第13話

【目力で禿げるほど愛して・前編】


* * *


今日も太陽がまぶしい。


季節を誇示するように、はしたないほど熱く、夏の日射しはアスファルトを焼いて、照り返しにむっとするような汗を滲み出させる。


昨夜の天気予報では、今日の気温は35度を超える猛暑日だと言っていた。勘弁してくれと思うが、異常気象に対して有効な策も浮かばない身ではどうしようもない。建物の中でのエアコンは欠かせないし、車は便利だ。


けれど外に出れば暑さから逃れられない……ああ、嫌だ。


そんな事を、日射しから僅かでも逃れようとうつ向いて歩いていたら、人にぶつかってしまった。相手が咄嗟に上げた「──きゃ!」という声の張りで、まだ若い女の子だと分かった。


「あ……すみません」


「…………」


とりあえず謝る。けれど返ってくる反応は忌々しそうな一瞥だけだった。


僕は、こうした無言でぶつけられる目がものすごく怖い。心臓が縮みあがりそうになる。恐怖は喉も押さえ込んで言葉を続けられなくする。


果たして、しどろもどろしているうちに、女の子はかつかつと靴のヒールを鳴らして行ってしまった。


情けない、こんな自分が夏の暑さ以上に嫌になる。


かといって、どうしたら変われるのか想像もつかない……。


僕は道行く人の邪魔にならないように歩きだす。それしか、できない。





とぼとぼと歩く僕は、この後、生活を一変させるモノと出会う。




今までの人生は急変というジェットコースターを体感するための助走にすぎなかったといわんばかりの。


……………………


………………


…………


「……ただいまぁ」


「──よう! 男子学生。元気のない声だなあ、さては元気がないな?」


「……は?」


小さいなりに住み慣れた我が家の玄関を開けると、いきなり聞いたこともないオッサンの声が飛んできて間抜けな声をもらす。


「そうだよなあ、元気がなけりゃ元気な声なんか出せねえよなあ! うはっはっはっ」


オッサン声は自分で自分の言葉にウケて笑っている。僕は玄関から声のするリビングに直行した。


リビングのソファーには、声の通り見たこともないオッサンが悠々とくつろいで座っていた。年齢は僕の父より一回り上くらいだろうか。剃っているのか抜けたのか、見事につるつるした頭を輝かせている。


「ちょっ……誰ですかアンタ」


「お? 学生は俺に見覚えないか?」


「ありませんよ。……母さん、この人誰」


キッチンからお茶を運んできた母が登場してくれて、内心助かったと思いながら訊ねる。


母はにこにこと笑いながら、「あら、ほら……覚えてない? あの人よ、ほら」と余計に不安を煽る受け答えをしてくれた。


「そうそう、神無月(かみなつき)だよ。なあ、姉さん」


「あら、そうそう。ほら、親戚の神無月の伯父様よ」


「……知らないよ、親戚に神無月なんて人いたっけ?」


僕は、ここで判断ミスをした。


疑念を曖昧な疑問符でなんか発してはいけなかった。


「あらやだ、会ったことあるでしょ、神無月さんよ。神無月伯父様」


「そうかあ、覚えてないか、前に会った時はまだお前小さかったもんなあ。──おい」


「へっ……うわあっ」


神無月らしいオッサンは、僕にクイッと人差し指で呼びつけてきた。愚かにも素直に近づいてしまった僕は、むさ苦しい腕に首をホールドされてしまった。


「ちょっ……苦し……」


「……いいから話を合わせてろ。悪いようにはしねえ」


「なっ……!」


オッサンの生温かい息が耳にかかる。耳が濡れたかと思うように不快だった。耳にかかる息で気持ちいいのは魅力的な異性に限るらしい。


「そうだよ、いい子だな。今日はいいモノ持ってきてやったからさ。モテない冴えない特別頭がいいわけでも運動神経がいいわけでもない平凡な男子学生君!」


……なんて屈辱的な主人公紹介だろう。しかも気味が悪くて怖くて反論できないなんて。


こうなったら、母に助けを求めるしか……。


「あらやだ、伯父様ったら冗談ばかり。ふふふ」


……望みは潰えた……おとなしくしておいて、オッサンが自発的に帰ってくれるのを待とう……。


ホールドの片腕を解いたオッサンは、スラックスやジャケットのポケットを忙しなく探り、最後にシャツの胸ポケットから何かを取り出した。それを僕に突きつけて得意げに笑う。


