第113話 人族の正しい発音

 名もなきゴブリンは、蹂躙される味方陣営を見ても焦りはしない。繁殖力の強い同胞など後でいくらでも数を増やすことができる。むしろあの厄介なドラゴンをそのまま引き付けて貰いたい。こちらには待ちに待った獲物が目の前にいるのだから。


「父チャンノ仇、トラセテモラウ」


 獣人は腰に巻き付けたガラス管を取り出す。中には紫の液体が注がれており、先端には針が備え付けられている。


 獣人が勢いよく首筋に針を突き刺すとみるみるうちに肥大化していく全身の筋肉。足を踏み込むと地面がめり込み一瞬で化け百足の目の前へと迫って来る。


(待ち望んだ時が来た。俺と子供達を殺してみろ)


 ※


 時は少し巻き戻る


「イヌマサハミにコノゲツカソウをマゼレばイインダナ」


「ギョウブ違います。犬マサハミにこの月火草を混ぜれば良いんだな、です」


「ヌウゥ」


「私と話す時は人族の正しい発音で話して下さい」


 ガイブはアブミの部屋の書物の解読をしていたものの、自分の知識だけでは解読しきれなかった。そのためルセイン同様ギブを訪れ知恵を借りていた。


「私の出した条件は二つ。貴方の父上が遺した知識を私へ開示する。人族の言の語習得の協力。その二点です」


 このやりとりをこなして数日。ギブの言葉は格段に成長している。それに比べてガイブの言葉はまだ未熟の範囲をでていない。


「貴方の父上と話したかった。武力は抜群、統率力はピカイチと聞いていました。この資料を読み解く限り知識人としてもコボルト族一だと言わざるをえません」


「当たり前だ。トウチャンはスゴインダ」


「違います。父上は立派です。はい、言い直して下さい」


「グウゥゥ」


 ガイブを苦しめていたのは戦闘能力ではなくギブの人族言語のレッスンだったようだ。


 〜〜〜


「デキタ」


 ギブの協力を経てやっとできた強化液は三種類。サラサラとしており、薄らとピンク色がついたもの、真っ赤な血液を思わせる液体。ガラス管の中にはピンク、紫色、赤が用意されている。


「とりあえず試作品ですのでピンクを少量た――」


 ギブが注意を促そうとする側からガイブは腕に針を刺し紫の液体を流し込んでいる。


「ちょっ! 何をやっているんですか?」


 全身の毛が逆立ち、血液が凄まじい勢いで巡る。今までに体感した事がない興奮を覚え、万能感に支配され身体を動かしたくてしょうがない気分になる。


「ウォォォォォォォン」


 ガイブは通路に飛び出すと一気に廊下を駆け抜ける。疾風のように風を起こすと通路の塵を舞い上げ、縄梯子が設置されている縦穴まで来ると両脚を踏ん張り、力を解放する。


 ブオンッ


 風を切る音と共に空中を一気に駆け上がると再び遠吠えをあげる。


「ウォォォォォォォン、ウォォォォォォォン、ウォォォォォォォ」


 遠吠えが鳴り響く中しばらくするとギブが追い着いたようで崖を登って来る。


「ちょっと。勝手に薬を打たないでください。体にどんな影響が出るか分からないんですよ!」


「トウチャンがツクッタものだ。シンパイナイ」


「父上が作ったものだですよ。しかし、効果は覿面のようですね」


「ああ。コレナラスグにでも百足と戦える」


 〜〜〜


「ウォォォォォォォ」


 壁を駆け上り、勢いよく壁面を蹴り飛ばすと百足の目にショートソードを突き立てる。


 シャァァァァァァ


 今までに感じた事のない痛みを受けた化け百足がたまらずに奇声を上げる。ショートソードを突き刺した隙を狙いもう一匹の百足がガイブに口を開け襲い掛かる。


「ヌん」


 ショートソードを突き刺したガイブは身体を捻り百足を足場にすると、襲いかかってくる百足の口を軽々と躱す。


 ウバァァァ


 片目を潰された化け百足はまだ生きてはいるようだが受けたダメージは大きい、戦力は大幅に削がれているようである。


「ぬっ。もうキレたのか」


 体を駆け巡る万能感、逆立った体毛が通常通りになるガイブの身体を倦怠感が襲う。


(ウゴケナイワケデハナイガやはりハンドウがあるな)


 ガイブが化け百足二匹と一時的に向かい合う形となる。ガイブが二本目のガラス管に手をかけていると、化け百足の背中を一匹のゴブリンが登って来る。どこにでもいる小柄なゴブリンであるがどこか知性を感じさせる。


