第20話 ベッドの下には

「ルセインの奴だけに得意な顔をさせるわけにはいかないからな」


 にやりと笑うと、オルタナが目元に魔力を集中する。


 《臆病者の瞳》


 瞼をゆっくりと開け、オルタナの目が見開かれる。


 一点の赤い点が現れ、その点を中心に樹の根が張るように血管が広がる。やがて、目の周りの筋肉が不自然に強張るとイケメンからかけ離れた醜いヤギの顔になる。


「うっ。やはり負荷がかかるな」


 瞬きを何回かすると瞳孔が開かれ、細長いスリット状となる。


 ちなみに、ヤギのような草食動物は暗闇の中でより多くの光を取り込めるだけでなく、陽の登る日中にも優れ、昼夜を問わずに人間より優れた視界を持つ。


「やっぱり全力は見た目にもだいぶ影響が出るな。だが、ここからは何も見逃さないぜ」


 侵入してしばらく経つ。目の前には果てしない暗闇。後ろに見える穴からはわずかな光源しか得ることは出来ない。通常の人であれば視野がランプの光だけでは正直心許ないであろう。しかし、今のオルタナにはこの手元にあるわずかな光源だけで煌々と輝く街灯の中を歩くのと同義と言える。


 通路の先に以前は客間として使われていた部屋。その先は行き止まりに見える。クローゼットらしきものも見受けられるが、中には液体が入った容器が幾つか並ぶだけでめぼしいものも特に無い。


 しかし、僅かな空気の流れは《臆病者の瞳》に波打つ線となって現れる。


「この容器は……? いや、それよりも今はこのベッドの下か」


 力を込め、朽ちたベッドをどかすと床には地下に続く隠し扉を見つける。


「ビンゴ! さて、鬼が出るか蛇が出るか」


 慎重に慎重を重ね床をこじ開ける。床の下には水路が走っていた。水の流れは淀むことなく流れ、今もなお水路としての役目は果たしているようだ。


 足元に気をつけながら水路に降りる。水路は樹の根が広がるようにオルタナのいる場所を中心に右へ左へと路を伸ばしている。


 無数に広がる根の中から目的の物を探すのは容易な事ではないが《臆病者の瞳》を使ったオルタナには難しい事ではない。目を凝らし、魔力の流れの強い路に絞り進んで行く。


 やがて、奥に進み水嵩が減り始めると、水路の奥に不自然なせり上がりを見つけ、その先には小部屋。注意を払い、手をかけようとした瞬間、唐突な目眩が襲ってくる。


「うっ。何だこれは」


 注意深く水路を見ると、薄黒いもやの様な物が見える。


「魔素? いやこれはーー瘴気か! 何でこんなものが」


 

 生きるも全てを否定する〈瘴気〉。その正体は不明で伝説の魔王が残した悪しき遺物であるという伝承もある。


 道具袋に手を入れ清潔な布を取り出す。簡易的な処置ではあるが、これでしばらくはもつだろう。さらに回りを見渡すと水路には細かいヒビが入り所々に陽の光が漏れているのがわかる。


「なるほど。瘴気が外に漏れてこの辺に生き物がいなかったわけか」


 瘴気が充満している事がわかった以上、早々に切り上げなくてはならない。この僅かな時間で目眩に加えて、吐き気と頭痛も加わっている。


 この先の小部屋は気になるものの、二人の所に戻り対策をとらなくてはならない。踵を返し、小部屋を後にする。


『――これ以上、ご、ご、ご主人様には何人たりともふ、ふれ、ふれ、触れさせる訳にはいかない』


 無機質な声は不自然によく響いた。違和感のみで判断し、とっさに身を交わしたオルタナは幸運だ。理解できない閃撃が左頭上を駆け抜ける。


 正面には黒く爛れた外套を身に纏う人型の何か。瘴気を全身に纏い、溶けたタールの様な物を垂らしながらこちらを覗いている。手には赤い刃紋の入った刃物、頭にはフードを深く被り、相手の表情を確認する事は出来ないが……明らかに良くない感情を抱いているは間違いない。


「わ、わ、わたしは。ご主人様に。こ、これ以上」


 黒い何かは右手に持っていた赤い刃紋の入った刃物を両手に持ち替えると上段に構え、足を少し開く。


「それは刀か。いやそれよりその赤い刃紋。ルセインが言ってた」


 全て話し終える前に放たれた一撃は一筋の黒い光となってオルタナに襲いかかる。後方へのステップで何とか躱すものの、流れるように繰り出される連撃に防戦一方となるオルタナ。


「これで何とか」


 ステップで刀をかわしながら器用に道具袋から小さな筒を取り出すと、黒外陰に向け、そっと放り投げる。黒外陰は伸ばした刀を返すと小さい筒を叩き斬る。


【キィィィ】と小さく音がなると筒は小さな光を放ち、一瞬で辺りを光で埋め尽くす。オルタナは目元に被せていた左手を外すと、今度こそ踵を返し全力で走り出した。


「ハァハァハァ。今回は逃げてばっかりだな。早く二人に合流しないと」


 足がもつれ、体制を崩す。勢いのついた体は水路に勢いよく転げ回る。顔を上げ何とか起き上がろうとするが左脇に鈍い痛みを感じ、左脇腹からは夥しい出血が見受けられる。


「に、二度と逃さない。逃さない。逃せない」


 右手で左脇を抑え、声のする方向に顔だけを向ける。先程の黒外陰は左下段に刀を構えオルタナを見据えていた。


「ハァハァ。やっぱりダメか。こっちは瘴気を吸って抵抗することもできない。交渉は出来ないか? 敵意はない、見逃して欲しい。出来る事は何でもするつもりだ」


 黒外陰は刀をそのまま振り上げる


「私は、私は、私はぁぁぁぁ!!!」


 黒外陰はオルタナの言葉に応じる事無く、無慈悲に刀を振り下ろした。

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