「ほら、土産だぞ! コンタクトレンズだ!」


「……コン……タクト……」


狐につままれたような反応しか出ない。僕は特別視力のいいわけではなかったが、悪くもなかった。


「嬉しいだろ、ほらほら、見てみろ! この色合いの妙!」


オッサンは喜ばせようとしているのだろうか? フリーズしている僕に、自ら小さな箱を開けて中身を見せてきた。


「青……紫?」


そこには不思議な色のコンタクトレンズが保存液らしきものに浸かって納まっていた。


「おお、やっぱりお前には分かるか! この色合いが普通じゃないってな! いいか、これはな……」


そこで、オッサンは声をひそめ、僕にだけ聞こえるように、けれどわざとらしく耳打ちした。


「いいか、このコンタクトレンズはだな……」


「……はあ」


「なんと、目力底上げ飛躍的アップという素晴らしいコンタクトレンズだ……!」


「……はあ?」


四次元ポケットを持つロボットぬこではあるまいし、何を言い出すのだ、このオッサンは。


明らかにうろんな表情でオッサンを見ている僕に対し、しかしオッサンは得意満面のえみで「どうだ、凄いだろう!?」と豪快に僕の肩を叩いて笑った。肩が痛い。大声で耳も痛かった。


「ただな、これは力が強大がゆえに……なあ?」


「あの……」


「おっ、なんだ気になるか?」


オッサンはいよいよ頬擦りしそうな勢いでしがみついてくる。何とか顔をそむけようと試みながら、僕は声を押し出した。


「……ここまできたら、最後まで聞きますんで……腕の力抜いてください」


「おっ? おお、俺のハグが熱烈すぎたか! まあそう照れるな!」


オッサンは更に引き寄せてくる。このままでは貞操が危ういかと思うほど。


「──ですから、あの」


「まあまあ、聞けよ。……実はな、禿げるんだ、コレ」


「……禿げっ……」


オッサンは唐突に、とんでもないことを言い始めた。しかし側にいたはずの母は、仲良く内緒話をしていると勘違いしたらしい。「じゃあ私は今のうちにお洗濯もの取り込まなきゃ」と言いながらリビングから出て行ってしまった。


「お、邪魔者がいなくなったか」


「僕にとっては蜘蛛の糸でした……」


「お前もなかなか言うなあ、はははっ。だがつまらんぞ。……それでだな、このコンタクトレンズを着ければ目力は凄まじくなり、レンズ越しに見られた相手は必ずお前にメロメロになる」


「……ただし禿げるんでしょう?」


スキンヘッドには潔い魅力があるとは思うけれど、僕の場合は目の前のオッサンと大差ないだろう。親戚という血の繋がりは否定するが。


そのオッサンは、あっさりと白状した。


「ああ、相手がな」


「そんなことだろうと……ええっ!? 相手!? 僕は!?」


思わず突っ込んでしまった僕は、その時に陥落したようなものだ。


「……何故だか知りたいか?」


獣のようにぎらついたオッサンの目を初めて見つめて、僕は頷いていた。


オッサンが説明するには、見られた相手は強すぎる眼光によってメロメロになりながらも生存本能が働き、反動で男性ホルモンが活性化して、それが活性化しすぎて男性に近くなり、無理が祟って禿げるとのことだった。


「まあ、アレだな。過ぎたるは及ばざるが如し」


「使い方間違ってます……」


「でも使うんだろ? お前は」


オッサンがしたり顔でニヤリと笑う。相当悪い顔だなと、働かなくなりつつある頭の片隅でぼんやりと思う。


そう、僕の脳は思いもよらない事案に出くわして、欲求には激しく揺さぶられ、理性はといえば「そんな旨い話があるもんか」とうそぶくのが精々だった。つまるところ、オッサンの口車に乗せられていたのだ。


