第121話 全部は無理だった

 時は少し巻き戻る


「これで良いですか? これで宜しいですか? コレデイイカ?」


 同じような言い回し。何故同じ意味の言葉が幾つもあるのだろうか? ガイブは言葉を反復しながら人族の言語に煩わしさを感じていた。今回の探索でコミュケーションを綿密に取る必要が出てくる為、ルセインの体調が戻るまではギブによる人族語のレッスンが続いていたのだ。


「ハァ」


 深いため息をつく。ガイブの悩みはもう一つある。それがこの先の自室に待ち構えている。ガイブはゆっくりと部屋のドアを開ける。


「おかえり! お兄ちゃん」


 赤毛の癖毛に小柄な体格。褐色の肌にはっきりとした目鼻立ち。そして頭についた垂れ下がった耳。少女の全てに愛嬌が溢れている。少女は部屋に入ってくるガイブを見ると腰のあたりを目掛け思いっきり飛び込んだ。


 オッグ


 勢いの良いタックルに間抜けな声が漏れる。


「ナンナ。もう少し優しく抱きついてくれ。お前の力も笑えない力になってきた」


「だってー。一人で寂しかったんだもん。それより今日は私に《悪魔》と会わせてくれる約束でしょ? 連れてきてくれた?」


「悪魔? どこでそんな言葉聞いたんだ。あいつにはルセインという名前がある。そんな風に呼ぶんじゃない」


 ナンナと呼ばれた少女は口を膨らませると不満そうに顔を逸らす。


「だって隣のガーブが《見た瞬間に魂を抜かれた》とか《近づくだけでゾンビになる》とか教えてくれたもん。それに会わせてくれるって約束してからだいぶ時間が経ってる。お兄ちゃんが約束を守らないのがいけない」


 狭いコミュニティである。外から人族が来たという話は瞬く間に広がり、その人族は自分の兄と深く関わりがあるという話もすぐさまナンナの耳に入ってきた。


 ガイブはゴブリンとの戦争も近く、ナンナが戦争に巻き込まれないようルセインの話に触れないようにしてきた。しかし戦争がひと段落しついに断れなくなったガイブはナンナとルセインを合わせる約束をしてしまう。


(ガーブめ。後で懲らしめなくてはいけないな)


 腰を落とし少女の顔を正面から見つめると少女の頭をそっと撫でる。


「この間も言ったがお兄ちゃんは少しの間家を空ける。心配はしなくて良い。留守の間もギョウブとギブがちょくちょく来てくれると約束してある」


「知ってる。私も行きたいけどそれは我慢するって言ったでしょ! だーかーらー、悪魔に会わせてよー」


「んー。見送りの時な」


 ガイブの適当なあしらいにナンナの不満が爆発する。


「嘘つき! もう、お兄ちゃんなんか知らない!」


 ドシドシと足音を立て勢いよく部屋を出ると、そのまま玄関へと向かう。どうやら兄と顔を合わせていたくないらしい。ドンッと勢いよく玄関のドアが開かれる。


 キャァァァァァァ


 悲鳴と共にナンナが倒れる音がする。ガイブはすぐさま後を追い玄関のナンナの元へと駆けつける。


「あ、あ、悪魔が」


 ドアの隙間からは申し訳なさそうに顔を出すルセイン。そんなナンナとルセインを見て複雑な表情を浮かべるガイブ。


「すまない。妹のナンナだ」


 ナンナにとって一生忘れられない自己紹介となった。


 ※


 ヒック、ヒック。ウゥゥ。


 隣の部屋からはナンナの鳴き声が聞こえる。あの後もしばらく泣きじゃくり、ガイブの後ろから出て来なかった。当初は顔だけ見てそこまで泣かなくてもと思ったが、ルセインの黒いオーラを敏感に感じ取ってしまったのかもしれない。


「すまない」


「慣れてる、気にしなくて良いよ。それよりあの子は?」


「あぁ、妹だ」


「妹? 妹がいるのか?」


「いや、話すタイミングが無くてな」


 そいえばコボルトのダンジョンに迷い込んで以来、お互いのプライベートの話などしてこなかった。


「妹は幼いころに父を失ったので父を覚えていない。そのため、俺が父親の代わりをしている」


「そうか。なぁ、妹さんが心配だったら残ってもいいんだぞ。俺一人でも探索はできないわけじゃない」


「あの化け物どもと戦った後に何を言っているのだ。いまさらの話だ」


「ガイブ……」


「何だ」


 ルセインが真剣な表情でガイブを見つめる。表情は今まで見たこともない真剣であり、思わずガイブは体を強張らせる。


「お前。言葉が上手くなったな」


「……今言うことか、それ」


 ※※※


 ルセインは先日ギブが用意してくれた広間へと移動する。部屋には誰もいない。何も起きないとは考えてはいるが異常が起きた際には扉の鍵を閉めてもらうようにコボルトの兵士にはお願いしてある。


「やるか」


 意識をゴブと共有し、感覚を研ぎ澄まし体に流れる魔力とオーラを意識する。ゆっくりと膝を落とすとゴブもそれに倣い膝を落とす。


「礎に血と肉を 深淵の闇の先の沼地の王に従え 死者よ眷属となれ」


 身体から放出される魔力は、ゴブを通し広間に寝かさられるゴブリン全てに行き渡る。


 やがて、横たわるゴブリン達がモゾモゾと動き出す。各々体格や動き方が違うゆえにゆっくりと、けれどもしっかりとした足取りで立ち上がる。


(せ、成功した)


 ルセインにとってはギリギリのラインで制御だ。余裕はなく、険しい表情を浮かべながらそれぞれのゴブリンの使役状況を確認している。


 カランッ


 入口近くの物陰から音がする。ルセインと使役されているゴブリンが一斉に音がした方角に振り向く。


(……? 気のせいか)


 注意が逸れるとバタバタと床に倒れるゴブリン達。ルセインも思わず地面に座り込む。


(今の俺に全ゴブリンを使役するのは難しそうだ。調整が必要だ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る