 ゴブリンは何も語らずにガイブの目をただ真っ直ぐに見据える。


(コイツが……)


 やがてゴブリンが百足の背伝いに後方へ戻るとガイブは二本目のガラス管を首筋に刺し、剣を前に百足に向け腰を落とした。


 ※


 ガイブが二本目のガラス管を体に打ち込むのと同時に化け百足にも変化が起こる。


 化け百足の身体のあちこちについていた繭が青白く光り、縫い付けられた瞼が解放され瞳が露わになる。


「ソレガオマエノホンキというわけか」


 ガイブは怯む事なく真正面にいる化け百足に瞬足(スタンダ)を使い一気に間合いを詰める。


 ドンッ


 化け百足の頭部にガイブのショートソードが直撃する。ショートソードが頭に貫通し、負傷した眼からは目玉が飛び出す。二匹の内一匹は仕留めた………ように思えた。


「よし、一匹がァァァ」


 横腹に凄まじい痛みが走る。咄嗟に手で抑えるが皮膚が抉られ出血する。


「クソっ。何をされた?」


 ンマァァァァァァ

 チシャァァァァァ


 まだ、辛うじて戦闘能力を失わない瀕死の化け百足。


 百足は傷は深い、残り僅かで死ぬであろう。しかし、その僅かな時間を使い、全力で向かってくるであろう。そして、この得体の知れない傷である。


「カンガエテテモしょうがない。オォォォ!」


 大きく踏み込み化け百足に一直線に向かおうとするガイブの前に大きな影が現れる。


「考えなくちゃダメだろう。脳筋すぎるぞ!」


 目の前に現れたのはゴブリンとの戦闘を終えたルセイン。ガイブに向けて放たれた謎の攻撃を真正面からドラゴンの体で受け止める。


 ボッボッボッボ


 ドラゴンの硬い体に無数の抉られたような傷ができる。


(何なんだこれは?)


 化け百足に正面から向き合うとブリザーブドドラゴンに魔力を注ぎ込む。


絶対零度ブリザード


 化け百足に対し凍てつくブレスが放たれる。百足は真正面からブレスを受け、深傷を負っていた百足が大きな音を立て地面に倒れ込む。どうやら一匹は仕留めたようだ。


「そいつはオレノエモノだ。邪魔をスルナ」


「邪魔をする気はない。だが、あの謎の攻撃の正体分からなければ危険だ!」


 謎の攻撃は今は止んでいる。連続で攻撃はできないようだ。


「んっ。百足を倒したのに気を取られて気付かなかったが地面に何かある。……弾力のある水滴。水滴……?」


「そうか!? 水滴か! 方法は分からないが高圧力で水滴を飛ばして傷をつけているんだ」


「水か。しかしブリザーブドドラゴンのブレスとはアイショウガワルイ。ヨシ、不本意だが二人でなら倒せる!」


 無数の風を切る音がなると化け百足の後方から二人に矢がいかけられる。化け百足の脇からはワラワラとゴブリンの援軍がやって来る。


「ゴブリンか」


「イヤ。もっとめんどくさいものが来た」


 百を超えるゴブリンと共にきたのは眼の結び目を外し、所々体を青白く発光させた化け百足五匹。無機質な音をハモらせ戦闘中の化け百足の横に並ぶ。


「五匹だと! ギョウブはゼンブで三匹と言っていた。残りは二匹のはずだ!」


 相手の思わぬ援軍であるがここで冷静さを欠くのは良くない。ルセインは大きく息を吸うと頭を回転させる。


(……今までこの戦力を隠していたはずがない。あれば、以前から出し惜しみはしなかったであろう。という事は今まで残りの戦力は出せなかったと考えるべきだ)


「よく見るんだ。一匹を除いて残りは少し小さくないか?」


 ガイブが残りの化け百足を観察する。五匹同時に現れた時のインパクトに気を取られていたが一匹を除き残りの化け百足は二回りほど小さい。頭に付いている人の顔は相変わらず薄気味悪いが少しだけ幼く見える。


「総動員というわけか。ここで決着をつけるつもりだ」


「いいだろう。ルセイン、ブレスは後何発撃てる?」


「残り一発。それが限界だ」


「お前のブレスをきっかけに俺が飛び込む。水滴とゴブリンは頼んだぞ!」


 ガイブが腰を落として構えるとブリザーブドドラゴンが勢いよくブレスを吐き出した。

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