「……もし試して、本当に禿げたら」


「必ず禿げるがな。……怖いか?」


「怖いに決まってますよ。女の子の髪が……なんて。責任取れない……」


ぼそぼそと言い返すと、オッサンは軽く「責任? そんなモンねえよ」と断言してきた。


「でも、僕のせいで……」


「自由に心を飛ばした結果だろ。いや、心を自由に飛ばさなかった結果か」


コンタクトレンズのケースを両手におし包み、肩を震わせだした僕に、オッサンはだめ押しで言葉を放った。


「長年そうやって生きてきたんだ、一発ぶちかましたいだろ?」


ハッとしてオッサンを見ると、こちらを真っ直ぐに見つめる眼差しには、僕への慈しみがあるように見えた。


見えて、しまった。


「……じゃあ、一度だけ、試すだけですよ?」


卑屈なまでに言い張る僕に、オッサンは快さそうな笑顔で手を伸ばして頭を撫で、大きく「よっし、やるぞ!」と鼓舞してくれた。


……くれた、ように見えてしまった。しつこいようだが、僕はそれだけ言い訳を求めていたのだ。


結果として、僕は逸る心をおさえながら、不安に陥りそうな心を叱咤しながら、町に出た。街ではなく町にしたのは、女の子達のパニックによって騒動が広がらないように、というオッサンからのアドバイスに従ったからだった。


コンタクトレンズは、初めて着けるのにもかかわらず異物感も違和感もなく馴染んだ。


「あら、伯父様もうお帰り? せっかくだから夕食をご一緒にと思ったのに」


「おお、それは残念だ。学生と水入らずで呑みに行こうかと思ってな」


「それはありがたいわ、何しろこの子、家と学校の往復ばかりで」


「そうだろうなあ、それじゃ根暗になっちまう。あ、もうなってるか?」


「まあ、伯父様ったら冗談がお上手なんだから。──じゃあ、伯父様に処世術でも習ってきなさいな」


母は僕の心配などお構いなしで見送ってくれた。


「……なあ、母さんは禿げなかったけど」


通りに出たところで、オッサンに訊ねる。


「そりゃ当たり前だ。母親に効いたら近親相姦になっちまう。──ほら、あそこに美人がいるぞ。声かけてこい」



オッサンが指さした先には、確かに僕より少し年上くらいの美人がいた。完璧な化粧をしていて武装しているみたいだ。近寄りがたい雰囲気を醸し出している。


「ええと……もう少しハードルの低い人で……」


「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ、いいか、今のお前は無敵だ。コンタクトレンズ甘く見るなよ。──ほら、行ってこい新生色男! ただしさりげなくな、あまり必死だとキモい」


オッサンは僕の背中をバシバシ叩き、前のめりにさせた。それによって、一歩進んでしまう。


僕はオッサンに励まされたのか、けなされたのか。とにかく美人のお姉さんに歩み寄った。こういう人は声をかけられ断り慣れているのだろうか、背中で拒絶を表していて怖い。


でも、声をかけなければ何も始まらない。僕はカラカラになっていた喉に唾を飲み込んで、意を決してお姉さんの肩を軽く叩いた。


「……あのっ」


「……え?」


お姉さんが怪訝そうに顔をしかめて振り向く。


「あの、僕と──」


「……え? あれ……?」


お姉さんはどうやら僕の目を見たらしい。ナンパへの怒りの顔から一変して、戸惑いを浮かべている。


それから、徐々に頬を染め……うっとりと僕の瞳に見入ってきた。


こんなあからさまな効果が出るなんて……。


「あ、あの、すみませんでし──」


尻込みしてしまって逃げの体勢に入った僕に、お姉さんが手を伸ばして僕のシャツの袖をそっと掴んできた。


「……この先に私のお気に入りの喫茶店があるの。よければお茶しませんか?」


逆ナン……!


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