらしい。お姉さんもここにレジンというものを置いてもらっているのだそうだ。


「私のことばかりじゃ、つまらないよね……ごめんね、あなたの話も聞かせて?」


「あっ……いえ、僕は話を聞いているだけで楽しいので……」


友達はいない、サークルにも入っていない、バイトさえしていない僕に、楽しい話題なんてなかった。


お姉さんの話を聞いて、途切れると短く重い沈黙が降りる。お姉さんはその度に表情を翳らせた。やはり、目力で惹きつけても本来の魅力のなさは変わらないのか。


お姉さんは、ふと長くサラサラな髪を整えるようにいじった。


「あ……綺麗な髪ですね」


やっと見つけた褒め言葉に、お姉さんは嬉しそうにはにかんだ。そうすると、鎧のごときメイクもやわらいで見えて、可愛かった。


「この髪ね、大学に入ってから伸ばして伸ばして……お手入れは大変だけど、髪は手をかけただけ応えてくれるから」


「あの……素敵だと思います。……触ってみてもいいですか?」


「え……?」


急にハードルを上げすぎたか、と言ってすぐに後悔した。綺麗に手入れした髪を、僕なんかに触らせるなんて気持ち悪いはずだ。


「……あっ、すみません。今のは──」


「……いいよ」


なかったことに、と言おうとした時、先にお姉さんが囁いて、触りやすいように顔を近づけてきた。


「えっと、でも……いいんですか? 大事な髪……」


「あなたになら、いいって思ったの。……早く」


「あ……はい、じゃあ……」


綺麗なお姉さんの綺麗な髪を触る。何だか柔らかくて良い匂いがした。


もう、これだけで満足だ。残りの人生がパッとしなくても不満はない。この経験と思い出が僕を照らし温めてくれる、──……


「……え!?」


「……え? きゃああっ!」


その時。


撫でた髪が、ずるりと抜け落ちた。


「いや……何これ、いやあっ……!」


お姉さんが異常を確かめようと、気のせいであって欲しいと、恐慌状態に陥りながら髪を掴む。その度にバサバサと髪は抜け、あっという間に禿げてしまった。


「いやよ……──あなたどこに行くの!? 側にいて!」


「──育毛剤を買ってきます!」


僕は逃げた。


とにかく、あの場から離れようと無我夢中で走る。お姉さんの絶望に染め上げられた表情から、惨事から。


足が重く痛むまで走り、大きな記念公園まで来たところで、辺りに人──妙齢の女性──がいないことを確認して、側にあるベンチに腰を降ろした。


「何で……あんな……あそこまで酷いなんて……」


がくりとうなだれて、荒い息を繰り返す。全力疾走のせいでもあるけど、ショックの大きさもあった。


「あれ……そういえばオッサンは……」


──いや、傑作だ!見事に禿げたな!


「なっ……! 今、頭の中で声が……」


──そりゃそうだ。俺はお前の思念から生まれた化け物だからな。あの女は、お前のキモさに気づいてなおお前の目に惹かれてたな! キモい、何故か惹かれる、でもキモい。その葛藤が本来より早く激しく反動を起こさせた。お前のキモさは本物だな!


「なんだよ、それ……もういい、こんなコンタクトレンズなんか捨てて……」


──おいおい、聞いてなかったか? 俺はお前から生まれた、お前の一部だ。その俺の生み出したコンタクトレンズもまた、お前の一部。捨てればお前の中の何かが欠落するぞ。


「そんなっ……! でもこのままじゃ、またあんな犠牲者が……」


──お前を虐げてきた存在を犠牲者呼ばわりか。偉くなったもんだなあ! じゃあな、俺の仕事は終わった!


「待て! おいっ……!」


突然声が消えて、慌てて立ち上がり周囲を見渡す。声で呼んでも、心のなかで念じても、もうオッサンの耳障りな声は聞こえなかった。


「ちくしょう……どうしたら……」


外に出ている限り犠牲者は増えるだろう。部屋に引きこもるか? いや、親が生きて元気でいてくれているうちしか通用しない。


「──おじさん、具合悪いの?」


「えっ……あ!」


我に返ると、小学校中学年くらいの少女が目の前に立って心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。


「駄目だ、僕の目を見ちゃ駄目だ!」


うつむき、右手で目を覆う。


「ええ、なんでー? さっきから、おじさんの顔見てるよ?」


「じゃ、じゃあ今すぐ離れて……危ないから」


「この公園毎日遊びに来てるけど危ないものないよー?」


ああ言えばこう言う。正直いらっとしたが、未来ある子どもにトラウマを負わせてはいけない。


「今日暑いから、おじさん夏バテかなあ? 苦しい?」


けれど子どもは離れようとしない。


「ええと……公園が危なくなくても、僕が危ないんだ……!」


「おじさんのどこが? おじさん悪い人に見えないよー?」


「いや、悪い人なんだ、だから……」


「悪い人が自分で悪い人って言うかなあ。分かんないけど、具合の悪い人放っておけないよ」 


子どもは言葉を尽くしても去ってくれない。いっそ「僕を見てると禿げるんだ」と真実を話すか? 信じてくれるだろうか? この、ませた少女が。


いや、どうにもこの子どもは僕の目を見ていても、さっきのお姉さんのような感情の大きな揺れは起きていないように見受けられる。動揺していないのだ。もしかしたら、まだ恋も知らないような子どもには効果がないのだろうか?


だとしたら、ひとまず安心だ。──そう胸を撫で下ろしたところで、僕は戦慄を覚えさせられた。


「あたしと話すのも辛いほど具合悪い? ごめんなさい、あたしおじさんと話したくて。話してると楽しくなるの。おじさんに離れろって言われるのが寂しいの」


まさか、このいたいけな少女ももう禿げの兆候が……!?


駄目だ。うなだれる僕を心配して声をかけてくれた純心な子どもを地獄に突き落としては、絶対に駄目だ。


「……じゃあ、おじさん悪い人じゃなくなるよ」


僕は呟くと同時に、両手の人差し指と親指を両目に突っ込んだ。子どもは僕の言葉に破顔した次の瞬間、驚きに目を見開いて固まった。


僕は、荒々しくコンタクトレンズを目から剥がした。何かが欠落するという恐怖は忘れていた。


ただ、まだ髪が抜け始めていないなら間に合うはずだ、僕を心配してくれただけの子どもの優しさを踏みにじることはできない、僕をうろんな目で見る大多数の女性と目の前の少女は違う、そう祈るように強く強く思った。




洗ってもいない指で触れた目が痛い。じんじんと痛んで、頭の芯がぼうっとしてきて、僕は気を失った。


目を覚ますのが怖いな、何が奪われるんだろう、このまま目を覚まさなければいいな、そうしたら少女がくれた優しい気持ちだけ抱いていられるのにな………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………


「よう、馬鹿な学生!」


「オッサン……!? 何で……だって公園で消えたくせに!」


「ああ、物質世界からは消えたさ。ここはお前さんの夢のなかだ」


オッサンは夢だという世界のなかで、煙草をふかしながら目の前に立っていた。夢なのに煙が臭くて目にしみた。


「しっかしお前も馬鹿なことしたなあ、入れ食い状態捨てやがって」


「……いいんだ、もう。……なあ、オッサン」


「ん?」


「あの子どもは無事なんだよな?」


今一番気になることを訊ねると、オッサンは急に歯切れが悪くなった。


「まあ、なあ……お前の言う無事ってのは、大丈夫なんだろうけどなあ……」


「何か問題が残ったのか!?」


詰め寄ってオッサンの胸ぐらを掴むと、オッサンは苦々しい顔をして振り払った。それは、現実で僕をけしかけて笑っていた時とは全く違うものだった。


「それよりお前、視力を失うぞ」


「え……」


「コンタクトレンズ外した時だよ。汚ねえ指を力任せに突っ込みやがって。傷とバイ菌でな、多分駄目だろう」


「……そっか……」


目が見えなくなる。絶望に身体中の力が抜けそうだったけれど、目力を悪用した僕にはふさわしい罰に思えた。それに、最後に見ることができた汚れのない少女を消えることなく瞼の裏に焼きつけておける。


「腹立つな。何冷静にしてやがる」


「うわっ!」


オッサンが初めて顔を合わせた時のように首をホールドしてきた。やはり夢なのに痛くて苦しい。僕より背の低いオッサンが、自分の背丈に合わせて、ぎっちりと締めつけてくる。


「……目が覚めたらお前、責任とって大事にしてやれよ」


「……は? ていうか、首絞まって……苦し……」


「──以上、俺からの愛の鞭終了! さっさと現実に向き合っちまいな」


オッサンが急に腕を離し、片手をひらひらと振りながら背を向けて夢の世界のどこかへと歩いてゆく。何故だか、もう会うことはない気がした。


──オッサン、あんたのくれた物は正しいことじゃなかったけど。


「……ありがとな」


でも、宝物ももらったんだ。ささやかで小さくて、きらきらした。





「……ん……」


どれくらい気を失っていたのだろう? 目を覚ますと、何も見えなかった。目に何かが覆われている感触もある。


「ここ……は……」


「おじさん起きた!? 気分はどう?……あ、倒れたんだから良いわけないよね……」


「え……!?」


話しかけてきた声には聞き覚えがあった。──あの公園で声をかけてくれた少女のものだ。


でも、訳が分からない。それに、ここは……。


「……病院……?」


自宅のベッドとは違う固さ。薬の匂い。人の気配。


「うん……あたしが救急車呼んだの……おじさん倒れちゃって動かなくて……」


「そっか……迷惑かけてごめんね」


「怖かった……死んだらどうしようって……」


そこで鼻をすする小さな音が聞こえた。こんな赤の他人に、病院にまで付き添って、涙ぐんで。きっと、すごく良い子なのだろう。犠牲にせずに済んでよかった。


「……おじさん、手術したんだよ。でも……」


「……うん、覚悟はできてるよ。君が無事ならいいんだ」


「そんな、あたしのこと……あのね……視力がうんと弱くなるって」


「……へ?」


視力を完全に失うんじゃないのか?


「……そういえば、オッサン……」


思い出す。含みのある言い方をしていた。はめられた。


「あ、あー、そうだ、君親御さんが心配してるよ? 今が何時だか分からないけど、おうちに帰らなきゃ」


恥ずかしさを誤魔化して話題を変えると、少女が不満そうに声を低くした。


「あたし、もう高校生だもん。背は低いけど」


「え?……えええ!?」


最近の高校生といえば、大人と大差ない容姿だと思い込んでいた。じゃあ、恋を知らない子どもでもないのか? だったら何故彼女は無事だった? 途中でコンタクトレンズを外したからか?


「──そうだ、お母さんの他にお見舞いがあったよ。おじいさん。神無月さんって言ってた」


彼女は意想外の宝箱か。まさか消えていったオッサンが出るとは。


「『見た目に左右されない女には効かない』って。どういう意味だろ?」


全てが腑に落ちた。この子は、間違いを選択してしまった僕への蜘蛛の糸だ。


「はは……まいった」


「やっぱり落ち込むよね……」


「いや、……よければ手を握って欲しいんだけど」


お願いすると、すぐに小さくて温かい手が僕の手を包んでくれた。そして僕は誓う。


「この手にだけは間違えないよ」



【完】

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